幕間 目覚めた『最悪』
「や……やったー! さすがフィーリアさん!」
「ま、私にかかればこんなモンかしらね」
はしゃぐキッドと、ふんと鼻を鳴らすフィーリア。
予想外の敵ではあったが、終わってみると呆気ないものだった。キッドの援護もあったが、あの程度ならあってもなくてもどっちでもよかった。
というよりも、レイと同じような援護を期待していたのかもしれない。レイならばもっと的確に、こちらの意図を読んでいるかのような援護をできるからだ。
キッド……Bランクのくせに、Dランクのレイ以下の仕事しかできないのかと嘆息を吐いたフィーリアだったが。
「って、なに考えてんのよ、私……」
レイはもうパーティーではない。いない男のことを考えても仕方がないだろう。
どうせもう会うことはないのだ、忘れよう、忘れようと思って、けれど何故か胸の奥が痛くなって。
「……やめやめ。それより何かお宝でもないかしら」
余計なことを考えていたフィーリアは、とりあえず目先のことに意識を向けた。
遺跡の最奥。広い空間だ、何か価値のある財宝やレアアイテムがあっても不思議ではない。そう思って空間の奥の方へと進んでいくと、それを見つけた。
「なにかしら、これ」
石棺のような長方形の物体と、その上に突き立てられた……これは剣、だろうか。
そう考えれば、古代の名剣が封印されている台座、のようにも見えなくはない。好奇心から興奮気味になったフィーリアはその柄部分を握った。
「何か凄い剣だったりして……聖剣、とか……!?」
神話や叙事詩で語られる英雄譚。その中の英雄が振るう武器の中でも最上のものだと謳われる聖剣。もしこれがそうなら、大発見という他ないだろう。
フィーリアとて、仮にも剣を武器にして戦う冒険者。希少な聖剣というものには憧れを禁じ得ないのだ。
「よし、抜いてみるか。ふ……っと」
力を込めると、少しずつだが動いているのが分かる。
なら、もう少しでと更に力を入れると、剣は台座から引き抜かれた。
「うわっとと」
バランスを崩しながらも、何とかそれを掲げてみせたフィーリア。
それはやはり剣で、しかし英雄譚で出てくるような煌びやかで豪奢な名剣といった代物ではなかった。
一言で言って、地味である。
無駄な装飾のない武骨な剣。刀身の根本に淡い桃色の宝玉が嵌め込まれている以外に特徴はない。
だが、それでもフィーリアにはその宝玉が美しいものに見えた。
まるで恋をする乙女のような目で、フィーリアはそれを眺める。
「きれい──」
いったい、これはどんな剣なのだろう。どんな英雄が使っていたのだろう。
そして、この剣の名前は何というのだろうかと考えていると、唐突に。
「ッ──!?」
「フィ、フィーリアさん!? 大丈夫っすか!?」
頭に何かが響いてきて、フィーリアはその場に膝をついた。そしてズキリとした痛みが走り、傍らに立つキッドの声に返すことができなくなるほど、頭痛が酷くなっていく。
そんなフィーリアの頭の中を駆け巡るのは……何かの情報だろうか。
脳内で明滅する数多の光景と情報を、フィーリアは垣間見た。
邪悪なる竜。世界の危機。寄り添う二人と、輝く剣──
「う、っ……」
永遠にも似た刹那の後、ようやく頭痛から解放されたフィーリアは立ち上がった。ふらふらと足下が覚束ない様子だが、それでも何とか二本の足で立てたことにキッドは安堵の息を漏らす。
「だ、大丈夫ですかフィーリアさん。かなりキツそうでしたけど……」
「えぇ、何とかね……でも」
先ほど見た光景は何だったのか。皆目見当もつかないが、その原因は自分でも何となく理解できる。フィーリアは手に持ったそれを見た。
宝玉が嵌め込まれている以外に何の特徴もない長剣。これを引き抜いたことであの現象が起こったのだ。まず間違いなく、これが原因だろう。この──
「心剣……アルマ、か」
脳内に叩き込まれた情報の一つ、心剣アルマ。それがこの剣の名前だ。
何故そのような名前なのか、どういった逸話がある武器なのかも分からないが、普通の剣ではないことは明白だろう。
ぶっちゃけると、気味が悪いというのがフィーリアの率直な感想だ。武器屋で売れるのかは知らないが、持ち歩くのは少々……というか、かなり怖い。
なので街に帰ったら手放そうと考え、フィーリアはキッドに声をかけた。
「よし。じゃあさっさとここから出ると──」
しかし、その言葉を最後まで言うことができなかった。何故なら突如、この遺跡全体が大きく揺れ動き始めたからだ。
動揺したキッドが震える声を発しながら、フィーリアの腕にしがみ付いた。
「う、わ! フィ、フィーリアさん! 何かめちゃくちゃ! ゆ、揺れて……!」
「分かってるわよ! いいから離しなさい、気持ち悪いッたらな──ッ!?」
揺れは際限なく大きくなり、ついに足下にまで亀裂が走り始めた。徐々に亀裂は広がっていき、しかしその亀裂はある一点から発生しているようだった。
