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8 余波

 最初に戻ってきたのは音だった。

 広場を満たしていた沈黙は、誰かが息を吸い込む音を合図に、堰を切ったように崩れ、驚き、怒号、疑問、安堵が互いにぶつかり合いながら渦を巻き始めた。


「撃ったのか?」

「いや、外れた、今のは外れたぞ」

「王女様は?」

「動くな、下がれ、下がれと言っている!」


 近衛兵たちは声を荒げながらも、訓練された動きで隊列を組み直し、壇の周囲に円を描くように配置についた。銃を構える者、剣を抜く者、合図を送る者、それぞれの役割がほとんど言葉を交わさずに分担されていく。その中で、先ほどまで人の影だった存在は、もはや物のように扱われていた。


「手を後ろだ、抵抗するな」

「歯を食いしばれ、外すぞ」


 金属が鳴る音と、押さえつけられた身体が石畳に擦れる鈍い音が重なり、暗殺者の顔が半ば強引に持ち上げられる。フードが外れ、群衆の前に晒されたその顔は驚くほど若く、恐怖と悔恨が混じった表情をしていたが、それを読み取ろうとする者はいなかった。


「こいつ一人か?」

「分からん、周囲を洗え」

「西側路地、封鎖を急げ!」


 命令は次々に飛び、兵たちは人の波を押し返しながら通路を確保していく。抗議の声が上がり、何が起きたのか分からないまま押しのけられる人々の中から、不満と恐怖が入り混じったざわめきが広がる。誰かが「英雄だ」と言い、別の誰かが「巻き込まれるところだった」と吐き捨て、また別の声が「運び屋が突っ込んだらしい」と興奮気味に語る。


 オルはまだその場にいた。

 立ち上がることも、離れることもできず、衛兵の一人が彼の前に立って初めて、自分が視線の中心に置かれていることを知る。


「……お前だな」

「名を名乗れ、少年」

「えっと..オル..です」

衛兵はオルの名をメモに書き始めた。


「まあいい、後で詳しく聞く。お前の勇気ある行動は讃えられる物だ。今日の晩餐会を楽しみに待ちたまえ」


 その声音に敵意はない。だが、親しみもなかった。ただ事実を処理するための声だった。別の衛兵が壇の上に駆け寄り、誰かと低い声でやり取りをする。布の裂け目から、白い手袋がわずかに覗き、それがすぐに引っ込められる。


「王女殿下は無事だ」

「医師を呼べ、念のためだ」

「民衆には……そうだ、“未遂”とだけ伝えろ」


 その言葉が、空気の性質を変えた。

 未遂。

 失敗した行為。終わった危機。


 群衆の中に安堵が広がり、同時に、誰かが拍手を始める音が聞こえた。最初はためらいがちだったそれは、すぐに同調を呼び、いくつもの手が打ち鳴らされる。歓声が上がり、名前も知らない誰かがオルの方を指差して叫ぶ。


「今のを見たか!」

「命拾いしたな、あれがなかったら……」

「すげえ、近衛でもないのに」


 称賛は、彼の足元に落ちていた銃と同じくらい無造作に投げ込まれた。

 オルはそれを受け取る準備ができていなかった。


 壇の上で、ナージャがわずかに姿勢を変えた。近衛兵に囲まれ、その中心で、彼女は群衆を見下ろしている。その視線が一瞬だけ下がり、オルのいる位置を通過する。しかし、そこに感謝も、安堵も、怒りもなかった。ただ、確認するような、遠い目だった。


 次の瞬間、彼女は兵に促され、城内へと姿を消した。


 暗殺者は引きずられていく途中、振り返った。

 その目が、オルを捉える。言葉はなかったが、唇がわずかに動いた。その動きが何を意味したのかを考える暇もなく、彼は角を曲がり、視界から消えた。


 残された広場には、事件の残滓だけがあった。

 裂けた布、踏み荒らされた石畳、そして、理由も分からないまま胸の奥に残る、説明のつかない熱。


 誰かがオルの肩を叩き、「後で話を聞かせてくれ」と言った。

 別の誰かが「名前は?」と尋ねた。


 その問いに答える前に、オルは思った。

 自分は今、何かを終わらせたのではなく、始めてしまったのではないか、と。



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