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2 商都での出会い part 1

旧要塞を離れ、フィルノート街へ向かう道中。船上にてオルは親方に聞く


「親方、あれ……地表の方、ガスがまた出てきてますよ」

 

 オルは船縁から身を乗り出し、下方の景色を見下ろした。雲の切れ間から、岩肌とねじれた樹木がむき出しになった谷間がのぞいている。黒紫色の煙があちこちから立ちのぼり、時折、それが風に乗って空へと揺らめいていた。

 

 「おう、見えるか。あれがあの植物の『挨拶』ってやつさ。毒の息を吸わせて、よそ者を遠ざけるって寸法よ」

 

 「……あんなところに、人って住めるんですか?」


 「住んじゃいるが、暮らしとは言えねぇな。昔は探鉱団も降りてったが、肺をやられて半分戻ってこれなかった。草一本、うっかり触りゃ皮がただれる。根っこが地中の毒を吸って生きとるんだから、どうにも性質が悪い」

 

 オルはごくりと喉を鳴らした。

 

 「じゃあ、高台や浮島がなかったら……俺たち、地上には住めないんですね」

 

 親方は煙草をくゆらせながら、頷いた。

 

 「そもそも浮いてなきゃ、文明なんて築けねぇよ。俺たちが踏んでる台地が、空の上で風に流されてるのも、ぜんぶあの気まぐれな地面から逃げた結果さ」

  

 オルは視線を上げた。浮かぶ島々の影が、はるか遠くまで続いている。

 

 「……でも、時々夢に見るんです。もし地上に、風も毒もない広い土地があったらって」

  

 親方は珍しく黙り込んだあと、ぽつりとつぶやいた。


 「夢を見るのは勝手だがな。地上のほうが天国だなんて、そんなふうに考えるやつは、たいてい最初に消えるもんさ」

 

 言葉は静かだったが、どこかに実感がこもっていた。

 

 そのとき、船が揺れた。高高度特有の風が、帆を叩いたのだ。オルは身体を戻し、船内へと足を運ぶ。地表は再び雲に隠れ、影だけが淡く空に残った


そんな会話を交わす間にも、船は目的地――フィルノート街の上空に達した。

 

 そこは空に浮かぶいくつもの台地が連なった交易都市で、浮島の縁にまで家々が張りつくように建てられ、下からせり出すように積層された構造が特徴的だった。空の市場そらのいちばと呼ばれる交易所は、その中心に位置している。


  「商都!フィルノート街へようこそ!」

 

 港塔の案内係が手旗を振り、ファスヴィント号を係留杭へと導いた。到着直後から作業員たちが船に群がり、活気のある掛け声が飛び交う。

 

 「オル! 降ろす荷は三番、七番、十番! 港の赤い屋根の倉庫に運び込め! 今日中だぞ!」

 

 「は、はいっ!」

 

 オルは慌ただしく後部ハッチへ駆けた。背中には汗がにじみ、空気が湿気を帯びていた。都市の熱と人々の息づかいが、空気の質を変えている気がする。

 

 市場の近くでは楽団が笛を吹き、通りには香辛料の香りが漂っていた。濃く色づけされた布を羽織る商人たち、腕に鳥をとまらせている遊芸人、そして見慣れぬ言葉で怒鳴り合う船乗りたち。

 

 フィルノート街は、空の上に咲く騒がしい花のようだった。

 

 荷を二箱、倉庫まで運んだところで、オルはふと通りの片隅に目をやった。

 

 ――あれは……

 色褪せた外套。小さな肩かけ。人混みにまぎれて遠ざかるその後ろ姿に、見覚えがあった。

 

 (ナージャ?)

 

 オルは荷を置きかけて、思わず一歩踏み出した。しかし、そのとき背後で親方の怒鳴り声が飛んだ。


 「オルー! 五番の箱、真っ先に持ってけって言ったろうが!」

 

 「は、はいっ! いま行きます!」

 

 気がつけば人混みの中にその姿は見えず、道の先には交差する帆索と滑空車の列が視界を遮っていた。

 けれど、たしかに見た。

 

 あの街の喧騒の中に、ナージャはいた――そんな確信が、胸の奥に引っかかったままだった。

 

 (どうして……あの要塞に行ったのに。なんで、ここに……)

 

 答えはない。だが、オルの中に芽生えた小さな違和感は、じわじわと根を伸ばしはじめていた。

 

 その日の夕方。港塔からは西の空へと出港する船がひとつ、予定より早く飛び立った。

 

 帆に描かれた紋章は、オルには見覚えのないものだった。だがその船の軌道は、ふたたび戦の残滓が漂う地方の上空を抜ける航路へと向かっていた。

 

 街の夕暮れは、どこか不自然に赤く染まっていた。

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