初めてのダンジョン探索~ガイドブック付き~
異世界に来てから三日が経過した。いまだに帰れる見込みは立たない。日銭稼ぎに細かい依頼を少しだけこなしたけれど、スキルも増えていないし、強くなっている実感はない(迷子の猫探しじゃ無理だろうけど)。レベルアップしたのは皿洗いの腕前だけだ。そろそろ「伝説の食器使い」とか名乗れる気がする。
考えてみたら当たり前だ。そんなすぐに魔王なんか倒せるはずがない。俺は勘違いしていたけど、これは普通に異世界転生といっても過言では無いのかもしれない。
「ハルキ、何か悩んでるの?」
酒場で朝食を食べているミーナは、俺のそんな考えを気にしているのかなんなのか。一応パンを置いて話しかけてくる。
「なあ、一応俺って魔王倒すまでの契約じゃん」
「そうだね」
「そもそも魔王ってなんなんだ?いつから戦っているんだ?」
俺はなかなか話す機会が無かった疑問をぶつける。なんとかなるって思っていたけど、このままじゃ何とかならない。
「うーん、詳しいことは分からないんだよね。ただ、5千年前から勇者と魔王の戦いが繰り広げられていたってこと」
は?
「ご、五千年前……?いや、長すぎない!? ていうか、そんな昔から戦い続けてるなら、もう決着ついてもよくねぇか!?」
頭を抱える俺をよそに、ミーナは当然のように続ける。
「そう、私もある日、先代の勇者が亡くなった後、私の手に突然この紋章が現れたの。で、いきなり周りの人に『勇者だ!』って言われて、騎士団さんもいっぱい来て、私自身も驚いたんだよ」
ミーナが右手の手袋を外すと、そこには紋章が刻まれていた。
「パパもママも、ずっと前に魔物に殺されちゃってね……。私はおばあちゃんと二人暮らしだったんだ。でも、いきなり魔王を倒せって……。おばあちゃん、すごく心配してたよ」
物思いにふけるように、斜め上を見る。その目はいつものミーナとは別人に見えた。
酒場の喧騒が静かになった気がした。こいつも色々あったんだな。
「あ、ごめんごめん。話が脱線したね!だから何としてでも私の代で魔王を倒す!そう誓ったんだよ!」
いつもの明るさで俺を見据えて話す。
「そうか、じゃあ頑張らないとな!おばあちゃんの為にも!」
「うん!だから今日は訓練をします!」
え
「訓練、ですか」
「そうそう、ここから3時間くらい西に行ったところにダンジョンがあるから、そこに行こう」
ダンジョン、ファンタジーの物語でよく聞くけど実際にあるのか。まあファンタジーだしな。余談だが、時間の数え方とかも元の世界と一緒に認識されている。ここ一週間で分かったことだが、それもスキルの効果って訳だ。
「探索か。宝箱とかもあるのか?」
「あるよ、中身は大したこと無いけどね」
オレンジジュースを一口飲んだミーナが言う。
「中身がわかっているって、もう誰かが攻略済みなんじゃないのか?」
まるで見たことがあるかのように話すミーナに俺は聞く。もう誰かは行ったことがあるなら、もう宝箱は空じゃないか?
「途中までは何回も攻略されてるよ。でもこのダンジョンは、入るたびに宝箱が復活するからさ。だから地図まで売ってるんだよ」
懐からミーナは、『チカクノ迷宮 入門編』と書かれた地図を取り出す。
「なにその旅行ガイドみたいなやつ」
「ガイドブック。ここって大きな町じゃん?だから地図を作って売るぞ!って、やたらとやる気な子がいたんだよ」
そういえば最近見ないな~ルクレア。と呟くミーナ。よく見ると地図には『著 ルクレアちゃん』と書かれている。そいつが書いたのだろう。
「これは30階までの地図。一応いろんな人に話を聞いて50階までは作ったらしいけど……どこまで続いているかはわからないし、最深部まで行けた人はいないらしいよ」
「ちょっと貸して」と、地図を借りる。『ここのスライムは美味しい!』『壁に可愛い模様がある!』……おい、これダンジョンの攻略情報じゃなくて食レポと観光ガイドじゃねぇか。詳細なところまで書かれているのは凄いけど、なんか方向性がズレてないか?ていうかスライムなんか食えんのか?
