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かってに源氏物語 第十二巻 須磨編 


愛読ありがとうございます 

かってに源氏物語 

       第十二巻 須磨編

   原作者 紫式部

            古語・現代語同時訳    上鑪幸雄


      四十二・四十三(須磨の編最終回)


 弥生の月立ちに居出来る上旬の巳の日、

「今日になむ。かく世の中を不満に思す事ある人は、古来中国の祭礼に従い、海でみそぎ仕賜うべき」

 と、なま賢しき人の忠言聞こゆれば、源氏大将の君、海づらもゆかしうて何となく気に掛かりければ、礒に居出賜う。いとおろそかに一枚のぜじょう布幕ばかりを引きめぐらして、祭礼の場とし、

「陰陽師召して御祓い施させ賜え」と、命じ賜う。

 祈祷の準備しめやかに整えて、小さき舟に人型の人形を載せて流し雛を見賜うにも、舟は強い風にあおられて沖へ向かうわず、他所へ追いられて、遂には岸に打ち上げられる始末。


 知らざりし 大海の原に 流れ来て ひと方にやは 物は悲しき

 知らざりし 大海原に  流れ来て 人型雛は   物も悲しき


 とて言って、うなだれ居賜える御若様、さる晴れ幕の外に居出来て、何も言う由なく呆然と、現実の厳しさを悟ったように見え賜う。

「海の表裏と泣き渡りてさまよい、行方も知らぬに、流し雛は来し方、行く先を思し続けられて、さぞや恐ろしい思いをした事であろう」


 やおよろず 神も哀れと 思うらむ 犯せる罪の それとなければ

 八百万の   神も哀れと 思うらむ 犯せる罪の 悪さなければ


「天の神よ許し給え。私は都の人を救えずただのんびりと、須磨の地で過ごしております。都の祭り事さえ見守る事ができません」

 と、のたまい賜うに、にわかに風が吹き居出て、空も暗く掻き暮れれば嵐が吹き荒れぬる。

「御祓いも完全に仕果てず、皆が立ち騒ぎたりして混乱しております。ここはまず危険でございますので、とりあえず祈祷を中止して館へ引き上げましょう。落雷の危険がございます」

 と、良清朝臣が言う。

「非時傘雨とか言うにわか雨でございます。急ぎましょう」

 小君は源氏大将の袖をつかみ、急ぐように促します。雨は激しく降り来て、いとあわたたしければ、みな館へ帰り給はむとするに、笠も取り合えず間に合わず。

 激しい雨にさるべき心の準備も無きに、雨は増々よろず一面に吹き散らし、また無き大風なり。波、いと厳めしう泡立ち来て、人々の足をすくい、引き反らすなり。

「下人が一人波にさらわれたぞ、助けてやれぬものか」

「他人の事など構っておられぬ。我が身を守る事で精いっぱいじゃ。せめて光源氏様だけでも御守りせねば」

 雨風は増々激しくなり、海の面はふすまを張りたらむ金箔のように光り満ちて、雷が鳴りひらめく。今にも頭上に落ち掛かる心地して、辛うじて館にたどり着きて、

「掛かるこのような破目に合うとは、今まで見ずもあるかな」

「風などは、吹くもそれらしき雲の景色付きてこそあれ。晴れ間に突然嵐が来るとは驚きじゃ。浅ましうも珍しかなり」

 と随身が戸惑うに、なお雷は止まず鳴り満ちて、雨の足、当たる所、板壁を通り貫ぬくべく打ち付けて、時々払めき落つ。

「かくして世は我々を見捨て果てぬ。運命も底を突きるにや」

 と、誰もが心細く思い惑うに、源氏大将の君はのどやかに御守り本尊を懐から出し、経を打ちずじて静かに念仏をとなえおわす。人々はただ外の嵐を見詰めながら、おとなしく待つしかありませんでした。

 夕暮れに館も暮れれば、雷少し鳴りやみて、強き風ぞ時々夜も吹く。

「やっと収まって来たぞ。光源氏様が多く立てつる願力の力なるべし。やっと願いを聞き入れてくださったぞ」

「今しばし、かくも強く吹き増す事あらば、われわれは皆波に引かれて、海の沖へ入りぬべかりけり。命拾いしたぞ」

「高潮と言う大波の物になむ。大地震の後や、秋の野分と共に襲われるとは聞いたが、初夏にこのような暴風雨が吹き荒れたとは聞いた事がないぞ。取り合えず簡単に言えば、海辺に住む者はいつ何時大波に襲われる事があるそうだ」

「海辺では突然の大波に襲われて『人損なわるる』とは聞けど、まさか我々がこうして襲われるとは思わなかった。

『大地震の後の大津波や、秋の巨大な野分の高潮は忘れた頃にやって来る』と聞くが、いとこれに関わる事はまだ知らず。地元の民が高台で暮らすのは高潮を恐れてのことであろう。われわれもこの館を引き払って高台へ移動せねばならぬ」

 と、光源氏様を取り巻く側近は言い合えり。

 暁方になると人々も疲れて、皆打ち休みたり。源氏の君もいささか疲れ果てて寝入り賜えれば、その人の有様とも見えぬ人来て、

『などか、どうしても光源氏宮を召し上げあるお迎えには参り賜わぬ。こんな田舎で何をしておるのだ。さっさっと計略を練って、都に戻る準備をせぬか。何をもたもたしておる』

 とて言って、枕元をたどり歩くとも見えぬ白ひげの老人が語り掛けるに、光源氏様は驚きて、

『さは海の中の竜王神の御使いか。いと痛う物目出する神々しい御使いの者にて、心をときめかし見入れたるになりけり』

 と思すに、

「いと難しう、この住まい耐えがたく思しなりぬ。こんな田舎で命を落とすとは生涯の恥だ。何としてでも暮らしを立て直し都へ戻らねばならぬ。明石入道の力を是非とも借りたいものだ」

 と決意する。


                       須磨の巻終わり






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かってに源氏物語 

       第十二巻 須磨編 (一~四十三最終回)

   原作者 紫式部

            古語・現代語同時訳    上鑪幸雄


       一

 光源氏様が二十六の春になった時でございます。

 世の中いと煩わしく、右大臣のはしたなき事のみ勝れば、せめて知らず顔の服重心にあり経ても、朧月夜との情事現場を見られてしまっては、

「もはやこれまで。官位剝奪の処分や流刑、打ち首の判決が下されるかもわからない」

 と光源氏様は観念して、

「都を脱出し、遠い須磨あたりに身を潜め、世の中が変わるのを待つしかあるまい。たとえどんなに言い訳しても、俺が朧月夜との愛人関係を認めた以上、罪の償いは免れぬ。

 右大臣は大事な娘を間男に寝取られた憎しみに燃えているではないか。たとえ帝の兄君が、

『あれは私の補佐役として大切な人間です。政務や祭り事において源氏大将がいなければ何もできません。あの男は私の意向を大事にして、朝廷をうまく操っております。

祭りの年中行事においても、作法に詳しい源氏大将がいないと何もできません』

 と説得しても、聞く耳を持たぬだろう。右大臣と弘徽殿皇太后は宮中のしきたりをまるでしらぬ。俺がいなくなっては、何事もうまく進まないことをまるで分らぬ。困り果てるまでじっくり待つことだ」

 と考え、

『これより勝る解決事は、もはやあるまい』と、思しになりぬ。

 かの須磨は、むかしこそ源氏大将の荘園であり、管理人の住み家などもありけれ。しかし今は、船の輸送が便利になり、人も里離れして住む人もなく、家は荒れ果てていると聞く。

「今はまるで何もない所でございます、光源氏様。砂浜の松林には海女の家だに、まれに点在するぐらいなど、寂しい所です」

と聞き賜えど、

『人の出入り激しげく、混沌とひた猛けたらむ華やかな御住まいは、いと本意になかるべし。罪人の身にては、ひっそりと暮らさなければならぬ』

 と、そうと御考えになられたと推測されます。

 さりとて都を遠ざからんも寂しくて、里の二条院はおぼつかなる放置にになるべきを、

「妻の紫の上と使用人を置き去りにして、よくも一人で逃亡出来るものだ」

などと人悪くぞ思われて、心は思し乱るる。

 よろずの事、これからの人生の行く末や、来し嵐の襲来方、行く末の不安を思い続け賜うに、悲しき事多く、いと様々な悩み多かるなり。

『人の人生も浮き物』と思い、『宿命には逆らえぬ』と捨てつる世も、

「今はいさぎよく運命に従うのみ」と、二条院を住み離れなん事を思すには、いと捨て難き事多かる中にも、紫の姫君の明け暮れに心を添えては、思い嘆き賜える事多し』

落ちぶれた有様の苦難は、心苦しう、哀れなるを、


下の帯の 道は方々 別るとも 行き巡りても 逢わむとぞ思う

下帯の  道は様々 別るとも 行き巡りても また逢えるとや

 (古今集 紀友則 物語では行き廻りても のみが使用されています)


「紫の上とは、また会い見むことを必ず成し遂げる」と思さむにてだに、

『この償いは大きくして返してやろう』と決意する。

 なお一つ日、二日のほど、よそよそしくに事情を明かし暮らす折々だに、二人の関係もしっくり行かず、おぼつかなき物に覚え、女君も心細うのみ思い賜えるを、

「幾年流刑のそのほどと、限りある道にもあらず、今度の逃亡期間はいつまで続くかわからぬ。しかし、いつか必ず帰って来るからな。それまで我慢して、この二条院と領地の管理を怠るな」

 などと言われ、紫の上は不安のみ多かり。


我が恋は 行方も知らず 果てもなし 逢うを(今)限りと 思うばかりぞ

我が道は 行方も知らず 果てもなし 逢うを(今)限りに 思うばかりぞ

   (古今集 凡河内 源氏物語では逢うを限りにが使用されています)


 源氏の君とは今日限り、隔たり行かんも悲しくて、幸せには成れぬ定めなき世に、やがて分かれるべき門出にも、

「笑顔で見送らねば、安心して旅立ちできないやも」

 と、いみじう気丈に覚え賜う。

                          つづく


      二

 紫の上は『このまま死の別れになるのではないか』と心配し、古今集佐原滋春の和歌、


 かりそめの 行き交い路とぞ 思い越し 今は限りの 門出なりけり

 かりそめの 行き別れとぞ  思い越し 今を限りの 門出と思う

                   (源氏物語にはありません)

 と悩み賜えば、

「忍びて使用人もろともに、須磨に逃亡するも良し」と思し依る手段の折々もあれど、

「しかし須磨に逃亡したとしても、知り合いは誰一人おらぬ。さる心細からん海づらの波風よりは、他に親族など立ち混じる助け人もなからんに、軽はずみな行動をしてはならぬ。

かく労たき御殿様にて引き具し、足手まとい賜えらむも、いと心付きなくやないか。我が心にもなかなかの物、良く良く考えて行動しなければならぬ」

 との思いの、妻なるべき責任など思し返すを、女君は、

『恐ろしくいみじからむ逃亡の道にも、遅れ聞こえずあなた様と運命を共に致します』

 と趣むけて、素直に行動できない自分を、恨めしげに思い至り。

 かの花散里の所にも、おわし通う事こそまれまれにて、麗景殿の女御様は心細く哀れなる御有様を、この紫の上の御蔭に隠れて、遠い存在の物仕賜えば、思し嘆きたる有様も、

「光源氏大将に於かれては、二条院の妻を慰めるだけで精一杯であろう。この四条河原の中川を超えてまでは来てくださるまい。須磨へ下るとの噂の折、それもやむを得ない事か。花散里が可哀そうじゃ」

などと、いと事割りにも、自分の身の上を嘆くこと多かり。

なおざりにしても、光源氏様が大して相手にしない女方も多ければ、ほのかにして二条院の中の様子を見奉り、足げなく通い賜いし高貴な方々も所々多く見かけ賜いて、

「光源氏様は、やがて流刑の身となるのでしょうか」

「いやいや、そんなことはあるまい。高々にして半年の自宅謹慎で収まるやも知れぬ」

「いや、打ち首との噂もありますぞ、弘徽殿太后は朱雀帝を守りたい一心ですから、光源氏様を亡き者としたいはず」

「そんな恐ろしい」

 人々の思いは様々にして、人知れぬ心を砕き賜う人ぞ多かりける。

 また尼君入道の宮よりも、光源氏様を心配して、

「源氏大将の処罰はいかに。弘徽殿の皇太后に罪を軽くして欲しいと願いたいが、下手に動いては、

『情愛を交わす相手だから、それほど熱心なのだ』と疑われ兼ねる。我が子、東宮にも害が及ぶかも分らぬ。

『物の聞こえや、またいかが』などと取りなさむ」

 と、我が身の御為にも慎ましけれど、目立たぬように忍びつつ、御励ましのとぶらい常にあり。

 昔、桐壺院が生きている頃、かのやうに逢い慰めあったり、あのように苦難の対策を語り合った物を、今に至っては、

「朝廷の審判を待つのみ。右大臣の天下にては、まな板の鯉と同じよ。哀れな姿をも見せ賜わしかば、刑が軽くなるだろうか」

 と、打ち思い出賜うに、さも様々に、

「私ども心は光源氏様の味方でございます。他にも同様に考える方はたくさんおります」

 などと聞き賜うに、

「さも様々に心のみ尽くすべかりける人の多さは、親しかった人の陰の味方、契りかな」

 と、辛く悲しみに思い賜う御心が聞こえ賜う。

 三月二十日余りのほどになむ、左大臣家の重臣が左遷させられたのを契機に、光源氏様も都を離れ賜いける。知り合いの人にも、

「今、出発します」と、しも知らせ賜わず。

 ただ、いと近う仕う奉り、馴れたる腹心限り、惟光や子君など七・八人ばかり御供にて、

「しっ、静かに。誰にも悟られてはならぬ。知られたら最後、打ち首じゃぞ」

と、いとかすかな物音を立てずに、居出立ち賜う。

 さるべき知り合いの所々に、別れの御文ばかり、打ち忍び賜いし御心配りにも、哀れと忍ばるばかり尽くし居賜い経るは、光源氏様も落ちぶれ果てて何の見所も有りぬべかりしかど、

「ああー、桐壺の御殿様。紫式部は光源氏様が可哀そうで見ておられません。何とか助けてくださいませ。私が風林院を御守り申し上げます」

 と、お願いしてみても、

光源氏様、その悲しみを知る折々、不安な行く末の心地感じられる紛れ紛れに、はかばかしうも未来を明るくする物、何も聞き於かずに成りにけり


                       つづく

       三

 二・三日、京の都に留まり、紫の上の祖父、僧都の家に身を潜めた光源氏様御一行は、夜に隠れてかねてから気になっていた左大臣家の大殿様屋敷に渡り賜えり。

質素な網代車の打ちやつれたる姿にて、

「このような女車の、女房が乗るような車にて、光源氏様が隠れしろえ、この屋敷にひっそり入り賜うも、いと哀れにて、悪い夢とのみ見るゆる。何かの間違いであってほしいと願うばかり」

 光源氏様を出迎えた人々は、一行の周りに集まり、口々にそう言いました。

「光源氏様、門が閉じられましたので、もう安心でございます。どうぞ御車から降りて下さいませ」

 童の従者が踏み台を置いたのを見て、惟光が御簾の外から言いました。

「左大臣家御方も、いと寂しげに打ち荒れたる心地して、かっての賑わいも失われてしまったようじゃ。わしが朧月夜と不始末をしたばっかりに、多くの人に迷惑をかける」

 光源氏様は踏み台から降りると、屋敷の中を見渡し、申し訳なさそうに一礼して言いました。

「婿殿、御無事で何よりででごさる。葵が暮らした部屋も懐かしい思いでござろう。見てやって下され」

 出迎えた老大臣は親しげに笑みを浮かべて言いました。葵の上が暮らした御方の調度品はそのまま残され、整然と整理された奥に仏壇が置かれております。

 夕霧若君の御乳母どもや、昔葵の上にお仕えさぶらいし女房人の中に混じり、その後の様子を聞き賜うも、御覚えのある人は少なくて、

「まかで多くの次女は役目を解かれ、四方八方へ散らぬ限り。寂しゅうなりました」

 紫の上にお仕えしていた老女は、そう言いました。

「かく光源氏様がこの屋敷に渡り賜えるをどう見る。何か月振りかのう。久しゅう覚えがないぞ」

 などと珍しがり聞こえて、

「妻に先立たれた思い出が悲しくて、なかなか来れなかったのでしょう。 大宮様は、

『時々来て仏壇に手を合わせて欲しい』と、願っているそうですけれど」

「須磨へ落ち延びる前にお顔を拝見できたことは喜びの限り」

 婿様の久々の来邸に喜ぶ人々は、光源氏様の周りに参い上り、集いて見奉るにつけても、ことに物深からぬ若き下働きの使用人の人々さえ、世の常なさ没落の思いに知らされて、涙に暮れたり。

