First -Even-
人は人を信じて生きている。
何故ならば人は単体で生きられる程、強い者ではないからだ。
社会と言うシステムも、それらに適合する形で発展してきた。
言うなれば職業分担。万能者ではなく、特化者を適合する場所へ運び、各々の仕事を果たすことで皆が安定した生活を送る。
そう、つまりは誰かが誰もが嫌悪する部分を受け持つということだ。
「……やっぱり、そんなのは間違ってますよね……」
呟きを漏らしたのは丁度昼食を食べ終えた永栄だ。
しかし彼女は心此処に非ず、と言った風で、実際には己が昼食を完食した事すら気がついてない様だ。
その証拠に、未だに彼女の箸は料理を求めて弁当箱の中を彷徨っている。
「んい?どーかしたかなー?」
「あ、いえいえ、なんでもないですよ」
苦笑しながら言うのは己の考えに、多少なりとも矛盾点を感じているからであろう。
何故なら、
――『誰かがやらなくてはならない――だから誰かがやる。それがどうした? 誰だって下水の整備なんてやりたかないだろう? だがやらなければ困る。だからやるだけのことだ』
少女は、この言葉に正しく意見できるほどの言葉を持ち合わせていないからだ。
未だ人生の浅い少女に、『何か』の中で『深いモノ』を見続けてきた空木へ言葉することは、非常に恐ろしいと思わせた。
「んー、ところでさ、いつまでエモノを探してんのかにゃー?」
「――え?」
と、指摘されて初めて気づいた彼女は、ふと視線を落として弁当箱の中を己の箸が彷徨っているのを見た。
しばしの沈黙。
「……そうか、まだゆみは太りたいのね……主に胸部がー」
「最初から最後まで大きなお世話ですよッ!!」
思わず手刀を振り下ろしていた。
●
相も変わらず薄暗い店内に、人はいない。
静かなクラシックが響くカウンターには、一人の男しか付いては居ない。
微かに珈琲の香りが漂う中、男が口を開く。
「……それで。何かわかったことはあるか」
しかし店内に男以外の人は居らず、その無意味は言葉は宙に消えるかと想われた。
されど、絶妙な時機に奥の扉を開け放ったのは禿頭に黒眼鏡。
「そうだね、取り合えず君の想った代物と大差ないなあ」
ため息とも苦笑とも付かぬ表情を零しながら、この喫茶の主人は手に持っていた硝子の箱を放った。
綺麗な放物線を描きながら男の眼前へと迫るソレを、男は人差し指の指運一つでジャケットの胸元のポケットへ叩き込む。
男は、くだらないとばかりに頭を振り、
「その作者はきっと頭がイカれてやがる。ああ、英語で言えばcrazyか? どっちにしろキチガイには変わりねェ」
「その滑る程早い罵倒を思い付く力が外語に向いてくれればねえ……」
逆に頭を振り返され、男の眉間に皴が寄る。
しかし主人は無視して、微かに指を振る。
「まあ落ち着きたまえ。そもそも説明も無いまま苛立ちを重ねても進まないだろう?」
「なら返すのを止めるんだな。好い加減性悪で禿げたんだと学習しろ」
「だからこれはファッションだと言うに……まあいい。説明に行くぞ」
自身の頭に手を遣りながらやれやれと頭をすくめる主人。
鼻を鳴らしたのは男なりの催促だろう。そう受け取ったらしい主人は人差し指で円を描きながら、
「これは道術というよりも、陰陽術から遡った禁言術で作られた奴だね。いやはや、イイ人に良く出会うね?」
「御託よりかは中身をよこせ中身」
「はいはい仰せの通りに」
主人が軽く指を引き上げる。すると、何かに掴まれているかのように男のポケットから硝子の箱が滑り出る。
両者の中間にある宙に浮いたソレは、幾つかの文流に絡めとられるように力を循環させる。
「効果としては霊力、霊脈の流れを塞き止めて囲い込むってヤツ。ただし、大きすぎる力は流すように設計されてて、この札自体の力は薄い」
「それでも実際にはあの一帯を囲い込みやがったワケだ」
カウンターにのった男の足を主人が優しく叩き落しながら言う。
「そうだね。簡単に言えばコレ、循環の概念で四方を囲んで力を増幅還元してたわけだよ。まあ、双侍君が見つけた時にはズラされてて力がかなり弱まってただろうけど」
怪訝、と言った風に男の表情が変わる。それも、眉根を詰めたモノに。
しかし主人の説明は止まることなく、彼は軽く札を叩き、
「しかもくだらない事に、最近になって手を付けられたねぇ」
大仰な仕草をしても嫌味に成らないのは彼自身の雰囲気になせる業か。
天を仰ぐその動作は芝居掛かり、その実、それなりの感情を含んでいる。
「……珍しいものを見たな。お前が天井と見詰め合う何ざ初めてだ。ああ、そうか、等々異物間の恋愛まで発展しやがったのか。出来れば寄らないでくれ感染る」
「おやおや酷いね双侍君? 僕には大切なカミさんが居るし、ましてや浮気なんて」
ああ、ああ、と嘆くような店主は何時も以上の興奮を持っているようで、非常に関わりたくはない。
「それに僕は単にこの素晴らしい霊符の効果を変えてしまったと言う事実に打ちひしがれているだけなのに……酷い話じゃあないか?」
「いいから要件を纏めて詳しく手短にわかるように話せ」
「……無茶苦茶だね相変らず」
軽く手を振れば応答の意を受けて貰えたのか、説明が始まる。
これが長年の付き合いというものでもあるのだろうか。
彼は軽くカウンターを指で叩き、
「簡単だよ。これはここ最近に術式、効果範囲を変えられてしまってるんだよ」
「確証は?」
「霊符の製造年代が古すぎだね。いくら何でも大正時代から生きてる人間なんてあの中国仙人くらいでしょ」
「……AAか」
彼らが揶揄した人物は、世界に名を知られるとある退魔士。
世界最強とも目される、とある偉人。
「そもそも、あの人ならここまで霊符が劣化することもないだろうしね。どちらにしろ、手が加えられたのは間違いない」
「――で?何が変わったと?」
結論を急く彼に店主は苦笑を漏らし、
「情緒が足りないねぇ双侍君?」
直後には鼻先に突き出されている五十口径。
冷や汗を流す店主に彼は一頃。
「何が、変わった?」
んー、と店主は顔を傾げ、一息の間を置いて口を開いた。
「要望通り、簡潔に言えば鬼門の方角への結界を無くすことと、霊をその土地で循環させ、余剰力を何かに受け渡す、って感じだね」
「……余剰力、か」
先刻の事だ。
霊符を剥がした直後に出現した『鬼』。
過るのは依頼者である娘。
システムとして、恐らくは余剰力を循環、そして形に成してからの還元、というサイクル。
既に時刻は五時。厳しい校則の学校であれば、既に下校時刻間際だろう。
「――世話になった」
「あいよ。君も忙しい人だね」
苦笑を孕ませた声はこの世界に似つかわしくない程優しく。
しかしその優しさはこの世界から得たものだろう。
「……下らねェ。俺はやることはやるだけだ」
だからこそ、その気遣いは妙に背筋を擽るのであった。