バイトの業務説明、戦闘もやるみたいです
目の前にそびえる『赤熊亭』は、まるで物語の中から飛び出してきたような風格を持つ建物だった。分厚い丸太を組み上げた壁に、赤く塗られた熊の看板が掲げられている。3階建てになっており、2階部分には小さな窓が並び、開け放たれた扉は陽気な音楽と笑い声が漏れ聞こえてきた。
3階部分には宿と書かれた看板がついており、酒場と宿屋が一緒になっているのだろう……寝ようとしても下の階がうるさくないか?
「ここが『赤熊亭』か……」
「入るよ」
ミーナが小さな手で扉を押し開けると、途端に活気ある空気に包まれる。奥のステージでは、異世界らしい撥弦楽器の演奏(先ほど聞こえてきたハープのような楽器だ)を披露している優男、その前では露出の高い服を着た美女が踊っている。大きなカウンターには豪快な体格の店主らしき男が立ち、ずらりと並んだ木樽から客のジョッキへと次々に酒を注いでいた。
ミーナは慣れた様子で店内を進み、奥の席へと案内する。分厚い木製のテーブルと椅子が並ぶ一角に腰を下ろすと、近くを通りかかった給仕の女性が「いつもの?」とミーナに尋ねた。
「うん、二人前で!」
「おい勝手に決めるなよ……」と文句を言いかけるも、すぐに香ばしい匂いが鼻をくすぐり、思わず口を閉ざした。しばらくすると、大皿に盛られた肉料理と香ばしいパン、そして黄金色に輝くスープが運ばれてきた。さっきも少し食べたんだけど、視覚と嗅覚が強く刺激される。
「で、説明するね!」
肉を頬張りながらミーナが話し始める。
「まず、ハルキの基本業務は勇者パーティーの補助。基本的にはサポートって感じ!」
「戦闘には参加しなくていいのか?」
「もちろん戦ってももらうよ。でもどっちかって言ったら色々作戦を考えてもらいたいかな?」
作戦……?俺も肉を口に入れながら訝し気な顔をする。
「どういうことだ?」
「私って、普通の村娘だったんだけど、ある日突然勇者に選ばれたんだよね。だから戦闘にも慣れていなくて、戦う時どうしても周りが見えなくなっちゃうというか、それで仲間も出来にくかったりしたんだよね……だから状況を見ててくれる人が欲しくて……」
「そうなのか?」
「うん!さっきもとっさに指示出してくれたでしょ?あれくらいは何とかなったけど、もっと強い敵もいるしさ、だから、これからはパーティーの動きを指示したり、戦略を考えたりするのがハルキの役目!」
俺はそんなことができるのか……?と疑問に思いつつも、ミーナの目は本気だった。
「それと、ハルキのステータスも見せてもらったんだけど……」
ステータスオープンとミーナが言うと、空中に数値の書かれた画面らしきものが現れる。
ここに来る時にそういえば見たな。
「他人のも見れるのかこれって」
「いや違うよ。勇者は他人のも見れるようになってるの」
勇者特権か。というかステータスかー。まるでほんとにゲームだな。
「それで?何か問題でも?」
「うーん、正直、めっちゃ低い!」
「……やっぱりか」
召喚される際に見たステータスと変わらないものがそこには表示されていた。変わらないステータスと≪単発バイト≫≪相互言語理解≫≪新人研修≫3つのスキル。
「ていうか、一個目のスキルの意味わかるか?仕事契約の履行が出来るって、すべて契約できるって意味あるのか?」
「うーん、そういう面で言ったら、実力不足の場合は普通に断られるけど……無理やり契約したところで失敗するだけじゃない?」
まあそうだよな。このスキル、メリットはあってないようなもんじゃないか?何でも契約できるけど、できないことはできない。それは異世界でも変わらないことだろう。
「まあ、聞いたことの無いスキルはあるけどこれは契約に関するものだと思う。 数値は低いけど、後方支援なら問題ないよ! でも私たち二人だし、さっきも言ったけど戦ってもらうこともあるよ」
「やれることあんのか俺?」
「基本はサポートだけど、武器を持って戦うこともあるよ。だから、武器の使い方くらいは覚えようね!」
「……マジか」
異世界に来たっていうのに、俺は超強い能力を持つわけでもなく、むしろ一般人以下。それでも戦わないといけないとは……現実は甘くない。
「ちなみにミーナのステータスってどんな感じなんだ?」
「私?ちょっと恥ずかしいななんか……」
「俺の見たじゃねぇか!!」
そんなとこで顔を赤くされても困るんだけど。俺はスープを一口飲む。
「まあ良いや、仲間だし。私はこんな感じだよ」
と、ミーナのステータスが目の前に表示される。えっと何々?
レベル:10
体力:15
魔力:10
攻撃力:18
防御力:12
俊敏:14
知力:7
運:5
スキル《勇者特権》
うん、見ても何もわからんわ。サンプルが2人だけだもん。わからんわからん。
「ちなみにさっきの盗賊がレベル3だったよ。普通の戦ったこと無い人はレベル1」
「へー、なるほど……」
俺は戦ったことない人レベルか。そりゃ一般人だし。
「えっと、そしたらね、労働条件についても説明しとくね!」
ミーナが急に真面目な顔になる。
「契約中の職業は一応勇者護衛って事になります」
「俺が護衛される方にならないか?」
「うーん、まあこれは決まった呼び方だし、こうなるんだよ」
ミーナは飲み物を一口飲む。俺のと同じだろう。オレンジジュースみたいな味がする。
「基本的にはハルキの世界の通貨で日給10,000円!これは説明通りだよね」
「ああ、まあそうだな」
「ただしそれは戻る時にまとめて払われるから、ここでの経費は自分で稼いでもらうことになるよ」
「えっ、自分で?」
「2人で行った依頼は報酬も半分渡すよ?でもそれ以上に欲しい場合はソロで行ったり素材を集めて売って稼いだりしてもらうこともあるかも。それに失敗したら報酬はゼロだからね!」
「えっ、ゼロ??」
「でもまあ、宿は支給されるから! 生活はなんとかなるよ!」
「ブラック過ぎる……」
異世界バイト、想像以上に過酷だ。最低賃金とか労働基準法とか、この世界には存在しないのか。それに、書いてあった内容と違いは無いんだが、なんか納得いかない気もする。
「まあまあ、そんな怖がらないで!明日の仕事もそんなにキツくないし!」
「そうか、どんな依頼なんだ?」
「魔物討伐だよ!」
「……それ、普通にキツい仕事じゃないか?」
「大丈夫大丈夫!初回は軽めのやつだから!」
「ほんとかよ」
あ、それと。重要なことを思い出した。
「俺がこの世界に来ている間、元の世界はどうなってんの?」
時が止まったような描写はあったけど、実際のところどうなんだ?
「あー、どうなんだろ。一応資料には時が止まったまんまとなっているけど……」
「詳しくはわかんないと」
「そうだね!」
・・・・・・それって俺が帰らないと止まったまんまってことだよな。二つの世界の命運が俺にかかっているってことなんじゃないか?
「ちなみに今はこの町を拠点にしてるから、しばらくは上の宿に泊まることになるからね」
後で上の宿で装備も支給するよ!と言ってパンをちぎるミーナ。こうして、異世界でのバイト生活が本格的に始まったのだった。