7話 古代竜、侵攻②
暗くなりだした草原を駆けるレイとウィル、そしてクラリス。
彼らは報告にあった遺跡へと向かっていた。そこにフィーリアがいるかもしれない。ならば助けに行かなくては。
遺跡はオルデーティアから西にある。一秒でも早くそこにたどり着かなくては──そう思っていた時、ウィルの声が響いた。
「おい、あそこ──!」
「ッ……!」
上空を差したウィルの指の先、漆黒の竜が翼をはためかせながら飛翔していた。
あれが件のエンシェントドラゴンに相違ないだろう。そしてあの竜の進む先に、一つの村があった。
「やばい! アイツ、あの村を狙って……!?」
「止めましょう! 早く!」
ウィルとクラリスが我先にと走る速度を上げた。あんな怪物が村を襲ったら、瞬く間に村は消し炭になるだろう。
ならば止めるという選択肢に否はない。だが今は……
「ち、くしょう……」
フィーリアが遺跡にいるかもしれない。助けにいかないと。そうは思うも、あの村を放っておくわけにもいかず、レイは戸惑いから足を止めた。
どうする、と苦悩するが、それも僅かな間。すぐに前を向き直し、レイも駆け出した。
「くそ! さっさとテメェをぶっ倒してフィーリアを助けにいってやる!」
フィーリアが心配だが、あの村も放置できない。ではどうする──決まってる。
邪魔なあの竜から倒せばいい。それだけだ。
だが、吠えるのは簡単だが実際できるかというと、どうか。いや、答えは一つしかない。
「く、こいつ……」
「なんて、圧……!」
無理だ──そう考えるのが自然な程に、エンシェントドラゴンの威容は凄まじすぎた。これを倒すのも、ましてや封印するなんてどうすればできるのか、見当もつかない。
だが、何とかしなければいけない。震えているだけではいけないのだ。
戦うしかない。そのためにはまず、空にいる奴を地上まで落とさなければ。
「クラリス、魔術を!」
「分かってます! 火炎球!」
ウィルの呼びかけに答えたクラリスが、炎の魔術を行使する。
生み出された火球はまっすぐエンシェントドラゴンへと向かっていき、その身体に着弾する。だが……
「効いてない……」
「クソ!」
「分かってはいたが、さすがに固いな──ッ」
悪態をつくレイの視線の先、竜がこちらへと目を向けた。
ギラリと輝く黄金の瞳。その視線だけで殺されそうになる悪寒を払いのけ、レイは叫ぶ。
「みんな、避けろ!」
声と同時に三人がバラバラの方向へ飛び退く。
次の瞬間、エンシェントドラゴンが凄まじい勢いで空中から地上へと舞い降りた。
ズン、と地響きを立ててその巨体をレイたちの前に現す。
遠くからでも十分な程の威容を見せていたが、目の前に来ることでその存在感は何倍にも膨れ上がる。
「動け皆! 同じところにいたら駄目だ!」
「ああ!」
「はい!」
だとしても、動かずにいればそれだけで良い的になる。
レイはウィルとクラリスに声をかけ、三人は一斉に地を駆ける。
これで翻弄になるか。そう考えたレイの予想を裏切るように、エンシェントドラゴンが次の一手を放つ。
『オオオオオオオォォォ──!!』
ぐるりと身体を大きく回転することで、その尾が鞭のようにしなった。
だがそれは、ただの鞭ではない。驚異的な頑強さを持つ竜の尾だ。あの勢いのまま振るわれたら、それだけでかなりの威力になるだろう。
「躱せええ!」
「クッソ!」
「うあぁっ!」
転がるように距離を開け、何とか尻尾の一撃を回避した。
では反撃に、と思った時にはもう遅い。エンシェントドラゴンは翼を広げ、またしても空に舞い上がった。
「クソ、また空に……!」
「どうするよ、レイ? このままじゃ俺ら、いいように遊ばれるだけだぜ!」
「分かってる、けど……」
レイとウィルの武器は剣、唯一空中への攻撃が可能なのは魔術師であるクラリスだけだ。そのクラリスの魔術も、あまりダメージを与えられていない。
対してエンシェントドラゴンは、その身体を振り回すだけでこちらに絶大なダメージを与えることができる規格外の怪物だ。
ウィルの言う通り、奴の攻撃を躱し続けてもいつかは体力が奪われ、その時こそが終わりだろう。
このままではジリ貧だ。どうにか対策を考えなくては……と、その時。
「いけえええッ!」
「ぶちかませえぇー!」
「な──」
どこからともなく大声が響き、次いで何かが竜へと飛来した。
それは火球であったり、風の刃であったり、光の球であったり、無数の矢であった。それらは全てがエンシェントドラゴンに直撃し、しかしどれも有効打になることなく終わった。
「ちっ、やっぱ駄目かよ」
「アンタたちは……」
いつの間にか近くまで来ていた男に声をかけたレイ。聞かれた男はニヤリと笑い、答えた。
「冒険者さ。EランクからSランクまでここに来てる。無論お前さんたちの援護じゃねぇ、どいつもこいつも自分らの手柄目当てだ。でも、それでいいだろう?」
「…………」
周囲を見れば、オルデーティアの冒険者ギルドでよく見かける者たち……すなわち数多くの冒険者たちがこの場所に集っていた。
そしてレイは思い出す。あのギルドの受付嬢が、冒険者たちに討伐の要請を出していたことを。
つまり彼らは、その要請を受けてここに来た。もちろん何らかの報酬を期待してからだろうが、それでも戦力が増えることは好ましかった。
