第39話 水晶の夜を阻止せよ、その7
ヨーゼフ・ゲッべルスは若干緊張していた。今回は普段の宣伝活動と違って実力行使をさせることになっている。実働部隊の突撃隊幕僚長のヴィクトールが一部の隊員に行動を起こさないよう指示を回しているらしいが、それでも十分な数が参加するはずだ(今回の行動は、市民が自発的に行ったという状況にするため、かえって参加しないものもいたほうが都合がいい)
保安警察長官のラインハルト・ハイドリヒは何かが起こりそうだと薄々気付いている様子だが、誰がどんな意図で行動を起こすのかは掴めていないはずだ。そう、今宵、起こることを把握しているものは私以外にはいない。総統も含めて、ナチスの誰も……
ゲッベルスは戦争の機運が高まるにつれ自分の立場が相対的に低下しているのを感じた。そして現実から逃避するがごとく映画女優のリダ・バーロヴァと恋仲になり、すべてを投げ出して彼女と生きようと決意して、総統に申し出たが激しい怒りとともに却下された。
「ゲッベルス君、キミの要望は却下だ。君の家族はドイツの模範的家庭として宣伝に使われているのだ。君がマクダ夫人と離婚するのもダメだし、バーロヴァと再婚して宣伝大臣を辞して日本大使に赴任するというのも認めん」
結局、彼はバーロヴァとの新しい人生を諦め、総統に従うことにしたが、今度のことにより受けた政治的痛手は大きく、党内の彼の立場の低下を取り戻すためにはスタンドプレーに走るしかなかった。そして彼が目をつけたのは国内のユダヤ人の一掃のきっかけとなる事件を起こさせることだった。ナチスの政権掌握のきっかけとなった『国会議事堂放火事件』、突撃隊幹部を粛清した『長いナイフの夜事件』など、ナチスは唐突に起こる事件により何度も政治的目的を達成してきたが、今回の企みもそのひとつとなるはずのものであった。
ドイツ国内では、反ユダヤ人のプロパガンダが毎日のように流され、先の見えない不安な情勢を終わりにしたいという暴力的欲求が高まっていた。
「ドイツを蝕むモノを処分シロ!」
「チカラで最終的決着をツケロ!」
「我等に仇ナス為すモノに鉄槌ヲ!!」
宵闇の中、怨嗟の言葉を吐きながら災いを撒き散らそうとする者たちが三々五々、裏通りを徘徊し始める……明らかに鍛えられた体躯の者たちは、突撃隊に属する者だろう。
「さぁて、久しぶりの広域神威の発動だからね……式孫たち! 思う存分、力を発揮しなさい!」
街中の建物の尖塔の上、白衣浮文に緋袴の九尾の尊獣が自らの眷属を数多に放ちながら詠う
「天之御蔭日之御蔭隠、蔭隠坐安国平所知食国、知食国中成出天益人等……」
合間、合間に大幣の振るわれる姿と共に、涼やかな鈴の音が響く……
「過犯雑々罪事過犯雑々、天津菅麻本刈断末刈切、科戶風天八重雲吹放事……」
彼女の呼び出した眷属たちは、高く尾を引く哮声とともに四方万位に散っていく。
それは、やがて暗闇の空に小さな星々が、際限なく流れ続ける不思議な世界を作り出していた。
「街中に多数の暴徒と思われる集団が徘徊を始めています」
夜半過ぎ、部下からそのような報告を受けたハイドリヒは僅かに、ほくそ笑むと『邪魔をせず非ユダヤ人の建物が被害を受けないようにだけ警戒しろ』と命じた。そして彼はすでに翌朝の事態の収集について考えを巡らせるばかりだった。
しかし時が過ぎても、騒ぎが広まる様子はなかった……街に繰り出した暴徒たちは空に流れる流星のような光を見上げると、呆けたように動きを止め、やがて汚れの心の祓われた者たちは、夜明けの近づく街をトボトボと帰路についていった。
この夜、ドイツ全土を覆った、突然の流星雨は、遠くフランスにも伝えられるほどだった。しかし何故そのようなことが起こったかを知るものは少なかった。
「ヨーゼフ・ゲッベルス」
家の窓から外を見やっていた彼は、不意に掛けられた声に振り向いた。
照明の落とされた部屋でドアの手前に白い人間の女のような影があった……しかしそれは見たことのない太いズボンや袖の、異国の服を着ていた。
「何者……」
彼は相手が武器らしきものを持っていないことを確認すると余裕を見せて問うた。
