First -Trust you?-
雑霊。
大した自意識も無く、ただただ生者を妬み、その『生』を刈り取る――否、刈り取ろうとするモノ。
一言で言えば『雑』で『粗』い残留思念の塊だ。既に生前の想い等在りはしない。
ただの一睨みで掻き消える、それこそ幻想よりも脆い。それが生者を嬲り殺すというのだから御笑い種だ。反吐が出る。
こんな存在が――人を、殺していく。否、本来ならば彼らは時が経てば自然と昇天して行く筈の存在だったのだ。
だが、
「誰だ、こんな糞ッ垂れな結界を組みやがったのは……?」
この結界は雑霊に対してこの土地に縛りつけ、強制的に共食いをさせるものだ。恐らくこれから逃れえる亡者は居なければ、抵抗できるものも居ないだろう。
余りにも――惨い。
死者を道具として生者を狩り、最後の『唯一』を道具にする。
彼自身、他者がどうなろうと知ったことではない。戦争で人が死ぬ。事件で人が死ぬ。それが己の友人などで無い限り、ああそうなのかと、そう流せるような人間だ。
だが彼は最低限、『魂』というモノに敬意を表す人間である。
甘い、と。彼の師であった者からそう言われるかも知れない。
されどその『甘さ』こそがある意味で彼の小さな『牙』の一つであり、後ろ盾でもあった。
彼の口の奥から軋みが上がる。
「――」
言葉は無く、ただの一睨みで消し去る。それが彼なりの、雑霊への情けであった。
高地にあるが故の吹き上げの風がコートの裾をはためかせ、彼は前を睨み付けるようにして足を進める。
その先には、既に廃棄された焼却炉があった。
「しけた場所だな……」
呟きに応えるものは無く、また校舎からも離れ、ある程度の茂みに隠れているが故に放置されている場所である。
人が来なくなってから行く年も経たのか、鉄で組まれた炉は錆付き、既に瘴気が滞っている。
ち、と舌打ちを一つ。
……面倒だ。
内心で一人ごち、彼は霊気を眼へと収束させた。
瘴気を浄化する為ではない。この場所に『何か』があると確信し、それを見定める為。
彼の周りを集まっていた雑霊たちが、その澄んだ金色の霊気に有無を言わず消し飛んだ。
その色は清浄を表す色ではない。ただただ苛烈な、無造作に何かを傷つけていく。そんな濃金。
「……ここか」
ポツリ、と一言。直後に彼は動いていた。
軽く引かれた右足が閃き、そのまま膝を支点として振り抜かれる。無論途中経過にあったもの全てを叩き壊して。
その途中経過である『焼却炉』を打ち抜き、伽藍の中を剥き出しにする。
脆く錆びた金属塊を吹き飛ばし、彼は中を覗き込む。
「これは、道術の符、か……?」
彼は余り術に詳しくは無い。
彼自身が完全な前衛であり、その腕一本で生き残ってきた叩き上げであり、そう言った術を自らで行わないという理由もあるが、それ以上に彼が余り術が得意ではなかった。
彼が辛うじてそう判別できたのは、その一片の紙片に綴られた文字群が、幾度が見た事が有る物に酷似していた為だ。
「だが、道術は……」
……否、恐らくコレは禁呪か?
どうとも判別出来ぬそれは、凡そ彼には解決不可能な謎だ。こう言った時に彼は一人ではいない。彼にはこういったモノに明るい知り合い(マスター)がいる。
持ち帰って判別してもらうか、と結論付け、その符を取った。
糊で軽く貼り付けていただけであったのか、それは簡単に取れた。
そして警戒した罠も特に無い。拍子抜けだ。
……流石にここで弾をぶちかませないが、しかしこれは……。
雑だな、と想う。ただ、月日の経過によって『罠』そのものが無くなってしまう事もある。
ここの方角は北東。大まかな鬼門と言える。
恐らくは此処を始点として四方を囲む結界を作っているのだろう。
だが、
「迂闊に手は出せない、か」
舌打ちを一つ。
簡単なことだ。此処の楔を壊せば、この中に溜め込まれた雑霊は此処から抜け出していくだろう。その場合に全てを駆除するのは危険だ。打ち漏らす可能性もある。
何分、量が多すぎる。ハッキリ言えば今現在のこの学校は三大霊場にも劣らない土地になっている。
よく今まで犠牲者が出なかったものだ。
ともあれ、今この場に居て出来ることはほぼ無い。
故に立ち上がり一度校舎のほうに移ろうとして――
「――ッ!!」
繰り出された鉤爪を躱せたのは長年の経験ゆえだ。
背後から突かれた鉤爪は頬の薄皮一枚を裂くに留まっている。
ソレを判別すると同時、丹田から霊気を練り上げる。
汲み上げた霊気は筋肉の端々へ。
落とした腰を動かさず、手首を右手で取りながら外側に捻り込む。