 そうした中にも、夕霧若君は、いと美しうて元気に走り回り、自由奔放におわしたり。

「久しきほどに逢うて見れば、わしの事など忘れ覚えておらぬと見える。無邪気に親戚でも来たのかと、はしゃぐことこそ哀れなれ。よしよし、こっちに来てわしの膝に座れ」

 とて言って、我が子を膝に据え賜える御景色、忍び難く考え深げななり。

「光源氏様、御子様との対面はそれぐらいにして、母屋の寝殿へ参りましょう。左大臣もそちらに参るとの御話でございます」

 左大臣家との対面を早く終わらせたい惟光は、外の様子が気になるようで急ぐように言いました。

 大臣は北の方大、宮様を伴われ、客間のこなたに渡り賜いて、対面仕賜えり。

「光源氏様、御無事で何よりでございます。右大臣のやつ、弟の桐壺院が亡くなられた事を良い事に、勢力拡大を図っておるらしい。光源氏様、

『今にぎゃふん』と言わせてやりましょうぞ」

 大宮様は右大臣の横暴にあきれた様子で、苦笑いの笑みを浮かべて言いました。

「願ってもないことでございます」

 光源氏様が両手を床に大きく広げて挨拶しますと、

「つれづれに朝廷を去り、この大殿屋敷に籠らせ給えらむのほど、光源氏様には申し訳ないと思うておる。何とも言いはべらぬ桐壺院の昔物語も再び参り来て、

『右大臣よ、今を何と考えておる。右大臣は左大臣に服従するべき身分ではないか。大宮様の婿殿を何と心得る』

 などと聞こえさせむと、思う給えれど、我が身の病、重きにより公け事の政治向きには御奉公仕う奉らず。仕方なく位も返し奉りて隠居しはべるに、婿殿には申し訳ないと思うております」

 大臣は目もうつろなようすで、我が身の情けなさに困ったのか、ほんやりして小声でいいました。

「何も大臣様が悪いのではありません。補佐する私の力の至らなさが悪いのでございます。力がないのに、大胆にも帝の守り役に手出しするとは、私にも用心深さが足りませんでした」

「寄りによって、右大臣にみられるとは不運よのう」

「恥ずかしい限りでございます」

「私ざまに於いては腰を高く押し延べてなむ。『左大臣ともあろう方が、右大臣に立ち向かって行くべきではないか』と、物の非難聞こえ給いて、ひがみひがみしかるべきを、

『今は官位の身分を捨てて、世の中の政治、口出しをはばかるべき身分にも有りはべらねど、いち早やき世の移り変わり、いと恐ろしう思いはべるなり』

光源氏様、どうぞご用心あそばされませ。掛かる官位剥奪の御事を見賜ふるに付けても、私の命長きは心憂鬱しく思う賜えらるる、世の末にも有りはべるかな。悲しい事でございます。

天の下を逆さまになしても、今の右大臣の天下は『あってはならぬ』と思う給え因らざりし御有様を見賜えれば、よろずに世の中、いと味気なくなん。今の世の中は、何かが間違っております」

 と、左大臣の嘆く声、聞こえ賜いて、痛うしおたれ、うなだれて涙を流し賜う。


                     つづく


      四

「『帝を補佐せよ』とある事も、帝から追い出されるに係る今回の事も、前の世の報いにこそ有りはべるなれば、魔が差したとしか言いようがありません。

 言い持て行けば、これは単なる言い訳はべりにて、ただ自らの欲望を抑え込む怠りになむはべる。さしてかく未だに官職を取られず、浅はかなる遊びごとに関わりづらいてだに、

『公のかしこまり偉大なる人の、美しざまにて世の模範に有りふるべきは、咎め多き技にて、人の国、世界に共通した規範になりしはべるなる』

この報いを受けるべく遠く伊豆や佐渡、隠岐に放ち遣わすべき定めなども、素直に服従仕はべるなるは、世の常の有様に於いて、私だけが特別に異なる罪にこそ、有りはべるなれ。

朝廷の命令に従い、濁りなき心に任せて、親戚につれなく過ぐしはべるも、はばかり多く薄情だと言われ兼ねぬ。

『これよりさらに大いなる恥にさらされ、親族にまで災難が及ぶを望まぬ先に、右大臣の世を逃れて立ち去りなむ』と思給えて立ちぬる」

 などと、光源氏様が細やかに説明する声が聞こえ賜う。

「昔の元服の儀式、楠大将との華やかな舞、葵との初夜の昔の御物語。思い出すと懐かしい。桐壺院の事。帝は事のほか、そなたの行く末を心配しておった。

 そなたの美しい振る舞いが弘徽殿皇太后を不安に落とし入れたのであろう。桐壺院正妻の子が、側室の子に負けたとあっては、母親として我慢ができなかったのであろう。弘徽殿太后がもっと大らかであったならば良かったものを」

 光源氏様の不運を思し、のたまわせし御心映えの左大臣の優しなど聞こえ居出賜いて、流す涙に左大臣の御直衣の袖も顔から、え引き離ち賜わぬに、源氏の君も、

「父君様、そう悲しく泣かないで下さいませ。私はどんな事があっても生き延びて舞い戻って来ます。流刑の地で力を付け、やがて右大臣一族を苦境に追い込んでやりましょうぞ」

 など、心強く持て成し、不安など与え賜わず。

 若君の幼さは何心なく判らなくて、退屈に紛れて光源氏様の膝を離れ、左大臣や大宮様の回りを歩きて、これかれの親戚に、

「この人お父様、私のお父様」

などと馴れ聞こえ賜うを、いみじく可愛いと思したり。

「過ぎはべりし天国へ召された人を『この世に居てほしい』と、思う給え、忘るる世を泣く泣く嘆くのみ。今にして悲しび続きはべるを、この須磨退出の予感を思わせる前触れの、御事に相違なむ。

『もし正義が通りはべる世ならましかば』と、葵は如何ように思い、嘆きはべらまし。

『良くぞ命短くして、係る悪い夢を見ずなりに旅たちける』と、思う給えて慰めはべりし。夕霧は幼くもの仕賜うが、かく齢過ぎぬる年寄りの中に留まり賜いて暮らすが、一番良かろうかと存じます。

 夕霧若君が父君に『馴づさ聞こえぬ月日が長くなることや、愛情に隔たり賜わむ』と思い給ふるをなむ。よろづのあらゆる苦難の事よりも悲しうと思いはべる」

 左大臣は年に増して、身体が弱くなった自分を情けなく思い、嘆くように言いました。


                       つづく


     五

「いにしえの昔の人も、誠に犯しある誤りにても、これほど性欲に係わる事に、当たり散らざりけり。人を好きになり、愛情の極限を果たすは、奥御殿の人の生き方の本能なる。

 なおさるべき運命にて、光源氏様と朧月夜が好き合う恋仲になったのも、たびたび御顔を合わすとなれば、当然の成り行きでございましょう。

『このような男女の交わりは、人の世の、今まで帝の内部に於いても、係るたぐい、多う起こりはべりけり』

されど、言い出ずる口実の節ありてこそ、さる人間社会の存続が成り立つ事も有りはべりけれ。光源氏様、今回の事は、

『運が悪かった』とあきらめて下さいませ。

 あの時ざま、こうざまにて、男女の色恋は神の権限も及ばぬ生き物の本能でございます。これを分かっていながら右大臣のやつ、光源氏様を処罰するに思い給え、優しさに思い寄らむ方にならなくなむ」

 など、左大臣と大宮様の御物語は、長々と聞こえ賜う。

「父君、何をひそひそ悲しい事ばかり話されているのでございますか。今夜は源氏大将の門出を祝う、楽しい宴会であるべきではございましょう。何よりも葵がそれを望んでおりますよ。

葵はおとなしい性格だったが、皆が楽しくふざけあうのを喜んで見ていたではありませんか。泣き言ばかりでは、葵が悲しみます」

 三人が悲しみに涙を流しておりますと、三位の中将楠木も参り合い賜えり。大神酒など、肴も多く持たせ賜うに、

「今夜は明け方までゆつくりと飲みましょうぞ。明日の朝、わしが帰るまでは、兵部省と刑部省の者は何も動きません。

『わしが帰るまでは何も手出ししてはならん』と、言い聞かせております。こう見えてもわしは従三位の中納言、兵士を統率できる身分でございますからな。兵士は勝手に動くことはできません」

「さすがは我が子、楠も偉くなったものじゃ」

 大宮様は袖を持ち上げて、涙を流す振りをしました。

「お前が右大臣家の四の姫と間違いを起こさなければ、わしの良い味方であり続けた物を。くやしい限りじゃ」

「父上様、私は今でも父君の味方でございますぞ。何で父上の意見に逆らうことができましょうや」

「今は右大臣の天下じゃ。あの二人は、

『わしに逆らえばどうなるか分かっておろう。婿の楠木大将が引っ捕らえて牢にぶち込んでしまうぞ』と、脅しているではないか。長男のくせに右大臣に従うとは情けない奴じゃ」

「父上様、これだけは覚えて於いてくださいませ。今は朱雀帝の世の中、帝から官位をいただいている以上、私は義理の母君である弘徽殿皇太后と右大臣に逆らうことはできません。

 しかし、朱雀帝の世は長く続きますまい。気弱で病弱な帝は永く体が持ちません。やがて世継ぎの夕霧様の時代になれば、再び左大臣家にも光が差して参ります。

 父上、それまで辛抱して長生きして下さいませ。源氏大将は夕霧王子の後見人でございます。近いうちにそうした世の中になりましょうぞ」

楠木大将は何事も恐れていないようで、低くゆったりとした口調で言いました。

「果たしてそれまで体か持つかどうか」

「いいえ、父君様、私は須磨へ引き下がっても力を蓄え、早い内に都へ舞戻ってまいります。しばらくの間辛抱して下さいませ」

源氏大将は沈みがちだった顔に、再び神々しい光をにじませました。

「世も更けぬれば。今夜はゆっくり泊まり賜いて、明日の朝出発なさいませ。私どもは年寄りゆえ、もう休ませていただきます。後は楠大将と我が家の若けもん、息子や姫君、親戚を交えて御話して下さいませ」

大宮様はさすがに疲れた様子で奥へ引き上げて行きました。

十人ほどの人々、光源氏様の御前にさぶらわせ賜いて、今と昔の御物など語らせ給う。親戚の連中が増えますと、見送りの宴もにぎやかになりました。

「桐壺帝の世では、飛ぶ鳥を落とす勢いのあった源氏大将が都を追い出されるとは、世も変わる物よのう。感慨深き物がある」

人よりはこよなう昔を忍び、源氏大将の行く末を思す中納言の君、


 いへばえに 言わねば胸に 騒がれて 心ひとつに 嘆くころかな

 言いたくも 言わねば胸に 騒がれて 心ひとつに 送るころかな

     (伊勢物語より 源氏物語ではいへばえにのみ使用され庵ます)


 と、悲しう思える有様を、人知れず心に秘めて哀れと思す。


                       つづく


     六

 世も更けて人々皆寝静まりぬるに、源氏大将と楠木中将の君、取り分けきて今後の方針を語らい賜う。

「ともかくもだ、源氏の大将が生き延びて再び都に舞い戻って来ない事には何も始まらぬ。それまではわしに任せておけ。右大臣をうまくおだてて、油断させてやる」

「あい、分かった。それまで夕霧皇子と藤壺の尼君、二条院の事もよろしく頼む」

 二人の結論は、源氏大将がいさぎ良く引き下がり、弘徽殿皇太后と右大臣を安心させるのが一番の解決策であると結論付けました。

夜も更けて、酔うほどに策略を考え抜いた二人は、

「これより今夜は二人とも泊まり賜える。明日の朝出発じゃ。夜具を持って参れ」

 と言う楠木中将の指示に従い。ゆっくりと安心して休まれる事になったと推測なるべし。

 やがて遅い月居出て明けぬれば、源氏大将と楠木中将は高欄干に夜深く居出賜うに、東山の空白みて樹木浮かび上がり、西には有明の月煌々しく輝きて、半欠けの月、いとおかし。

大臣が好まれる花の木ども盛りを過ぎて、残る花もわずかなる。花吹雪の木陰のいと白き庭に、薄く霧が吹き渡る。風は暖かく心地よくて、そこはかとなく霞み合いて光源氏様の姿を隠し、この天の憎き心配りは、秋の夜の哀れにもまして、多くに立ち勝れり。

 光源氏様は隅の高欄干に押し掛かりて、

「この左大臣家ともしばらくの間御別れか。もう帰って来れないかも分からぬ。葵の上はどうしているだろうか。悪い事をした。

『あいつの喜ぶ顔を二度と見られないのか』と思うと残念だ」

 とばかり、庭を眺め賜う。

「源氏の君、急ぎ給え。まもなく夜があけますぞ」

 中納言、楠大将の君、源氏大将を見奉り、須磨へ送らむとにや、角の妻戸を押し開け待って居たり。

「また対面し、再会もあらむことこそ思えば、いと我々の絆も固けれ。掛かりける平和な世を知らで、心安く有りぬべかりし最近の不安な月ごろを、差しも思う存分話もできず急がで隔てしよを、少し心残りなむ」

 などのたまえば、楠木中将の君、側近の物音聞こえず泣く。

 若君の御乳母で、宰相の君して大宮様のお前にお仕えする老中より、

「光源氏様、いよいよお別れでございますか。大宮様が最後の別れをしたいと御出ましでございます」

 との呼びかけあり。

「自らも最後の御声聞こえまし欲しきを、掻き暗らす乱り心地見せるをためらい、光源氏様の御心を乱れさせはべるに、いと夜深う居出させ賜う御気の毒なるも、世の中、様変わりたる心地仕はべるかな。

 桐壺帝の世ならば、逆に右大臣を追い出したものを。心苦しき弘徽殿皇太后の意汚たなき程は、しばしも安らわせ給はで。あの顔を爪で引っ掻いてやりたい程でございます。くくくく・・・・」

 と聞こえ賜えば、宰相の君も打ち泣き給いて、


 鳥べ山  燃えし煙も まがふやと 海女の塩焼く 浦見にぞ行く

 鳥野辺の 燃えし煙も 迷うとや  須磨の塩焼く 恨みにぞ行く


 とあり。光源氏様の御返りは、それともなく打ちずじ賜いて、

「暁の別れは何時も、こうのみ暖かなりや。静かにても心尽くしなる。葵の上の思い、知り賜える人もあらむかし」

 とのたまえば、

「いつとなく 別れと言う文字こそ、浮立て泣きはべりしなる、心残りかな。別れの中にも、今朝ほどは、なお類いあるまじう悲しく思い賜えらるる別れは無き程かな」

 と鼻声にして、げに浅からず思えり。


                         つづく


       七

「大宮様、桐壺院より聞こえさせ賜わり欲しき遺言の事も、返す返す思う賜えて心残りながら、ただ夕霧王子に結ぼ惚れし御世話立て奉りはべる未練のほど、推し計らせ給え。

 い汚き寝坊の人は、過去の例を見賜えむにつけても、なかなか浮世の批判を逃れ難う思う給えられぬ運命に有りはべりければ、

『今回はいさぎよく立ち去るべき』と、心強う思え賜えなして、どうぞこの場限りの御いとまをお許しください。

 私はやがてこの都に舞い戻って参ります。私がここに長居しては。左大臣家に迷惑を掛ける事になりましょう。急ぎ、まか出はべりし」

 と、聞こえ賜う。

 惟光や子君を供にして居出賜うほどを、左大臣家の人々、家の各所々からのぞき見奉る。

入り方の月、いと明かるきに、澄み渡る空はいとどなまめかしう晴れ渡り、旅に出る人々は清らにて家を振り返り、物を思いたる悔しき有様、けなげで、

『虎や狼だに泣きぬ』と思うべし。

 ましていわけなく子供の頃におわせし暮らしのほど、元服の添い寝の儀式より見奉り染めてし人々なれば、

「葵上様が生きて御見送りしたならば、光源氏様もさぞや心強かったことでございしょう」

と、例えしえなき御有様を、『いみじく御気の毒』と思う。

「あれっ、誠や。どう致しましょう。大宮様からの御返りを忘れておりました。内容は次の通りでございます」


 亡き人の 別れやいとど 隔たらむ 煙となりし 雲居ならでは

 亡き人の 別れや愛し  隔てても 煙となりし 浮世ならでは


 取り添えて、大宮様の哀れのみ尽きせず、年老いた御体は泣き叫ぶばかり。すでに立ち去った後の、居出賜いぬる大殿門のなごり見詰め、忌々しきまでに泣きあえり。


 左大臣の大殿屋敷を出た一行は、そのまま須磨へ向かうと思えば、

「悪いが惟光、もう一度紫の上に逢いたい。二条院へ向かってくれ」

 という光源氏様の要望に従い、仕方なしに二条院へ向かう事になりました。

「右大臣がこの事を知ったらどうなると御思いですか。『源氏大将はちっとも反省しておらん』と、御怒りになられますよ。もしかしたら私兵を差し向わせるかも分かりません」

 惟光は、「ちっ」と舌を鳴らしながら丸い目をむき出し、怒りを露わにしました。

「身の危険が迫っておりながら、愛する女から逃れられない光源氏様の優柔態度は、夕顔の葬儀以来、ちっとも変っておりません。御守りする家臣の身にもなって下さい」

「そうでございますよ、光源氏様。二条院に向かっては、我々まで捕らえられてしまいます」

「仕方があるまい。危険を侵してまで紫の上を励ましてやらなくては、二条院には誰も住まなくなる。今は紫の上が頼りじゃ」

「惟光様」

 小君が惟光を見上げますと、惟光は、

「仕方があるまい。二条院へ迎え」と言って、馬を反転させました。

 二条院御殿に到着おわしたれば、我が身内の御方の人々も、

「どうなされたのだ。光源氏様の罪が許されたのか。つい二・三日前出発したばかりではないか」

 と、まどろみ、眠気混ざりける景色にて、所々群れ居て、

「浅まし。帝の世話女に手を出した以上、罪が許されるはずはない。この屋敷を砦に家臣が戦うとなれば、我々も戦に巻き込まれるぞ。どうしたもんかのう」

 などと、己の安全のみ、この世を思える景色なり。


                        つづく


   八

 二条院を管理運営する侍所には、光源氏様と親しう仕う奉る重臣限りは、須磨へ御供に参るべき心の準備もうけして、

「この場に於いて、光源氏様に誘われたらかなわん。須磨へ下れば家族と会えなくなる。光源氏様に御声掛けされる前に実家にひきこもり、しばらく会わぬ事にしよう。

 都に残れば暮らしは何とかなるだろう。今は光源氏様に御会いしないほうが一番いい」

と私事の損得を考え、家族と別れを惜しむほどにや、侍所には人目もなし。さらなりぬ光源氏様と親しくしておりました人々も、御見舞いにとぶらい参るも、

「まかりならん。二条院を訪ねた者は帝に反旗をひるがえしたとみなす。朝廷の役職を奪われると思え」

 などと、右大臣の重き咎めがあり、光源氏様と親しき者も煩わしき事のみ勝れば、車宿りに所狭く集いし馬の面影、牛に引かれた御車の形もなくて寂しきに、二条院の様子を見つめる町の人々は、

