8話 君を守る、その為に。
宣言した直後、フィーリアは身体を低く沈ませる。その行動に何の意味があるのか、周りの者たちは理解できなかった。
敵は空中にいる。剣を武器にするフィーリアでは相性が悪い、魔術師や弓矢使いの援護が必要ではないのかと誰もが思ったが……ただ一人、ウィルだけがその真意に気が付いた。
「おい……フィーリア、まさか、おま──!」
「ふっ!」
続く言葉すら意に関せず、フィーリアは全力で地面を蹴る。
結果──彼女の身体は遥か上空にいるエンシェントドラゴンの目の前にまで接近していた。
その跳躍力はすでに人間のそれを越えている。尋常ではない速度と勢いで竜へと肉薄したのだった。
「ウッソだろ……」
「どっちが化けモンだよ……」
「すごい……」
地に残された冒険者たちが驚愕の声を上げている。
しかしそんな称賛に意識を向けるフィーリアではない。彼女の意識は、敵意は、殺意は──すべて眼前の古代竜へと注がれているのだ。
「宣言通り……叩ッ斬る!」
身体が重力に従い、地上へと落ちるその前に攻撃を。
ふっ、と短く息を漏らしたフィーリアは怒りに燃える心剣アルマを振る。
夜闇を切り裂く閃光のような軌跡を残す、視認不可の神速の斬撃。一秒以下の時間で十数の剣を受けたエンシェントドラゴンが痛みに吠えた。
『オオオオオオオォォォ!!』
「うる、さいッ──!」
至近距離で発せられる、鼓膜すら破壊する竜の咆哮。
だがフィーリアは止まらない。激震する空気が見えざる刃となって身体を傷を受けようと、止まることはない。
遺跡の崩落を受け、元より満身創痍なのだ。今さらこの程度のダメージで止まってられるか──!
「やああああ──!」
咆哮を放ったことで、僅かだが竜に隙が生まれた。
このチャンスを逃すはずもない。フィーリアは両手でしっかりと剣を握り、振り上げた。
握る手に込められた力の源は、ただ怒りのみ。
この憎いトカゲを殺してやらねば消えることはないと思わせる、赫怒の炎だ。
赤い輝きを増す心剣アルマ。そしてフィーリアは、そのがら空きの首元を狙って剣を振り下ろした。込めた怒りを叩きつけるために。
さあ、さあ、さあ──死ねッ!
「はあああァァァ──!!」
『ギャアアアオオオオオオッ!!』
叩きこんだ大上段の一振り。轟く悲鳴。
強烈な一撃は、確かにエンシェントドラゴンの頑強な皮膚を斬り裂き、その下の肉を断ち切った。
裂け目から夥しい程の血を撒き散らし、その巨体がぐらりと揺らいだ。
致命傷だ。これであの怪物も終わりだろう。
ふぅと安堵の息を吐いたフィーリア。次いで、どっと身体に疲労が押し寄せる。
安心したからだろう、張っていた緊張の糸が切れた気がしたフィーリアの意識が、ほんの僅かに揺れて。
『──ォォォォオオオオオオオオオオッッッ!!』
「っ……!?」
だからだろう。再び翼を動かして飛翔するエンシェントドラゴンの動きに対処できなかったのは。
エンシェントドラゴンは空中でありながら凄まじい挙動で旋回。一気にフィーリアへと接近し、その直前で口を開いた。
「なッ──つぅあ……!」
そしてすれ違い様に、フィーリアの身体を食らっていく。
いや、その寸前にフィーリアは剣を間に割り込ませ、何とか身体を噛み砕かれる事態を回避していた。
それでも現状は竜の口に捕らわれた状態で、加えて尋常ではない程の力で噛まれているため脱出は困難だ。
ただでさえ満身創痍の身体では難しいというのに、これでは実質不可能とも言えよう。
「フィーリア! くそ! クラリス、魔術であの竜を攻撃して──!」
「駄目です! フィーリアさんに当たったら……!」
「ッ……!」
ウィルが援護の提案をして、それをクラリスが制した。強く反論できないのは、それが正しいとウィル自身も分かっているからだ。
高速で飛翔するエンシェントドラゴン目掛けて魔術を打てば、最悪無防備なフィーリアに当たる可能性がある。それは弓矢でも同じで、だからこそ誰もどうしようもなかった。
ここまできて、万事休すか……諦めの空気が場に漂い始めた時、その空気を裂く一人の男の声が響いた。
「……まだだ。まだ終わっていない」
誰もが弾かれるように動き、その人物を見た。
それは、その男は──当然のように、彼だった。
◇◇◇
遠い昔、約束をした。
大切な人と、大切な約束を。
けれど、時間の流れと共にそれを忘れていって。
気付くと俺は、約束一つすら守れない男に成り果てていた。
