First ―Bad Time―
喫茶―Holiday―。
それは繁華街の寂れたシャッター街の一際奥に在り、そこ自体は寂れては居ない、が、しかしてどうにも人に判り辛い場所にあった。
道行く人々はその小路に気付かないし、ましてやその奥に在る喫茶に気付く筈も無い。
だが、意外なことにそこには三人の人影があった。
否、人影が在ること自体はおかしくは無い。店主、常連客など、数名は居るが、今現在の時刻は十時過ぎ。本来ならば店主と常連客の一人しか居ない時間だ。
繰り返すが、そこは人の無意識下において意識されない場所である。つまりは、自然と気付ける筈が無いのだ。
故に、少女は誰かに招かれたと言うことになる。
「……助けてくれとは、どういうことだ?」
招いた張本人――男が訝しげに少女へと問を放った。声音には猜疑が含まれており、冷たい。
向けた視線の先には、冬用のコートを着込んだ少女。
此方を見る瞳は、やはり揺れており、涙さえも溜まっている。
成る程、確かにそれは助けを請う者の眼だ。己ではどうにもならず、しかし他者が解決法を持っているときにある、もしやという希望も眼の中には在る。
「そ、それは、その……」
問いかけには口ごもる少女。目線を逸らし、身動ぎをする姿は、何か理由でも在るのだろうか。
だが、実際、自分には大して関わりが無い。そもそも、彼女に渡した紙は自分を当てにしろ、ということではなく、店主に伝を教えてもらえ、と、確かにそう書いた筈だが。
溜息を一つ。
「言い難いような事ならば此処に来るな。自分から声を掛けただけで助けて貰えるとでも思ったのか? ならとんだお門違いだな。此処は別に交番でもなければ、親切で仕事をやってるような奴でもない。だから――」
「双侍君」
肩に何か乗ったと感じた瞬間、視界が回っていた。
瞬間で投げられたのだと判断。現在は一メートルほどを投げられ、上下逆さの体。
右足を振り上げることによって半回転。靴の底でブレーキングをかけ、腰を落とすことで更に速度をいなす。
いきなり此方をブン投げた張本人――店主が、サングラスの向こう側で笑っていない笑顔を向けている。
「――いい加減にしろ。頼ってくれる事への照れ隠しなら、もっと穏便な言葉を選べ」
「あ? 黙れよハゲ。誰が照れ隠しだって? その眼は義眼か? それとも禿げ過ぎて視神経に異常が出たか? ああ、とても残念だ、今すぐに良い病院を紹介してやるよ。チップは銀だ。ああ、心配しなくても俺が払ってやる。吐く程度には腹に詰め込んでやるよ」
「だから、それが照れ隠しだと言うんだ。普段そんな長口上を言ったりはしないだろう?」
「違うと言ってるだろうが? 俺はな、こういう助けを求めれば助かると思ってる餓鬼が大嫌いで――」
「彼女を助けたのは君だろう? 故にもう一度彼女が君を頼っても不思議じゃない」
「……」
口を閉ざした男は、目線を少女とは反対側、左へと投げて舌打ちをひとつ。
身を竦めた少女に、大丈夫だという意思を乗せた店主の手が振られる。
そのままに店主は男へと顔を向け、
「ま、双侍君。これも君が背負い込んだことだ。観念しなよ」
にやりと笑みを浮かべた店主に、話を振られた男は。
「……ッ。勝手に話でもしてろ」
「だ、そうだよ?」
そっぽを向いた男と、対照的に笑顔で話しかける店主。
二人の行動が余にも様になり過ぎていて、思わず少女は笑みを浮かべた。
店内から覗ける窓からは、僅かに曇った空が見える
人通りも段々と落ち着いてきた大通りは、しかしそれでも人々に踏みしめられたままだ。
強くない照明は、淡いオレンジの光として店内の落ち着いた雰囲気を更に強くする。
木製のカウンター席には、一人の男と一人の少女。
彼らに飲料物を提供するのは店主の務めだ。
席に座る少女には高すぎたのか、行き場を失った足が揺れている。
俯き加減の少女は、両手の中にあるココアに視線を落としている。
その表情は眉尻を下げ、口元を引き結んだ陰鬱の顔。