『世は浮き物なりけり』と、思い知らされる。

下々の者は解雇されたり、右大臣の仕打ちを恐れて、逃げ出すものがあったりで、食事処の台盤なども片え一部は塵ばみて汚れ、居所の薄畳ござ類も、所々引き返し畳まれたり。

屋敷の中はひっそりとして暗く、見るほどだに壊れた家財道具だけが心に掛かり、ましてこれからの主無き家の中は、

『さらに荒れ行かん』と思す。

 西の対に紫の上を訪ね渡り賜えれば、御格子も下げ参らで明るく開かし見渡せ給いべければ、外側の簀の子などに若き童が所々に伏して、突然の光源氏様の御帰りに、今ぞ起き騒ぐ。

「光源氏様がお帰りじゃ。紫の上に知らせろ。ぐずぐずするな。早く起きて挨拶しろ」

 年長の女は幼き男女の童を蹴飛ばして起こしたり。

 童の宿直姿どもは薄い下着一枚にて、おかしうて正妻の近くに居るを見賜うも心細う、年月経れば、掛かる教育係りの人々も、えしも有り果てでも起こらんや、行方知れず行き散らむなど悲し。

「少納言や大輔などはどうした。なぜここにおらぬ」

 と問えば、

「右大臣の仕打ちを恐れて、皆出て行ったのでございます」

 と答えるなり。」

「主が官職を奪われれた没落家族とは、こうもすごき物か」

と、差しもあるまじき事さえ御目のみ留まりけり。

「昨夜は左大臣と込み入った話を、かくしかじかして話さなければならない事もあり、夜更けにして遅く成りしかばなん。

『例の前妻の面影が忘れられなくて参ったのだろう』と思わずなる有様にや疑いだろうが、そうではない。そなたの事のみ思しなしつる。

 かくて今までのように紫の上の近くにおりはべるほどだに、

『これからは御目に掛かれず』と思うを悲しみ、かくして京の世を離るる際には、心苦しき事のみ自ずから多かりけるを、紫の上が『どう暮らすのか』気掛かりでならん。

『ひたすらにや、二条院の西の対にこもり切りにてはや。常無き冷たい世の中に、人にも情けなきもの。私たちは見捨てられてしまった』と、心置かれ果てて絶望せんと思えば、愛おしうてならむなむ」

 と涙して聞こえ賜えば、

「掛かる現実の世を見る他には、仕方がありません。突然私が思わず寂しい思いをするになる事とは、何事にざいましょうか。今まで随分と寂しい思いをさせたではございませんか」

 とばかりのたまいて反感を持たれれば、

『いみじく可哀そうな紫の上』と思し入れたる有様人より見詰めれば、現実の異なるこの景色を、

「光源氏様、どう御覧になられますか。常に寂しい思いをさせられている女にとっては、一時しのぎの同情など信用しません」

紫の上様の不機嫌は、当然の道理、事割りぞかし。


                       つづく


     九

 父、兵部卿の親王は、愚かにも右大臣の仕打ちを恐れて、しかも元より前妻の子供として生まれし紫の上を、後妻が嫌いな事を知って、母親のいない今を『うとまし』と思いけるに、

「あなた様が、紫の上を引き取って育てた源氏大将に味方するのでしたら、私にも考えがあります。すぐにでも実家に戻らせていただきます。今後一切実家からの支援はないものと御考えて下さいまし」

との聞こえを煩わしがりて、紫の上の慰めにも訪れ賜わず。

 もともと後妻に遠慮して、前妻の供養にも御とぶらいにせずだに、北山の草庵や二条院の今の住まいにも渡り賜わぬを、

『母にも祖父にも幼くして先立たれ、まして今は父君にも疎まれる可哀そうな娘』

と、人の見るらむ事も、紫の上は恥ずかしくて、なかなか周りの人にも知らで奉つらで、口の重い乙女になりぬ。内向的に悔やみ悩ましきを、紫の上は心を開いて人に話そうとしません。

継母の北の方などの言わくに、

「にわかなりし光源氏様との暮らしに幸せな人生を送っていたのかと思えば、もう不幸の始まりか。紫の上の幸いなき人生のあわただしさよ。いつになったら平穏に暮らせるのか。

 あなゆゆしきや。思う人、親族の方々につけても、ことごとく別れ賜う不幸な人かな。ああー、可哀そうに。紫の上の不幸が、我が家に乗り移ったら困る」

 と、日頃のたまいけるを、

『さる便りありて、偶然にも紫の上の近況が漏り居出て聞き賜うにも、いみじう心憂鬱ければ、知りたくもない』

 と、これより先は途絶えて、父、兵部卿の宮が二条院を訪れ賜うことは、聞こえ賜わず。また紫の上にとっては、頼もしき人もなく、げにぞ継母が言うように、哀れなる御有様なる。

「光源氏様、どうぞ私も須磨へ御供させて下さいまし。これ以上白い目で見られる京の都にはおられません」

 とのたまえば、

「我慢して耐えてくれ。そなたが二条院を守ってくれなければこの家は廃墟になってしまうではないか。万が一、罪が許されて京に戻ったとしても、住む家が無くなる。

 なお世に許され難うて、須磨の地に留まる年月を長く経る事になるなれば、たとえ貧しい巌の中にも、そなたを迎え奉らむ


 いかならむ 巌の中に 住まばかは 世の憂き事の 聞こえ来ざらむ

 いかならむ 巌の中に 住みたれば 世の浮き事が 聞こえ来ざらむ

         (古今集 源氏物語では巌の中だけ使用)


 華やかな京を捨てて田舎で暮らすも悪くはないかも分からない。ただ今は、人聞きのいと尽きななかるべき噂の最中なり。

『光源氏が愛人を連れて須磨へ下った』となれば、またも問題を引き起こしたと言われるだろう。

『都に戻ってくる意思などない』と言われ兼ねない。おおやけにかしこまり、慎重に振る舞い聞こゆる人は、明らかなる月日の影をだに見ずひっそりと暮らし、夫婦と言えども安らかに身を振舞う事も、いと罪重き軽はずみな行動なり。

 紫の上と暮らすは過ちにはなけれど、都からの刺客が来て家族もろとも惨殺されるかも分からぬ。

『さるべきにこそ掛かる事もあらめ』と思うに、まして思う人危惧するには、罪人として例なき事になるを、下向きに赴き物苦しおしき世にて、慎重に振る舞うが、立ち勝ると思われる事も有りなん」

 など聞こえ知らせ賜う。

その後も光源氏様の指示は長々と続き、日たくるまで大殿屋敷に籠れり。


                       つづく


    十

 夕方になり、大宰府を統括するそちの宮、三位の中将とその配下の者など二条院におわしたり。この宮は桐壺院の腹違いの弟なり。

「これはまた義理の弟が訪ねて来るとはどうしたことであろう。親王ともなれば、対面仕給わむとて普段着で応対する訳にはゆかぬ。御直衣など正装奉るゆえ、正殿に案内せよ」

 光源氏様は近くに控えていた小君に命じました。

「あくまでも丁寧に扱うのだぞ。相手は三位の中将だからな」

 光源氏様の御目がきらめき、一瞬緊張した雰囲気になりました。

「はい、かしこまりました」

「朝廷を追われ、位なき人は質素な服装をしなければならぬ。目立たぬもえぎ色の無紋の直衣を準備せよ」

 光源氏様は惟光に命じました。紫の上の手を借りてその直衣着用すると、

「おっ、なかなかお似合いではございませんか。普段着に近い控えめな服装も、闘争心が薄れて、なかなか落ち着いて良い物でございますな」

 惟光は主を惚れ惚れと見詰め言いました。

「なかなか、いと懐かしき部屋着を着給いて打ちやつれ賜える、昔なつかしい父君の面影かな。父君のりりしい御姿にそっくりでございます。いとめでたや」

 紫の上は光源氏様の美しい姿にうっとりとして見詰めています。

 御鬢掻き給え整うとて、鏡台に寄り賜えるに、面影やせ給える影の、我ながら、いと当てに清らで上品ないでたちなれば、

「このようにいい男が、このようなう右大臣の迫害に衰えにべければ、この明かりの影のようにや、顔形も痩せて落ちぶれはべる。天下の色男も哀れなる仕業かな」

 とのたまえば、女君、涙を一目浮かべけりて、床に膝を突きながら見起こさせ給う。その悲しき姿、いと忍び難し。


 身はかくて さすらえぬとも 君が辺り 去らぬ鏡の 影は離れじ

 身はかくて 離れ去るとも  君が辺り 残る鏡に  影は離れじ


 と、聞こえ賜えば、


 別れても 影だに留まる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし

 別れても 面影残る   ものならば 鏡に姿   映しませよ


「光源氏様のわがままは、生涯忘れませぬ」

 とのたまいながら、柱隠れの屏風の裏に居隠れて、しくしくと音も立てず涙を紛らわし賜える有様、なおここら辺の都に於いて見る中にも、

「たぐいなかりける悲しい別れの場面かな。光源氏様と紫の上の別れは、末永く後世まで語り継がれる物語となろうぞ」

 と、思い知らされるる人の数、日本中が嘆く御有様なり。


 身を別くる 事の難さに  増す鏡 影ばかりをぞ 君に添えつる

 身を隔て  別るるたびに 増す鏡 面影ばかり  君に添えつる

             (大窪則善 源氏物語にはありません)


 そちの宮の親王は、哀れなる二人の御物語が聞こえ給いて、募るほどに涙を流しながら御自宅へ帰り賜いぬ。


                         つづく

    十一

 夜も更けて紫の上が寝静まる頃になると、光源氏様は須磨に旅立つ前に、もう一つやらなければならない事を思い出しておりました。

 それはそれほど重要な課題でもないのですが、桐壺院が崩御なされた間際に、

「麗景殿の女御の行く末が心配じゃ。あれはひ弱な女で、わしが死んだら独り立ちできぬ女御じゃ。涙に明け暮れながら、死を待つだけの人生になるだろう。気が向いた時だけでよい。たまに様子を見に行ってくれぬか」

 との御言葉を思い出したからであります。妹の花散里とも、

「急いで立ち帰えらなければならない用事がある。近いうちに、また立ち寄るから許してくれ」

 と、言い残した約束も思い出しておりました。

「あなた様が近々来て下さらなければ、私たちは死んでしまいます。須磨に行かずとも、ここにひっそりと隠れて暮らせば良いではありませんか。ここには誰も訪ねてきません、ひっそりと暮らすには良い所です」

 との言葉も耳に残り、

花散里の心細げに打ちしおれた姿を思して、常に『死にます、死にます』と聞こえ給うも、事割りに心残りで、

『麗景殿の女御も、今一たびわしを見ずは、辛しとやも思わん』

 とも思せば、色男の面目に掛けて、その夜はまたも居出賜うものであるから、

『いい加減になされまし』と物憂鬱しくて、筆者の私にすれば理解に苦しむ事なれど、痛う夜も更けかして中川の向こうへ遅くおわしたれば、麗景殿の女御いわくに、

「かく数多く愛人の仲間に加え賜いて、ここへ立ち寄らせ給えること、喜びに耐えません。花散里も大喜びでございますよ。これこれ、早よう花散里を呼んで参れ」

 と、喜び聞こえ、うろたえ賜う有様、紫式部には安保らしくて、この物語を書き続けるむも、うるさし。

 ただ麗景殿の女御様は、いとしみじう心細き世に捨てられた御有様にて、この寂しき林の御蔭に隠れて暮らし、過ぐい賜える余生を考えますと、これからは、いとど激しく荒れ勝らむのほどが思しやられて、

「私に仕えていた女房どもは、次々に去って行ったのでございます」

 と嘆いて、住まい殿の内、人影もいとかすかなり。

 月、何時からともなくおぼろげに差し居出て、池は不必要に広く、築山の木深き荒れ放題の渡り、心細げに見ゆるも、

『須磨の我が領地の館もこれと同じかも。いや、もっと荒れているかも分からぬ』と、住み離れたらむ辺境の巌の中に、牢獄と同じ苦しむ生活が思しやられる。

 月の美しきを見ながら渡り廊下を下りて、西の対の住み家に来てみれば、西表は、

「かうしも須磨へ下られる前の忙しい夜に、光源氏様こちらへ渡り訪ね賜わずや。来られるはずがない」

と花散里は打ち屈して思しけるに、月影のなまめかしう締めやかに美しげなるに、御格子の中から外を眺めたれば、晴れやかに打ち振舞い賜える光源氏様の華やかな匂い、何人にも似るものなくて、

「花散里はおるか。様子を見に参ったぞ」

 とばかり無言にて忍びやかに頭を低くして入り賜えば、

「私はここにおります。光源氏様の御来邸を、今か、今かと待っておりました」

 とばかり、少し格子の入り口にいざり居出て、やがて女は素知らぬ振りをして暗き庭をを見ておわす。女は本心をさらけ出すも恥ずかしくて、努めて冷やかに振る舞うなり。


                        つづく


      十二

「花散里、何をしておる。ここは寒くて風邪を引くぞ」

 女は頭を光源氏様の胸に押し付けるも可愛くて、

「御待ち申し上げておりました」

 との言葉も弱々しく、光源氏様は花散里を抱き上げると、急いで寝所へ向かいました。

『やれやれ、読者の皆様。紫式部はほとほとあきれております。またここに何時もと同じ恋愛御物語のほどに、いやらしいあの姿が始まったのでございます。紫式部は目をそむけ、うたた寝をしている間に、明け方近う成りにけり』

「短めの夜のほどや、かばかりにこうも夜が短くて、愛の対面もまた映えしも『光栄になるや』と思うこそ、


 君見ずて 程の古家の ひさしには 逢う事なしの 草ぞ生いける

 君見ずに 過行く家の ひさしには 逢う事なしの 草ぞ生えける

      (新刺撰 源氏物語では事なし のみ使用されています)


愛の事なしに過ぐしつる年頃も悔しう、華やかな青春を花散里には申し訳ないと思う。ここに来たし方は、行く先須磨の貧乏な試しになるべき身にて、何となく心の隅に、

『申し訳ない』の一言が、夜に泣くこそあれ。花散里がかわいそうじゃ」

 と、過ぎにし桐壺帝栄華方々の事どものたのいて語り明かす。

 やがて時刻も過ぎて、にわとりもしばしば鳴けば、

「光源氏様、御急ぎ下さい。明け方にて人に見られてしまいます」

 との小君の忠告もあり、夜に包み隠れて急ぎ麗景殿の屋敷を居出賜う事となりぬ。

 例の夕べの月は、西の林に入り果つるほど、よそへやられて、今にも消えそうで哀れなり。

高欄干に立つ女君の、濃き紅色の御衣に光が映りて、花散里もげに濡るる顔なれば、光源氏様も涙顔似て、そっと抱き寄せ、

「このまま生涯別れたままにしておけぬ。再び都に戻って逢いに来ようぞ」

 と言えば、女は、


 月影の  宿れる袖は 狭ばくとも 止めても見ばや  明かぬ光を

 入り月の 宿れる袖は 狭まくとも 止めて見せましょ 明かぬ光を


 と答えて、別れを『いみじく悲し』と、思いたがるしぐさが心苦しければ、光源氏様も様々に明るい話を持ち出して、かつは一方的に話して、慰め聞こえ賜う。


 行き廻り ついに住むべき 月影の  しばし曇らむ 空な眺めそ

 行き廻り ついに住むべき この宿の しばし曇らむ 空も眺めそ


 と思えば、はかなしや。ただ光源氏様の須磨への旅立ちは、すでに決まった事ゆえ。


 行く先を 知らぬ涙の 悲しきは ただ目の前に 落つるなりけり

 行く先を 知らぬ涙の 悲しきは ただ目の前に 落つることなり

    (源済 源氏物語では ただ知らぬ涙の が使われています)


 と言い訳して、

「知らぬ涙のみこそ、心をはぐらかす物なれ」

 などとのたまいて、明け暮れのほどに麗景殿女御の屋敷を居出賜いぬ。


                         つづく


     十三


 二条院へ急ぎ御帰りになられました光源氏様は、旅立つよろづの事ども、万全に処理したためさせ賜う。親しく仕う奉り、右大臣の世になびかぬ、限りある少人数の人々を正殿に集め、

「そなた達は、最後の最後まで世に忠誠を尽くしてくれた。二条院を去るに当たり、この御殿の事、取り行うべき役職の上下について定め置かせ給う。今後この二条院の管理は、西の対にて紫の上が取り行う。ここに残る者は紫をわしの代理人だと思って従うように。よいな」

