ソフィア思い悩む
最終学年になり、生徒たちは卒業後の進路について話すようになってきた。貴族社会では女性が働くことはかなり難しい。女性は家を守り後継ぎを生むことを一番に求められ、エメルダ様のように第一線で働く貴族女性は珍しい。エメルダ様はこの夏に、女性初の裁判官となったことで、数少ない高名な女性解放運動家たちが連日エメルダ様の快挙を称える記事を書き新聞をにぎわせた。
貴族の女生徒のほとんどは、卒業後、王宮で女官として1,2年働き結婚退職することを希望している。爵位のない生徒は、成績優秀で学園長の推薦があれば王宮で行政官の秘書として働くこともできるが、ほとんどは領官として地方に行くようだ。
ソフィアは成績が優秀なため、エメルダ様のように、文官として働くことも夢ではないと進路指導の女性教員が熱く語っていた。どうやらエメルダ様の裁判官就任に触発されて、つぎなる職業婦人を生み出そうと意気込んでいるようだった。
ソフィアが一番興味があったのは、魔術師団だった。時折魔道具の会に顔を出すヴィクトールの魔法攻撃の簡略化の話が斬新で面白かった。ソフィアは攻撃魔法は専門で学んでいないが、新しい魔法を考えたり改良するのが好きだった。ニックの妹の手紙を探すときにつかった、失せものを探す探査魔法はソフィアがはじめて改良した魔法だった。
しかし、こんなことを考えることに果たして意味はあるのだろうか?ソフィアは卒業後はサイモンの家に嫁ぐことになっている。かつて、花嫁修業をするために、学園を辞めろとまで言ってきたサイモンが、ソフィアが働くことを許すとはおもえない。
サイモンがソフィアを訪ねて来なくなって半年以上たつが、父からはなにも言われていない。なにかあったと家族も使用人も気が付いているはずだが、だれも何も言わない。それが答えなのだと認識していた。ソフィアは、サイモンに嫁ぐことは覆らない。
伯爵家に嫁げば、今のような自由はなくなるだろう。いっそのこと、父のように家をでてしまおうか?しかし我が家は商売をしている。顧客の多くは貴族だ。ゾーン家の娘が伯爵家との結婚をいやがって逃げたとなれば、家族にもゾーン商会にも迷惑がかかってしまう。ここはソフィアが我慢するしかないのかもしれない。
あれからウェンディはソフィアに何度かパトリックとの仲を取り持って欲しいと言ってきたが、断り続けた。ある時は悲劇の少女よろしく泣き崩れ、ある時はヒステリックに泣き喚いては、彼女はなにかとソフィアは困らせた。贈り物を渡して欲しいと無理やり押し付けてきた。それはできないからと両手を上に挙げて受け取らずにいると、ウエンディがパッと手を離し、贈り物が落ちた。中身は割れ物だったらしくガシャンと大きな音をたてると、ウェンディが倒れていつものように泣きはじめた。
「ひどい、心をこめて選んだガラス細工だったのに。」
大声で叫びおいおい泣き、まわりも、ひどすぎるとざわついた。その日の午後、ソフィアは1年生担当の教師に呼び出され、ウェンディをいじめているのではないかと問いつめられた。それに堪忍袋の緒が切れたユーリアがパトリックに直談判した。
「パトリック先輩、ここはびしっとあの子に、興味がないから無駄なことするなって言ってやってください。」
「なんで俺がそんなことしないといけないんだ?」
「ソフィア先輩が迷惑してるんです。友達じゃないですか。だいたい先輩が会いに行けば事は簡単に済むんです。」
「いやだね。俺は関わりあいたくない。」
「ユーリア、私なら大丈夫だから。落ち着いて。」
「あのくそ忌々しい女にソフィア先輩の学生生活が乱されていると思うと憎らしくてはらわた煮えくりかえる思いです。ぎっちょんぎっちょんにしてやりたい、悔しいー。」
「ユーリア、私そんなに困ってないわ。最近はどんな反応が返ってくるのか楽しみになってきたような気もするわ。」
「これだけ断ってもソフィア先輩にお願いしてくる執念がすごいよな。普通あきらめないか?他の男子学生にお願いしたりすることもできるじゃないか。」
ニックがひとりごちた。
「あの女は標的を決めたら逃さない魔物なのよ。そうよ、きっとあの女は人型の魔物で善良な人間をいたぶることで腹が膨れるのよ。魔物を退治するにはヴィクトール先輩に相談しなくちゃ。きっとよい撃退方法を思いついてくれるわ。」
「ユーリアどうしちゃったの?」
「ちょっと課題に行き詰まってて寝不足みたいよ。」
「ユーリア、妹から送られてきた心おちつく薬草茶入れてやるよ。」
「ニック、俺にも入れろ。」
「はい。滋養強壮のお茶もありますけど、どちらがいいですか?パトリック先輩。」
「あれはいやだ。落ち着く茶がいい。」
「パトリック様、それ以上落ち着いてどうするんですか。ちょっとはソフィア先輩のために怒ってくださいよ。」
ユーリアがぐったりと机に突っ伏してしまった。怒るとけっこう疲れるものだ。ソフィアを心配してくれるのはうれしいが、法務省を目指すユーリアには勉強に集中してほしいものだ。
卒業後の進路を決めるために、卒業生の職場で2週間、職場体験することになり、ソフィアは迷わずエメルダ様にお願いした。エメルダ様は、女性初の裁判官として活躍されている。裁判中は、ソフィアは傍聴席に座り見学するのだが、パトリックの兄、フランツに気がついた。フランツは、政務官として務めているはずだが、熱心にエメルダ様の裁判を毎日傍聴している。
5日目に、特に親しいなかではないが、好奇心に負けて声をかけてしまった。