「食べちゃダメ」
何かを察したミーナが俺が声を出す前に言う。
「この予約方法ってなんだ?」
「ああ、それね。ダンジョンは一回に一つのパーティしか入れないの。だから予約制!」
「え、じゃあ先に入ってる奴が出るまで、ずっと待つのか?」
「一応前のパーティが出てきたら知らせが来ることになってるの。ようやく私たちの番が来たってこと」
めちゃくちゃ人気のある東京の人気レストランみたいなシステム。
「じゃあ、出発しよう!」
ミーナが意気揚々と立ち上がる。俺は仕方なく腰を上げた。皿洗いで鍛えた腕をどこまで活かせるかは知らんが、とりあえず訓練に付き合おう。俺ももっと強くならないといつになっても帰れない。
酒場を出ると、ミーナはまっすぐ馬車の待機所へ向かった。どうやらダンジョンまでは歩きではなく、馬車を使うらしい。
「三時間も歩くのかと思ったら、馬車移動なんだな」
「徒歩で行ってたら、ダンジョンに着く前に疲れちゃうもん!」
それもそうか。俺たちは受付の人にダンジョン行きの馬車を頼み、銀貨10枚を支払った。
「ダンジョンの前で降ろしてもらって、終わるまで待っててもらう形になるよ」
「待機込みの料金か……。まあ、そこそこ妥当な値段か?」
大体5,000円か……最悪何日も待っててもらうことになるかもしれないんだし、それでも安いのかもしれない。
「そうだね、相場だと思うよ。それに冒険者が多いから、ダンジョン周りには屋台もあるし、馬車の御者さんも退屈しないみたいだよ」
待機中の食事まで考えられてるのか。意外と整備されてるんだな。
中に乗り込んだ後、俺は馬車に揺られながら、窓の外をぼんやり眺めた。石畳の道を抜け、次第に未舗装の土の道へと変わる。広がる草原、遠くには小さな森が見える。青空の下を走る馬車は、快適とは言えないが、元居た世界には無い体験だ。
他愛のない会話をし、しばらく沈黙が続いたあと、俺はふと思った。
「そういや、ダンジョンってどれくらい遠いんだ?」
「馬車で三時間くらいかな!」
「……三時間か」
結局、長時間の移動は避けられないらしい。俺はため息をついて、適当に体勢を変えた。
「時間なら見れるよ!」
そう言って、ミーナは腰のポーチから小さな円盤を取り出した。
「それ、なんだ?」
「これはね、魔導時計!」
ミーナが得意げに掲げたそれは、金属のケースに包まれた懐中時計のようなものだった。ただし、普通の時計とは違って、針がない。代わりに文字盤の中央に魔法陣のような刻印が浮かび、ゆっくりと光が流れていた。
「この魔導時計はね、魔力で動くの! ほら、ここを押すと……」
ミーナが側面のボタンを押すと、文字盤の魔法陣がふわっと光り、「現在の時間」を示す数字が浮かび上がった。
「へえ、デジタル時計みたいなもんか」
「でじたる?」
「あー、こっちの世界にはない概念か。要するに、普通の時計みたいに針が回るんじゃなくて、数字が直接出るタイプの時計ってことだ」
「ふーん、そんなものがあるんだ。まあ、これは魔導技術で作られてるから、普通の時計とはちょっと違うよ!」
ミーナが手のひらを返すと、魔導時計の光がふわっと消えた。
「これは制作した人の魔力で動いているんだ。勇者になった時にもらった一級品だよ」
「この前の森に持ってこなかったのは?」
「えへへ、宿屋に忘れてた……」
頭を掻いて照れ笑いをする。
便利そうだな。まさかこっちの世界でデジタル時計を見ることになるとは。
「この魔導時計はね、時刻を知るだけじゃなくて、一定時間ごとに魔力でアラームを鳴らせたり、魔法陣の設定で『何時間後に知らせる』とかもできるの!」
「そんな機能まであるのか。もはやスマホのタイマーじゃん」
「スマホ?」
「あー……いや、こっちの世界にはない概念だから気にするな」
馬車に揺られながら、そんな会話を交わしているうちに、目的地が近づいてきた。
やがて視界が開け、大きな岩山が見えてくる。そこにぽっかりと口を開けた、巨大な洞窟。
「着いたね! ここが『チカクノ迷宮』!」
馬車を降りると、思ったよりも人の気配があった。ダンジョンの前には屋台が並び、武器や回復薬を売る商人、食べ物を提供する店が軒を連ねている。
「戻ってくるまで待機しとくから、何かあったら知らせな」そう馬車の御者に言われ、ありがとうございますと返事をした俺らは、ダンジョンの前に足を踏み入れた。
「予想以上に屋台が多いな」
「うん! ここで馬車の御者さんたちが待機するし、冒険者が準備するのにちょうどいいんだよ!」
なるほど、合理的だな。
「さて、それじゃあ行こうか!」
ミーナが意気揚々とダンジョンの入口へ向かう。俺は深く息を吸い込みながら、その暗闇の向こうを見つめた。入口付近には、大きな石碑が立っている。そこには『チカクノ迷宮 記録階層 500階』と刻まれている。
「これって誰が行ったのか?」
「わかんない。気が付いたころからあったらしいよ」
本当に行った人がいるのか?そもそも本当に500階まであるのか?誰も知らないんだろうな。そう思いながら冷たい空気に足を踏み入れた。