「承知致しました」

「乳母の少納言は、何かと気苦労も多かろうが、近くで仕え、紫の上を補佐して賜うれ。よろしゅう頼む」

「しかと承りました」

「何か困った事があったら楠木大将と左大臣家に相談すると良い。御二方には『くれぐれもよろしくお願い申し上げます』と頼んで於いたからな。何かと相談に乗ってくれるであろう」

「招致致しました」

 正殿に集まった人々は、光源氏様の説明で幾分明るくなった表情で深々と頭を下げました。

「また須磨への御供に募い、人選に選ばれるべき聞こゆる限りは、またこの少し後に選り居出させ賜う事となりえり。皆の衆、急ぎ旅立ちの荷造りを頼む」

 光源氏様に続き惟光が続けて言いますと、皆の者は、

「へい」とばかり快い返事を致しました。

 かの山里、須磨の住み家に運ばれるべき家具類は、え避けられず取り急ぎ使い給うべき必需品の物どもに限り、ことさらに装いもなく実戦的に事削ぎては、飾りの物ども皆二条院に残し給う。

 またさるべき重要な書物、文ども、文集などが入りたる木箱は特別扱いで、またさてもさても、教養を深め賜う和琴や笛、琵琶など鳴り物に至っては、一つぞ残らず持たせ賜う。

 所狭き居間や台所の家具御調度品に至っては、華やかなる御装いの品々さらに多かれど、

「不要じゃ」

 と言って具し賜わず、ただひたすらに須磨にて必要な小道具に限定し、「怪しの山賊や木こり、猟師の住まいに似せて、山がつめき暮らしに似せて暮らした所で、何の恥ずかしさがあろうか。須磨には宮殿の知り合いとて誰一人寄り付かぬ。甘んじて田舎賊の暮らしに似せて持て成し賜う」

 と、身軽な旅支度をさせ賜う。

「旅支度を終えたら皆の者、西の対に集まってくれ。光源氏様から、

『今後について説明がある』との仰せじゃ」

惟光が呼びかけますと、光源氏様にさぶらう付き人よりはじめ、家の管理人や台所仕事、下働きの者や庭師、大工職まで全員集まり給う。

「よろずの事、皆の暮らしがどうなるか。光源氏様が説明なさるそうじゃ」

 と惟光が説明しますと、旅支度を整えた光源氏様が東の廂より広間に御派入りになられました。

「よいか、さっそくじゃが、今後の方針について聞こえ渡し賜う。帝より領じ賜う御荘園の数々や農民、薪を集める御牧山と山がつの皆の衆、その他の所有地を初め、今までの領地は帝より音沙汰がない限り。今後も変わらぬ物と思え」

「おおー」

 集まった人々は今後の暮らしに幾分安堵したのか、明るい笑顔で目を大きく開き、喜びの声を上げました。

「兄君である朱雀帝がわしを見捨てたりはしまい。立場上、一時の制裁だと考えておる。やがて都へ呼び戻されるまでしばらくの辛抱じゃ。分かってくれるな」

「はい」

「さるべき地方の所々、所有権の権利書などは皆、紫の上に奉り、ここに置き賜う。皆の者はこれが暮らしの糧だと思って守ってやってくれ」

「分かりました。しかと受け給わりました」

 二条院に残る者は、これが暮らしの絆だと思って必死で聞いております。

「それより他の穀物倉庫、御蔵町、財宝を保管する納殿の鍵は少納言に預け置く。わしが留守中は何かと物騒な屋敷内となろう。鍵を開く時は屈強な男どもが警護し安全を図れ」

「承知致しました」

 光源氏様は細々とした家の管理など、少納言をはかばかしき適任の者に見置き賜えれば、

「与作と平八、そなたたちは今夜から西の対、北廂にて暮らすが良い。常に紫の上様や少納言の声の届くところに控えておってくれ」

 と、親しき世話人の家司ども具して、御屋敷の知ろし召すべき警備ざまの事どものたまい預く。


                         つづく

     十四


「我が二条院を監視し管理に当たる中務、中将などのようなる女房の人々、そなたたちには大した愛情も注げず、ただ日頃見過ごす事が多かった。つれなき御持て成しながら、そなたたちが二条院に居て見奉るほどの事、どれほど慰めになりつれた事か。

 今回のわしの失態を『何事につけてそうしたのか』と思えども、わしの人間性の弱さじゃ。寂しそうな女君を見てしまうと放ってはおけぬ。内侍の官は可愛い女じゃ。つい誘われると知らぬ振りはできなかった。あれはあれで悔いはない。

 命ありてこの世の京にまた帰るような事もあらむを、それを信じてこの二条院で待ち付けむと思わむ人は、この二条院のこなたにて住み続け、紫の上にさぶらいお仕えせよ。再びまたわしと逢える日もこようぞ」

 と、上は紫の上から、下は庭師の者まで寝殿に舞い登らせ諭し賜う。

 この他にも左大臣家の保護のもとで暮らす若君の乳母達、花散里などにも心配りした文を、おかしき有様の品々はさる物にて行わず、まめまめしき心に思し寄らぬこと限りなし。人々は光源氏様が再び京へ御帰りになられる事を祈ったのでございます。


 光源氏様は小君を内侍の官の御元に使いにやり、割り切れなくして『誠に申し訳ない』と御思いながら、御別れの文を聞こえさせ賜う。

「問わせ賜わむも事割りに、薄情と思い給えながら、

『今はどうしているか』と世の暮らしを案じ思いはつるほどの噂も、辛さも我が耳に届く。

尚侍のたぐいなき悲しき事にこそ、思いはべりにけれ。供に月を眺めた朧月夜の事が心配でたまらぬ。須磨へ旅立つ前に、いたたまれなくなって、こうして文を送った次第じゃ。


 逢う瀬なき 涙の川に 沈みしや 流るるみおの  初め成りけむ

 逢う施なき 涙の海に 沈みしや 流るる須磨の 潮に成りけむ


 と、思い給え、涙出づるのみなむ。

「帝の付き人に手を出したからには、罪逃れ難うはべりける。弘徽殿皇太后の監視が厳しく、文を届ける道のほども危うければ、長々とした文は届けられず、近況を知らせる細やかな内容にしか聞こえ賜わず、ただ和歌を書きにしたためた次第なむ」

 とあり。

 女、いといみじう、悲しいと覚え給いて、光源氏様の事を忍び給えど、涙顔を他人に見られなくするにも、御袖より余る袖幅も所狭うなん。

朧月夜様は帝の前で、他の侍従に知られまいと、必死で悲しみを堪えておりました。



 涙川 浮かぶ御縄も 消えぬべし 流れて後の 瀬をも待たずて

 涙川 浮かぶ絆も  消えぬべし 流れて後の 須磨も待たず(し)て


 と、泣く泣く乱れ書き給える朧月夜様の御手、いとおかしげにか細く振るえ給いて堪え難うなり。


 あらざらむ この世の他の 思い出に 今一度の   逢う事もがな

 あらざらむ この世の最後 思い出に 今ひとたびの 再会あらむ

      (和泉式部 源氏物語では今ひとたびのみ使われています)


 朧月夜様は、

「再び対面なくしては心残りや」と思すに、心はなお今も口惜しけれど、

『いや、そうは言っても、再び逢ったところで、ますます光源氏様の立場が悪くなるばかりではないか。二度と京へ戻って来れない所か、死罪も免れぬ』

 と思し返して、

『いやいや、父君や姉君の怒りはただ事ではない。これ以上怒らせてはならぬ。心憂鬱し』

と思しなすゆかりの思いやり多うて、おぼろげならず耐え忍び給えば、いとあながちにも、光源氏様との逢瀬は聞こえ賜わずとなりぬ。

朧月夜様は清涼殿の西廂に出て、高欄干からただ一人、満月の月を眺めておったのでございます。


                        つづく


      十五


「明日とての夕暮れには、桐壺院の御墓を拝み奉り給うとて、北山へ詣で賜う。惟光、悪いとは思うが、準備を頼む」

 光源氏様は近くにさぶらい給える惟光に申し付けました。

「夕暮れとはまた、奇怪な時刻でございますな。その時刻でございますと、御所は閉門されておりましょう」

「それが好都合なのじゃ。何かと右大臣の目もうるさい。目立たぬ時刻が良いだろう。その時間ならば二条院を出て西の洞院大路を北へ向かい、一条大路から北へ向かったとしても誰にも知られまい」

「かしこまりました」

 惟光は近くで仕える小君にその準備を命じました。

 夕暮れ、日も暗くなった頃に二条院を出発しました光源氏様は、旧暦の二十四日頃、暁に掛けて月も出づる頃になれば、まず北山御陵の坊に立ち寄り、藤壺入道の宮に詣で賜う。

「この夜更けに中宮様に御逢いするも心苦しいが」

 とお詫びを入れた後に面会を申し込みますと、しばし時間が過ぎたころ、

「御逢いになるそうでございます。どうぞこちらへ御越し下さいませ」

 と廂から寝殿の奥へ案内され給う。

 寝殿の近き御簾の前、一段下の畳に御座し参りて待っておりますと、少しやつれた藤壺の女御様が現れました。

「源氏の君、達者でおりましたか。右大臣の怒りに触れ、須磨へ退去させられるとの噂、案じておりました」

藤壺入道様は、このように御ん自ら光源氏様の近況をを案じ聞こえさせ賜う。

「ただ藤壺の中宮様に申し訳ないの一言でございます。東宮様の後見人の立場にありながら、軽はずみな事を致しました」

 と光源氏様は、東宮の御事を、いみじう後ろめたき物に思い、お詫びの声を聞こえさせ賜う。

「片身に互いの事、案じられてかないませぬ。心深きどちらかの御物語はよすと致しましょう。東宮の事は朱雀帝に任せば良いのです。帝も世継ぎである弟君を粗末に扱わぬはずです。

 それよりも光源氏様は須磨へ旅立った後の、ご自身の生活を御考え下さいまし。生き延びて平穏に暮らせたならば、また再び京へ呼び戻されることもありましょう」

「私もその事を信じて、生き延びる覚悟でございます。藤壺様もそれまで達者で御暮し下さい」

 桐壺院の存命中はあれほど栄華を誇っておられた御二人がこれほど落ちぶれるとは、はたはたよろずに哀れ勝りけむかし。紫式部は御気の毒でなりません。

懐かしうめでたき御気配の藤壺様が宮殿に入内した昔に変わらぬに、あの頃は桐壺帝の御寵愛を一手に受け、光源氏様も幼少の時代で何一つ遠慮なく遊んだものを、

 私が元服し大人になり、互いが異性と意識せざるは、辛かりし御心映えもかすめ、

『子供の頃に戻りたい』と聞こえさせ間欲しけれど、今さらに浮立て、

『何故にこうも、世の習わしに従わなければならない物か』と、思さるべし。源氏の君と藤壺中宮様は、姉、弟の、昔の関係に戻りたいと願っておりました。

 我が御心にも、なかなか今ひと時は、乱れ勝りぬべければ御心を静め、

「ただ、かく思いがけぬ罪に当たりはべるも、宿命に思う給え、朧月夜との恋物語は男として叶えてやらねばならぬ勤めにあらむ。種馬として合わする事の一節なむ。

 宮中のこの大役は、空も恐ろしう思いはべる。惜しげなきこの身は無き物になしても、冷泉宮の御世だに、次の帝として事無く無事に世継ぎおわしまさねばなりません」

 とのみ光源氏様に聞こえ賜うぞ、道理の事割りなるや。


                            つづく


    十六


「冷泉宮も、今こうして源氏の君と私が御逢いしている事を、皆思し知らるる事にし、あれば、

『そのような誤解を招くような事はなさらないで下さい』と、御心のみ動きて、御咎めを伝える文なども聞こえやり賜わず。あの子は私達に遠慮して何も申さぬのでしょう」

 藤壺入道様は寂しそうに目頭を押さえて言いました。

「東宮様は東宮様成りに、弘徽殿の皇太后様や私達に御気遣いなさっておいでなのです。私の権力が弱いばかりに苦労を御掛けしております」

 源氏の大将、よろずの弱さの事掻き集め、冷泉皇子の行く末を思し続けて泣き賜える景色、いと尽きせず、深刻に落胆してなまめきたり。

「これから桐壺院の御陵御山に参りはべるを、入道様は何にか御言伝てありますや」

 と聞こえ賜うに、藤壺様は、問みにすぐさま答えず、割り切れなく悩み、ためらい賜う御景色なり。


見しはなく あるは悲しき 世の果てを 背きしかひも 泣く泣くぞ振る

人はなく  あるは悲しき 世の別れ  背きてしかも 泣く泣く見返る


藤壺様のいみじき御心戸惑いどもにも、今後の暮らしの行く末を、思し集むる事どもも、えしもぞ、御気の毒で書き続けさせ給わむ。紫式部はこれ以上伝えられません。


 別れしに 悲しき事は 尽きにしを またぞこの世の 憂さは勝れる

 別れ際  悲しき事は 尽きせぬを またぞこの世に 華やぎ来たれ  


 光源氏様は返歌を書き残し、月待ち居でて、足元が明るくなった頃に北山の坊を居出賜う。

側近の御供にただ五・六人ばかり、それを補佐する下人も、睦ましき限りの信用人にて、御車は使わず御馬にてぞ、御出発おわする。

さらなる事なれど、栄華を極めたありし世の御歩き行列に異なり、質素な出で立ちにみな、いと悲しう思う。

 その中に、かの葵祭のみそぎの日、仮の御随身にて大役を仕う奉りし右近の判官の蔵人、得るべき功績振りも十分なほど過ぎつるを、今はついに御札削られ、官位も取られて、

「わしはただの浪人じゃ」

と嘆きながら身なりも派したなければ、御供に参る道中の内なり川の社を見付けられて、

「賀茂の下の御社や。ここをあの時の彼と見渡して、華やかなあの日を思い出して下され」

 と言いながら、栄華のほど、ふと思い居出られて、自分の馬を降りて、光源氏様の御馬の口を取る。

「わしは今も斎宮が先案内人じゃ」と誇らしげに言うなり。


 引き連れて 葵飾ざしし その髪を 思えば辛し 賀茂の水垣

 引き連れて 葵祭りの  その髪を 思えば辛し 賀茂の水垣


 と言うを、げに世の中の人々は如何に思うらむ。主の没落は家臣にまで影響が及ぶ。

『人よりも、げに華やかなりし物を御ねだりする』

と思すも心苦し。


                        つづく



      十七


 源氏の君も御馬より降り賜いて、下賀茂神社の方向がたに拝み賜う。神にこの世のふがいなさをまかり申し述べ仕賜う。


 浮世をば 今ぞ別るる   留まらむ 名をば正すの 神に任せて

 浮世をば 今も悔やみて  留まらむ 世をば正すの 神に任せて


 とのたまう有様、右近の判官、将監の蔵人は物目出する将来有望な若き人にて、光源氏様も御目に掛けていただけに、身に凍みて哀れに、

「あっぱれなやつじゃ。この苦しき状況に於いて、和歌で己の苦しき心情を表現できるとは、めでたし才能の持ち主じゃ」

 と、見奉る。

 北山の御陵に到着なさいました光源氏様は、桐壺院が埋葬された御山に詣で賜いて参拝し、深々と頭を下げて瞑想おわしましし御有様、ただ桐壺院が目の前に現れたように思い居出らるる御ようすなり。

 限りなき世の人々にて尊敬され、

「これほどの名君は二度と現れまい」と思われた人も、

『世に亡くなりぬる人ぞ、消えてしまえばただの凡人』と、言わむ方なく、口惜しき時代の流れ技になりける。

 よろずの右大臣の天下の事を泣く泣く申し賜いても、藤壺中宮様の身分は名ばかりで、宮中に於いては弘徽殿太合が権力を利かす有様、

「その事割り切れなさを露わに、え受け承り賜わねば宮中から追い出され、身分を剥奪される有様でございます。さばかりに宮殿の安定を思し、のたまいし父君の様々の御遺言は、いずれの地か消え失せに成りけん」

 と、墓に向かい言うも甲斐なし。

 墓は行く道の草が激しくかぶさり成りて、分け入り賜わむほど、いとど露げきに濡れるほどで、月も今は雲隠れして、森の木立深く、ごうごうと激しく音鳴りて心はすごし。

『桐壺院の墓でさえ世に捨てられた有様ならば、光源氏様にご奉公したところで何も浮かばれぬ。よいよい、光源氏様だけを一人にして我々は引き上げようではないか』

 と見捨てられるほど、帰り際迎えに居出ん方なき心地して一人寂しく拝み賜うに、ありし栄華の頃の御面影がさわやかに光源氏様の目に映り、見える桐壺院の恐ろしきお顔は、そぞろ寒き程なり。


