第110話 ハイドリヒの思惑、そして新型MarkⅡ完成形
総統執務室へは、毎日多くの人がやってくる。目的は報告、陳情、決済、調停など様々だが、私の役割はそれらをチェックし危険を事前に取り除き、必要なことだけが滞りなく処理できるよう整理・確認することだ。今日も多くの者が電話で、あるいは直接、部屋までやってくる……今日は総統は執務室におられないのに、だ。
Ri Ri Ri Ri……
「こちら総統執務室。……その件は以前伝えた要件は揃ったのか? ダメだ、要件が揃うまでは総統にお伝えするわけにはいかん」
Ri Ri Ri……
「総統秘書官のハイドリヒだ。……ああ大丈夫だ、その件は総統の了解を得た。予定通り進めてくれたまえ」
コンコン!
「入れ! どんな要件だ?」
「総統に、ご相談が……」
「だから、どのような要件だと聞いているんだ」
「ら、来週の晩餐会のゲストスピーカーを誰にするかを伺いたく、」
「総統は今日はいらっしゃらない。後で見繕ってこちらから連絡するから帰れ」
「しかし……」
「そんな雑事で総統を煩わせるな! 他になければ帰れ!」
私は無理矢理、その男を部屋の外に追い出すと入り口に『会議中につき緊急以外立ち入り禁止』と札を掛けた。
「まったく、どいつもこいつも……」
溜まった鬱憤を晴らすように椅子に勢いよく腰を下ろし、背もたれに倒れ込んでこめかみを指で押さえた。
「……ずいぶん、お疲れね」
背後から女性の声が聞こえた……誰だ!? 私は反射的に振り返り拳銃を向け身構えた。
「何だ、天狐か」
私は張り詰めた気を抜いて、もう一度椅子に座り込み、背もたれの向こうのスーツ姿の女性に視線を投げる。ヨーロッパで事業を展開する日本人、霧島 梓という女性になった仲間の姿だった。
「……ラインハルト・ハイドリヒ役も、ずいぶん様になってるわね」
彼女は椅子越しに私の肩に手を乗せ、ねぎらい半分、揶揄半分といった様子で声を掛けてきた……思えば私がこの男の身代わりに行動するようになって随分経った。
「最初は無理矢理、押付けられた役だったのだが……」
「その割には、ちゃんと仕事をこなしているじゃない。本当は気に入っているんじゃない?」
天狐はそんな風に混ぜっ返してくるが、最初は本当に病院にいる間だけのつもりだった……その後、ヒトラーの秘書官に代わることになりドイツの中枢組織に深入りしてしまった為、抜けるに抜けられなくなってしまったが。
「最初はユダヤの民のためを思っていたのだが……放り出すには少し、この国の人々に愛着を抱き過ぎたきらいがある」
そんな風に自嘲すると、天狐は
「真面目なのね、白狐は。……でもこのままだと辛い結末を見ることになるかも知れないわよ」
何度となく繰り返した歴史で見てきた日本とドイツの敗戦。そして国は荒れ果て、民は苦しみと悲しみにまみれる……
「あんな惨状には為らないように努力するつもりだ。敵国側にとっては好ましくないことかもしれないが」
私がそう答えると
「ふふっ、白狐らしいわね……イギリスのお節介鴉も言っていたわね。ドイツはソビエトと因縁があるようなことを……何を言っているのか今いち、よく分からないけど」
そういえば、そんなことを言っていたな……私は最初にあの男を憑依させてルーシーに会った時のことを思い出していた。
「『神に至る道』……とか言っていたな。よく理解できない考え方だったが」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その頃、ルーシーもロンドンのフェアチャイルド邸で物思いに耽っていた。
とりあえず『神の意志』を持つ青年は連れ帰ったが……イギリスには、その血脈を王室につなげることまでしか言い伝えられていない。常識的に考えればその後は英米関係の主導権をイギリスの側に取り戻すべき活動をしなければならないのだろうが。
それにしても、あのとき聞いたインディアンの言い伝え……鍵十字とクロスと太陽が浄めの日をもたらす……彼女にとっては英米関係と並んで気懸りなことのひとつだ……明らかにイギリス、ドイツ、日本の同盟に関係しそうな内容に思えるが具体的に何をするのかが見えてこない。
「あの青年……アロといったか。彼はこれから、どうするつもりなのだろうか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドイツ軍が春の訪れに向けて攻勢の準備を進めている最中のレニングラードへ、アーロンたちの部隊が到着していた。ラドガ湖東岸での掃討作戦が終わり今や白海からのレンドリース輸送ルートは完全にフィンランド・イギリス・ドイツ連合軍支配下に置かれ、北方からソビエトに支援物資を届ける道は閉ざされていた。しかしソビエトは未だ国内の巨大な軍事生産力を持ち、モスクワ前面に強固な深縦陣地を展開する力を保持していた。
「それで、我々は今後どこの戦場へ向かうことになりますか?」
アーロンはレニングラードのドイツ軍司令部に間借りする芬・英・独連合司令部で司令官と面談していた。