ではその震源地はどこか。フィーリアが目で追うと、そこは心剣アルマが刺さっていた台座。あの場所から亀裂が生み出されているのだ。
そして、ふとフィーリアは気付く。
この亀裂は、何か……得体の知れないモノが、その封を破って這い出してきているような、終わりの始まりのようで──
「────」
その予感に間違いはない。何故なら理解したから。
この身の毛もよだつ悪寒。最悪の事態が起こったのだと、本能で悟ったのだ。
そして。
『──ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』
何かが来る。暗く深い地の底、深淵の最奥からそれが這い上がってきたのだ。
動かなければ。そう思った時にはもう遅い。
そいつは、その『最悪』は、ついにひび割れた台座を粉砕し、この場所まで浮上した。
轟音と轟音と轟音。耳をつんざき鼓膜を破壊する音の暴威を撒き散らしながら姿を現した『最悪』の正体。それは……
「うそ……まさか、ドラゴン!?」
『オオオオオオオオオオオオッッ!!』
まず巨体。そして広がる双翼。
鱗状の体皮は漆黒色。伸びる首と、覗く鋭利な牙。
黄金の眼球はすべてが憎いとばかりにギラついている。
紛れもない、それは太古よりこの世界の人間を遥かに越えた上位の怪物。
すなわち竜。時には神としても崇められる、最強の魔物だった。
そしてこの竜は、文献や資料に乗るそれよりもなお巨きく、さらに言えば漆黒の竜というのは、まず一種しかない。つまりこいつは……
「こいつ、『古代竜種』ですよ! まずいですってフィーリアさん! に、逃げましょう!」
「エンシェント……」
顔を蒼白に変えたキッドが叫ぶ。
なるほど、エンシェントドラゴンか。ならば納得するしかないとフィーリアは思う。
何故なら、Sランク冒険者であるこの身体が尋常ではなく震えているからだ。
武者震い、などというものではない。単純に恐怖心から、殺されるという恐れから震えているのだ。
あるいは畏れか。人間の身体に刻まれた絶対的な存在に対する畏怖の念が、この身体を縛り付けているのか。
「……ざっけんじゃないわよ!」
だが、震えてばかりではいけない。
フィーリアは強く歯を軋ませる。唇は切れ、そこから血が流れるが関係ない。
こんな怪物、放っていてはいけない。自分のことばかり考えるフィーリアだが、世界の危機ともなれば話は別だ。
何の罪もない人々がこの怪物に殺される──その事態だけは避けなければ。
なにより……魔物に震え上がっていたら、Sランク冒険者の名折れだろう!
「はああッ!」
「ちょ、フィーリアさん!?」
キッドの制止を振り切り、フィーリアが地を蹴った。
一瞬で間合いまで入り、愛用の剣を振る。だが──
「づぅ、かた……!」
甲高い音を立てて、剣が弾かれた。
信じられない頑強さ。Sランク冒険者の一撃を受けてまったくの無傷とは。
だが負けていられない。もう一度……と、再度フィーリアが踏み込もうとした時。
エンシェントドラゴンの目が、フィーリアに向けられた。
「やば──!」
そして次の瞬間、その口元に激しく光る輝き。
それは凄まじい程の熱量を持つ炎……竜の吐息に他ならない。
放出された灼熱の吐息を間一髪回避したフィーリア。だが射線上に立っていたキッドは逃げ遅れ、炎に呑み込まれた。
「キッド!」
「ああああッ! 熱い、熱い!」
太古の竜が放つ炎は、たとえBランクの冒険者といえど耐えられるものではない。
キッドの装備や衣服は一瞬で消滅し、丸裸にされた皮膚も瞬く間に炭化していった。
「だから、だから嫌だったんだ! こんなとこに来るのは、あんな奴と一緒に来るのは──ぁぁぁあああああああッ!!」
悲鳴すらも業火に包み込まれ、炎が消えた時にはキッドの身体は骨一本すら残さず消滅していた。後に残されたのは、真っ黒に焦げた遺跡の空間だけだ。
「あ、あぁ……」
仮初めの相方が目の前で消し炭にされてしまった。残ったフィーリアが思うのは、ただただ恐怖だけ。
自分もああなるのか、こんな誰もいない場所で塵すら残さず消されてしまうのか。
嫌だ、そんなのは絶対に──
「い、いやああああっ!」
ドラゴンに背を向けて逃げ出したフィーリア。がら空きとなったその背中にエンシェントドラゴンは、しかし追撃などすることはなく。
『グオオオオオ!』
翼を大きく広げ、飛翔した。比喩でも何でもなく、その場から飛び上がったのだ。
無論、ここは遺跡の中。ドラゴンの頭上にあるのは固い岩の天井。
しかしこの怪物は太古の竜。その程度で止められるはずもなく、岩壁を粉砕しながら遥か上へと舞い上がっていったのだ。
当然、それによって遺跡の崩落が始まる。地響きを立てて遺跡のあちらこちらが崩れ出した。
無論それは、逃げるフィーリアをも巻き込む形で。
「く、きゃぁああああああッ──!!」
崩れ落ちる天井。降りかかる岩石の雨に呑み込まれるフィーリア。その悲鳴は当然、誰の耳にも届くことはなかった。