 無き影や いかが見むらむ 他所へつつ 眺むる月も 雲隠れぬる

 亡き父や いかが見るらむ 他所へ行く 眺むる月も 雲隠れして


 光源氏様はもはや桐壺院の力は当てにならないと悟り、御陵を立ち去ったのでございます。

 その後、日も明け果つるほど明るくなった頃に内裏に帰り賜いて、東宮の冷泉皇子にも御消息、別れの御挨拶聞こえ賜う。

「東宮にお仕えする王命婦を皆弘徽殿太合の息の掛かった者に御変りさせよ」

とて言っての右大臣の意向に従い、多くの者を交代さぶらわせ給えれば、その頭の局にとて、唯一信頼於ける命婦に向かい、

「今日の日なん、この都を離れはべる。また二度とここへは『参りはべらず』と成りぬるなん。余多の東宮様への憂いへに勝りて、こうして迷惑を承知で参った次第なむ。

 今後の東宮様の事が心配に思う賜えられはべる、よろずの難題と思え給えられるが、良しなに押し図りて東宮様にこの和歌を啓しさせ給え。御文には、


 いつかまた 春の都の 花を見ん 時失へる   山がつにして

 いつかまた 春の都の 桜見ん  今は消え去る 山賊にして


とあり。光源氏様は和歌の短冊を桜の花が散り過ぎたる若葉の枝先に結び付け賜えり。、

 光源氏様が立ち去った後で王命婦は東宮様を庭側の廂に御誘いして、

「東宮様、あれを御覧下さいませ。不思議な事でございます。散った若葉の桜に白く大きな花が咲いておりますよ」

 と、指差しました。幼い東宮様が、

「かくなむ。そう言う事か。これはまた珍しい花よのう。しかと手に取って拝見いたようではないか」

 と、千切り賜え御覧ぜさすれば、

『これはまた、源氏の君からの御文ではないか。達者で御暮しか。まだ京の都におるのか』

 と、幼き御心地にも、真目立ちて御心配おわします。


                        つづく


     十八


 王命婦が、

「文の御帰りは、いかがな物に仕はべらむ」

 と、啓ずれば、


別れても 須磨への暮らし 心せむ しばし見ぬだに 恋しきものを


「道中道のりは、まして如何に苦しき物か」と言い返し、

「再び京へ戻って参れ」と、繰り返しのたまわす。命婦は、

「物はかなき別れの御返りや」と、哀れに見奉る。

 あじきなき光源氏様と藤壺様の間柄が、

『恋愛関係にあるのではないか』との事に心を砕き給いし昔の事、折々の御有様を思い書き続けらるるにも、私に野心もの思いは少しもなくて、われ紫式部も世間の人々も、

『退屈に過ぎい給いつべかりけるこの世を、楽しくはやし立て、観衆を喜ばせようではないか』との試みを、好奇心と思いし嘆きけるを、悔しう、『大衆に振り回された』

 と、我が心ひとつに掛からむ事のようにぞ覚ゆる。

東宮様からの御帰りは、

「さらに聞こえさせ、やりはべらず。万が一その文が弘徽殿皇太后に知られでもしたら、互いの立場が悪くなる。源氏大将も私の事は分かっておるはず。源氏大将の御前には、ねぎらいも啓しはべりぬ。心細げに思し召したる御景色も、いみじく仕方なくなむ」

 と、東宮様もそこはかとなく、心乱れける御景色に御成りになるだろうと思うべし。


 咲きて解く 散るは憂けれど 行く春は 花の都を 立ち返り見よ

 散りて徳  別れは憂けれど 行く春は 花の都を 立ち返り見よ


「またの機会の時あらば」

 と聞こえて、別れの名残も哀れなる物語にしつつ、人は皆、東宮宮の内、几帳内に集まり、忍びて泣き合えり。 

この光景を一目も見奉れる人々は、源氏大将の不運をかく悲しく思し、崩惚れぬる御有様を、嘆き惜しみ聞こえぬ人はなし。

 ましてこの東宮殿へ常に参りし馴れ親しみたりし人は、東宮様の私的感情を知り及び給うまじき雑用治めの長、御厠掃除人まで、光源氏様の有り難き御帰り身の恩恵に成りつるを、

「これからは何ももらえぬ。しばし別れにても、右大臣の目の光る間は見奉らぬ程や。最後の別れに成り経む」

 と、涙を腕で払いながら嘆きけり。

 大方の世の人々も、誰かは右大臣や弘徽殿太合に『よろしくお願いします』と、御機嫌取りの思い聞こえん。光源氏様が七つに成り賜いしこの方、帝の御前に、夜昼さぶらい給いて、

「かわいい御孫様でございますね。目がくりくりして可愛ゆうございます。末は帝に御成りあそばして、この国に繁栄をもたらすでございましょう」

 と奏し賜う事のならぬは、誰一人なかりしかば、その見返り御徳を喜ばぬるにして下心はありし。それはやんごとなき上層階級の上達部、弁官のなどの中にも多かり。

 それより下の下級貴族は数知られぬるほど多かりしを、私も世間の人々も思い知らぬにはあらねど、これらの人々は差し当たりて、いち早き世の流れを思い、権力に憚りて東宮様に参り立ち寄る人もなし。

 この不穏な時の流れを、世を揺すりて惜しみ聞こえ、

『このままでは天地災難、不幸のはじまりではないか』

と、下の者には公け朝廷の動きをそしり恨み奉れど、身を捨ててとぶらい申し開き参らむにも、

『何の甲斐生があってのことや。無駄骨ではないか』と思うにや。

 掛かる折々には人目にも悪ろく、恨めしき内通者も多く、

『世の中は味きなき行き詰まりの時代かな』

とのみ、よろずに付けて思す。


                        つづく


      十九


 その後北山の御陵の参拝を終えた光源氏様は、朝方に二条院へ御帰りになられ、その日は紫の女君に寄り添い、これから予想される苦難の日々の事は何も語らず、

「そちを初めて見たのは、北山の草庵での暮らしであった。犬君がすずめを逃がしてたとかで泣いておったぞ。御婆婆様は、

『そのような子供じみた事で泣いておってはこの先が思いやられる。早く分別をわきまえて、母君のように嫁に行ってもらいたいのに』

と、嘆いておった。あれから八年、月日が経つのは早いのう」

 などと、今までの御物語をのどかに聞こえさせ、屋敷内を一巡するなど緩やかに暮らし賜いて、一日御過ごしになられました。

「あら、私はそのような事で泣いてなどおりません。いつどのようにしてこの二条院で暮らすようになったのか、何も覚えておりませんもの。ただ御婆婆様の優しい御顔だけは覚えておりますわ」

「ならそれで良い。これから先々の事は何も考えず、のほほーんと暮らす事じゃ。時の流れに逆らわず、柳のように時代の流れに身を任せたならば、いづれまた日の目を見ようぞ」

「分かりました」

「御無事の御帰りを御待ち致します」

 犬君も御近くでご挨拶致します。

 御出発は例の夜遊びのごとく、夜深く居出賜う事になりました。身なりはかなり質素で、狩りの御衣ぞなど、旅の御装いは痛くやつれ仕賜いて、高貴な身分など見せ賜わず。

「おうおう、ようやく月も居出にけりな。紫の上、なお少し南の廂に居出て、月夜を見だにて、送り賜いかし。

『いかに暮らしおるのか。須磨から思いやり聞こゆべき事多く、話も積りにけり』と覚えむと思すらん。一つ二日、たまさか隔つる別れの折だに、怪しういぶ咳する心地する物を」

 とて言って、御簾を巻き上げて、寝殿の端に御誘い、いざない聞こえ賜えば、別れの予感に涙を流していた女君も、泣き沈み賜える。

 抱き寄せる光源氏様にためらいて、雲の影よりいざり居出給える月影に、御二人はいみじう寄り添いて、ただ黙っておかしげにて、再び隠れ行く月を眺めて居賜えり。

「我が身は、かくて宮殿の栄華の浮き沈みに身を任せるなん。再び京の世を知らぬ別れならば、紫の上の暮らしも如何なる有様に、さすらえ賜わむらん。何としてでも生き延びてくれ」

 と、後ろめたく悲しけれど、紫の上は、

「私の事など何も御心配に及びません。これからの暮らしの事を思し入れたるに、光源氏様はご心配下さっておいでだと思いますが、私はこれまで通り、のほほーんと立派に生き抜いて御覧に入れますわ」

 と、いとどしかるべき気丈べければ、


 生ける世の 別れを知らで 契りつつ 命を人に 限りけるかな

 先の世の  別れを知らず 約束の  命を人に 預くなりけり


 限りとて 別るる道の 悲しきに いかま欲しきは 命なりけり

                       (桐壺編より)


「この世ははかなし」などと、少し光源氏様の御言葉が浅はかに聞こえなし賜えば、


 惜しからぬ 命に代えて 目の前の 別れをしばし 留めてしかな

 惜しからぬ 命を惜しみ 目の前の 別れをしばし 遅らせしかな


「回りくどい事は何も言わず、さっさっとお出かけなさいまし」

 と、げに冷たくそしり賜えば、さぞ『悔いも残らぬなどと思さるらむ』と、いと見捨て難いけれど、

『夜も明け果てなば、別れもはしたなかるべき笑い者かな』の通例に因り、光源氏様御一行は、急ぎ二条院を居出賜いぬ。

 紫の上様は寂しく見送ったのでございます。


                     つづく


     二十


 二条院を出発して、歩いて南に向かわれた光源氏様は、目立たないように御供もわずかで、京の南外れにある東寺に立ち寄り、そこから二人だけは馬に乗り換え、残りは徒歩で伏見の港に向かったのでございます。

 道すがら京の都を去るのは寂しくて、紫の上の面影につと寄り添いて、川岸の岸壁に到着致しました。北の空を眺めながら、

「紫の上よ、必ず戻って来るから待っておれ」

 と、振り返り、御船に乗り賜いぬ。

 初夏の日長き頃になれば風も心地よく、追い風さえ幸運にも添えて淀川を下り、驚くほどに早くまだ申の刻ばかり、ほぼ午後四時頃に、かの須磨の浦、港に着き賜いぬ。

 都落ちする仮初めの道にても、掛かる遠旅を楽しみなられるなど、居賜わぬ心地に、心細さも、感慨深きおかしさも珍しかなり。

『伏見の都を御発ちになられましてから此処までの道のりは、何も覚えておらぬ』ほど、御心を惑わせ賜う。

 仮住まいとなられる大江殿と言いける所は、痛う荒れ果てて、松ばかりぞお住いの印となる。


 唐国に、名を残しける 人よりも 行くへ知られぬ 家居をやせむ

 西国に 名を残しける 梅よりも 行くへ知られぬ 暮らしとなりぬ


「このままこの土地にも馴染めず、朽ち果てて死んでしまうのであろうか」

 と、嘆き賜いぬ。


 いとどしく 過ぎ行く方の 恋しきに うらやましくも 返る波かな

 むなしくも 過ぎ行く京の 恋しきに うらやましくも 返る波かな

         (伊勢物語 源氏物語では うらやましくものみ使用)


 と、返歌を打ちずじ和歌を詠み上げ賜える有様、さる世の古事のようなれど、光源氏様は珍しう涙を流しながら遠くを眺めております。

「やはり京の都を追われたのは、よほど悲しかっのでございましょう」

 とのみ、御供の人々は思えり。

 光源氏様が打ち返り打ち帰り後ろを見賜えるに、京の都から来られし方の古里の山は霞み はるか遠くにて誠に三千里の外の国の心地するに、櫂のしずく見るも涙が流れ耐え難し。


 我が上に 露ぞ置くなる 天の川 途渡る船の 櫂のしづくか

 我が上に 影ぞ置くなる 天の川 遠渡る船の 櫂のしずくか

        (伊勢物語 源氏物語では 櫂のしずくのみ使用)


 古里を 峰の霞は  隔つれど 眺むる空は 同じ雲居か

 古里を 峰の山並み 隔つれど 眺むる空は 京につながる


 光源氏様は御無事に須磨に御到着なさいましたが、都に残した紫の上や冷泉皇子、藤壺中宮様の事を思えば胸騒ぎが激しく、

「何かに付けて辛からぬ物、無くはなむ」

 と、思ったのでございます


                         つづく



    二十一


 光源氏様がおわすべき所は、かって在原行平の中納言が和歌に残しける須磨の地、


 わくらばに 問う人あらば 須磨の浦に 藻塩垂れつつ わぶと答えよ

 枯れ枝に  問う人あらば 須磨の浦に 涙垂れつつ  わぶと答えよ

                      (在原行平)


 と和歌に詠まれた『藻塩垂れつつ、わびける家居近き渡り、海辺の近く』に成りけり。

 海づらは、やや奥に入りて波は穏やか、しかし、哀れにも山に登った小高い丘は、樹木がすごく生い茂げなる山中なり。

「光源氏様、ここが私の生まれ育った摂津の地でございます。昔、光源氏様に須磨の暮らしや、この地の豪族、明石入道の親子の御話をしたことがございましたが、まさかこの地に案内奉るとは、思ってもおりませんでした。いずれ、明石入道の娘にも御引き合わせ致しましょう」

 摂津守の息子である良清が言いました。

「長旅で苦労を掛けた上に、住まいの手配までお願いするとは、誠に申し訳ないのう」

「何をおっしゃいます。さあ、こちらへどうぞ。何分にも仮住まいでございますので家は荒れておりますが御辛抱くださいませ」

「何を申す」

 光源氏様は垣根の狭間より、初めて住まいの様子を珍しやかに見賜う。茅ぶき屋根ども中央にして、葦でふける左右の回廊めく雑用小屋など、おかしう実用的にしつらい、貧しくも何とか暮らせるように仕なしたり。

 所変りに付けたるお住まい、これまでとようす変わりて、

「昔夕顔と暮らした下町のあばら家と同じ暮らしか。あの時はぼろ屋でも楽しい思い出が多かった。今度は悲しみに明け暮れる毎日となろう」

『掛かる折ならずは、流罪者としておかしうも様々な変化がありなまし。寂しい土地で何を楽しみに生きればよいのやら。海女の娘など抱く気にもなれぬ。今思えば葵の上は最高の女姫であった』

 と、昔の素直になれなかった心のすさび思い出ず。

 須磨の地には、近き所々に光源氏様の御荘園があり、その管理人、司を呼び召して、さるべき家の補修や造園の手配、食事処の人選事どもなど、側近の良清朝臣に手配を命ずる。

 良清は京にお住いの摂津守の息子であるが、不幸にも主人の光源氏様が須磨の地に下った為に仕方なく御供する事になり、親しき家司にて役目を仰せ行うも哀れなり。

「光源氏様に身を預けると決めた以上、浮き沈みも一心同体じゃ」

 と、時の間にてきぱきと指図し、いと見所ありて、家の改築など仕なせ給う。

 池に谷川の水、深う掘り遣りなして寝殿造りの趣を施し、植木ども小高い築山などして、二条院の御住まいに似せるも、今は須磨の地で静まり賜う心地、現実とうつつならず実感湧き賜わず。

 新天地を管轄する国守も、朝廷に於いては親しき殿上人なれば、右大臣に隠れ、忍びて心寄せ、不便の無きよう手配市奉る。掛かる旅所、荷物の運搬人伴う人の往来は騒がしけれど、

『はかばかしう、右大臣を追い落とす話し合いの物ものたまい、計略を合わすべき人との付き合いしなければ、知らぬ国の他人になったような心地して、埋もれ痛く忘れ去られてしまう。

いかで年月を有効に過ぐさまし、都の人々に光源氏が須磨の地で元気に暮らして居る事を分からせねば、光る君も忘れ去られてしまうぞ』

 と、思しやられる。


                       つづく


     二十二


 やうやう都落ちの慌ただしさが静まり行くに、梅雨の長雨の頃になりて京の事も思しやられるに、恋しき人多く、女君、紫の上の思いたりし日々の不安な暮らしの有様、

 東宮、冷泉皇子の御事、右大臣家に預けてある夕霧若君の、何心もなく無心に遊び紛れ賜いし事などを初め、

「京の人々の暮らしはどうなったかのう」

 と、ここかしこに思いをやり、心配事聞こえ賜う。

「良清朝臣、京へ密かに密書をを届けて欲しいのじゃが、誰が良かろうかのう」

 と光源氏様が訪ねましと、良清は、

「それならば小君になさいませ。あの者ならば京に知り合いも多く、親戚に身を潜めながら文をお届け致しましょう。文はなくとも、記憶力で相手に光源氏様のお気持ちをお伝えできるはずでございます」

 と答えました。

光源氏様はさっそく小君を京へ人を居出し奉り賜う。万が一の場合、文が右大臣家の手下に渡らないように、二条院へ奉れ賜う事付けと、藤壺入道の宮の物とは、書き物も形にせず何もやり賜わず。

{良いか、この文の内容を丸暗記するのじゃ。覚えたら燃やしてしまえ。一文字残らず伝えるのじゃぞ。分かったか}

 と、送らされ賜えり。藤壺入道の宮には、


 松島の 海女の笘屋にも いかならむ 須磨の浦人  潮垂るる頃

 北山の 院の住まいは  如何ならむ 須磨の釣り人 京忍ぶ頃


 何時とは言いはべらぬ中にも、来し方行く先々を掻き暮らし、不安な日々を過ごしてなん。


 君を惜しむ 涙落ち沿う この川の 汀増さりて  流るべらなり

 君惜しむ  涙落ち沿う この海に 水際増さりて 流されるなり

          (紀貫之 源氏物語では汀増さりてを使用)


{このまま京を思いながら朽ち果てて行くのだろうか、と思いなん}

 とあり。

 尚侍の朧月夜の御元には、例の中納言、朝顔の君の私事の季節の挨拶ようにて、何げない文の中なるに、


 つれづれと 過ぎにし方の 思い給え 居出らるる夢 見るに付けても

 つれづれと 過ぎにし方を 思い給え 微笑みの顔  見るに付けても


 凝り妻の 浦のみるめの ゆかしきを 塩焼く海女や いかが思わん

 凝り妻の 裏で見る目の ゆかしさを 嫉妬焼く人や いかが思わん


 白波は 立ち騒ぐとも 凝り妻の 浦のみるめは 刈らむとぞ思う

 白波は 立ち騒ぐとも 凝り妻の 海のひじきは 狩らむと思え

           (新古今集 これを引用したかも)


