第56話 対ソ戦略と米内更迭
対ソ戦なんて、どんな罰ゲームだよ。そう思ってた時期がオレにもありました。
シベリアなんか占領しても何もうれしくないけど、ドイツを西部戦線に向けないためには、そして独ソ戦で敗戦させないためには日本も対ソ参戦せざるを得ないかな……コミンテルンが操っている華北国境のテロ行為も地味に鬱陶しいしね……
くらいのつもりで思っていたら、バイカル湖北岸とかサハリン・オホーツク海とかは、それなりに油田があるようである……この時代ではまだ採掘されていないようだけど。そうとわかれば、石油資源を確保してアメリカの禁輸カードの影響を少しでも軽くするのを目指そうか。北海道や東北に原油精製コンビナートを作って、室蘭や釜石の製鉄と結びつけて、一大工業地帯に育て上げる……うん、なかなかいい戦略じゃあないだろうか。
早速、華子さんに対ソ戦について意見を聞いてみる。
「陸軍はもともとソビエトを仮想敵国にしていますから、勝てる見込みがあれば問題ないと思います。政府も陸軍出身の宇垣殿ですし石油資源獲得や工業地帯についても『国力倍増』の方針の一環ですから良いと思いますが……」
「が?」
華子さんは何か懸念があるようだ。
「陛下は戦争を望まないのでは、ということです」
うーん、それは……どうしたらいいんだろう。もし陛下が望まないと言うなら戦うべきでないとは思うが、日本から戦争をしないからといってソビエトが仕掛けてこないわけではないのは当然だ。向こうの準備が整って戦争に利があれば躊躇なく攻めてくる。事実、大戦末期には不可侵条約を破って日本を攻撃している……陛下もそんな感傷的平和主義な方ではないだろう。
「日本とソビエトとの開戦についてちゃんと説明できる人が必要ですね……御前会議に参加されるようなレベルの人で」
オレの意見に華子さんも異論は無いようで
「陸軍大臣、海軍大臣、そして首相には賛成してもらう必要がありますね。陸軍は、以前から対ソ戦を唱えている石原中将に動いてもらいましょうか。政府の方は久永さんに根回しして頂くとして、海軍は時休殿にお願いできますか?」
という事になった。海軍か……誰に話すかなぁ。
そう言いつつも、山本司令長官以外に話したら大目玉を食らうのは目に見えているので、ひとまず長官と打ち合わせに行く。
「山本長官。少し込み入った話があるのですが」
そう言って、人払いをしてもらいソビエトとの開戦について話してみた。
「それは、誰の発案だ?」
と聞かれた……どうしようか、変にゴマかすと後が大変だよなぁ。
「小官です」
そう言って直立不動の姿勢を取る。今回はちゃんと長官と目を合わせたままだ。
「……前に言った、未来を踏まえた考えか?」
「はっ!」
長官はしばらく考え込んだ後
「ソビエト極東軍との戦いとなると海軍は、ウラジオストク艦隊を相手にするくらいでアメリカと戦うことに比べたら、たかが知れている。軍令部でも特に異論はでないだろう……むしろ問題は海軍大臣の米内さんだ」
と教えてくれた。さらに『あの人は何故かロシア贔屓だ。ひょっとしたら文句をつけるかもしれん……俺から話をしておこう』とまで言ってくれた。オレが恐縮して『ありがたく思いますが、なぜ山本司令長官がそこまで……』と言うと
「アメリカと戦うために足掻くんだろう。貴様ばかりにいい格好はさせんぞ」
と返された。それを言われるとは……くそっ。今まで考え方が精神主義だとか、いろいろ文句をつけてきたけど、ちゃんとやるときはやるところを見せられると、この人を信頼しなければという気になる。さすが上に立つだけのことはあるぜ。
「お供させて下さい」
オレはそう言って頭を下げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、海軍省の近くの料亭に山本長官とともに米内海軍大臣に会いに行く。
大臣は、先に着いて始めていた。山本長官も慣れた様子で席に座って飲み始める……いつもこんなふうにやっているんだろうか。
「何、ソビエトと戦端を開く? 何故そんな事をするんだ」
急に米内大臣の声が厳しくなった。やはりソビエトと戦うのには反対だのだろうか。
「ひとつは、後顧の憂いを断つため。もうひとつはアメリカと戦うための国力を高めるためです」
山本長官が説明を行うが米内さんは納得する様子はない。
「それでソビエトと? 納得できんね」
言葉は静かだが、戦いたくないと考えているのがわかる。
「米内さん、あなたは中国の派兵は推進するのにソビエトとの戦いは渋るのは何故ですか?」
そう山本司令長官が指摘する。
「……そのようなことはない」
米内海軍大臣は否定するが、目を合わせないところに、腹の中になにか持っているのを感じさせる。
「この男……種子島は帝国の10年先を考えてソビエトと戦うべきと言ってきました。理由を聞いて考えた結果、私もこの博打に乗るべきだ考えています……米内さんにも腹を決めてもらいたいと思って今日は参りました」
重ねて大臣に迫る山本長官。
「……」
しかし、米内大臣は無言で酒を飲むばかりで、それ以上話は先に進まなかった。
座がお開きになり、帰る間際。米内大臣はボソリとつぶやく。
「儂は踏ん切れん……大臣は辞任するから、後は好きにするといい」
それだけ言うと、米内さんは大きな体をゆらりと揺らしながら席を立った。
大臣がいなくなった後あぐらをかいて、残った酒をあおりながら山本長官が言った。
「ケツを捲くりやがったか……どうする種子島?」
「どうすると言われても……」
「ひとつは日を改めて米内さんをなだめる……あの様子だと首を縦に振らせるのは難しいだろうが」
盃を置いて、こちらを見ながら山本長官が言葉を続ける。
「もうひとつは別の首にすげ替える……しかし下手をすれば内閣総辞職だ。貴様はそこまで掛けられるか? 命懸けで勝負に出る気構えがあるか? どうだ」
これは、オレの決意を試しているのか……前にもこんなことがあった気がする。あの時は華子さんだったか……オレはあんまり気合が入っているように見えないから試されるんだろうか?
「たとえ、長官や海軍の全員が敵に回っても……オレは押し進めます。どんな手を使っても」
毎回、試されるのを不本意に思いながら、以前言われた『相手を射殺すような目線』で見つめて、そう言い返す。
それで安心したのか、長官はふっと気を抜いて、もう一杯手酌で酒をあおった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
海軍での首尾を華子さんに話して、陸軍と首相の様子を聞いた。
陸軍の石原中将は我が意を得たりといった様子で参謀本部や関東軍の関係者に会いっており感触は良好、宇垣首相も久永殿下の話に納得してくれ『遅かれ早かれ両国はこうなる運命なのだ。ただ今回は米国による和平の仲介は期待できない……そこのところは上手くやらねばな』と言っていたそうだ。
「そうですか。米内大臣は辞任すると……仕方ありませんね。宇垣首相に次の大臣を選んでもらいましょう」
ここで次の大臣が立たないようなら、内閣総辞職になってしまうが今回の場合は海軍全体が反対しているわけではないので大丈夫だろう……事実、次の海軍大臣は及川古志郎大将が立つことになった。




