あたたかな夕食
「あ、あの、マオさん」
「ん?」
振り向く顔は歓喜に見溢れていて、私はうっと言葉を飲み込む。
「あ……と、浴衣! その、こんなに素敵なモノ、貸していただいてしまって、すみません」
「なんで謝るんだ? 俺が好き勝手に選んじまったモノだってのに、着てくれてありがとうな茉優。にしても"貸す"って、それは茉優のモンだってタキから聞かなかったか?」
「いえ、タキさんからも教えて頂いたのですが、その……。私が受け取るには、申し訳なくて」
「なぜだ?」
「私には上等すぎるモノですし……マオさんが好いてくださっていた前世の記憶もなければ、今も、嫁入りの件については断ってしまっていますから」
鉛を吐き出すような心地で、重い口を動かす。
けれどマオは「なんだ、そんなことか」とあっけらかんとして、
「なにも別に、茉優の記憶の有無だとか、嫁入りをしてくれるからと選んだわけじゃないぞ。いうなれば、そうだな。いつか必ず会えるだろうと、お守りのようなものでもあったんだ。今はこうして会えたわけだし、茉優がいらないと言うのなら、全て処分したって構わないぞ?」
「え!? 処分だなんて、絶対駄目です!」
「だが、俺が着るわけにもいかないからなあ。使わないものを箪笥にしまい続けていても、邪魔になるだけだろ?」
「それは……」
マオの様子からして、私がいらないといえば本当に捨ててしまうのだろう。
(それなら……)
「ありがたく、頂戴します」
「ああ、気兼ねなく使ってやってくれ」
押し負けた、というやつなのだろう。
マオはにっこにこと明らかな上機嫌で、私の手を引いていく。
(……いい人、だな)
人ではなく、あやかしだけれども。
バクバクと跳ねる心臓と戦いながら、やっとのことで辿りついた座敷には、楕円型をしたこれまた一枚板の座卓が。
すでに席についていた大旦那様は、私の見るなり「よく似合っているね」と双眸を細め、
「牡丹に蝶か。さすがはタキだね」
さ、座って座ってと勧められるまま並んで座らせてもらった途端、朱角さんをはじめとする数名の方々が、高級旅館さながらの美しくておいしいご飯を運んで来てくれた。
(居候の身で、どう考えても尽くしてもらいすぎ)
私もお手伝いを、と申し出てみたけれど、今夜は歓迎会だからと断られてしまって。
手を出せなくなってしまったからと、目の前の食事を堪能するに徹しているわけだけれども。
(……"嫁"、だったら。こんなモヤモヤした居心地の悪さなんてなかったのかな)
ちらりと隣のマオを盗みみると、当然のように気が付いた彼が「ん?」と柔らかく笑んでくれる。
「退屈か? 茉優」
「いいいいいえまさか!! お料理、本当においしいです! 食べ過ぎてしまいそうで!」
「はは、そりゃよかった。茉優の口に合うか、厨房の連中も気にしてたしな。腹いっぱい食べてくれたら喜ぶと思うぞ。ちなみにどれが一等好きだった?」
「あと、このバーニャカウダが……。鎌倉野菜はあまり馴染みがなかったのですが、お野菜のみずみずしさにとてもよく合っていて、すごく、好きです」
刹那、マオが片手で顔を覆った。
そのまま天井を向いてしまった理由がよくわからず、私は慌てて、
「マオさん? ワサビが鼻にきたんですか!?」
マオのお茶を急いで手渡すと、マオは「いや……ちとワサビとは別のもんが沁みてだな……」と、指先で目元を揉んでいる。
よくわからないけれど、お茶は飲んでいるから、これで落ち着いてくれればいいのだけれど。
「まったく、誘導尋問とはいただけないね。マオ」
クツクツとおかしそうに笑いながら盃を傾ける狸絆さんに、「誘導尋問、ですか?」と首を傾げる。
と、狸絆さんはやっぱり楽し気に喉を鳴らしながら、
「茉優さん、海鮮も美味しそうにしてくれていたけれど、お刺身とお寿司ならどっちが好きだい?」
「え? えと、どちらも好きですが、お刺身だとお米のないぶん、種類は多くいただけることが多いので……。お刺身のほうが好き、でしょうか」
「親父」
端的に告げたマオの声は、なぜだか非難の色が濃い。
それでも狸絆さんは「楽しいねえ」と、どこか噛み合っていない返答で。
「こんなに充実した食事の時間は久しぶりだよ」
一連の流れをうまく把握できていないのだけれど、マオが「気にしないでくれ」と項垂れるようにしていうから、あまり追及はしないほうがいいみたい。
***
(けっきょく、食べすぎちゃった……)
お手洗いに立った後、部屋と戻るべく薄暗い縁側を歩きながら、余裕のなくなったお腹をさする。
浴衣とはいえ、帯で締めているはずなのにさほど息苦しくないのが不思議だ。
帯の実力なのか、タキさんの腕がいいからなのか。そもそも知識のない私には、判断がつかない。
判断がつかない、といえば、あやかしという存在についてもそうだ。
私の知る物語の中では、畏怖の対象として書かれることが多い存在だけれど。こうして実際に会い、言葉を交わした誰も彼もが、優しくて良い人たちばかり。
(あたたかい場所)
こんなにも賑やかで、楽しい夕食はいつぶりだろう。
会社の飲み会に参加したことは何度もあるけれど、こんなにも居心地の良さを感じたことは一度だってなかった。
(けれど……勘違いしちゃ、だめ)
浴衣に視線を落とす。マオが、私の……というより、前世の"ねね"を想って買いためていたもの。
皆が優しいのは、私がマオの探していた"ねね"の生まれ変わりだから。
けして、"私"が求められているわけじゃない。生活を共にすれば、すぐに"違う存在"だと気が付いて、追い出されるだろう。
(それまでに、少しでも役に立たなきゃ)
無力な右手をくっと握りしめたその時、部屋から誰かが出てきた。
朱角さんだ。左手に乗せたお盆の上に皿を数枚重ね、右手には酒瓶を持っている。
「朱角さん、私もお運びします……っ」
早足で側により、どちらを渡されてもいいよう両手を差し出す。
けれど朱角さんは即座に、
「結構です。手伝いは不要だと、先ほどもお伝えしたはずですが」
「ですが……こんなに良くしていただいて、ほんの一度運ぶくらい――」
「不要です。恩に報いたいとお考えなら、一秒でも早くお部屋にお戻りください。あなたに恩を尽くすよう命じているのは、大旦那様なのですから。俺達は命令に従っているに過ぎない」
「っ!」
朱角さんは金の双眸を鋭く細め、
「大旦那様がお決めになった以上、"不要"と判断されるまで俺達は俺達の"仕事"をこなします。ですが一つ、心ばかりのアドバイスを差し上げるのなら、下手な情が移る前にさっさと縁を切るべきですよ。あなたには、何一つ"覚悟"がないのだから」
「――朱角!」
「!」
声に、びくりと顔を向ける。
と、夜の黒を背にして険しい顔で近寄ってくる、マオの姿が。




