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菅直人氏のヒトラー騒動にいつて、ふりがなさんが所感を書いてみた

作者: ふりがな

菅直人元総理のヒトラー発言では、まず、何があったのか、その流れから共有しようと思う。


2022年1月21日の菅直人氏が、Twitterにて水面下で日本の政党、日本維新の会のスポークマンと目されている、橋下徹氏の弁舌の巧みさをヒトラーと評する。


同年1月23日

橋下徹氏がTwitter上で反論。

「ヒットラーへ重ね合わす批判は国際的にはご法度。こういうことを平気でやるのは京都大学の藤井聡氏のような非常識な学者」


同年1月24日

維新副代表の吉村洋文大阪府知事が、府庁で記者会見をし、菅直氏の橋下徹氏へのTwitterに反応する。

ここで橋下徹氏が、維新の会のスポークマンである事が表面化し始める。

なお、橋下徹氏が維新の会のスポークマンであることは、公然の秘密であった。


吉村洋文氏は「とんでもない発言」「国際法上あり得ない。どういう人権感覚をお持ちなのか」「元総理でもあり、現在も党で責任ある立場の方。発言は重い」と語り、立憲民主党に謝罪を要求する考えを示した。


この時、記者会見では偶々国際法を理解する記者がおらず、またこの日、校閲においても、多くのメディアで国際法を理解する記者が偶々いなかった。

そのため、メディアの一部は橋下徹氏の書き込みである国際的な法度が誤りだという事、吉村洋文氏の国際法の誤りを正さないまま報道し、また、その後も偶々校閲が機能していないために修正していない。

※ヒトラー評自体国際的には普通にある事であり、かつ、国際法に何ら関係あるものでは無かった。


同年1月27日

維新代表の松井一郎大阪市長が定例会見で記者団に


「菅さんは公党の最高顧問であり、日本の総理経験者。その人が弁舌巧みとはいう理屈であろうと、人をヒットラーに見立てるというのをやっていいのか。国際社会で通用するのか」


と語る。

欧米では、人をヒトラーに見立てる行為を各国の政治家処か、大統領もやっている。


同日、フジテレビ「Live News α」にて、津田塾大学教授の萱野稔人氏が、菅直人氏のヒトラー書き込みを、下記のように批判した。


「ヘイトスピーチという言葉がありますよね。ヘイト、つまり憎悪にもとづいて、相手を侮辱したり、その相手に対する憎悪を煽ったりする表現のことです」

「フランスやドイツではヘイトスピーチを法律で禁じていて、その基準に従えば、菅直人元総理のヒトラー発言は、処罰の対象となる可能性が非常に高いです」

「ヒトラーの名を持ち出して他人を批判することは、その相手への憎悪を容易に煽る行為となりますし、ナチズムによるホロコーストの被害者を冒涜することにもなるからなんです」


番組終了後、萱野稔人氏の主張するヘイトスピーチは誤りだという批判が殺到したが、フジテレビは訂正、謝罪をしていない。

また、一連の流れから、放送法にある政治的中立性において、党のスポークマンである事が表面化した橋下徹氏の過剰すぎるテレビへの出演が、放送倫理違反になるのではないかとの批判も殺到した。



では、この萱野稔人氏の指すヘイトスピーチのいったい何が誤りだったのか説明しよう。

それにはまず、表現の自由を説明する必要がある。


>表現の自由とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利。外部に向かって思想、意見、主張、感情などを表現したり、発表する自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道、出版、放送、映画の自由である。


>表現の自由の貴重さはミルトン、ヴォルテール、ミルなどによって説かれてきた。

表現の自由は民主主義政治を支える基盤として、フランス人権宣言第11条に「人の最も貴重な権利の一つ」とあるように、早くから各国の憲法典や人権宣言に保障規定として盛り込まれた。

>1948年の世界人権宣言第21条、1976年の市民的及び政治的権利に関する国際規約第19条第2項にも定められている。


Wikipediaから抜粋


ちなみに、世界人権宣言は吉村洋文氏の主張した、国際法の上位概念となる宣言である。


民主主義を機能させるに、表現の自由は欠かせない要素の一つであり、自由な意見が民主主義を構築するという思想だ。

一方でヘイトスピーチは、この表現の自由を削る形で登場した、ある種の言論統制である。

現代民主主義は、表現として特定の憎悪表現を、本当に価値のないものとして、抑制しようとしたのである。

この憎悪表現の抑制であるヘイトスピーチ対策法の成立において、各国は表現の自由の概念的な領域の確保に苦心した。

本質的には言論統制であるヘイトスピーチ対策法の過剰な濫用が、民主主義に必要不可欠な表現の自由を侵害しないよう、配慮したのだ。

日本国内でも、何故本邦人へのヘイトスピーチは適応されないのか、議論になった記憶は新しい。

それは、ヘイトスピーチの運用は慎重にし、濫用は避けるべき物であるという理由からだ。

故に、ヘイトスピーチの概念とは、表現の自由という大海に浮かぶ絶海の孤島のような存在となる。

この孤島を外へと逸脱すれば、それは各国の憲法や、国際法が保障する、表現の自由を侵害する事になるのだ。


即ち、それは言論統制である。


萱野稔人氏の未熟なヘイトスピーチの定義では、ドイツとフランスは言論統制をしている国家という事になってしまう。

故に、多くの人が未だ勘違いしているようだが、ヘイトスピーチ本来の定義では、萱野稔人氏の主張は下記のようになる。


ドイツやフランス『も』、個人の悪口や論評まで規制し、自由の表現を侵害するような、言論統制をしている。

だから、我々は言論統制を支持し、主張するのだ。


多くの人が何を勘違いしているのかというと、この主張は萱野稔人氏個人の感想などではないという事だ。

各国の制度を引き合いに出した以上、ドイツやフランスの立場を前提にした必然的な帰結として、かの国が言論統制をしているから、我々も言論統制を支持するのだという主張以外に他ならない。