『まず一つ。ぼくは絶対強くなる!』
小さい時、まだ子供だった頃の無邪気な約束。
守れるかどうかなんてどうでもいい、口からでまかせみたいなもの。
『次に、ぼくは絶対、いつかフィーリアちゃんを守る!』
好きになってもらいたいと、幼心に見栄を張った。それを果たせるかどうかなんて考えもしないで。
事ここに至り、ようやく思い出しても馬鹿馬鹿しい。笑ってしまいそうなものだ。
『そして……いつか……』
『うん……』
けれど、それでも彼女は信じてくれた。待っていてくれた。
俺が約束を果たす時を。待っていてくれたんだ。
なのに、俺はその約束を守れなくて……あろうことか忘れてしまっていた。
あぁ……今だから分かる。彼女があんなにも厳しい性格になったのは、きっと全部俺のせいなんだって。
大事な大事な約束を果たせず、忘れてしまったくせにぼんやりとしていた俺に腹を立てていたのだろう。
なのに俺は、そんな彼女の思いに気付くことはなく、自分本意で彼女と袂を別ってしまった。
なんて愚かな男だろう。死んでしまえ、こんなバカ野郎。
嘘偽りなく本心から、俺は俺自身に対してそう思っているのに──
『……休んでて、レイ。私が今からアイツを倒してくるから』
彼女はこんな俺を心配して、優しい言葉をかけてくれた。
何も心配するなと。私に任せて、と。
それを聞いてしまったら、もう寝ている場合ではないと思った。
約束を忘れて呆けた男に、それでも優しくしてくれる彼女。
なぁ、俺よ……レイよ。こんなところで寝てて恥ずかしくはないのか?
あんなにも俺を待ってくれていた彼女を一人で戦わせて、情けなくはないのか?
違うよな──ああ、違うとも。そんな馬鹿野郎は死んでしまえばいい。
俺は行く。立ち上がれ、戦う為に。
そして──フィーリア。
俺はまた、君に会いたい。
会って今までのこと全てを謝って……そして今度こそ俺は、君との約束を果たすよ。
今度こそ俺は、君は守る──
◇◇◇
「ぅ……ん──」
「あ……よかった、レイさん! 大丈夫ですか?」
ゆっくりと目を開けたレイ。目の前には、こちらを覗き込むように見るクラリスの姿があったことから、どうやら自分が仰向けに倒れているらしいことが分かった。
「クラ、リス……あぁ、だいじょう──ッう」
「ああ、まだ動かないでっ。命に別状はありませんが、あなたのダメージも相当なものなんですから」
「俺は……ああ、そうか。あのドラゴンに……」
直前までの記憶を思い出す。
そう、確かに自分はあのエンシェントドラゴンのブレスを受けた。幸いにも死ぬことはなかったが、それでもかなりのダメージを受けたようだ。
鎧も完全に砕けている。肌もあちこち火傷をしていて、少し動いただけで全身に痛みが走る。
それでも、動かないわけにはいかないとレイはゆっくりと立ち上がった。
「行かなきゃ……俺は」
「駄目です、レイさん! 安静にしていてください!」
「それでもだよ。俺は約束を……」
「馬鹿野郎! なにやってんだお前は! ちゃんと寝てろ!」
「ウィル……」
なおも動こうとするレイに近付き、厳しく叱咤するウィル。その表情は明らかに怒っているが、それでもそこに優しさがあるのをレイは察した。
無理をする友人を厳しく、正しく制止する。そんな友に感謝し、誇らしいと思うと同時に、しかし進む足を止めるつもりはない。
ぐっ、と強く手を握りしめ、レイは口を開いた。
「俺は知ってるんだよ、ウィル。いまアイツが……フィーリアが戦ってるんだろ?」
「……ああ」
「だったら、手伝わないと。俺は、アイツの幼馴染みで──パーティーなんだから」
「……でも! お前は──!」
その時、周囲のどよめく声が聞こえた。
ウィルもレイも、空を見上げる。そこには依然としてエンシェントドラゴンの姿があり、対峙するフィーリアの姿は……
「ッ──フィーリアァァ!」
叫ぶレイの視線の先には、エンシェントドラゴンの大口に挟まれたフィーリア。噛み砕かれる寸前に剣を割り込ませたようで、致命傷には至ってないようだ。
だが、すでにフィーリアの身体は傷だらけ。いつまで耐えられるか分からない。
加えてエンシェントドラゴンには、あの必殺の『古代竜の吐息』がある。もしあの状態のまま食らえば、間違いなくフィーリアは消し飛ばされるだろう。
「フィーリア! くそ! クラリス、魔術であの竜を攻撃して──!」
「駄目です! フィーリアさんに当たったら……!」