「もうすぐドイツ軍がレニングラードを出てモスクワへの全面攻勢を始める。そうなったらフィンランド軍はこの地域の守備兵力として、ここを任されることになる。貴部隊もその一翼を担い占領地域の安定に尽力してもらいたい。それまでここで部隊の整備・補給を行い、別命あるまで待機ということになる。もちろん本国から直接、指令があればそちらに従うことになるだろうが」
司令部から戻ると早速、部下たちがアーロンに今後の作戦を尋ねてきたが『ドイツ軍が動くまで、我々は整備・補給と待機だ』と伝えられると怪訝な顔で散っていった。兵士たちは2、3日で機体の整備や武器の補充を済ませると待機という名の一時の楽園を味わっていたがラプトルの整備班はそうもいかなかった。アーロンの要望を実現した新型MarkⅡが送られてきたからだ。ちなみに名称が相変わらずMarkⅡなのは、これまでの機体がすべて非公式改造扱いだったということを示している。
「こりゃあ、ずいぶん荷物が多いが……どう見ても数機分はあるぞ」
「送付書を見てみろ。新型の整備設備機材が含まれているんだと」
つまり新型機の組み立ては整備設備の入れ替えから始めなければならないという事だった。
「面白そうな物が来ているな」
野生の勘で嗅ぎつけたのかアーロン隊長が新型機組み立て途中の整備設備にやってきた。しかしまだ組み立て途中とはいえ、新しいそれは今までのラプトルとは明らかに姿を異にしていた……例えていうと大型の獣の解体現場のような状態だった。
ビルドハンガーに吊された何本もの竜骨が束ねられたような物……新しい機体の動力伝達基管とエアダクトと各種信号をやりとりするための電線類が纏められ、さらにその腰の辺りに繭を引き延ばしたような形のエンジンと動力分配用のパワーユニットが置かれている。キールからは分岐した四肢や腹部(操縦席がここに入る)を守るための肋骨のような太い枝が生え、上部後方には制御装置として小型化されたTKT Ⅳ型計算機が直列配置されていた。
「まだ装甲も取り付けていませんから、見てもよく分からないでしょう?」
整備班長はそんなことを言うが、アーロンは目を輝かせて楽しそうに見入っていた。
ようやく各部の組み付けが終わり動作テストが始まると、噂を聞きつけた隊員たちが見学にやってくるようになった。しかし誰もが一様にその姿を見て驚くことになる。いままでのラプトルは人型をしてはいたが戦車や工業機械製品的ではあった……しかし今度の新型は生物的な巨大な獣を思わせる。まさにヴェロキラプトルの名は伊達じゃないといったところだ。
「そろそろ実際に乗ってみたいんだが……もちろんマニュアルは見たし、最初から走り回ったりしようなんて思わないから。乗るだけ乗らせてくれないか」
アーロンが、おねだりする子供のように整備班長に言う。
「……まあ、いいですけど。マニュアルを見たのならご存じと思いますが、今までと随分違いますからね。まず操縦補助服を着てもらいます……スーツと名前がついていますが操縦のための操作器が足や腕に付けられたものです。これで操り人形のように……いや操り人形とは逆ですか、操縦者の手足の動きにより機体を操縦できるようになりました。それと頭には覆型ヘルメットを着けてもらいます。目の部分に外部の状況がペリスコープを覗いているように表示され、頭をどちらに向けても見続けることができるのでとても便利ですよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
話は再び総統執務室。
「それで、具体的にドイツに救いをもたらす方法は思いついたの?」
「……とりあえず総統が不健全な考えに陥らないよう注意はしているのだが」
天狐は、それだけじゃダメでしょうというように肩をすぼめた。そして
「ひとつ、アイデアを教えてあげましょうか?」
と言い出した。天狐の言うことは時々、思いもよらないことがあるので注意しなければならない……私は、注意深くその先を聞いた。
「アメリカの上前をはねるような理想主義の目標をぶち上げるの。『ドイツ人だけの為でなく全人類のため』だって言える、表向き誰も反対できないようなプロパガンダを掲げるのよ」
「そんなことで、うまくいくのか?」
「外交専門家は引っかからないでしょうね。でもいいのよ、こういうのは何も考えてないような一般大衆さえ惹き付ければ」
若干、黒い部分が見えるがそういうやり方もダメとは言えない。しかし天狐の言うことは多くの場合、裏がある……大体そうだ。
「で、具体的には何をするんだ」
私は、もう一度確認するように天狐に聞いた。
「ドイツの思想家で『アーリア人は理想的人類を生み出すための糧となるべきだ』っていう考えの人がいるの……これを、うまく使ってナチスのアーリア人至上主義も止揚するような形で言い換えればドイツの主張にはどこも反対できなくなるわ」
「…………」
本当にそうだろうか。だがうまく行けば今のような、すべての悪の根源のような言われ方はしなくなるかも知れない。
「まあ最初からこれに100%、掛けるような立場をとることはないわ。秘書としての毎日の業務の中で少しだけ選択を変えれば、それで十分よ。貴方は他人のふりをしながら自分のしたいことを進めていくことができるわ」
結局、私は天狐のアイデアを受け入れ、手始めに今度の晩餐会のゲストスピーカーのひとりに、その人物を紛れ込ませることにした。




