1話 湧き上がる不満
二人は子供の頃からの幼馴染み。
生まれた村も同じ、生まれた日も時間も同じ、そして親も友達同士とくれば、二人が仲良くなるのは当然の流れとも言えた。
小さな村だ。親同士の交流は当たり前のように行われ、初めて出会ったのはいつだったのか忘れてしまう程に、ずっと昔から一緒だったのだ。
『ほら、挨拶しなさい』
幼い二人はお互いの親に言われ、向き合う形で一歩前へ。短い手でも、伸ばせばすぐに届きそうな距離で見つめ合い、初めましての言葉を紡いだ。
「ぼく、レイっていうんだ。きみは?」
「わたし、フィーリア! よろしく、レイくん!」
「うん! よろしく、フィーリアちゃん!」
邪気のない綺麗な笑顔。
伸ばした手と手を繋ぎ、しっかりと、離さないように握り合った。
それが二人の始まりで、こんなにも綺麗で眩しい原初の記憶。
あの頃は二人揃って子供で、どちらが上かなんて優劣を競うこともなかった。ただ互いが互いを想い合い、大切にすることができた。
けれど時間の流れは残酷で、純粋無垢な感情はいつしか色と形を変えていく。
優越感と劣等感。優れた者と劣った者。
どれだけ目を逸らそうとも、しかし決して視界から外れることはない。
何故なら遠い過去、ずっと一緒だと手を繋ぎ合ったから。
だからだろう。離れないようにと繋いだ手と手。
いま思えば、あれは離れることなど出来はしない、呪われた鎖のようだった。
◇◇◇
オルデーティア──それは大陸の二大国家、その一つであるライナス王国が誇る城塞都市である。
王都と比べれば多少見劣りするものの、それでも規模は大きいし人口も多い。都市全体をぐるりと囲む城壁も分厚く高い。この城壁をよじ登ろうとするのはまさしく愚かであり、これほどの守りならば強大な魔物であろうと崩すのに苦労するだろう。
そんなオルデーティアの大通りは、当然ながら人が多い。
行き交う人々はこの都市で暮らす者であったり、街を守る衛兵たちであったり、商人や冒険者の類いであったりと様々だ。
賑やかな喧騒が、この都市の活気の良さを物語っていた。
だが賑やかな──もとい、騒がしいのは何も通りだけではない。
何故なら今もまた、大通りの一角。『冒険者ギルド』と書かれた看板がぶら下がる建物からも、怒号が放たれていたからだ。
「はああああ!? ベヒモスじゃないーッ!?」
「え、えぇ。そうみたいですね……」
ばん、と冒険者ギルドの受付を強く叩いて叫んだのは、白銀の鎧を身に纏う美しい女だ。
黄金の長髪を大きく揺らし、たじろぐ受付嬢に抗議の言葉を吐いた。
「そうみたいですね、じゃないわよ! ちゃんと調べたの!? あれがベヒモスじゃないてんなら、何がベヒモスなワケ!?」
「お、落ち着いてくださいフィーリアさん。え~っと、そのですね……」
発言を間違えれば斬り殺されそうな雰囲気を感じながら、受付嬢は手元の資料を確認する。その作業を、女──『剣姫』フィーリアはギロリと睨む。その眼光は先ほど狩ってきたベヒモス(仮)に向けていたものよりもなお鋭いものだった。
そして僅かな時間の後、受付嬢はこほんと一つ喉を鳴らし、口を開く。
「どうやら『ベヒモスに成りきれていない牛の魔物』、みたいですね」
「はああああ!? 何それ!?」
「ひぇっ」
その美貌を怒りで歪めながら食ってかかるフィーリアは、もはやその辺の魔物よりも恐ろしく見えた。身の危険に縮こまる受付嬢だが、フィーリアの怒りは収まりそうな気配はない。
そんな光景を、見てられないと肩をすくめたのは一人の青年。ボサボサの黒髪を掻き、彼は割って入った。
「おいフィーリア。受付のお姉さん、ビビッてんじゃねぇか。もうちょっと落ち着けって」
「は? なに言ってんのよレイ」
声をかけられたことで振り返ったフィーリアは、蔑んだ目で青年──レイを睨んだ。
射抜くような瞳に一瞬たじろいだレイは、しかし負けないとばかりに反論した。
「なにって……別にそこまでイチャモンつけなくったっていいだろ」
「イチャモンですって? 苦労して倒した獲物が、大した価値のないものでしたって言われて何で納得できんのよ」
「それは……でも、仕方ないだろ。結局ベヒモスじゃなかったみたいだし」
その発言に、フィーリアの眉間に僅かな皺が寄せられた。
同時に、レイへと向ける視線に乗せられた侮蔑の感情もさらに濃くなったように見える。
「仕方ない? はッ、まぁアンタはそうでしょうね。大して役に立ってないアンタじゃ、苦労したかどうかなんて実感ないわよね」
「……そんな言い方しなくたって」
あまり強く返せないレイ。しかしそれも当然だと彼は考えた。
何故なら自分の攻撃は、あの魔物に対してまったく有効打にならず、結局ほとんどフィーリアが決めたようなものだ。
それにあの戦いでベヒモス……いや、牛の魔物があそこに現れたのは、フィーリアが誘導したからだ。そうまでして倒せなかったのは自分であり、だからこそ役に立っていないと言われようと、それに反論するのは難しく思えた。