「……私、あの、名前は、永栄、優美子って、いいます。それで、あの……」
ポツリ、と。
漏らされた言葉が、続く。
――筈が、店主の声によって、言葉の進行は阻まれた。
相手の息を衝く絶妙なタイミングは、捻くれ者との長い付き合い故か。
「――ああ、そうだ。すまないね、名前を名乗るのを忘れてた。僕は赤坂賢治。この喫茶、Holidayを経営してる。よろしく」
言うと、店主は右手を少女へと差し出した。
数瞬、少女が迷ってからその手を握り返した。よろしくお願いします、という小さな声。
その応えに店主が微笑を以って頷く。
「……空木。――空木双侍だ」
無愛想な声。だが、それでも一応の礼儀としてか、右手を少女へと僅かに差し出す。
少女は僅かに目を開き、微かな笑みを浮かべて握り返した。確かな声でよろしくお願いします、と。
店主は更に笑みを深くした。
しかしその顔を引き締めると、少女へと先を促す。
「――それで、助けてってのは、どういうことかな?」
少女の顔が再び影に戻る。しかし、先程ではない。
少し視線を店主と男の間へと彷徨わせた後――またも手元のカップの中へと落とした。
意を決したように、言う。
「……最近、私達の周りで、色々とおかしな事が起きてるんです。それも、立て続けに」
言われた言葉に男は思考を加速させる。仮にも依頼を受ける可能性があるならば、その内容は聞き漏らすべきではない。
情報を蓄積し、その条件に見合う回答を模索し始める。
「妙な事とは……。まさか、先日の様な?」
暗に魔の事を指す言葉に、しかし否定の首振りをする少女。
ふむ、と店主は顎に手を当て、少女の言葉を待つ。
「そうじゃなくて……。あの、帰り道に、視線を感じるとか、置いていた筈の物が無くなってるとか……」
「その話のみを聞けば、君に恋慕を抱いている思春期の少年のようにも思えるね」
数瞬の間を置いて、
「れっ、恋慕……!?」
頬どころか顔全体を真紅に染めた少女は、わたわたと両手を振り回す。
一頻り振り回した後、男の方をちらりと見て、またもや顔を赤くして俯いてしまう。
「おやおや、双侍君、君も罪な男だねぇ……」
「……俺は何もしてないんだが」
にやにやと笑む店主と、理解不能な状況に苛立ちを感じる男。
店主は大きく肩を竦めると、
「ああはいはい、君にそういった事への鋭さを求めては無いから。と言うか、求めても無駄だろう?」
「……」
静かに腰の後ろへと手を回す男。そこには彼愛用の二丁拳銃がある。常日頃から手入れを怠れたことの無いソレは、直ぐに五十口径の弾丸を放つことが出来るだろう。
「まあまあ、落ち着くんだ。ほら、永栄さんが話せないだろう?」
「へ!? あ、や、その、ええと……」
店主と男の間で視線を揺らす少女を見て、男は軽く舌打ちを吐く。
カップを傾けてコーヒーを啜る。強かに机にたたきつけられたカップは、話の続きを催促する合図。
店主はどこ吹く風と言った様子で、少女は驚きにより肩を跳ねさせて。
「……それで、どうなった。それだけじゃ無いんだろうが」
「へ、え、あ、はい!」
何故か挙手して声を張る少女。
冷ややかな視線の男。
笑いをこらえる店主。
男は溜息を一つ。
「……何を平和的な雰囲気になってる。永栄と言ったよな。通常では対処出来ない程の事があるから俺たちを頼ったんだろう」
「え? あ、や、あの、はい……」
「なら、さっさと内容を言えば良い。俺は雇用されてやる気は有るんだ」
それだけをいい、再びコーヒーを啜り始める男。
何が何だが判らない、と言った感じの少女は、思わず店主のほうを見て助けを求める。
店主は苦笑して、
「……照れてるんだよ。そこの――双侍君はね、腕は一流が裸足で逃げ出す、化物も泣いて許しを請う程の実力者なんだけど、ほら、見てくれ通りにひん曲がってるから、根性が。素直に言えないんだよ」
「鼻穴を一つにしてやろうか」
「冗談、冗談だよ双侍君。だから先ずはその『ユピテル』を下ろそうか。暴発何て笑えないことすると頭が吹っ飛ぶから、主に僕の」
