第84話 満蒙電撃作戦、その3
しかし、その頃ウランバートルは一足先に、第13独立部隊によって強襲を受けていた。首都とはいえ、この当時のウランバートルは草原の中に住民の集落が広がり、それを移動式住居が囲んでいるような状態だった。他にはごく一部……南方に昔の宮殿や付随する寺院があり、そして東側には西欧風の近代的な建物……ソビエトの領事館と正教会、向かい側に政府関係の小さい幾つかの家屋が並んでいるくらいだった。
そんなところを鉄機兵部隊が襲撃した理由は、日本から逃げた田中隆吉、元参謀中佐がモンゴルのソビエト軍に取り入って、スパイとして情報を流しているらしいという情報があったからだった。
もともと遊牧民は街を守備隊で守るというより、騎馬兵力を持って縦横無尽に攻撃を行うと考え方であり、ウランバートル自体には大した兵力は置かれていなかったので、鉄機兵に対して大した抵抗をすることもできなかった。
「(赤井隊長へ、第1分隊がモンゴル人民政府書記官の拘束に成功。また第2分隊が赤軍司令部の制圧に成功しました)」
「(赤井隊長! 第3分隊がソビエト領事館で領事、外交官等を保護しました。その際コサック兵と銃撃戦になり、これを全員射殺しました)」
「(赤井隊長。第4分隊は市内主要地点を警戒巡視中。特に抵抗する勢力はないようです)」
赤井は入ってくる無線連絡を受けながら、首都制圧が予想以上に平穏に進行したことに安堵し、もう一つの作戦の首尾を待っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「くそっ! あれはどこの軍隊だ?! 関東軍には、あんな兵器は無かったはずだ」
田中は、昼間から場末の飲み屋に入り浸っていたため、あてがわれていた領事館の近くの自宅を急襲されても捕まることはなかった。しかし街中を巡回する鉄機兵と特殊工作部隊に雇われたと思われる現地人が走り回っているため迂闊に外に出られない……このままここに居ては、そのうち見つかってしまうだろう。
「こっちよ!」
上海から田中と共に逃げてきた山波淑子が、彼がいる飲み屋に飛び込んできた。そして彼の腕をつかんで、路地道ではなく住居の庭を通って逃げていく……彼女は『東洋のマタハリ』と言われたソビエトの二重スパイだったのだが、上海で目をつけられた為、一時的に避難するようにソビエトの勢力下に逃げ込んだ。その際、日本軍参謀の田中をソビエトへの手土産に連れてきた。彼女はすぐに田中と別れてヨーロッパ側に脱出するつもりだったが、ソビエト当局が田中を利用するために彼女にもこの地に留まるのを強要した為ずっと彼と行動を共にしていた。
「ちっ、ここも押さえられてるか!」
彼女は用意してあった馬に乗るのを諦め、繁華街の川沿いを逃げつつ、エンジンかかっている焼玉船を見つけて跳び乗った。これで偽装して逃げれば市内から抜け出すことができる。田中に操船を任せて舫いを解くと、慌てて戻ってきた船主を手刀一発で水面に叩き落した。
淑子は、最初は田中をソビエトの脱出に利用するだけのつもりだったのだが、付き合いが長くなるうち、お互い相手の利用価値を認める中で戦友的な気持ちを抱く程度には親密になっていた。
「(何とか日本の手から逃れることができたか。このまま川でチタまで行くか……しかし、ここの川は曲がりくねって進むのに時間がかかる。途中で陸に上がって馬を調達した方が早そうだ)」
淑子は独り言ちながら考えていると後方から飛行機のような甲高い音が聞こえてきた。
「隆吉! 追手よ」
操舵室に駆け込むと田中が
「くそっ! 対岸へ着ける。お前はそこで降りろ! 奴らの狙いは俺だ」
田中は何故か彼女を庇うような態度を見せた……彼にとっては、この女スパイがいた方が少しは逃げ延びる確率も増えるであろうに。
「駄目よ! あいつ等、川の上を走ってくる」
淑子は後ろを注視して、それが陸地でなく水上を走っているのを見つけた。鉄機兵はホバーなので、水上でも追いかけられる。川の対岸に逃げれば大丈夫というものではなかった。