「価値の下がった貴方の人生に転機をもたらす者……とでもいいましょうか?」
「なにを!」
彼は素早く机の引き出しの中のモーゼルを掴むと、影に向かって撃った。
「ボスッ! ボスッ!」
弾は明らかに命中しているのに、背後の壁に弾痕をつくるばかりだった。
「以前の貴方なら、そんな短慮は起こさなかったでしょうに……随分追い詰められているの?」
「なにを言うか!」
今度は、その影めがけて殴り掛かる。しかし彼は脚が不自由なので殴るというより倒れかかったようだった……影と思われたその存在は、彼のよろける身体を支えた。思いの外、しっかりと。
「お前は、何者だ?!」
女は微笑みながら、
「私は、貴方のことは全部知っているのよ……ウソはつけないわ。貴方、本当は戦争なんてしたくないんでしょう?」
女の腕の中から飛び退き、壁にもたれかかりながら、不気味なものを見る目つきで女を見ていた。
「……自分を認めて欲しい、より力のある存在に。常に自分が一番であること、そうでないと不安に押しつぶされそうになって耐えられない……お父さんも厳しかったものね」
彼の顔は、今にも叫び声を上げそうなほど引きつっていた……子供の頃の貧しい生活、病気になって他の子と同じように走り回ることができなくなってしまった、いつも自分の気持ちを押し込めて無理をしていた。そんな自分にさらなる高みを求める父とダメな自分をなおも愛そうとする母の重圧……全ての感情が綯い混ぜになって一度に襲ってくる。
「……やり直せばいいのよ」
何もない空間で独りぼっち、頭を垂れ、為すすべなく倒れ込みそうになる自分の心に、響いてくる声があった。
「他人からどう思われるかじゃない……あなたはあなたに出来ることがある。あなたのことを認めてくれる存在を知っているじゃない。だったら貴方はひとりじゃないわ」
彼の心のなかには、妻ではなく愛する女の姿が浮かんできた。彼女のため、今の地位も何もかも捨てて、遠い異国で共に生きたいと願った相手だった。
「……しかし、総統は……それは認められない、と……バーロヴァではなくマクダと生きろと……すでにお互いの心は離れてしまっているのに……」
彼がバーロヴァと愛し合っているが如く、マクダは別の相手にその愛を捧げていた。
「リダとなら、やり直せるのね……わかったわ。全てを私に委ねて……心の底から信じるなら、貴方はもう一度、生きる意味を感じられる。ただ、『そうあれと』心の底から願いなさい」
彼は導かれるように、跪いた姿のまま絞り出すような声で呟いた『a-m-e-n』……遥か幼い日、父母に教えられた通り、無垢な心で唱えた時のように。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目が覚めると、彼はベッドの上で寝ていた。昨晩のことは、はっきりと思い出せない……何か重大なことが起きた気がするのだが。
「コン、コン!」
ノックの音とともに妻が入ってきた。そしてその姿に彼は目を疑った。
「……バーロヴァ」
「なにを寝ぼけてるの(微笑)……私はあなたの妻のマクダよ」
しかし、彼にはわかった。姿容や名前は違うが、彼女はまさしく愛する女性であると……何故かは、わからないが存在の中身自体が入れ替わってしまったことを。
昼間、幹部たちの会議に参加して、他の責任者たちの様子をうかがうが特に変わった様子はなかった。総統からも報告に関する質問だけで特に叱責の言葉も、任務を変えるというような発言もなく時間が過ぎていった。ただ自分の管轄であったはずのユダヤ人問題は何故か以前からゲーリングが責任者ということになっていた。
会議の後も何ごともなく、私はそのまま家に帰った……私は今でも神なんて信じていないが、運命を乗り越えられる何かが存在するのを知ったように思う。
ようやく、『水晶の夜』終了。
表記をゲッペルスではなくゲッベルスにしました。ご意見を頂いた方、ありがとうございます。
最後は『◯われた学園TV版』(古っ!)のようにしたかったのですが、文章で書くのは難しい!