「分かった。助かるよ、ありがとう」
「けっ。礼なんてやめろや。俺らは冒険者だ、相手が何であれ、その報酬がデケェほどやる気を出す生き物なのよ」
彼の言葉に、他の冒険者たちも笑みを浮かべて頷いた。
どれだけの冒険者がここに来ているのか、もはや数えられない。
だが──これなら、いけるかもしれない。心に浮かんだ期待を抑えつつ、レイは上空のエンシェントドラゴンを睨んだ。
「じゃあ……行くぞオォ! 反撃だァ!」
「おおおおおおおっ!!」
それを合図に、冒険者たちが動き出す。
古代竜の討伐が、本格的に開始されたのだった。
◇◇◇
「っ──見つ、けた」
痛む身体を動かし、遺跡を抜け出したフィーリアはついにエンシェントドラゴンの姿を捉えた。
翼を動かし、空と地上とを行き来する漆黒の竜。その周りを飛び交う魔術の光や弓矢が見えることから、誰かがあの怪物と戦闘を行っているのだろう。
では誰が、と思いもう少し近づいたフィーリア。そしてある程度まで接近した彼女の目に、信じられない光景が映った。
「嘘……冒険者のみんな?」
そこにいたのは、オルデーティアの冒険者ギルドで見たことのある者達ばかりだった。
低ランクの者もいれば高ランク……Sランクの者もいる。皆、あの竜を討伐するためにこの地に馳せ参じたのだろう。
そして、そこには──
「レイ──」
幼馴染みの青年、レイの姿もあった。
道を別ってから数日だというのに、何年も会っていなかったかのような感覚。心の奥底から湧き上がる感情に気付き、しかしフィーリアは険しい表情を浮かべた。
「いけないっ……このままだと、全滅する……!」
遠く離れた場所からでも分かるが、エンシェントドラゴンと冒険者たちの戦闘能力の差は歴然だった。数で勝るのは冒険者だが、あれほどの数を揃えてもなお敵に痛打を与えるには足りていない。
加えて竜は空を飛翔する。剣や槍、斧などの接近戦用の武器ばかりを装備する彼らでは相性が悪いと言わざるを得ない。
いや、見れば中には魔術によって飛行し、空中戦を繰り広げる者もいるようだが、それでもダメージは与えられていない。
つまり、圧倒的な威力を持つ『個』の戦力が足りていないのだ。だから……
「だから、私が……!」
フィーリアは手に力を込めて、心剣アルマを掲げた。愛用の長剣は遺跡の崩落に巻き込まれ、現状これが彼女の唯一の武器である。
上手く扱えるのかは分からない。それでも無いよりはマシだろう。そう考え走り出そうとしたフィーリアの先で、エンシェントドラゴンが大口を開いた。
「あれは──マズイッ!」
吐き出される古代竜の吐息。薄暗い黄昏の戦場を、昼間のように眩しく照らす業火。
蜘蛛の子を散らすように逃げる冒険者たち。幸い死者は出ていないようだったが、それよりもフィーリアの恐れていたことが起こった。
「ッ──レイィッ!」
炎によって吹き飛ばされるレイ。安価な彼の鎧は消し飛び、彼自身もまた離れた場所に落ちた。
その光景を見た瞬間、フィーリアの感情が嵐のように吹き荒れた。
「よくも……よくもレイをっ!!」
吠えると同時、心剣アルマに嵌め込まれた宝玉が輝きを放つ。
そして紅い血のような、赤い炎のような輝きが刀身を包み込み、その光が収まった時、心剣アルマはその形を変えていた。
刺々しく歪な刀身は、まるで燃え盛る炎のようだ。
何故このような変化が起きるのか……フィーリアはそれを瞬時に理解した。いや。この剣から流れ込んできた情報を得たからだ。
心剣アルマとは、使用者の感情に反応して性能を上げる武器。
ならばこの場合、フィーリアの怒り、殺意によってそれに相応しい姿に変わったということだ。
「丁度いいわ……これで、奴を!」
剣を握る手に力を込めて、フィーリアは一気に大地を蹴る。痛む身体すら無視し、燃える流星のように猛スピードで距離を詰め、そして──
「はああぁぁッ!」
『グオオオオォォ──!!』
その勢いのまま、心剣アルマをエンシェントドラゴンの腹部に突き立てた。
空間が軋むような悲鳴を上げる古代竜。その隙を逃さぬように、フィーリアは剣を振るった。
だがエンシェントドラゴンもまた早い。すぐに体勢を立て直し、翼を動かして空中へと飛翔した。
「ちっ……チャンスだったのに」
「お、おい、フィーリアか?」
舌を打つフィーリアの近くに寄ってきたウィル。フィーリアは彼の姿を見て口を開いた。
「もしかして……ウィル? 久しぶりね」
「やっぱりフィーリアか! 久しぶり、っていうか無事だったんだ──」
「悪いけど、後にしてくれる。それと、レイは?」
「あ、あぁ……レイならそこに」
ウィルが指差した方向を見ると、仰向けに寝かされたレイの姿がそこにあった。
鎧は砕け剣も折れて、意識も失っているようだが命に別状はないらしい。数人の冒険者が回復を続けているが、いつになったら目を覚ますのか。
フィーリアはおもむろにレイの傍に行き、膝をつく。そして眠るレイの頬に手を添えた。
「……休んでて、レイ。私が今からアイツを倒してくるから」
たったそれだけ。今はそれでいい。言いたいことは全部、奴を倒してからでいい。
意を決し、フィーリアは立ち上がる。そして剣の切っ先をエンシェントドラゴンに向けて、
「覚悟しなさい。今からアンタを叩ッ斬るから」
強く、そう宣言した。