ここには、大きな二つの問題がある。


まず一つ。

フジテレビを通して萱野稔人氏の流したデマが、日本と友好的な民主主義国家であるドイツとフランスの尊厳を、不当に貶めた事だ。

萱野稔人氏は、結果的に全国の視聴者に、ドイツとフランスが言論統制国家なのだとデマを流した。

そのデマの撤回と謝罪は、今もまだない。

それらをドイツ、フランスの両国民が知ったならどう思うかを、我々は一度考えなければならない。


そして、二つ目。

言論において人をヒトラーに準える事を一切禁止し、言論統制すべきという主張は、民主主義を捨てる、戦前日本のファシズムに当たるのではないだろうか。


もっとも、萱野稔人氏の勘違いしているヘイトスピーチの概念、即ち、ドイツとフランスの言論統制の要素を抜いても、萱野稔人氏の主張は言論統制を支持すべきなのだというものになると私は指摘する。


民主主義各国は、個人をヒトラーと評する事を禁じていない。

それは、当時最も民主的で先進的でもあったワイマール憲法が、ナチスドイツを産み出した事を鑑みて、再び民主主義国家が第二のナチスドイツを産み出さないよう、常に政治家やそれに類する人を、比較検討する必要があるからなのだ。


ヒトラー評が不当であるなら、抗弁でもって正当性を訴えるのが、本来の民主主義の在り方だという事だ。

一方で、ヒトラー評そのものを禁ずべきという、今回の萱野稔人氏の主張や、追随するマスメディアの主張はどうだろうか?


同年2月1日。

日本維新の党、馬場伸幸共同代表が、メディアを引き連れて、衆院議員会館で隣の菅直人氏の事務所に突入した。

馬場伸幸氏が突入するだろうという前日までの報道に対し、菅直人元氏は、来訪前日に、連絡は未だに無いとTwitterに書き込んでいる。


馬場氏に対し、菅直人氏は「橋下氏は現在、維新とどういう関係にある人物か」と問う。

馬場氏は「今はまったく関係ない」と答えた。

これは橋下徹氏が、公然の秘密であるとはいえ、日本維新の党のスポークマンだと公表すれば、日本の放送法で定める所の政治的中立性を欠き、テレビ出演に支障が出るからである。

菅直人氏は「なぜ、まったく関係がない橋下氏の問題に維新が抗議するのか」と抗議は受け付けない考えを明確にした。

馬場氏は「非道の限りを尽くした独裁者になぞらえた侮蔑発言は断じて見過ごせない」などと謝罪と撤回を求める抗議文を手渡したが、菅氏は強い口調で「橋下徹氏と関係がないのであるならば、お帰りください」と馬場氏を追い出した。


この報道でも、維新の党側に立った報道が目立った。

橋下徹氏が争点として問題になった事自体を、無視した報道が相次いだのである。



これで、今回いったい何があったのか、私と読者は共有出来たと思う。

この一連のヒトラー評そのものを禁じようとする、維新の会の代表達、白日の下に曝された党のスポークマン橋下徹氏、そして萱野稔人氏らの主張、それに付き合うマスメディアの活動は、正に言論統制ごっこである。

私はこの言論統制ごっこに対して、民主主義国家は本来どうすべきかと、十二分に物議に値する物だと確信する。


にも関わらず、管轄する省庁から直接指導を受けないよう各局から設立されたBPO(放送倫理番組向上機構)は態度を明確にせず、他局は単なる萱野氏個人の主張と片付けようとしているようだ。


日本のテレビ局TBSは、同年2月9日、世論調査で菅氏の今回のツイートについてアンケートを行った。


結果は


「非常に問題だ19% 表現は自由だが、やや問題だ51% 表現は自由で、あまり問題ない18% 全く問題ない6% 答えない・分からない6%」


その記事を指し、橋下徹氏は「70%が問題視。立憲民主党は民意を汲み取れていない」とつづった。


一方でTBSは、テレビでデマを根拠に弁論を展開する事、またはデマを放置するフジテレビ、吉村洋文知事、橋下徹氏、萱野稔人氏の態度についてはアンケートを行っていない。

これは、TBSが他局であるフジテレビのデマを放置し、政治的中立性を放棄し、言論統制の主張を支持しているという姿勢からなのだろうか。


日本のテレビ局は、無料同然の電波放映権の下に、総務省が放送法をもって、放送免許を取り仕切っている。

放送法の定める政治的中立性から、日本のテレビは公共の電波と呼ばれている。

2022年2月11日現時点で、総務省もまた、この問題に触れていない。





今回のヒトラー評騒動で何があったのか、確認や是非の前に、感じる物があったなら、後回しにせず何らかの評価ポイントを入れてみてください。


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