6 王都
王都、フェルゼリア。
それは浮島を連結するようにして広がる、高台の巨大都市だった。ファスヴィント号が接岸したのは、複数の空中船が同時に入港・出港できるターミナル型の船着場。まるで機械仕掛けの巣のように、無数の足場と通路、エレベーター、案内灯が入り組んでいた。
「まるで……空の迷宮だな」
オルは荷物を抱えながら呆然と見上げた。空は昼の光を濃く照らしていたが、ターミナル全体が金属と石材に覆われており、地面にほとんど土の匂いがなかった。
そこには、整然と並ぶ旗と警備兵の姿、そして早朝にもかかわらず続々と集まる市民の姿があった。
ナージャは、すでに荷物も持たず静かにデッキに立っていた。
「……行くわね」
その言葉は、まるで短い詩のように淡々としていた。
「え……あ、はい」
オルは思わずそう返したが、言葉が足りないことをすぐに後悔した。
ナージャは一歩だけこちらに寄ると、少しだけ微笑んで、小さな声で言った。
「昨日、言いかけたこと……。またどこかで話すわ。“王”のことも。ほんとは、まだ全部じゃないの。……実は――」
が、そこまで言ったところで、背後から兵士らしき者が大勢やって来て、彼女を促した。
「時間です、王女……」
その呼びかけに、オルは一瞬耳を疑った。
だがナージャは何も言わず、その呼び方を否定しなかった。ただ、少しだけ振り返り、視線を合わせずにこう言った。
「ありがとう、オル。あなたと出会えてよかった」
次の瞬間、彼女はターミナルの群衆の中に紛れていった
ナージャは、いつものように微笑んでいた。けれど、その笑みの奥には何か言葉にできない思いが沈んでいるようにも見えた。
手袋をした右手でそっと帽子を押さえ、踵を返す。そして、奥へと消えていった。
オルはしばらく、その後ろ姿を見送っていた。
「ボンヤリすんな、オル。お前の頭、今浮いてるぞ。頭だけで浮島作る気か?」
「えっ? あ、はい!」
親方の軽口にオルは跳ねるように背を伸ばす。ファスヴィント号の整備と荷下ろしを終えたあと、彼らは街中へ買い出しに出かけることになった。都市の市場にはこの地方でしか手に入らない部品や保存食、香辛料などが豊富にある。
「いいか、あそこの広場にある屋台の小麦パンな。あれは“消えかけの恋人”っていうんだ」
「……なんでそんな名前なんですか?」
「食べると寂しくなるらしいぞ、味がやけに淡くてな」
「それ、ただ薄味なだけじゃ……」
親方はにやにやと笑いながら、雑貨屋の窓を覗き込んだ。オルはそんな親方の後ろをついて歩きながら、街の建造物を目で追いかけた。
ターミナルを離れた街路には、馬車ではなく流線型の車がたくさん並んでいた。蒸気の機関とガスのちからで動くらしく、黒塗りの車体には金属製の紋章が光っている。
(あれ……貴族の専用車両か?)
その存在だけで、自分がどれほど庶民であるかを思い知らされた。車輪のない「浮く車」が一瞬の風のように滑っていくたびに、彼の肩が少しすくむ。
さらに視線を上げると、遠くの空に巨大な時計塔が聳え立っていた。塔の上部には環状の投光装置があり、夜になると空路を示す光標を発するという。まるで都市そのものが意思を持っているようだった。
「……うわぁ」
都市の圧力に押されそうになったそのとき――。
「……!」
甲高く、銀のような音が風を切った。楽器だ。金管の響き。規則正しく、それでいて荘厳なリズム。近衛兵によるファンファーレだ。
オルは思わず立ち止まった。
音のする方へ目をやると、街の主通りの奥、宮殿に通じる方角で人の流れが生まれていた。緋色の制服に銀の肩飾りをつけた兵士たちが列を成し、一般の通行人たちを押しのけながら進んでいく。
「……あっちで何かやってる……」
「こらオル、おい待て! 今行ったら迷子になるぞ!」
親方の呼び声を背に、オルはつい足を向けてしまっていた。音が、そしてその奥にある何かが、自分を引き寄せるような気がした。
いつの間にか大通りの沿って人だかりに紛れ込んでしまっていた。仕立てのいい服を着た人々もいれば、鉱石を売る浮島の労働者らしき男たちもいる。異なる階層の者たちが一堂に集うのは、何か特別な日である証だった。
王宮の正門が開き、重厚な音とともに華やかなファンファーレが鳴り響き、人々がざわつくなか、白銀の絹をまとう若い女性がゆっくりと壇上に現れる。
「ナージャ……?」
オルの目が瞬きもせず、その姿を追った。彼女は、まるで別人のように威厳に満ちていた。
そして彼女の後ろから、同じく式服に身を包んだ九から十ほどの年の少年が続く。王子だろうか。
二人は民衆の前に立ち、ナージャが一歩進み出て演説を始めた。
「わたくしは、この王都フェルゼリアの民として――そして本日より、同盟諸国との友誼を誓う者として、この地に立ちます」
その内容は明らかに外交を意識したもので、オルの胸には静かな不安が落ちた。演説の後半で語られた「隣接国との関係悪化」や「今後の改革の必要性」は、少年の暮らす故郷の安定にも決して無関係ではないと感じた。
20〜30分の演説が終わると、白く飾られた自動車が正門から滑り出し、王女ナージャと王子が乗り込んだ。
パレードが始まる。
そして――ほんの一瞬、ナージャの視線がオルを捉えた。
だが彼女は何も表情を変えず、ただ静かに視線を逸らした。まるで、それが最善であると知っているかのように。
そのとき、雑踏の中でひときわ目を引く動きがあった。
石畳の影から、少年が一人現れた。年の頃は十四、五。身なりは粗末だが、両手に巻かれた布を解きながら、視線はただ一方向――パレードの先を見据えていた。
解かれた布の中から覗いたのは、古式の狙撃銃。
その銃口がわずかに上がる。
(……まさか!)