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乾いた落ち葉がカサカサと音を立て、エリックの足取りを追う。空は高く澄み渡り、麓の村から見上げる山は、燃えるような赤や黄色に染め上げられていた。秋の日は短く、のんびりしている暇はない。エリックは帆布の袋を揺らしながら、ヘムロック爺さんが住む山の麓を目指していた。
ヘムロック爺さんは、村人たちから少し変わった老人として知られている。山の麓に一人で暮らし、薬草を育て、そして何よりも素晴らしい蜂蜜を作ることで有名だった。彼の作る蜂蜜は、ただ甘いだけではない。一口舐めれば、体の芯から活力が湧き上がってくるような不思議な力があった。ある者は、爺さんが蜂蜜に魔法をかけているのだと噂した。
やがて、エリックの目の前に古びた丸太小屋が現れた。小屋の周りには、様々な薬草が植えられた畑が広がっている。戸口に立つと、中から燻されたような独特の匂いが漂ってきた。
「ごめんください、ヘムロックさん。エリックです。」
声をかけると、しばらくしてゆっくりと扉が開き、腰の曲がった老人が顔を覗かせた。白く長い髭を蓄え、皺の深い顔には、歳月と知恵が刻まれているように見えた。彼がヘムロックだった。
「おお、エリックか。よく来たな。さあ、入れ。」
低い声で促され、エリックは小屋の中に足を踏み入れた。室内は薄暗く、壁には乾燥させた薬草の束がいくつも吊るされている。部屋の中央にある暖炉では、パチパチと音を立てて火が燃えていた。
「母さんに言われて蜂蜜をいただきに来ました。体の方はもう大丈夫ですか?」
エリックが言うと、ヘムロックはにこりと笑い、棚から一つの壺を取り出した。素焼きの壺には、蜜蝋でしっかりと封がされている。
「エレナさんのおかげで体はもう何ともないぞ、あの時は腕も半分千切れかけてたし、もうダメかと思ってたんだがな〜、まさか熊を追い払ってくれるどころか魔法で怪我も治してもらえるとは思わなかったのぅ。たまたまここの薬草を取りに来とったらしいんじゃが、おかげで命拾いしたわい。」
ヘムロックは神妙な顔で、壺をこちらに持って来ながら言葉を続ける。
「ワシは詳しい事はわからんのだが、神官以外の人間が魔法で治療しとるところを見た事がない、教会にバレたら問題になったりせんのかの?それともお前の母さんは元神官だったりするんかの?」
「神官だったっていう話は聞いたことがないな、そもそも神官から薬師になる人っているの?」
「まぁ普通はおらんだろうな、魔法も使える神官となると希少じゃしお布施も凄いからの、薬師の稼ぎよりよっぽど良いじゃろ」
「俺も子供の頃、崖から落ちて大けがした時に魔法で治療してもらった事が一度だけあるけど、滅多に魔法は使わないですよ。俺以外だとヘムロックさんが初めてじゃないかな?」
「そうか、やっぱり勝手に魔法を使うと教会関係者が五月蝿いのかもしれんなぁ、ワシはエレナさんには迷惑かけたくないんじゃ、いつもよくしてくれとるからの。こんな偏屈な爺ィを構ってくれるのは、お主ら親子だけじゃし。ワシにできる事があれば何でも言ってくれて構わんからの。それとこの蜂蜜だが今年の出来は格別だぞ。夏に咲いたラベンダーの花の蜜がようけ入っとる。風邪の引き始めにひとさじ舐めれば、どんな魔法薬よりも効くじゃろう。命の恩人じゃからの、エレナさんにはよくお礼を言っといてくれ。」
ヘムロックはそう言うと、壺をエリックに手渡した。ずしりと重い壺からは、花の香りと甘い蜜の匂いが混じり合った、えもいわれぬ芳香が漂ってくる。
「ありがとう。帰ったら母さんに爺さんの言葉を伝えとくよ。」
エリックは深く頭を下げ、壺を大切に帆布の袋にしまった。帰り道、日に照らされた紅葉が、まるで燃え盛る炎のように見えた。そして、ヘムロックの蜂蜜の温かさが、袋を通して背中に伝わってくるようだった。それは、ただの蜂蜜ではない。山の恵みと、老人の優しい魔法が込められた、特別な贈り物なのだ。
エリックは村へと帰る道で冷たい秋風が吹いていたが、心は不思議と温かかった。