力を入れずに動かすことが霊気による補助を効率よく受けるコツだ。
軽く落とすように、しかし実際には苛烈とも思える強さで。
肩を支点に腱と骨を叩き折る。
「ギ――ッッゲアァアアアアア!!!?」
汚い悲鳴を流し、前へと叩き付けたソレの腹へと霊気を纏った足で踏み穿つ。
軽い衝撃と鈍く重い打音が響き、悲鳴が途切れる。
「……鬼か」
視線を落としてみれば、緑色の肌をした、眼窩に何も無い一角の鬼が居た。
鬼とは、死者の霊魂や、古代で言う戦士、または地方に行けば神として祀られてもいる強大な魔物等の総称だ。
これは恐らく雑霊が受肉したものだろう。『鬼』と呼べるのは外見だけで、本来の『鬼』とはくらぶべくも無い。
「まあいい。――楽に逝け」
雷の霊気を纏った脚撃が鬼の下腹部――丹田を穿つ。
幾ら人外とは言え、人間に似た姿形ならば必然的に弱点も似通ってくる。
一度だけ、黒で塗り潰された眼窩が広がり――砕ける。
黒の瘴気が端から浄化され、清浄なものへとかえっていく。
「……糞が」
舌打ち。
胸糞の悪さを紛らわすように呟いた後、残ったものは何も無い。
結局の所、何かを残せないものなのだ、退魔とは。
鉛色の雲が空を覆う午後。
怠惰を誘い、英気を減衰させるはずのその空模様を見て、しかし学生たちには活気があった。
それもその筈、午前中の授業が終了した今現在、その後に残っているのは昼食の時間であり、活気があるのは当然である。
「ねえ、屋上行かない? 風通し良さそうだしさ」
「えー? 雨降りそうじゃん。やめとこー」
「いやでもさぁ――」
取り立てて変化のない言葉が応酬され、そしてまたそれらを当たり前として享受する日常。
そう、これらは当たり前で、誰もがそうと受け取らなければならないものだ。
なのに、
「何で、平和じゃないんでしょう……」
哲学的な言葉を呟いたのは長い黒髪と野暮ったい眼鏡をかけた少女――長柄優美だ。
机に頬杖を付き、何かを憂う瞳は灰色の空へと向けられていた。
「はぁ……」
零れる溜息は重い。
胡乱気な瞳は明確な場所を見ているものではなく、視線はか細く、震えているよう。
凡そ、その思考は一般的な高校生が向けるものでは無い。
ならば、その回答を出すのが難解なのも頷ける。
「ゆーみーっ」
「ひゃぇ!?」
妙な声が上がったのはいきなりの感触があったからだ。
腰に何かが巻きついており、それが何故か此方を触っており、
「って何してるの!?」
「んー、ちょっと太った? ってかこれは太りましたなー。駄目ですよ乙女とも在ろう者が無駄な脂肪をつけちゃ。大体ゆみは元々上の部位が圧倒的に足りてないんだから腰の細さとかで勝負しなきゃ駄目でしょってかアタシはあの腰の細さが好きだったって言うのにー」
「佐奈ちゃんッ!」
「あっははー」
彼女の顔が朱に染まり悲鳴が上がるのと同時、腰に抱きついていた者が飛び退る。
怒り顔で背後へと振り向いた彼女の右拳は既に振り上げられており、細かく震えているのはそれだけ怒りが強いと言うことだろう。
怒りを向けられている少女は、綺麗に肩口で切り揃えられた金髪を揺らした。
「まあまあ怒りなさんなってー。で? 実際のところどうなのよー?」
「もう……」
邪気のない笑顔に呆れたのか、はたまた疲れたのか、拳を下ろして長柄は机に腕を伸ばしたまま突っ伏した。
蒸気の抜けたように動かない長柄を、猫のような笑顔の少女が覗き込む。
「おや? お疲れですかなー?」
「誰のせいでしたっけ……」
「誰のせいでしょうなぁー……」
「佐奈ちゃんのせいじゃないですかぁ!」
「あっはっは。まあまあ落ち着きたまへー」
困り顔と怒り顔が混ぜ合わさった表情で突っ込みを入れられ、しかし少女はふっと笑みで流す。
そのまま少女は流し目で窓の外を見て、
「――空は、広いものだからね……仕方ないのだよー……」
「実は意味とか考えてないでしょう?」
「その通りですたははー」
長柄は額を押さえて首を落とす。
頭痛を堪える様に項垂れたまま口を開いた。
「もういいです……。摂り合えずお昼ごはん、どこで食べます?」
「んー、どこでもいいかなー」
「じゃあ此処で」
「あいあいさー」
こうして何時もの食事は始まる。
それが日常。つまりは当たり前で、静寂で、普遍で、平和で――
「――」
「んー……? どうかしたんかにー?」
そう言えば、こっくりさんは誰から教えてもらったのだろう?
それは、
「あっ……、いえ、何でもありません。お昼を食べましょう」
「あいあいさー!」
邪気のない笑顔は、彼女を信じることに値するのだろうか。