 と、光源氏様が様々に書き尽くし賜う言葉の葉、さぞ無念であっただろうと思いやるべし。

右大臣家の御御殿様にも、光源氏様の御子様を預かる宰相の乳母にも、これから仕奉るべき重要な事など、

『たってのお願い』として書き遣わす。


                      つづく


    二十三


 京に於いては、この光源氏様の御文を所々の人々が見賜いつつ、御心が乱れ賜う人々のみ多かり。

二条院の紫の君は、恋しき人の文を読んだまま泣き崩れ賜うと、そのまま頭を床に突いて、起きも上がり賜わず。

「尽きせぬ有様に思し恋い焦がるれば、光源氏様とて御一人で寂しい御様子。今にも駆けつけて御慰めしたいものを。この京に居ては何もして差し上げられぬ」

 と、自分を責めあえり。

「なにを申します、紫の上様。光源氏様は京の御自宅を御守りする紫の上様に感謝申し上げておりますよ。これを御覧下さいませ。

『紫の上が京の大殿を守ってくれている』と思えばこそ、この須磨の地で安心して暮らせる。

『何時かまた、京の地で暮らせる希望も来ようぞ』

と、書いてあるじゃございませんか。御心を強く持ちあそばしませ」

 などと二条院に奉公し、さぶらう人々も、慰めの言葉をこしらえ詫びつつ、心細う思い合えり。

 光源氏様が日々お暮しになられた本殿に足を踏み入れれば、持て慣らし賜いし御座の敷物、ひじ掛け脇息、御机など御調度の物ども、

また喜びも悲しみも常に引き鳴らし賜いし御琴、

「何もかもが今まで通りで何も変わりませんよ。その内にきっと御姿を御見せになられますよ」

「そうですとも。そうでなくては困りますもの」

 などと、乳母の少納言と幼なじみの犬君は紫の上様を慰め給う。

 紫の上は、京を出発したままの脱ぎ捨てられ賜える御衣の、衣掛けに吊るされた匂いにつけても、

「何もかもが出発なされたあのまま。今は異国に旅立たれた人のよう」

などと、この世に無からむ人のようにのみ思したれば、紫の上の悲しみも当然と言えば当然なのですが、かつ一方では、紫の上の悲しみが余りにも強すぎて、

「まるで死んだ人に対する扱いのよう」

 などと忌々しうて、乳母の少納言は祖父に当たる北山の僧都に、御祈りの事など、

「どうぞ、光源氏様が御無事に御帰りになられますよう、懇請込めた御祈祷をして下さいませ」

 と、お願い聞こゆ。

 少納言と犬君の御二方は、

「これは光源氏様からのほんの御気持でございますが、どうぞ受け取ってくださいませ」

 と、さらに大掛かりな御修法祈祷などさせ賜う。光源氏様の無事の帰還をお祈りする。かつもう一方では、

『右大臣と弘徽殿太合に対する恨みを晴らし給え。あの者たちの権力を奪い、地獄へ落とし給え』

 などと祈りながら、

『かく思し嘆く鬼の心を静め賜いて、憎しみの思いなき安らかな世に私どもを有らせ奉り給え』

 と、心苦しき迷いのままに御二人は祈り申し給う。

 そんな京の人々の苦しみを知らぬままに二条院を訪ねた小君に向かって紫の上は、

「これは光源氏様が須磨で御暮しになるに当たり、何かと不便があろうかとこしらえた『旅の宿直物』、御休みになられる時の御着物でございます。どうぞ御風邪など引かないように献上させて下さいませ」

 などと、調じ奉り賜う。硬めのかとりの御直衣、指貫は麻織りで、絹を好む光源氏様には様変わりするもいみじき質素にて、

「今私どもが準備できるのは、このような粗末な物しか手配できないのです。どうぞご勘弁下さいませ」

 と、紫の上は詫び賜う。


身はかくて さすらえぬとも 君が辺り 去らぬ鏡の 影は離れじ


 と、京を離れる前に光源氏様がのたまいし和歌を思い出し、あの面影の、げに苦痛に満ちた身に添い賜えるも甲斐なし。                                                                                                          

 東門に目をやれば、不意に居出入り来賜いし方、

「もしかしたら光源氏様かしら」

と期待はすれど、そのような奇跡賜う起こるわけでもなく、寄り居賜いし二条院の館を支える真木柱などを見るにつけても、

「頼りになる二条院の強い柱は残れども、この家を支える主はここにいない」

 などと胸のみ塞たがりて、

「私だけがどうしてこうも不幸なのかしら」と、悲観的な物を、とかく思い巡らし、それでも世に耐え生きぬる我慢も、潮染じみぬる海辺の流刑者のように齢に年を重ねる人だにあり。

「私とて光源氏様と同じ苦しみを味わうのは当然の事。この苦難にも耐えねば」

 と決意死賜う。まして光源氏様と紫の上の間柄は、幼少より慣れ睦ましい喜び聞こえ、父母代わりにも成りて育て、御保し立てて慣らわし賜えれば、紫の上が光源氏様を頼りにするのは当然の事。

『恋しう思い聞こえ賜える』事割りなり。

「ひたすらこの世に無くなりなむ権力者。光源氏様も今ではそうなった」

 と言わむ方なくて、ようよう忘れ草も生い茂げやすらん。


 恋ふれども 逢う夜の無きは 忘れ草 夢路にさえや 生い茂るらむ

                 (古今集源氏物語にはありません)


 光源氏様と紫の上の御話を聞くほどは近けれど、

『いつまで世に忘れ去られずにいられるか』と、限りある御別れにもあらで、紫式部は御二人を思すに、尽きせず哀れに思うなむ。


                        つづく



    二十四


 源氏の君は、頭をそり落とし尼になった藤壺入道の宮にも、東宮の御事より始め、御自分が至らないばかりに御二方に不便を掛けるむなしさ、心苦しさ思し嘆く有様、いとさらに深う詫びるなり。

 亡き桐壺院に東宮の後見人を任された御宿世のほどを思すに、朧月夜と浅はかな情事を仕出かした事が、いかが浅くは思されん。

「あれは互いに好き合って仕出かした事、今更悔いはないが、東宮と藤壺中宮様、紫の上の事を考えれば悔いが残る」

 などと、年ごろは、

「ただ物の哀れ、桐壺院の過保護のもとに好き放題に振舞って来た。権力のない私には、今やそれも許されぬ」

 などと聞こえなどのつつましさに、少し情けある弱い景色見せれば、それに付けて、

『それ知った事か。横暴に振舞った数々の色事、許される筈もなかろう』

 と、人の咎め多く出づる事もあればこそとのみ一重に思し忍びつつ、残された恋の相手に哀れも多う御覧じ過ぐし、

「藤壺様は今頃どうして生きているのだろうか。生活に困る事はなかろうか」

 などと、すくすくしう持て成し賜いしを、かばかりに浮世の人ごとなる名言事なれど、常識に掛けてもこの方には、

『悪人』などと言い出ずる事なくて、

『闇ぬるばかりの優柔不断な人柄』と思すなり。

 人に対する意志の趣けも、あながちなりし自分本位の心の引く方、行く方に任せず、かつ一方では優しさと愛情深さで目安く持て隠し、密かに心配するつるぞかし。

「相手の女は哀れに恋しうも、いかが思し居出ざらむ」

ただ、だらだらと男と女の関係を続けるなり。

藤壺入道様の御返りも少し細やかにて、京のこの頃の様子を知らせるなり。

「この頃はいとど何の希望も持てなくて、ただ悲しみの中にだらだらと暮らしております。


 しお垂るる 事を役にて  松島に 年振る尼も 嘆きをぞ積む

 うなだれて 暮らす役にて 松山に 年振る尼も 嘆き重ねむ


 一人寂しく暮らしております」とあり。

また朱雀帝を朝見訪問した帰りの途中朧月夜様とお会いした小君は、光源氏様の文をお届けした御返しに、内侍官の君の御返り文には、


 浦に焚く 海女だに包む 恋なれば くゆる煙よ 行く方ぞなき

 裏で焚く 尼だに隠す  恋なれば くべる煙よ 行く先ぞなき


「更なる逢瀬の事ども監視の目が厳しくて、恋の芽生えも生えなむ」

 とばかり観念して、

「これ以上の罪は許されません」といささかにて小君に対する態度も慎重な物なり。

 ささやかな言伝は、小君中納言の心の中にあり。

「光源氏様が京に戻り、兄の朱雀帝が帝の位を返上したならば、再び御逢い致しましょう」

 と、思し嘆く有様など、いみじう悲しく言い浸り、

「哀れ、私ほど不幸な女はいない」と思い聞こえ賜う節々もあれば、朧月夜様は小君の前で、打ち泣かれ賜いぬ。


                        つづく



  二十五


 紫の姫君の御文には、心ごとに細かなりし悲しみの御返り文なれば、哀れなる泣き言が多くて、


 浦人の 潮汲む袖に 比べ見よ 波路隔つる 夜の衣を

 海人の 潮汲む袖に 比べ見よ 旅路隔てる 京の女を


 届け物の御着物の色、文をしたたまえる有様など落ち着いた覚悟も見えて、いと清らかなり。何事も、巧みに洗練されて、らうらうじうの物、冷静に仕給うを、

「昔を思う有様にて、今は事々くに心慌ただしう行き交い、私に関わりづらう方もなく、

『湿めやかにて謙虚にあるべき物を』と思すに、右大臣に遠慮して私どもを避ける世の人々、いみじう口惜しうございます」

 と、夜昼も光源氏様の御在宅の面影に覚えて、楽しかったこと腹立たしかった事、耐え難う思い居出られ給えば、なお忍びてやお慕い、

『また何時の日か、この二条院へ迎えまし』と思す。

 また打ち返し、

『光源氏様がこのまま御帰りになられなかったらどうしよう。流刑地の暮らしは過酷な物と聞く。万が一御亡くなりになられたらどうしよう。いや、そんなはずはない。考えるのをやめよう。

なぞや、どうしてそんなことを思うのだろう。不謹慎ではないか』

 などと、かく浮世に罪をだに、

『私は知らず知らずの間に周りの人々を傷付けたのではないだろうか。苦しめたりはしなかっただろうか。だから肉親を失わむ』

 と思せば、やがて仏門に精進して、ひたすら祈りに明け暮れ行いておわす。

 左大臣家大殿館で暮らす夕霧若君への御言伝などあるも、いと葵の上か若くしてお亡くなりになられた事を思えば、

『私が至らなかったばかりに、さぞや無念の死であっただろう。我が子の行く末を案じているに違いない』

 などと、無き妻の事を思えば、いと悲しいけれど、今は自ずからは、あい見て見ぬ振りを仕てん。

 左大臣家には頼もしき人々、多くの者世話仕給えば、

「私などが心配して案じても、流刑の身では何の役にも立たぬ。罪人の父親が余計な口出しをしては返って迷惑が掛かる。いまはおとなしく見守るのみ」

 と、『後ろめたうはあらず』と光源氏様が思しなさるは、なかなかこの道の思いやりとして、惑われぬにはやあらむ。

「いずれか我が身を投げ出して、夕霧のために道を開いてやらねばなるまい」などと、決意されたのであります。


 あ、そうそう誠や。あれほど都の人々を騒がせて楽しませてくました六条の御息所様の件ですが、伊勢へ下ってからは鳴りを潜めていたのでございますが、

『またもや騒がしかりし程の噂が、京の人々の間から紛れ、漏らしてけり』

 かの伊勢の秋子宮にも文の御使いありけり。

「彼氏様より、迷惑も考えず、振り払え、しつこく尋ね事参れり。恋文があったのだとよ。内容が何でも、浅からぬくだらない事ども書き賜えり。随分迷惑したのだとよ」

「葉の端々、筆遣いなどは特に念入りで 他の人より事になまめかしく至り尽くせり。愛情深う見えたり、だったとよ」

 京の人々の間にそんな噂が流れ出しておりました。

 そんな光源氏様のお手元には、

「なお、うつつとは思い給えられぬお住まいを受け給わるも、右大臣の天下が明けぬ夜の心戸惑いかと思いなん。さりとも年月は隔て賜わじ。

『私は何時でも源氏の君の味方なん』

 と思いやり聞こえさするにも、

『深き身のみこそ謙虚に生れば。また違う時代も参りましょう。源氏の君がまた朝廷を動かすことになった』

と聞こえさせむ事も、はるかに可能性が高くなると思いけれ」


浮き芽狩る 伊勢をの海女も 思いやれ 燃し干たてふる 須磨の浦にて

ひじき狩る 伊勢路の海女も 思いやれ 燃やし手を振る 須磨の浦から


 と光源氏様の文にあり。

「よろずに思い賜え。乱るる世の有様も、なお如何に成り果つるべきか」

 と嘆く事多かり。


                         つづく


    二十六


伊勢島や  潮いの潟に 漁りても 言う甲斐なきは 我が身なりけり

伊勢志摩や 浅瀬の浜を 漁りても 言う貝なきは  我が身なりけり


 伊勢神宮の御息所様は、共に地方へ下る事になったお互いを、物の哀れと思しけるままに 打ち置き打ち置きて手紙を机に戻しながら考え込まれ賜いて、

「これで私の気持ちが漏れなく伝わるだろうか」

 と迷いながら文を書き賜える。使用紙は白き唐の押し紙四・五枚ばかり巻き続けて、御返りの文を望む墨付きの文様など、さすがは教養人だけあって見所あり。

 若くして死に、哀れに思い聞こえし人を、ひと節に、

「大衆の前で私に恥を掻かせるとは、けしからん姫子じゃ。何も無謀に車を壊してまで、わしを大衆の前にさらけ出すことはなかったろう」

 と、憂鬱しと思い聞こえし恨みを晴らそうと思った心誤りに、

『かの御息所様も、思い膿むじて御自分を苦しめ、野々宮では源氏大将に弁解の一つもせず別れ賜いし』と、思せば、今にしていただいた御手紙は愛おしう、

『かたじけなき物』に思い聞こえ賜いしうそうでございます。

 伊勢で寂しく御暮らしになられた折からの御文、

「源氏の君も都落ちして、さぞや心細げにくらしていることだろう」

 と、いと哀れに思いなれば、御使いの者でさえ睦まじゆうて親しく思え、

「遠方はるばるご苦労であった。源氏の君の御近くに仕えるそなたを他人には思えん。二日、三日ここに据え居賜いて、ゆっくり須磨の御暮らしを聞かせてくれ」

 と、かしこくも須磨の御物語、近況の様子などを施させて熱心に聞こし召す。使いの者は若やかに華の景色ある侍い人なりけり。

 かく斎宮の付き人としての暮らしが哀れなる御住まいなれば、かようのような身分の高い使いの人も自ずからの物、遠からで、ほのかに見奉る御親しき源氏様側近の姿、形を、

「まるで源氏の君が姿を変えてあらわれたよう」と、いみじう感激し、

「めでたし。やっと伊勢の田舎に光が差したようじゃ」

と、御息所様は涙を落としけり。

 二・三日が過ぎて、使いの者が伊勢を離れる御いとまの挨拶に伺うと、御息所様は光源氏様に対する御帰りの文を書き賜う。この別れの言の葉、『特別に意味のある内容であっただろう』と、思いやるべし。

「かく京の世を離れるべき身と思い賜えしかば、『同じく寂しい者同士、慕い聞こえ増し物を』などと思いなむ。

『つれづれと心寂しく孤独な毎日を御過ごしか』

 と、心細きままに将来を悲観してはなりません。


 伊勢人の 波の上漕ぐ   小舟にも 浮き芽は刈らで 乗ら回し物を

 伊勢人は 止めても聞かぬ 小舟漕ぐ 若芽は刈らで  都目指して


 海女が摘む 嘆きの中に 潮垂れて いつまで須磨の 浦にながめむ

 海女が摘む 若芽の中に 潮垂れて いつまで須磨の 浦をながめむ


『疑いが晴れて、都へ呼び戻される日が来るか』聞こえさせむ事の、何時とも言いはべら得ぬこそ、尽きせぬ不安な心地、仕はべれ。今は何よりも我慢、我慢でございます」

 など、忠告ぞありける。

かのように、いずれも打ち見つつ平凡に慰め賜えど、知人からの慰めは、物思いの憂鬱さの原因と成り、悩むもよおし仕草なめり。須磨の暮らしは一向に晴れません。


                       つづく


    二十七


 また、あの花散里の館も思い出し、悲しと思しけるままに、宮殿では至って目立たぬ二人が、人里離れた寂しい場所でどうやって暮らすのか思いは果てしなく、

「掻き集め給える御心ごころ見賜うは、おかしきも目馴れぬ心地して、良くない事ばかり。花散里の二人が、今後どうやって暮らして行けるのか、気がかりでならむ」

 と、朽ち果てる心地して、

「いや、そんなはずはない。若い花散里の事じゃ、意外としぶとく畑を耕して生きて行くかも分からぬ」

 などと、いずれも打ち見つつ楽観して慰め賜えど、何事に付けても物思いの沈むもよおし仕草なめり。


 荒れ勝る 軒のしのぶを 眺めつつ 繁くも露の 掛かる袖かな

 荒れ勝る 軒のシダ草  眺めつつ 繁くも雨に 掛かる袖かな


 と文にあるを、

「むしろむぐらへくそかずらや、葛や蔦により覆われるより以外の、何の手立てもなし。他の後見人も無き有様にて、二人寂しく暮らしおわすらん」

 と思しやりて、小君が、

「長雨に庭に築いた築地が所々崩れ落ちてなむ」

 と聞き給えば、京の二条院の管理人、家司もとに仰せ遣わして、近き山城御荘園の者などに催しさせて、

「花散里の館、補修をよろしく頼む」

と、仕う奉るべき奉公のよし、のたまわす。久しぶりに花散里の家にも喜びが訪れたようでございます。


内侍官の君は、光源氏様との情事が人笑え対象として恥ずかしく、いみじう憂鬱に思し、右大臣家の名誉も崩れ彫るるを、父の大臣様は、いと悲しう仕賜う生真面目な君にて、切に一の宮、弘徽殿皇太后にも、内裏、帝側近にも、

