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3 商都での出会い part 2

ナージャは、通りの片隅で立ち止まった。薄い灰色のマントに身を包み、顔は帽子の影に隠している。背後の通りでは、夕暮れの鐘が鳴り、人々がざわめきながら路地を染めていた。


 やがて、街の奥から太鼓の音が響いてくる。低く、重く、地面を這うような音だった。


 フィルノート街の祭だ。年に一度、戦の終わりを祝う仮面のパレード。だが本当は――誰も戦が終わったとは思っていない。


 通りの中央では、石畳の上に松脂を撒いた火路ひじが設けられ、燃えさかる炎が一直線に伸びていた。太鼓の音に合わせ、仮面をつけた子どもたちが、赤や青の衣装を翻しながら次々とその炎を飛び越えていく。


 火を越えるたび、群衆は歓声を上げた。幼子を抱いた母親が、拍手しながら手を振り、露店の商人が焼き果実の匂いを煙と共に漂わせる。


 だがナージャの目に映るのは、別のものだった。


 太鼓を叩く青年の腕には、連合の徴兵印がうっすらと残っていた。踊る少女の背に揺れる鈴は、軍用通信機の廃材から作られたもので、周囲の家々の屋根には風見鶏の代わりに、滑空艇の古いプロペラが据えられている。


 この街は戦争を遠ざけているようで、逃げ切れてはいない。飾られた祭の中に、誰にも言わずに溶かされた記憶が息づいている。


 (この空の上には、どこにも「外」なんてないのね)


 ナージャはそう思いながら、群衆の中に溶け込みつつ、少しずつ歩を進めた。


 道端に座っていた男が、くたびれた飛行服を直しながら叫んでいる。


 「こちとら朝から揺られてきたんだ、運賃ぐらいまけろよ! ああ? だったらこの浮島ごと整備してやろうか!」


 酒精の匂いが鼻をつく。その男の傍らには、羽根を傷めた配達用の小型滑空機が横たわっていた。


 (物流の人たちね……本当に、こんな機体で運んでいるの?)


上層の常識として空中運輸業者は「便利だが粗野な階層」とされていた。だが今、彼女の目に映るのは、疲れきった顔と油に染まった手のひらだった。


 夕空に、ファスヴィント号の帆影が一瞬見えた気がした。


 (オル……)


 彼の名を、心の中でそっと呼んだ。


 あの少年の目には、火を越える子どもたちの姿はどう映るのだろう。彼の暮らす世界では、この祭の火すら特別なのだろうか――。


 やがて火路が消されると、仮面の人々が最後に空へ向けて煙火えんかを放った。


 紫と金の花火が弧を描き、消えゆく炎の匂いと共に夜が街を包み込む。

 

火が消えると、人々はまるで呪縛から解かれたかのように、ぞろぞろと元の生活へ戻っていった。祭りの熱気は風にさらわれ、仮面を外した顔があちこちで笑いあう。だが、その裏側には、どこか醒めた現実の匂いが漂っていた。


 ナージャは、人目につかぬよう裏路地の石段を登り、静かな小広場へ抜けた。


 足元に敷かれた石は、旧時代の浮島防衛都市の名残だったのか、一部に複雑な模様が刻まれていた。かすれて読めない銘文の隣に、ふと、ある意匠が目に留まる。


 三枚の葉が重なり、中心に星の意匠――かすかに残されたその紋は、今ではほとんど見かけない旧王政時代の象徴に似ていた。


 ナージャは、その石に視線を落としたまま、わずかに立ち止まった。


 だが、特に気にしたふうもなく、やがて視線を外して歩き出す。


 彼女のマントの下、細い首元にちらりと覗いた銀のペンダントが、夕闇に揺れた。


 紋様は、三枚の葉と星――先ほどの石と、同じ意匠だった。


 気づく者はない。意味を知る者は、いまやごく少ない。


 ナージャ自身も、目立つことを決して望んでいなかった。むしろ、あの旧要塞で彼女が一度姿を消したのも、ある種の偶然に見せかけた計画的な離脱だったのかもしれない。


 広場の先には古いガス灯が灯っている。ぼんやりとした光の中に、ナージャは姿を紛れさせながら、奥へと進んでいく。


 彼女の手には、まだあの封筒が握られていた。


 中に入っているのは、ただの手紙ではない。


 新しい身分を象る、小さな「鍵」だった。


 ナージャは、人気のない階段を下り、かつて郵便局だった石造りの建物へと足を運んだ。今は物流会社の事務所になっているらしいが、外からはほとんど稼働しているように見えない。


 扉の隙間からひょろりと覗いた老人が、小声で挨拶をする。彼女は黙って封筒を差し出し、代わりに木箱の裏に隠された薄い受領印を受け取った。


 「これで……間に合いますか?」


 老人は答えなかった。ただ一つ頷いたあと、扉を静かに閉めた。


 ナージャは手に残った小さな紙片を握りしめ、再び通りに戻った。祭りの余韻はまだ街のあちこちに残っていたが、人影はまばらになっていた。


 その時だった。


 「……あれ?」


 背後の細い路地から、小さな声がした。


 振り返ると、石段の上にひとりの少年が立っていた。青みがかった整備服の裾が少し乱れている。手にはまだ作業手袋が握られていた。


 オルだった。


 ナージャは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに口元に薄い笑みを浮かべ、片手を軽く上げた。


 「こんばんは」


 「え、ナージャさん……?」


 「こんなところで偶然ね。あなたも、祭りを見ていたの?」


 オルは戸惑ったように目を泳がせた。


 「うん、見てたというか、親方に荷物を届けに……。その、さっきは……その、綺麗だった、です」


 ナージャはくすりと笑った。「炎を越える踊り? それとも、私?」


 オルは言葉に詰まり、顔を赤らめてうつむいた。ナージャはその様子を見て、いたずらっぽく微笑んだ。


「またあなたの船に乗せてくれないかしら」

「ど、どうしてですか?、、わざわざぼくの船に乗らなくても、いいのに、、」

オルはボソッと話した


「旅の予定が変わったの、あなた、王都まで行くのでしょ?そこまで連れてってくれればいいわ」

ほんの少し沈黙をおいたあと

 

 「じゃあ、また明日」

ナージャはその言葉を放った


「……はい!」


路地をすれ違いざまに小さく頭を下げた。


 その姿が角を曲がり、夜の通りに消えるまで、オルはその場から動けなかった。


 彼女が今、どこから来たのか、何をしていたのか――考えるにはまだ若すぎるほど、彼の心は一杯だった。

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