「せっかくアンタにも活躍の場を与えてやろうと思って、私があのベヒモスをあそこまで誘導してやって、隙まで作ってやったってのに。決めきれないアンタが悪いんでしょ」
「Sランクのお前と一緒にすんなって、いつも言ってるじゃないか」
「なに? 自分の弱さを他人のせいにするっての?」
「そうじゃないけど……」
冒険者はその功績によってポイントを与えられ、一定値以上になるとランクが上がる。
S、A、B、C、D、E、Fの七ランクが存在し、最高がSランクであり、最低がFランクとなる。
そしてレイは中の下とも言えるDランク。対してフィーリアは最高のSランクだ。
SランクとDランクでは、文字通り評価が天地ほど違う。それは冒険者ギルドからも、クエストの依頼主からも、同業者からもだ。
では何故そのような天と地ほどもかけ離れた二人が馴れ馴れしく会話し、そればかりか行動を共にしているのか。それは……
「じゃあしっかりしなさいよね。アンタが情けないと、幼馴染みの私まで馬鹿にされるじゃない」
「…………」
「返事は!?」
「……あぁ、わかったよ」
難しい話ではない。ただ、二人が幼馴染みであるというだけ。
そう。つまり彼らは、たったそれだけの理由でパーティーを組んでいるのだ。
だからこそ、彼らはある意味で有名なパーティーとも言えた。
SランクとDランク。天才と平凡の二人組。
一人はフィーリア。美しい容姿と華麗に舞う戦い方から『剣姫』と呼ばれる若き天才剣士。
そしてもう一人はレイ。『剣姫』フィーリアの幼馴染みというだけで、Sランクの報酬にありつく凡人。
同業の冒険者はそんなレイのことを、嫌味と嫉妬と侮蔑から──『荷物持ち』、あるいは『寄生虫』と呼んだ。
◇◇◇
「──フン。たったこれっぽっちか」
あーだこーだと文句をつけて、ようやく報酬を手に入れたフィーリアは袋をぶら下げながら愚痴を吐いた。
結局彼ら二人の倒した魔物はAランクの魔物、ベヒモスではなかった。ゆえに冒険者ギルド側は『ベヒモス以下、Bランク相当の魔物』として報酬を用意したが、フィーリアのクレームと、Sランク冒険者の顔を立てるという意味で多少報酬に色を付けてくれた。
それでも予定していた額よりも少なかったが、Dランクであるレイが数か月の間かなりの努力をしなければ手に入らない程のものである。
やはりランクの差というのはどうしようもない壁だなと思いながら通りを歩くレイ。その目の前でフィーリアが足を止めた。
どうしたのか、とレイが尋ねるよりも早く、フィーリアが何かを差し出した。
「はい。アンタの分」
「え? あ、あぁ。ありが……と……」
手の平に乗せられたのは、銀貨五枚。報酬は金貨が二十枚と、銀貨が十枚だった筈だ。そのうちの銀貨五枚が、レイの取り分ということ。
つまり手取りは一割以下。ほとんど役に立ってないという自覚はあるが、さすがにこれは。
「……あのぅ、フィーリアさん? もうちょっとだけ頂けないでしょうか?」
「却下」
「早いなっ!」
即座に提案を却下されたレイ。しかし、この流れは普段通りである。
いつもいつも、クエストの報酬のほとんどがフィーリアの取り分となる。そのせいかレイは、装備している武器や防具の修理や道具の用意など、そういった用途にしか金を使えていない。
装備のアップグレードさえままならないのだ。いつも通りの展開とはいえ、もうそろそろ金額を増やしてくれてもいいのではないか。そう言うつもりだったが、フィーリアに遮られた。
「仕方ないでしょ。女の子にはお金がかかるのよ。欲しい服だってあるし、美味しいものだって食べたいし」
「それは俺もそうなんだが……」
わりと普通の欲求ではないか。抗議の声を上げようとしたが、続くフィーリアの言葉に黙らされることとなる。
「うるっさいわね。じゃあアンタが一人でやればいいじゃない。大して役に立たないくせに、ゴチャゴチャうるさいのよ」
「ッ……」
それを言われたら、何も反論できないではないか。
湧き上がる悔しさを感じたレイは、フィーリアに気付かれないように静かに歯を軋ませた。
しかし同時に、言われた言葉を反芻する。
一人でやればいい、と。確かにその通りではないか。
Sランクのフィーリアと違い、レイはDランク。貰える報酬の額も今までと比べるとかなり差が開いてしまうが、その全てを自分で使うことができる。頑張って貯金して、さらに良い装備を手に入れることだって可能になるのかもしれないのだ。
もちろん、一人でのクエストは危険が増えるだろう。それでも考慮する価値はあると思うし、少なくとも今のような不快な感情を抱くことは減るだろう。
一度、考えてみるべきかもしれない。そう思っていたレイの肩に、フィーリアの手が置かれた。
「……? なんだよ?」
「あー、いや。そういえば、アンタが役に立つ仕事もあるなって思って」
「それって──」
なんだ、と問うよりも早く、フィーリアは笑みを浮かべて言葉を継いだ。
「今から服買いに行くから──荷物持ち、よろしくね?」
「────」
言って、軽やかに歩いていくフィーリア。
その後ろ姿を睨むレイの心に、じわりと黒い感情が滲んでいた。