「今回は不本意ながら、光源氏様に強引に乱暴されたまでのこと。女の弱い身では、男の強い力には勝ぬ。どうぞ哀れと思って、今回だけは朧月夜許して下され。二度と間違いは起こさせません」

 と、奏し賜いければ、朱雀帝も弘徽殿皇太后も、

「父君様、朧月夜は私共の身内でございます。どうぞ御心配くださいますな。形ばかりの処罰はともかくとして、悪いようには致しません」

 と、特に厳しい処罰は仰せ遣わず。

「朧月夜は帝によって選ばれた限りある側室女御でもなく、まして中宮としての御息所にもおわせず、ただ帝の衣服係として、公けざまの御奉公人、宮仕え女官と思しなおり、許して下され。

 帝寵愛の女でない朧月夜は、後宮の皇后や側室が掟として守るべく不忠を侵した訳ではありません。どうぞ今回だけはお許しいただき、もし許されるなら今まで通り、典侍女官として働かせて下さいませ。悪いのはあの憎き光源氏様でございます」

 と、またかの憎かりしゆえの怒りこそ、厳めしき恨み言も居出来むにしか。

帝の御怒りもそれほどでもなく、清涼殿での勤めも許され給いて、御奉公参り給うべきに付けても、帝は朧月夜の事がむしろ可哀そうに思えて、なお心に凍みにし被害者の方ぞ、哀れに思い賜いける。

七月になりて、朧月夜様は再び帝の身の世話役として参り賜う。いみじかりし可哀そうな思いの名残りなれば、朱雀帝は人のそしりも知ろし召されず、暖かく迎え入れ賜う。

例の帳台の上につとさぶらわせ賜いて、

「良いか、二度と過ちは犯してはならぬぞ。そもそも帝の神聖な住まいである事の厳しさが欠けおった。何事も厳格に振る舞うべし」

 と、よろずに恨み、かつ一方では、

「幼いころから、そなたは末の妹で可愛いと思っていた。父君の政略で、他所の家に嫁にやられると思っていたそなたが、わしの身の回りの世話をしてくれるなど、まるで夢のようでうれしい。これからは親しき兄妹以上に、何もかも世話してくれ」

 と、哀れに契らせ賜う。

 

                          つづく


     二十八


 朧月夜様の姿・形、容貌もいと艶めかしう清らかなれど、思い出ずる光源氏様との過ちの事のみ多かる心の内ぞ後悔するばかりで、誠にかたじけなき感謝の心でいっぱいなり。

 皮肉を込めた戒めの遊びついでに、

「その源氏大将の、人の無き京を離れるご挨拶こそ、いと騒々しけれ。桐壺院の御陵参拝ついでに、藤壺の中宮様にも御逢いされたとか。義理堅い事よのう。

わしの所へも挨拶に来たが『朧月夜はおらぬか』と、密かに聞いておったとか。そなたが右大臣の大殿屋敷に軟禁されておったから良かったものの、人騒がせな男よ。

腹いせに麗景殿の女御と、妹の花散里を見舞ったそうじゅが、あの男らしい振る舞いじゃ。今も如何に増して、思う人多からむ。何事も光なき心地するかな。悪者にされたくないと必死でもがいておるわ。そなたも気を付けなされよ」

とのたまわせて注意するよう促すと、朧月夜様は

「はい」

 と、鈴を付けられた子猫のようにおとなしく、小声で返事しました。

「源氏大将を須磨に追いやり、この騒ぎも一様は収まったが、桐壺院の思しのたまわせし心配事の御心を、今回の件で違えつるかな。

桐壺院は、

『決して源氏の大将を側から話してはならぬ』と忠告しておった。

源氏大将がおらぬと、朝廷が右大臣の一方的な思いのままに動いてしまうそうな。

やがて帝の重しが利かず朝廷が分裂してしまうとの事だ。年中行事の祭りや式典がつまらなりそうに思えてならぬ。華のある男がいない京の都は、何事も光なき心地するかな」

「いいえ、そんな事はありません。兄上が京におられるではありませんか」

 とのたまわせて、朱雀帝は朧月夜の心を引き寄せた物の、朧月夜様は内心、

『まったくその通り』だと思いました。朱雀帝は廂に立ち天を仰ぎながら、

「やはり桐壺院の思し、のたまわせし御心遣いを違えつるかな。忠告に従わぬは、罪得らむかし。この先何事が起こるか恐ろしい」

 とて言って、涙ぐませ賜うに、帝は自分の弱さを、え念じ賜わず隠そうとはしませんでした。

「桐壺院の無き世の中こそ、身内があるに付けても、

『あじきなき罪の深さに苦しむ迷いになりけれ』と、思い知るままに、

『久しくこの世に喜びあらむもの』と、なむ。これ以上更に帝の位に留まりたいとは思わぬ。

 自分の意志に反して、さも帝に成りなむに、この過ちをいかが思さるべき。桐壺院は何の迷いもなく、重臣を指図しておったではないか。近き程の光源氏との別れに思い落されんこそ、妬ましけれ。

『ける世の中に幸せを』とは、げに良からぬ人の無責任な言い置きになりけむ」

 いと懐かしき悩みの多い御有様にて『物事を誠に哀れ』と、思し入りてのたまするに付けて、ほほろと涙がこぼれ出ずれば、

「さりや、たったこれぐらいの事で地獄へでも落ちると御思いなのですか。そんな事はありません、兄上。御気をしっかりお持ちなされませ」

 と、朧月夜様は兄に向って、怒った顔で言いました。

それでも帝は、

『いずれの地獄に落つるにか』と、のたまわす。

「今まで、わしに皇子どもができず、一人も無きこそ、さうざうしく寂しけれ。冷泉東宮を、桐壺院ののたまわせし跡継ぎの有様にと、思せど、右大臣と母君が、

『あれは藤壺中宮と、光源氏との間にできた、不貞の子供じゃ。そのような者を帝にする訳には行かぬ』などと、良からぬ中傷の事ども居出来れば、心苦しう」

 など、我が世を築くにも、御心の他に、朝廷の祭り事成し賜う人あるに、若き二十七歳の帝は御心の強気所無きほどにて、

『愛おしく可哀そう』と思したる事も多かり。


                        つづく


     二十九


 須磨にはやっと、いとどしく心尽くしの秋風吹くに、


 木の間より 漏り来る月の 影見れば 心尽くしの 秋は来にけり

 木の葉より 漏れ来る月の 影見れば 心尽くしの 秋風来たる

           (古今集 源氏物語では心尽くしの秋のみ使用)


海は少し遠けれど、在原行平の中納言の和歌を思わせる、


 旅人は たもと涼しく なりにけり 関吹き超ゆる 須磨の浦風

 旅人は 肌も涼しく  なりにけり 関所超え行く 須磨の松風


のごとく、光源氏様が御暮らしになる須磨もようやく秋風が吹き貫きて、『関所吹き超ゆるほど』と言いけむ浦の高波は騒々しく、夜な夜なは、げにいとど近くに聞こえて、波のうなりでなかなか眠れません。

「またとなく流刑の地にて哀れなる物は、掛かる所の寂しげな秋になりけり。色づく木の葉と共に今日の都を思い出す」

 光源氏様の御前には、いと人影も少なにて、

「贅沢など言っておられぬ」と、あきらめ顔で打ち休み渡れるに、ふと夜中に一人目を覚まして、枕のそばの音を引き立てて寝返りを打ち、四方の嵐の音を聞き賜うに胸騒ぎがして、

「波、ただここ元に立ち来る心地して、身の危険すら感じる」


 一人寝の 床に畳まれる  涙には 石の枕も 浮きぬべらなり

 一人寝の 夜具に畳まれる 涙には 石の枕も 浮かすほどなり

             (古今集 源氏物語では一部を使用)


 涙落つとも覚えぬに、石の枕浮くばかりに成りにけり。

「小君はおるか」

「はい」

「琴を持って参れ。波の音が騒がしくて眠れぬ」

 届けられた琴を少し掻き鳴らし賜えるが、我ながら心乱れる琴の音は騒がしく、いと凄う音に聞こゆれば、引き差し賜いて、


 恋詫びて 泣く音にまがう 浦波は 思う方より 風や吹くらん

 恋しくて 泣く音に合わす 高波は 思う方より 虫の知らせか


 と詠い賜えるに、光源氏様の眠れぬ夜に集まった人々は驚きて、めでたう覚ゆるも忍ばれて、


 波立てば 沖の玉藻も  寄り来べく 思う方より 風は吹かなむ

 波立ては 沖の木の葉も 寄り来べく 思う方より 文は届かなむ


「きっと、凡河内躬恒の和歌を思い出されているのじゃろ。御気の毒な事じゃ」

 と、あいなううなづき起き居つつ、

「光源氏様とわしらの心は一心同体じゃ」

と、鼻を忍びやかに噛み渡す。


                       つづく


    三十


 現に、光源氏様の回りに集まった人々は、如何に思うらむ。親や同じ腹から生まれた兄弟とは、片時たりとも立ち離れ難く思うほどに根付けつつ、家族愛思うらむ家を別れて、

「かくも戸惑い合える。母じゃは御無事で御暮らしだろうか。体の弱い妹が苦しんておらぬか」

 と思すに、

「運悪くいみじくて、いとかくも『落ちぶれてしまった』と思い沈む有様を、心細し思うらむ」

 と思せば、

「須磨は夏涼しくて良い所よ。松林の木陰で昼寝をしたが何とも心地良い。天女に抱かれる夢をみたぞ」

「いやいや、夜の海を照らす満月の月は何とも美しいぞ。やはり、うさぎが餅をついておったわ」

「かぐや姫はどうじゃった。顔を見せたか」

「こんな良い男が眺めておったから、恥ずかしくて、なかなか顔を見せぬ」

「ははは・・・撫男には用はなかったのじゃろ」

 などと、昼は戯れごとを打ちのたまいて紛らわし、づづれに寂しく京の人々から見放されたような孤独なるままに、

「光源氏様、せっかくの良い機会でございますから、なにとぞ和歌のたしなみと、絵の描き方を教えてくださいませぬか。われわれは必至で勉強致します」

「それは良い考えじゃ。このままでは退屈な毎日に気が滅入ってしまう所じゃった。不運を好機に置き換えなくてどうする」

 光源氏様もやっとやる気を取り戻したようです。集まった人々は土台に石を持ち寄り、板を載せて机をこしらえました。

 筆はそれぞれの懐ふでを使い、ない者は光源氏様の筆を借りたりして和歌や漢詩を書き写したりしました。白紙の紙は残りが少ないので、光源氏様の不要になったお手紙の裏を使ったり、色々の紙を継ぎつつ、手習いを仕給い、 さらに不足すれば、清い水で墨を洗い流し、再び乾かして利用しました。

「木の皮をつぶして紙を作ろうとしたがなかなかうまく行かなかった」

 良清は嘆いていました。光源氏様は珍しき有様なる唐絹の綾織りなどに、様々な絵ども自由奔放に書きすさび賜える。

「ほおー、須磨の白浜に松林でございますか、ひよどり超えの断崖も迫力がありますな」

 人々は光源氏様の描く絵に感心しました。さらに屏風の表に書いた漢詩の絵文字どももいとめでたく、なかなか見所あり。

 人々の伝説に聞こえし海・山、須磨物語の有様を、はるかに思いやりしを、現実にここで御暮らしに成り御目に近くに見ては、京の都は恋しくなるばかり。

 げに都の人々が想像も及ばぬ磯の貧しいたたずまい、二も三もなく荒々しく和歌に書き集め賜えり。

「村上天皇時代の優れた絵師であった常則や千枝も感心するぞ。ここに召して教えを請い、作り絵使う奉らせばや。きっと後世に語り継がれる天下の名画となるだろうに」

「私の和歌も最新和歌集に載せたい物よ」

 と、良清と小君は好き勝手な事を言い、心元感心しながら眺め合えり。

「馬鹿どもめ、そなたたちの絵が後世に残るはずはなかろうが」

 惟光太夫は年寄りのひがみでいいます。

「今宵は楽しいのう」

 光源氏様は久しぶりに笑い顔で言いました。

懐かしうめでたき笑顔の御殿様に、世の不幸なる物思い忘れて、近う慣れ親しみ仕う奉る側近を嬉しき張り合い事にて、四・五人ばかりぞ、つと上下の隔たりもなく無礼講にて、親しくさぶらいける。


                          つづく


   三十一


 前栽の庭先の花、色々咲き乱れ、おもしろき夕焼けの海が見やらるる廊下に居出賜いて、じっと海を見詰めながらたたずみ賜う御若様の御姿、ゆゆしうまでの御寂しさが現れて、清らかなること、

「わしが帝ならば、すべてを許して今日の御所へ呼び戻した物を。弘徽殿太合に頭が上がらないとは言え、朱雀帝も薄情な物よ」

 惟光は目を潤ませて嘆きます。

「早く京へ戻りたい物です」

「いいえ、いえ。もう少し我慢して下さてませ。須磨はさほど悪い所ではございませんから」

 明石の良清は二人をなだめます。

 須磨は海辺の寂しい辺地ながら、所がらは気候は温暖で夏涼しく、ましてのんびりと過去の暮らしを見詰め直すには、この世の物と見給わず静かな所なり。

 白き綾のなよなよかなる柔らかい縦糸、薄紫の紫苑色などを奉りて織られた木綿の御召し物は、細やかなる芙蓉文様の御直衣姿で、青紫の帯をしどけなく緩めくつろいだ御姿は、

「腹回りの衣服が打ち乱れ賜える御若様にて、色っぽい物だわい」

 と惟光などは思い給う。光源氏様は、

「釈迦牟尼物の弟子、これ帰命の札を頂戴致す。弟子仏に申して曰く、今後一切仏さまにそむくことは致しません。光源氏大将」

 と名乗りて、緩るるやかに誓いを詠み賜える。まだこの願文は世に知られず、須磨に居合わせた者だけが聞こゆ。

 砂浜の沖より漁師が、舟歌どもの歌をののしりて歌い、櫓を漕ぎ行く木擦れの音なども聞こゆ。ただ小さき舟にて、かもめ鳥の浮かべる漂いと見やられるも心細げなるに、心は胸騒ぎがしてなりません。

 雁の連ねて飛び行く鳴く声、舟のかじの音に紛えて聞こゆるを打ち眺め賜いて、涙のこぼるるしずくを掻き払い賜いてぐっとこらえる御手つき、黒木黒檀の御数珠に映え賜えるは見事なり。

 ふるさと京都の女恋しき人々への思いに、須磨にさぶらい給える家臣ども、心は皆慰みにけり。


 初雁は 恋しき人の 連なれや  旅の空飛ぶ 声の悲しき

 秋の雁 恋しき人の 連れ立ちか 旅の空行く 声も悲しき


 と源氏大将がのたまえば、明石の良清、


 書き連ね 昔の事ぞ 思ほゆる 雁はその世の 友ならねども

 過ぎ連ね 昔の事ぞ 思ほゆる 雁はその夜の 友の姿か


 と詠み給う。民部省の大輔、惟光は、


 心から 常世を捨てて 泣く雁を 雲の他所にも 赴けるかな

 心から 都を捨てて  泣く雁に 雲の果てにも 極楽ありや


 と、返歌仕給うを、源氏の大将、

「惟光大輔にしては、なかなかの上出来なるぞ。新和歌集に書き連ねたいどじゃ」

と感心仕賜う。すかさず先の右近の将監小君は


 常世居出て 旅の空なる 雁が音も 連に遅れぬ 程ぞ慰む

 京居出て  旅の空なる 雁の音も 殿に連なる 須磨の姿か


 と詠み給う。

「京を恋しがる和歌は禁句じゃぞ。供を惑わしては、如何に心細くはべらまし。強い心で暮らそうじゃないか」

 と、付け加えて言う。親の日発ちになりて伊予へ下りしも、源氏大将が降格した折にも、親からは誘われで、須磨へ参れるになりけり。

「親とは共に縁を切ったのじゃ。これからは死ぬまで源氏の大将に付き添い従うぞ」

 と、下の者には思い砕くべかめれど、誇り高らかに持て成して、親にはつれなき有様に仕給い歩りく。

「そう強がらなくとも良い物を」

 と惟光大輔は言う。


                        つづく


    三十二


 月のいと華やかさに誘われて海辺へ差し居出たるに、今夜は十五夜なりけりと思し居出て、殿上の館で過ごした女遊びが恋しく、

「所々、過ぎ去った過去を眺め賜うらむかし。あの頃は楽しかった。過去の思い出は何時まで経っても美しい」

 と、思いやり賜うにつけても、今は月の顔のみが昔と変わらず、じっとその清らかな心を見守られ賜う。海を眺めながら、

「銀台金の関 夕日に沈々たり 独り宿にして・・・・都から二千里の外

 故人の心を思えば・・・」

と白氏文集わおぼろげに思い出し、ずじ賜える。例の涙も留められず次々と流れ落ち、藤壺入道の宮が詠んだ華やかなりし頃の和歌


 九重に 霧や隔つる 雲の上 月をはるかに 思いやるかな


 と、のたまわせしほどの女性も今はなくて、人恋しく今まで折々の事、思い居出られ賜う。

「よよよ・・・」

 と泣かれ賜う。

「光源氏様、夜更けに成りはべりぬ。海辺は寒うございます。どうぞ館に御戻り下さい」

 と、聞こゆれど、なお入り賜わず。


 見るほどぞ しばし慰む  巡り逢わん 月の都は はるかなれども

 魅せられて しばし慰む  巡り逢う  月の都は 遠くなれども


 と和歌を詠み賜う。その夜、上の宮廷暮らしを、いと懐かしう思い居出られて、昔の物語など仕賜いし御若様の御姿は、

「そう言えば近頃の光源氏様の御姿は、あの神々しい桐壺院に似奉り賜えりし御姿成り。遠からず天皇と御成りになる日もありましょう」

 などと、昔の暮らしが恋しく思い居出聞こえ給いて、右近の将監小君は、慰めなど仕給う。

「恩賜の御衣は、今ここにあり。夜空に捧持して毎日、余香を拝す。一人断腸の思い、都ははるか遠くなり」

 などと、ずじつつ、光源氏大将は館に入り賜いぬ。桐壺院からいただいた御衣は、誠に一時も身離たず、御自身の傍らに置き賜えり。


 憂しとのみ 一重に物は 思ほえで 左右にも 濡るる袖かな

 邪魔物と  一重に物は 思わずや 左も右も 尊き袖かな


 と、思い給う。


 そのころ、大宰府に赴任した第二長官は、役目を終えて京へ上りける。奥方は夕顔が暮らした家の持ち主で、惟光太夫の母の主に当たる。旧源の融の屋敷で夕顔が不意に死んだために、