「ッ……!」
狼狽するウィルとクラリス。彼らの意見は当然のものだろう。
考えなしで魔術を放ったところでフィーリアに当たれば意味はないし、そもそもエンシェントドラゴンの飛行速度は速いのだ。まず当たるかどうかの問題でもあるだろう。無論、それは弓矢でも同じこと。
だから、ここにきて彼らは己らの無力を呪わざるを得なくなった。
残された手段と言えば、飛行魔術を使っての追跡くらいだ。
しかし誰が行く? あの高度まで飛翔して、エンシェントドラゴンと戦ってフィーリアを救って戻ってくる。そんな危険な役割は誰が──
「……まだだ。まだ終わっていない」
そんな諦めの空気が満ち始めた頃、一人の男が声を上げた。
誰もがそちらを見る。そこにいたのは、当然とも言える者だった。
「レイ……」
ウィルの視線の先に立つのは、レイ。
ボロボロで火傷まみれ、立っているのもやっとな様子で、それでもまだ終わっていないとこの男は言う。
「クラリス、飛行魔術を俺にかけることはできるか?」
「それは、できますけど……まさか」
「ウィル。俺に剣を貸してくれ」
「おい……レイ、お前っ!?」
「あぁ──俺が空を飛ぶ。フィーリアを助けるために」
ウィルとクラリスだけではない、周囲の者達もその発言に目を見開いた。
当たり前だろう。Sランクの冒険者であるフィーリアでさえあの状態なのに、たかだかDランクの男が何をするというのか。
彼らの言いたいこと、それはレイにも理解できている。
だが、そんなことで止まる利口な頭でもないし、そもそもそんな難しいことは考えていない。
レイは、ただ──
「俺は、今度こそ約束を果たすんだ。いつかアイツと交わした約束を……!」
強くなって、君を守る。それがいつか交わした大切な約束。
何も考えていなかった子供の約束。いつの間にか忘れてしまった愚かな自分。
待っていてくれたのに、大切な約束を忘れられて、裏切られたと思って絶望して、その反動であんなに強い当たりになってしまった彼女。
でも、きっと今も待っている。愚かな男が来てくれると信じている。
そんな気がするんだ。だから行かなきゃならない。
全部、自分のせいだから。もし許してくれるのなら、今度こそ君に報いたい。今度こそ約束を守りたいと思ったから。
「レイ……」
「……分かりました。では、あなたに魔術をかけます」
ウィルもクラリスも、レイとフィーリアの間に何があったのか知る術はない。
しかしそれでもレイの並々ならぬ覚悟を感じ、柔らかく微笑んだ。
「頑張ってきてくださいね、レイさん」
「……ったく。受け取れ、俺の剣だ」
「ウィル……」
「そこまで言うんなら、フィーリアと二人で戻ってこい。絶対だぞ!」
「二人とも……あぁ、ありがとう」
ウィルから剣を渡されたレイに、クラリスの杖が振るわれた。
杖の先端から光の粒が放出され、それはレイの身体の周りをふわりと舞う。
その直後、レイの身体が僅かに大地から離れた。
「では、準備はよろしいですね? レイさん」
「あぁ……クラリス、頼む」
「はい。では──やぁっ!」
クラリスがもう一度、今度は大きく杖を振るう。それと同時にレイは一気に上空へと飛んで行った。
身体にかかる重力と風圧を受けながら、それでも勢いを削がれることはなくエンシェントドラゴンへと近づいていく。
「え、すごい……何で?」
地上からその様子を眺めるクラリスは、不思議そうにレイを見る。
本来、自分一人の飛行魔術ではあれほどの速度と勢いは出せないはずだ。だというのに今のレイは、もうエンシェントドラゴンの近くまで行っている。
それは何故かと思い、ふと周りを見ると……。
「行ってこーい!」
「男ォ見せろやぁ!」
「やったれえええ!」
「……皆さんっ!」
魔術を使える他の冒険者たちが、その魔力をレイに注ぎ込んでいたのだ。
いける。これならきっと、あの竜のいる場所まで届く。
「いっけえええ! レイいいい!」
「頑張ってくださぁぁいッ!」
「ううぅぅッおおおおオオオ──!」
ウィルやクラリス、他の冒険者たちの声援を受けながら飛翔するレイが、ついにエンシェントドラゴンの肉体を越え上空で身を翻し、その背中にしがみ付いた。
「さぁ……覚悟しやがれ、トカゲ野郎。フィーリアを──俺の大切な人を、返してもらうぞッ!」
そして、先ほどフィーリアが斬り裂いた大きな裂け目。竜の肩口にまで達するそこに、レイは剣を突き刺したのだった。