「あのフランツ様、こんにちは。」
「ああ、ソフィア嬢じゃないか。学園はどうしたんだい?」
「職場体験中なんです。」
「もしや、エメルダ様のところで?」
カバっと身を乗り出してカッと目を見開くのでびっくりしてのけぞった。
「そ、そうです。」
「なんて羨ましいんだ。裁判前のエメルダ様は、どんな様子なのかぜひ教えてほしい。」
いつもの穏やかな表情ではなく、鼻息荒く迫ってくるフランツは少々怖い。
「どんな様子かと聞かれましても、」
「そうだ、ぜひこの魔道具で映像を保存してくれないか?」
「それは困ります。エメルダ様の許可がないと。」
「それなら文を書く。エメルダ様の仕事をする姿を残すのも後世のためにも重要なことだ。ソフィア嬢もそう思うだろ?」
「はぁ。そうですかねぇ。」
「残念ながら僕は仕事に戻らないといけない。エメルダ様によろしく伝えてくれ。」
そう言っていつものフランツ様に戻ると、爽やかに去っていった。
エメルダ様に事情を説明するとため息をつかれた。どうやらフランツ様といっしょにお茶をしたそうだ。いわゆるお見合いというものだ。フランツ様がエメルダ様を見染め、公爵夫人を通してのお話だったので断れず会ってみると、言葉でも態度でも、エメルダ様のことが大好きですと訴えてきたそうだ。
その日のうちに好みなどを事細かに聞かれ、次の日から、贈り物と文が一日に何度も届き、お昼や終業時刻になると訪ねて来ては、恥ずかしいそぶりもなく職場で堂々と求愛してきた。仕事中は話しかけないでほしい、贈り物も仕事場には送らないで欲しい、そうでないと縁談を断ると伝えたところ、ああやってできるだけ多くの裁判を傍聴するようになったそうだ。魔道具で仕事部屋での様子を保存してほしいと再三お願いされてもいるそうだ。いったい自分の仕事はいつしているのか不思議だ。
「びっくりです。愛情表現が豊かな方なんですね。」
「ソフィアさんは優しいのね。はっきり変態だと言う人もいるわ。彼はあれでもすごく我慢して抑えているそうよ。クレイバー侯爵夫人から何度もお詫びの文をいただいているわ。」
しかしエメルダ様はそんなに嫌がっているようにはみえない。
「エメルダ様のことが大好きなんですね。」
「そうね。私が法廷に立つ姿が好きだから、結婚しても仕事はぜひ続けてほしいと彼に言われたときは、認めてくれているんだと、とてもうれしかったわ。」
「やはり、結婚後、女性が仕事を続けるのは難しいのでしょうか?」
「そうね、残念ながら今はまだ理解が得られないわね。私は裁判官にもなったばかりだし、今は婚約も結婚もできないことも伝えたのよ。でも彼は、いつまでも待つって言ってくれたの。」
「素敵です。私、実は子供の頃に決められた婚約者がいるんです。彼とは喧嘩をしたままずっと会ってないのですが、結婚したらお仕事はさせてもらえない雰囲気の家なんです。」
「グラフ伯爵家のご長男よね。デビューの時に現れなかった彼でしょう。」
「覚えてらっしゃいましたか。そうですあの時の彼です。お互いに好意を持っていると信じてたんですけど、今は正直結婚するのは嫌です。逃げ出してしまいたいとも考えてます。でも家族やゾーン商会のことも心配で。」
「ソフィアさんは板挟みなのね。彼はどう思っているのかしら?」
「どうでしょうか。最後に喧嘩別れしたときには婚約破棄だって叫んでましたけど。」
「これが政略結婚なら、両家にとって結婚する価値のある何かがあるはずだわ、子供の頃に交わされた婚約なら、現状が変化していることもあるだろうし、調べてみてはどう?自分の将来のことなら知っておく価値があるわ。結婚するにしても、逃げるにしても、真実を確認してから判断するのはどうかしら?」
「家の事情ですか。そういえば、はっきりと聞いたことがありません。そうですね。私の人生ですから、ちゃんと理解したほうがいいですよね。エメルダ様、ありがとうございます。」
「それじゃ、仕事しましょうか。」
エメルダ様と話をしてから、ソフィアはサイモンとの婚約のきっかけや経緯が知りたくて父と話をしたかったが、最近長期出張が多くなかなかゆっくり話す機会はなかった。
未だ沈黙を守るサイモンのことも気がかりだ。ソフィアは意を決して、会って話がしたいと文を書いたが一向に返事は来なかった。そこで母親にゾーン商会の経営状況について尋ねた。
「ねぇお母様、ゾーン商会は最近どうなのかしら?」
「なんのこと?」
「売上とか資金繰りとか、経営のことよ。最近、お父様が忙しそうだから気になったの。」
「商会の経営はどの部門も順調よ。」
母は商会の経理や、父の秘書のような仕事をしているので、経営状況には詳しいはずである。
「大きな負債を抱えてるとか、 魔道具のことで訴えられてるとかもない?」
「どうしたの?なにか悪い噂でも聞いたの?」
「エメルダ先輩のところでいろいろ見聞きしたから、ゾーン商会の事も心配になったの。」
「ソフィアが興味あるなら、空いた時間に手伝ってみる?美容カフェの開店前で忙しいの。もちろん学業に支障が出ない程度にね。」
「やってみたい。でも私にできるかしら?」
「書類や文の仕分けと、帳簿の数字の確認をお願いしたいわ。明日からできる?」
ソフィアは父の仕事部屋で、書類や文の仕分けと、帳簿の数字がちゃんと合っているか確認する仕事を任された。ソフィアの目的である、自身の家の現状を知る第1歩を踏み出した。