はっはっは、と明るく笑う店主だが、笑えない。
漆黒の色。デザートイーグルを基にした巨大にして頑健な拳銃、ユピテル。側面にシルバーの紋章が掘り込まれているソレは、既に弾丸は装填済みだ。
「あの……話させてくれる気は、無いんですか……?」
おずおずと、小さな声で少女が声を上げた。
思わず同時に少女へと視線を向ける男二人。直後にまたもや向かい合う。店主は笑顔。男は顰面。
「話してくれないと依頼の内容が聞けないんだけどなー?」
「……チッ」
男の舌打ちが、心底悔しそうだったのは言うまでも無い。
事の始まりは、二週間ほど前だという。
「そのくらいから、なんだか人に付けられてる、物が無くなる、何て事がいくつか起こるようになって……。最初は気のせいかな、とも思ってたんですけど、その頻度が、一日一回から二回、三回から四回、五回から六回っていう風に増えていって。怖くなって……この間からは、上から花瓶が落ちてくるようなことも続いて……」
「そして極め付けに、あの人狼ってところか」
こくり、と頷く少女。
肩を抑えて震える姿は、痛ましいと言うほかに無い。
「あんなの、初めてで……今までのも、私が怪我をすることは無かったんですけど、あの時は本当に……っ」
俯いた少女に、両者共にかける言葉は無い。
――ただ、動いたのは男であった。
ポン、と彼女の頭に置かれた手は、あやす様に撫でる。
嗚咽が止み、されど動く気配は無く。
ふむ、と一声作ってから、店主は腰掛のポケットから携帯機器を取り出す。
「ここら一帯の正気は定期的に双侍君が払ってるから大丈夫だし、今の所そんな依頼が入ってきたわけではないな……」
「そもそも、人狼が自然発生したものとは思えん。奴らは大体、日本の風土が合わんはずだろうが」
蓄積された情報を検証し、条件に見合うだけの異常を検索する。
人狼、異常、怪奇、二週間前、永栄優美子――。
一つ、はたと気がついた。
「……永栄、先程私達と言っていたな?」
「……ッ」
少女は目を見開き、しかし俯いたまま息をのむ。
大当たりだと、男は内心苛立ち混じりの舌打ちをする。
「――何をしたのか、何があったのか、詳細残らず吐け」
鋭い威圧感が少女を刺す。
横目で眼光を受け止めることは、少女には不可能だった。
「……その、実は、こっくりさんをやって……」
「こっくりさん? あの?」
頷く少女に、店主は頭を抱え、男は舌打ちを漏らす。
「それで、そのこっくりさんは一体どういうものなのかな?」
微かに思案顔になり、紙を借りて良いですかと尋ねる少女に、紙とペンを渡す店主。
少女は首を捻りながらも、紙面に文様を書き込んでいく――
数分と立たずして、ソレは完成した。
店主の顔は苦々しげに歪み、男は無表情、少女はあわてたままだ。
「これは……」
「えと……な、何か、悪いことでも……?」
「おい、永栄」
「は、はいっ?」
剣呑な声音で言葉を出したのは男だった。
既にマグカップ内のコーヒーは無くなり、それはカウンターに置かれている。
親指で弾かれた五百円硬貨が、呆けるほど綺麗にカップ内へと消えた。
「二つだけ聞く。イエスかノーで応えろ」
男が立ち上がる。
漆黒のコートを身に纏い、己が敵へと打ち込む弾丸を携えて。
「そのこっくりさんは、人から聞いたものかどうか」
「……イエス」
ハッ、と軽い嘲笑。
しかしそれは、少女を嘲る為ではない。
「最後だ。それは学校中に蔓延してる。違うか?」
「イエス……」
「店主、後始末は頼む」
微かに苦笑する店主は無言で頷く。
訳の判らぬ少女は、しかし男に手を引かれ。
「え? え? あの、一体……!?」
「お前の学校へ案内しろ。下手すれば二桁の死人じゃすまん」
その言葉に顔を青くした少女は、しかし止めの一言で更に顔を青くする。
「お前達がやっていると言うそのこっくりさん。それはな――」
一瞬。
「――人を触媒にした、蟲毒を用いた交霊術だ」