「運転を替われ! 俺が何とかする」
そう言うと田中は、淑子と入れ替わると船尾へ走り拳銃を構える。そんなものでどうにもできないことは田中も淑子も気づいてはいたのだが。
船尾で自分を守るために戦おうとしている田中を思うと胸が締め付けられるような思いに駆られる……そんな考えではこの世界ではすぐに命を落とすと、別の心が忠告を与えているにもかかわらず。
いよいよ鉄機兵が近づいてきて停船を警告してくる。
ソビエト軍なら間違いなく警告なしに銃撃してくるタイミングだ……彼女は、もしかしたら取引できる相手かもしれないと淡い期待を抱いた。自分たちの持っている情報と引き換えに生命だけは長らえることができるかもしれない……田中の生命を救うにはそれしかないだろうと伝えようと後ろを振り向いた瞬間、彼は鉄機兵に向けて拳銃を発砲した。
当然のことながら狙い通りの命中させることなど叶わず、恭順の意思はないと受けてとった相手からの反撃を受けた……しかもそれは対人用の軽機関銃ではなく12.7mmの対空機銃の掃射だった。
ダ、ダ、ダ、ダ、ダッ!
鉄機兵の対人用の7.6mm短機銃は本体に組み込まれているため、一部を狙うというより前面にばら撒くように発射される。だから今回のように特定の目標を射撃するためには射撃方向を調整可能な12.7mmの水平射撃になるのだが、これは対人の為にはいささか大火力過ぎた。大きな水煙を上げながら銃弾が一列の点を描いて二人の乗る船に近づいていく。
「ぐはッ!」
その中の一発が、船尾にいた田中の胸を貫き、そのまま背後のエンジンを破壊する。
エンジンが変な音を立てて停止し船はそれ以上動かなくなった。絶望のあまり総舵輪に取りついたまま崩れた落ちた淑子を数機の鉄機兵が取り囲んだ……もはやそれ以上、どうすることもできず淑子は日本軍に捕縛された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「すると、君たちは特命で日本人スパイの探索のために先行してウランバートルを襲撃したというわけか?」
田中の身柄確保(死亡してしまったが)を受けて作戦を終了させ。これからウランバートル占領作戦を立てるところだった第三軍参謀部に、華子は自分たちの作戦の結果を連絡した。
当然のごとく、詳しい説明を求められ参謀本部に呼び出された彼女は、悪びれもせず。淡々と状況を説明した……もちろん、機密に関わる事柄も多いのであまり詳しくは話せないが。
「はい、そちらとの共同作戦と時期が重なってしまったため一連の作戦のように思われるかもしれませんが、本件は本国上層部からの特命であります。もちろん、ウランバートルの今後の占領管理については、そちらに移管しますのですぐにでも進軍をお願いします。
「やれやれ、オレ達は、遥々ウランバートルまで君たちの尻拭いに来たのか……」
本間司令官は、その場の空気を代表するような言葉を吐いた。
「……私も尻拭いですよ。誰方か存じませんが」
言われてみれば、そういうことだ。田中を取り逃がしたのは誰なのかを言い出せば、耳の痛い人間は別にいるだろう。
「そうだな。君に文句を言うのは筋違いだ……この後、どうするんだ君たちは?」
本間は、考え直し綾倉中佐の立場を受け入れつつ、矛先をその先に向ける。
「……さあ? 命令次第ですが」
「その命令を出している人物は……いや、止めておこう。それを知って得になることはない」
軍という組織はそれぞれ与えられた役割があり、そこから逸脱すべきではない事を本間はよく知っていた。
「……賢明な、ご判断です」
本間第三軍はウランバートルの治安維持を引き継ぎ、モンゴル共和国を支配下に置くと防衛拠点の整備を行った。
一方、ソビエト領事館の領事、外交官は第三国を通じて解放されたが、ソビエトはそれを了とせず、満州国と共同してモンゴルを占領した日本に対して宣戦を布告した。




