第92話 対ソ戦、冬将軍とシベリア機兵隊
ザバイカルでの決戦が終結し、ソビエト軍の機動力が一時的にこの付近から消失した機会を突いて、山下第一軍は本間第三軍および今村第二軍から抽出した戦車及び鉄機兵部隊と共にバイカル湖周辺に点在する、ソビエト軍基地を次々と占領していった。航空戦力と戦車戦力がない今、ソビエト軍で日本軍に対抗できる火力は砲兵部隊のみであり、それさえも日本軍の戦車と航空機の前には対抗戦力を維持し続けることは叶わず早々に戦力を喪失していった。
チタの司令部は直ぐに対岸のイルクーツクまで後退したが、それさえも危うくなりさらに残存兵力をまとめてシベリア軍管区のノヴォシビルスクまで撤退した。日本軍はソ連軍司令部の撤退したイルクーツクに総力を結集して攻略作戦を行い、バイカル湖周辺の拠点は全て日本軍が押さえ、ここに東シベリアは事実上日本軍の支配下となった。
日本軍がここまで優勢に戦いを進められているのは、震星と天狼による絶対的制空支配が大きい……如何に相手を消耗戦に誘い込み、戦力の崩壊したところを叩くのが得意なソビエト軍でも誘導噴進弾による圧倒的キルレシオの前には対抗のしようがなく、せっかく追加補充した航空機も震星との会敵で、ほぼ撃墜されてしまう……日本軍にとって心配は天狼の生産が間に合うのかという点だったが、さすがに航空機を生産するのに負けることはなく必要な数は維持されていた。
一方で地上戦力は、西部戦線でドイツ軍がジェット・ミーティア(ドイツ版震星)によりソビエトの戦車生産工場を潰し続けた結果、ミーティアの航続範囲外のシベリア奥地に工場を移転されてT34の生産が行われるようになった(さすがに月産千両以上などという馬鹿げた数は作られていないが、西部・東部両戦線に百両規模で供給が続けられているのは恐ろしい)。これに対抗すべく新型戦車「パンター」、日本では特五式戦車(ドイツで設計された戦車の日本名は「特」を付けるのが慣例になったようだ)の生産が始まっているが、なかなかソビエトの生産量に対抗するのは難しく、日本は不足分を鉄機兵で補って対抗している。
そして、ようやく鉄機兵Ⅱこと「神威」の生産が開始され始め、前線に少しずつ配備されるようになった頃、ソビエト軍に強力な助っ人……「冬将軍」がやってくる頃になった。
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ブリザードのように激しい風雪の天候では航空機を飛ばすことはできない。一方、状況にもよるが戦車ならば行動可能な場合も多い……つまり冬期は日本軍の得意とする航空兵力が封じられてしまう期間になるので、その対策が必要となる。我々は対応策を日露戦争時の騎兵第一旅団、いわゆる秋山支隊と西部開拓期のアメリカ騎兵隊に求めた。
秋山少将は日本での騎兵部隊の立ち上げのため欧州各地を視察し、馬の能力が劣る日本騎兵が戦うためには他の兵科と一体となった運用を行うことを考え、当時新式の牽架機関銃を部隊に配備させたりして、黒溝台会戦ではロシア軍の大規模な冬攻勢と世界最強と言われたコサック騎兵10万の猛攻撃を、わずか8千の兵で凌ぎ切ったという伝説の逸話がある。
彼は攻撃時は騎兵の長所である高速性と長距離移動力を生かして敵背後に侵入して破壊工作を行い、防御時にはあえて馬から降りて拠点防御に徹して新兵器の牽架機関銃を使ってロシア軍の大海の中で孤塁を守るように戦った。
西部開拓当時のアメリカ騎兵隊も、インディアンより有力なライフル銃で武装しつつ、各部隊間の情報伝達と騎馬による機動的な戦力運用、そして部隊基地としての強固な砦により少数の兵力で広大な支配地域を守り抜いた……今の日本軍も広大な東シベリアをソビエト軍ほど多くない兵力で守らなければならない類似の状況であり参考にすべきやり方だ。
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山下第一軍はイルクーツク、今村第二軍はハバロフスク、そして本間第三軍はウランバートルを本拠地にして、その戦力の大半をそこに集め堅固な守備陣地を構築する一方、残りの広いシベリアの大地を占領維持し続けるため、小規模ではあるが強固な砦を各地に作り、それぞれに通信設備と食料・弾薬の備蓄、そして数機ずつの神威を配置している。
華北では敵が一般人に紛れて破壊活動を仕掛けてくるのに手を焼いた。そこには移住した日本人も多数居たため軍も街から離れるわけには行かなかった。……シベリアでは幸か不幸か守るべき日本人住民は居ない。だから街から離れた場所に砦を築いて完全に分離して守ることができる。
もちろん砦では対応できないほどの兵力で攻めてこられたら勝てない。そのための通信設備だ……近くの砦から応援を呼ぶこともできるし対抗できないほどの大軍なら撤収して本隊に戻り、戦闘後に再度回復すればいい。
このようにして、第二軍の支配地域には24箇所、第一軍の支配地域では18箇所の拠点が作られ、冬将軍とソビエト軍の冬攻勢に備えることになった。
次は一旦、ヨーロッパ側へ…




