第38話 水晶の夜を阻止せよ、その6
「あれがドイツ出身のユダヤ系ポーランド人、ヘンシェル君17才ね……たしかにキレやすそうな、社会を斜に見ている顔ね。演劇が似合いそうな感じはあるわ」
テンちゃんは一人でそう納得すると、久しぶりにパリに帰ってきたリリーことジャンヌ・フォンティーヌに、彼を劇団にスカウトするよう伝えた……もちろん夢の中のお告げである。
夏の盛りのパリはうら寂しい……旅行に出かけるお金のある人々はこぞってバカンスに出かけ、残るのはそのような習慣がないか、あってもお金のない、どちらにしても社会の下層に位置するような人たちばかりだ。それでも、そこそこ要領のいい若者は仲間と連れ立って夜の街に繰り出すのだが、彼の場合はそんな気の置けない友もなければ一時の憂さ晴らしに費やす、わずかばかりの酒代もなかった。
「ちくしょう!」
ドイツのハノーファーからパリに来たときは、それでも希望を胸に抱いていた。花の都は、その名だけで地方出身者の心を魅了する……そう、都会は田舎者の掃き溜めというが、まさしく其処に集まるのは、密かな希望を胸に秘めて故郷を後にしたものばかりだ。そうして飛び切り優秀な、あるいは偶然という名の幸運を掴んだ一握りのものが光溢れる栄光を手に入れ、他は暗い闇の底で生き続ける。
ヘンシェルも田舎では、そこそこキラメキを放つ才能の片鱗があった。ドイツ人らしからぬ顔立ちと長身の姿、そして口をつく言葉は浮世離れしたセリフばかり。とても真面目な生活をするような性格ではなかった。
彼は、世界に注目される社会派のジャーナリストか、演劇あるいは映画でトップスターになるのを夢見てパリに出てきた……しかし最初に入った俳優養成学校は3ヶ月で行かなくなった。役に立つような素晴らしいことは何ひとつ教えているようには思えなかったからだ。生活費を稼ぐための仕事も長続きしなかった……くだらない事しかやらされなかったからだ。親元に生活費を無心しながら今は、新聞社に雇ってもらおうとスクープを探して街中をうろうろする毎日を過ごしている。
「そこのイケメンさん、アナタお暇? ちょっと手伝ってほしいんだけどな……」
声の方を見ると、美人のお姉さんがこっちを見て微笑みかけている。なんか気後れしたてしまったので脇を早足で通り過ぎる。
「(あれは、きっとアレだ。新手の美人局だ。そうじゃなきゃ向こうから声を掛けてくるなんておかしい!)」
通り過ぎて暫くしてから、そう結論づけて頭の中から追い出した。
翌日、またスクープを探して街中を歩いていると道の傍で地面に布を広げて何かを売っている女の子がいた。
「私の書いた詩集です。一冊100サンチーム?」
なんかめちゃくちゃ安くないか。某世界最大の同人誌即売会だって一冊100円は、なかなか無いぞ。
彼は足を止め、その詩集を手にとってページをめくる。
なになに『心の翼を解き放て? 不自由な現実に叩きのめされる前に……真紅に燃える混沌を突き破れ! 世界のみんなが賞賛を送るその日まで、今日も毎日、一日一善、心の殻を破り捨てろ! 我等は神に召されしゴッド・サモンド V!』
なんだこれは?? 詩っていうより歌詞? 昔、子供の頃見た戦隊モノの話を頭に浮かべている間に、その女の子にがっしりと腕を掴まれていた。
そしてその顔に、彼は見覚えがあるのを思い出す。
「げっ、昨日の!」
「だいじょうぶ。私の詩に感動できる、貴方ならきっと世界とために活動できる! いっしょに、いい劇、作ろうね♡」
「(いや感動なんてしてないから!!)」
心の叫びを無視して周囲から、わらわらと現れた仲間たちによって、あっという間に拘束され、そのままどこか知らない練習場に彼は連れて行かれた。
「団員さん1名ご案内~!」
「「「は~い!」」」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あめんぼあかいなあいうえお、かえるはかわいいかきくけこ……」
「すすはーっ、すすはーっ!」
何故だかそのまま、新人歓迎会で酒を飲まされ酔いつぶれて、目が覚めたら翌日の稽古に参加させられていた。
「うん、ちゃんと腹式呼吸できてるじゃない。なかなか見どころがあるねキミ!」
昨日、声を掛けてきたお姉さんだ。たしか自己紹介で団長って言っていた(SOSと書かれた黄色い腕章は付けていなかったが)。ドイツで映画にも出演しているそうだ……そう言われるとなんとなく有名人のようなオーラが感じられる。
いや、腹式呼吸くらいで見どころがあるって言われても、と思ったがとりあえず褒めてもらったので嬉しかった。
「昔、やったことがあるから……」
照れながら僕がそう言うと、さらに大げさに褒めて役割をお願いされる。
「ええっ、そうだったんだぁ~。すご~い。じゃあ練習前のウォームアップのリーダーを任せていいかな?」
それでも頼りにされるのがうれしかったのと、他のメンバーに号令をかけるというのが面白そうだったのでOKした。
「もっと感情を込めて! 心から絞り出すのよ。貴方はそんな程度の生き方しかして来なかったの?!」
「ダメダメダメ! まるでなってない!! セーヌ川の便所コウロギだってもっとマシな顔をしてみせるわ。デボン紀からやり直したら?」
演出家から人格を古生代から否定する容赦ない叱責が飛び、自分の限界をさらけ出された上で、さらに打ちのめされる。最初は衝撃的で、とても受け入れ難かったが、一度経験すると、そこに新しい自分を見つけ出せたようで病みつきになるんだ、これが!
そして練習後は、あれほど厳しかった演出家や仲間たちが酒を飲みながら、君は素晴らしい!見どころがある。貴男は私達に絶対必要な人なんだからね。と心を込めて褒めそやす。一日一日、この劇団で過ごすほどに打ち解けて、心の底から一体感を持つようになった。僕にとって、この劇団の人たちは家族以上に近しく親密な仲間になっていった。
「お仕事完了♡」
テンちゃんは影から見ながら、満足の笑みを漏らした。そして本来の歴史では、彼に拳銃を渡してドイツ外交官の襲撃を唆すはずの男は途方に暮れるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、いよいよユダヤ人迫害が強くなってきたドイツ国内……1938年10月ポーランド政府はすべての旅券に検査済みの認印が必要であるとする新旅券法を発布した。これによりドイツ内のポーランド系ユダヤ人住民の旅券と国籍が無効化されてしまう。ドイツ側では新旅券法が発効する10月30日までにポーランド系ユダヤ人を国外に退去させようと国境地帯へ移送した。
これに対しポーランド政府は未だ有効な旅券を持つ人々の受け入れを拒否する。その側を我々のK.BROP社のポーランド工場へ部品を輸送するトラックが日々、何台も通過していく、国境地帯の少し手前で難民たちをトラック内に隠してから。
「……さあ、こっちへ。トラックに乗ればポーランドに帰ることが出来ますよ」
「いいのかい? 私たちに親切にすると、あなた達に迷惑を掛けるよ」
「大丈夫。俺達は奴等に負けない力を持っているから」
「ちょっと狭いけど、しばらく我慢してくださいね。少し奥に詰めて下さい」
「ああ、ありがたい。ようやくこれで帰れる」
こうして国境地帯に放浪していた難民たちは何故か数週間の間にいなくなってしまった。もちろん今は、全員が無事ポーランド領内の教会に設置された作業所に分散保護されていた。




