第63話 イギリスの願いと白いインディアン、その3
切り立った断崖の隙間を分け入るように降りていくと、谷底を細く流れる川が見えた。
「ここまできたら、もう半ばは過ぎた。昼にしよう。後はあちら側を登るだけだ」
ジェームス教授がそう元気づけるが、ここまで降りてきたのをまた登るのか……という気はしないでもない。しかし今は考えないでおこう……考えても旅程が減るわけでもない。
馬に水を飲ませ、心地よい水の流れを感じ食事をして活力を取り戻す。そうして、また反対側の切通しをゆっくりと登っていく。ようやく登り切る頃には既に日は沈みかけていた。
二日目の夜は、前回の轍は踏まないように周りを崖に囲まれた所を選んで野宿することにした。
「さて、昨晩の続きですが……」
そう言って、ジョーンズ教授は嬉々として話を聞く体制に入る。一方ルーシーは
「えーっ、まだやるのぉ」
とげんなりした顔になる。しかしジョーンズが諦めないので仕方なく話を始めた。
「『マーリン』はご存知?」
「『予言者マーリン』ですか? ウェールズの小国ダヴェドの王女が、『地と月の間に住む精霊』に誘惑されて生まれた子という」
そういった知識がすらすらと出てくるあたりは、さすが考古学者といったところだ。
しかしルーシーは嫌そうな表情で訂正する。
「精霊ではなく夢魔よ。処女懐妊説話のイエスと対をなす存在……イギリスは昔から善と悪、二つの勢力の戦いの最前線だった」
こうしてまた、ルーシーは古い記憶を手繰るようにして話を始めた。
マーリンが生まれた後、母親とともに放浪の旅の末たどり着いた街の領主、ヴォーティガーンに捉えられる。新しい塔を建設するための人柱として『一度も父がいたことのない若者』が必要だと家臣の魔術師が言った為だ。
その結果マーリンは領主の前に連れ出されるが、そこでマーリンは初めて口を開き宮廷魔術師たちを無能であると看破し新しい塔の建築がうまくいかないのは人柱がないからではなく、塔の地盤の下に池があり、そこに二つの穴の空いた石があってそれぞれに竜が眠っているからだと予言した。調べてみるとまさしく、その通りで人々はマーリンに畏敬の念を抱いた。
さらに二つの竜は目覚め、ヴォーティガーンの眼の前で争い、白い竜が勝ち赤い竜はその場から逃げ去った。王がマーリンに謎解きを求めると、白い竜はヴォーティガーンが呼び寄せた傭兵を、赤い竜はブリテン諸国を表すのだという。目の前の光景のように白い竜が、この島を征服するだろうが、しかし遠い未来いつの日かきっと、赤い竜たるブリトン人が再び立ち上がり島を開放すると予言した。
「ブリタニア列王史の予言ですね」
ジョーンズが、そう言葉を差し挟む。しかしルーシーは何の反応も示さずに続ける。
予言を終えた後、マーリンはヴォーティガーンの弟のオーレリアン・アンブローズとユーサーの軍勢がトットネスに上陸し悪逆を尽くした兄王を誅殺するであろうことを伝えた。予言の通り、オーレリアンは勝利し新たなブリテン王となり、戦勝碑を作ることになった。素材の候補を選定するため森の中に隠棲していたマーリンを探し当てると、アイルランドのキララウス山中にある石を使うのがよいと答えた。この石は遙か遠方より運ばれた魔力を持つ石であることを教えた。
「ストーンヘンジの由来譚ですね」
ジョーンズが言う。しかしルーシーは前と同じく無反応で、先を続ける。
バラ戦争末期、ヘンリー7世は赤薔薇をシンボルとするランカスター家の生き残りの最年長であったが傍系で王位への正当性は疑問視されていた。そのためこの『ブリタニア列王史』のマーリンの予言を利用し、『キャドワラダーの再来たる赤い竜が舞い戻り白い竜たるヨーク家支配からブリテンを解放する』との噂を広め、ウェールズの力を結集してイングランド王位を奪取した。
「テューダー朝の開闢譚ですか」
ジョーンズがまたしても答える。これだけ何の脈絡もなく話される話の由来をすべて分かるのはさすがだと言えるかもしれない。
ヨーク家のエリザベス・オブ・ヨークと婚姻を結び、ヨーク家を取り込んだテューダー朝は、ふたつの流れをひとつにして現世的力を手にしてスペインの無敵艦隊を破り、東インド会社による交易でイギリスの覇権を世界に轟かせることになるが、王室の内情は悲惨な状態となる。
「血で血を洗う『ブラッディメアリー』と血まみれの王室の時代ですね」
ジョーンズは楽しげに、そう付け加える。しかしルーシーは、相変わらず厳しい表情のままだ。
テューダー朝は断絶し、スコットランド起源のスチュアート朝となり白の系譜が復活したがテューダー朝の矛盾を止揚できず、核たるピューリタンの取り込みに失敗し王政復古、名誉革命を経て仮初の王室たるハノーヴァー朝……改名し、ウィンザー朝に至る。
「現王室は仮初ですか……」
賛同しかねるようにジョーンズ教授が言うと、ルーシーはようやく問を返した。
「何故『仮初』か分かるか?」
「……いいえ、まったく」
しかしジョーンズ教授は、答えになるような知識はなかったのか……いや、ここまでくればパズルのように答えを出すことは可能だったろう。しかしそれを自ら口にすることを躊躇ったのかもしれない。だがルーシーは沈黙で済ますことを良しとせず、無理やり答え合わせを行った。
「王の証たる『新約の石板』、神の意志を持たぬからだ」
「…………そういうことですか」
長い沈黙の後、ジョーンズ教授は答えを受け入れた。劇の第二幕が終わり、それぞれの思いを懐きながら幕間の眠りにつくことになった。