「たってのお願いじゃ。この娘を預かってくれ。玉鬘まで殺さりたら夕顔に申し訳が立たぬ」

 と、その娘までもが殺されると直感した光源氏様は、仕方なく夕顔の娘、玉鬘を第二の北の方に預けたのである。当時、頭の中将楠木と夕顔は愛人関係で、玉鬘は二人の間にできた娘であった。

 第二の乳母はいかめしく親類が広く多く、子沢山で、娘がちな性格にて所急かける道中に娘どもの足がはがゆくて、

「わしゃ若いそなたたちと一緒に歩いてゆけはせぬ。悪いが私だけ舟で行かせてもらうよ」

 と、北の方は船にて都へ上る。

浦伝いに翔揺しつつ観光して来るに、須磨が他よりも面白き景勝地渡りなれば心留まるに、  

「源氏の大将、かくかくして須磨におられます」

 と聞けば相なう、

「それはまた良い機会じゃ。是非とも光源氏様に御会いしなければならぬ。玉鬘様が元気である事も知らせねば」

 と、向かい給う。好いたる好奇心の娘たちは、

「あの噂に聞く光源氏様に、母上は御会いなさるそうよ。どんな御方か、舟の中からじっくり拝見いたしましょうよ」

とて言って、舟の内さえ恥ずかしく身を隠し賜う。

「そなた達、何をしておる。早くこっちへ来て御挨拶せぬか。失礼であろう」

 と、北の方は娘どもに奏せらるる。


                       つづく


      三十三


 まして十一月新嬢会において、帝の前で五節の舞を披露した末の君は、綱でも首に掛け、御前様の前に引き過ぐるも口惜しきに、

「琴の声、笛の音色、和歌を詠む男の声、風に付きてはるかに聞こゆるに、荒れ果てた所の有様、流刑人の心の御ほどを考えれば、光源氏様の館をお訪ねするのは恐ろしい」

物の音色の心細さ取り集め、無念に死んだ人々のうめき声が聞こえてくるようで胸騒ぎがし、舟の中に身を隠した娘たちは、心ある限り皆泣きにけり。

大宰府第二長官を終えた帥の宮御消息、光源氏様への御挨拶聞こえたり。

「いと遥かなる九州のほどより、まかり上りては、まず何時しか源氏の君にさぶらい御会いして、

『都に於いてその後の様子や御物語、近況なども聞かせていだきたい』とこそ思い給え、参上はべつれば、思いのほか須磨にかくて近くおわしましける。

『これはまた良い機会じゃ』と、御宿を訪ねまかり過ぎはべる。かたじけなう御気軽に御会いしていただくのは有難い事でございます。しかし、弘徽殿太合の扱いは、誠に御気の毒で悲しうもありはべるかな。

幸いにも私どもには、あい知りて迎えに来しはべる人々は、さるべき子や孫いとこまで、かれこれまでに多く来向かいて、余多、多く集まりはべれば、所狭さを思い給え、

『全員がこの館に参上するに憚りはべる事ども考えはべりて、大人数がここへ、え参りさぶらわぬ事』と決めました。ことさらに少人数で参りはべらむ」

 などと、聞こえたり。

 第弐長官の子の、筑前の守ぞ、娘の五節の舞姫伴いて参れる。この殿の蔵人に成し遂げるに当たり、光源氏様が心意気を買えり見賜いし人なれば、

『恩人の没落をいとも悲しくいみじ』

と思えども、右大臣の天下に於いて、

「光源氏様と親しく接するのは危険ではないか」

 と、また見る人々の目もあれば、しばしもじっと落ち着いて立ち止まらず、

「光源氏様、その節は誠にありがとうございました。新嘗祭で私が蔵人としての大役を果たす事ができたのは光源氏様の御蔭でございます、ここにおるはその時の五節の舞姫でございます」

「おおう、そうか、そうか。大きくなったのう。思った通り美しくそだった」

「はい」

 舞姫はうつむいて光源氏様を観察しながら、小声で言いました。

「都を離れて後、昔親しかりし人々をあい見る事叶え難うのみ、成りに至るに、かくわざわざと立ち寄りの物、仕給う事、感謝の気持ちいっぱいである。この度は誠にかたじけない」

 と、のたまう。

「光源氏様、京へ上る途中なれば、申し訳ありませんが先を急ぎます。今日はこれにて失礼いたします」

 と筑前の守が立ち去ろうとすれば、光源氏様の御帰りも、

「早々と、もう立ち去ってしまうのか」

 と、さように悲しくなむのたまえば、筑前の守、泣く泣く帰りて、

「光源氏様、私どもは光源氏様の味方でございます。今は右大臣の天下ゆえ、仕方なく服従しておりますが、また再び源氏大将の下で働く日を楽しみにしております」

 と、自分のおわする立場、御有様を語るに、父の帥より始め、迎えの人々、不本意にもまがまがしく泣き満ちたり。五節の舞姫は、

「御爺爺様。光源氏様の前で泣くのは御辞め下さい」

 と、かくして慰めの声聞こえたり。


 琴の音に、引き留めらるる 綱手縄、たゆたう心 君知るらめや

 琴の音に 引き留めらるる 人情縄 ただよう心 君知るらむや


「好き好きしさも、流刑の身に於いて、知識ある人なら咎めそ」

 と聞こえたり。光源氏様は、

「若い娘にしてはなかなかやるな」

 と言いつつも、微笑みて見賜う。五節の君は、いと恥ずかしげなり。


心ありて 引き手の綱の たゆたわば 打ち過ぎましや 須磨の浦波

心ありて 引き手の思い 知るなれば しばし留まれ  須磨の旅人


「と思いきや 姫の別れに 衰えて 海女の縄焚き 漁りせむとは 古今集 小野の篁 少し変な和歌となったが、そんなことはあらむ。五節の舞姫を欲しいとは思わざりしや」

 とあり。

『須磨の駅長 驚く事なかれ 時の変改め 一栄一落あれば 是れ春秋の定め むまや(駅)の長に櫛取らする人もありけるを』

光源氏様は筑前の守の御好意を拒否なさったのであります。第弐帥の一行が遠ざかるのを目にしながら、光源氏様は寂しく、まして涙は落ち止まりぬべくなむ、流したと覚えける。紫式部


                        つづく


      三十四


 都ではその後、月日過ぐるままに、帝をはじめに奉りて、多くの方々が、源氏大将を恋しがる声聞こゆる折節多かり。東宮はまして世の中の出来事が分かるようになられたのか、

「源氏大将はどこへ行った。大事に扱われ、物を沢山いただいたのに冷たくあしらってしまった。わしが嫌いになったのか」

 などと常に思し居出つつ忍びて泣き賜うを、見奉る御乳母の君は、

「ようよう弘徽殿太合様や右大臣様に、光源氏様の悪口を聞かされながら御育ちになった東宮様も、世の中の善と悪が見分けられるようになられたのかしら」

 などと感じ給う。まして王命婦の君は、

「たしかに女にはだらしなくしつこい男であったが、前後の見境を忘れてしまうほど優しい男であった。本当の味方は源氏大将しか居ないと悟ったのであろう」

 などと、いみじう哀れに見奉る。藤壺入道の尼宮は春宮の御事を、

「源氏大将がおらぬ今となっては、東宮を御守りする御方は誰一人とおらぬ。朱雀帝に王子がいない今ならともかく、男子出産の知らせがあったならば、冷泉王子は世継ぎの座を追われるかも分からぬ」

 と、忌々しうのみ思ししに、源氏大将もかく須磨へさすらへ賜いぬるを、いみじう『頼りにならぬ』と思し、嘆かるる。

 桐壺院の中宮、弘徽殿太后様から生まれた今の朱雀帝、側室女御腹から生まれた第二王子の蛍兵部卿の宮様、承香殿女御の第四王子など御子達、その者と睦ましう交流聞こえ賜いし上達部など、

「東宮様も可哀そうな事じゃ。母君は北山の草庵で桐壺院の供養に専念して内裏にはおられぬ。守役の要は源氏大将は流刑の身となった。誰を頼りとして生きるのやら」

 と、帝側近初めつ親しい方は、東宮の立場を御気の毒に思い、慰めるなどお見舞いしてとぶらい聞こえ賜うなど、同情有りき。哀れなる弘徽殿太合や右大臣に対する批判の文を作り交わし、それに付けても世の中に公然とのみ目出られ給えば、

「何と言う事じゃ。わしと父君を公然と批判するとは」

 と、妃の弘徽殿皇太后の宮様は聞こし召して、いみじう怒りのたまいけり。

「公の公事ごとに関わりなる人は、心に任せてこの世の同情心味わいのみをだに、知る事難うこそあなれ。人情に流されては、政事は立ち行かぬ。朱雀帝の安泰のみを考えねば平穏な世の中にはならぬ。

 源氏大将のふしだらを許しては天皇家の血統が揺らぐではないか。面白き家居に乱交などしては、世の中をそしりもどきて、たとえ源氏大将との間に出来た帝側室女御の子供を、朱雀帝の親王として偽るではないか。

 かの清国第二皇帝に、鹿を馬と言いけむ人の悪だくみもひがめるように追従する。悪い芽は断たねばならぬ」

 など、悪しき事ども聞こえければ、

「冷泉皇子に御機嫌を伺っては、反乱の疑いありと言われ兼ねる。わずらわし。危険な者には近づかぬ事じゃ」

 と耐えて、最近では東宮様に消息、御訪問聞こえ給う人なし。

 二条院の家事を任されし紫の姫君は、ほど振るままに時に流され、

「誰一人この家に近づく者などおらぬ。寂しい限りじゃ」

と思し、嘆く他に慰めむ折なし。

 東の対にさぶらいし夕顔の右近など光源氏様に御奉公した人々も、皆紫の上の西の対に渡り参り、

「小娘などにどうしてか、面倒見切れる物でもるまい。さしも大事に扱われる事はあらむ」

 と思しかど、

「東の対に別々に暮らしておっては費用が重なって困る。悪いがこの家で我慢してくれ」

 と労をねぎらい、初めは『さしも大事にされる事はあらむ』と思いしかど、見立て奉り馴れるままに過ごしてしまうと、懐かしう母親らしいおかしき御有様感じられて、

「小まめやかなる御心映えも慈愛に満ちて、思いやり深う哀れなれば、私どもは安心してここに居られます」

 と、誰もまかで散り去る人もなし。

 押しなべて上官ならぬ下働き際の人々には、ほのかに見えて、御気遣いなど仕給う。そこらの中に居た人々、紫の上の優れたる御志も、事割りに『義務は果たすべきになりけり』と、見立て奉る。


                         つづく


     三十五


 須磨に於いて最近の光源氏様は、かの二条院の御住まいには久しくなるままに、紫の上の御暮らしが『どうなったか』気がかりで、

『無事に暮らして居れば良いが。あの気性の激しい弘徽殿皇太后が権力に任せ、二条院を壊さぬとも限らぬ。そうなれば祖父の僧都なき今となってはどこに身を寄せるというのだろう。無事を祈るのみ』

 と、不幸な出来事を、え念じ、過ぐすまじう覚え賜えど、我が身さえだに、浅ましうも人に世話掛けさせる見なれば無理も言えず、

「帝の女に手を出した報いか」と、宿世と覚えゆる住まいに、

「如何でかは、打ち具して面倒見切れる立場ではない」

と、尽き果てなからむ現状の有様を思い返し賜う。

様々な所に付けて、よろずの事様変わりして、見給え知らぬ光源氏様に関わる下々人の身の上にも、見賜いならわぬ厳しい暮らしが感じられる御心地に、目覚ましう、

『かたじけなう、苦労を掛けてすまぬ』と、自ら思さる。

 夕暮れ近くに、夕食の支度する煙の、いと近くにたなびき立ち来るを見て、

「これやは、もしかして海女の塩水焼く煙ならむか。それにしても小高い山の方から来るのもおかしいが」

 と、思し渡るは、光源氏様おわします後ろの山に牧柴と言うもの燃やし、蚊を追い出す、伏すぶる煙なりけり。

 京にない珍しかる風景にて、


 山がつの いほりに焚ける 柴柴も 事問い来なん 恋ふる里人

 山びとの いおりに焚ける 木煙も 便りに来なん 恋し古里


 などと、心情を詠み賜う。


 それから季節は四か月ほど過ぎ、冬になりて雪も降り、海が荒れ果てたる師走の頃、雲は黒くたなびき、みぞれ降る空の景色もすごうなる姿を眺め賜いて、

「このまま海ばかり見詰めておっても、ますます気が滅入るばかりじゃ。こういう時こそ楽しい宴会の真似事をしようではないか。惟光、鳴り物をすべて集めて持って来させよ」

 光源氏様の思いがけない呼びかけに惟光は、

「へい」

 とばかり、久しぶりに髭の口元に白い歯を見せて、快い返事をしました。しばらくすると、家臣のほとんどが集まって来ました。

 光源氏様は琴を弾き遊び賜いて、良清には歌を歌わせ、惟光大輔に横笛を浮き鳴らさせて遊び賜う。

「月の照る寒い夜は‥一人寂しく・・・・」

 と、心に都留めて寂しく歌う良清の声に合わせて、哀れなる下手な手立てで乗り気のしないまま弾き賜えるに、事物の声合わせども止めて、皆虚しさに涙を呑み越し合えり。

「都が恋しいのう」

と、惟光のうなだれる姿に皆泣きにけり。

 昔、胡、匈奴の国の王に側室として遣わしけむ女、王昭君の心情を思しやりて涙し、

「まして今後如何になりけむ。この世に我が思い聞こゆる人など、さようにたやすくおろうか。刑を終え、都に放ちやりたらむ事など思うも、今の右大臣の天下では有らむ事のように忌々しく思えてならむ。


 辺風吹き立つ秋の空 黄河流れ添う夜の涙 胡角一声霜の後の夢

 昭君側近に賄賂を贈らましば 定めて終身帝に仕えからまし」

などと、ずし賜う

                         つづく


    三十六


 光源氏様のお住まいには、月、いと明かるう差し入りて、はかなき旅家の御間し所は小さ過ぎて、奥まで月の光の届かぬ隈はなし。床の上に反射する月の光、夜深き雲の流れの空も見ゆる。

 入り方の月影、すごう大きく見ゆるに、

「ただこれ、西に行く物なり。時の流れには逆らえぬ物なのか。ただ呆然と過ごしては、年を重ねるのみ」

 と、一人語ちにのたまいて、


 いず方の、雲路に我も 迷いなむ 月の見るらむ 事も恥ずかし

 いず方の 雲の流れに 我迷う  月の見詰める 我れは恥ずかし


 と、再び一人語ちにのたまいて目を閉じるに、例のうたた寝に惑ろまれぬ暁の空に、海辺を飛び交う浜千鳥の声、いと哀れに鳴く。


 友千鳥 もろ声に鳴く 暁は 独り寝覚めの 床も楽もし

 群千鳥 騒がしげ鳴く 暁は 独り目覚めの 床も楽しや


 と詠み賜う。今はまだ、奉公人でさえ起きたる人もなければ、返す返す一人語ちに寝返りを打ち賜いて、床に臥し賜えり。

 夜深く、御手洗いや御手水清めに参り、

「何とぞ早く、京へ呼び戻される日が来ますように」

 と、念ずなど仕賜うも、珍しき事のようにめでたう、謙虚の気持ちのようのみ覚え賜えば、

「この男はなかなか見所がある。このまま捨て置くのは惜しい」

と天の神は見奉り、大将を見捨てず、かと言ってたやすく、この家に明からさまに喜び事も燃え居出ざりけり。


 話は変わって、光源氏様が今住まわれている須磨から二里離れた明石の浦は、海岸を這い渡れるほど近うなれば、随身の良清朝臣、かの生まれ故郷の明石入道の娘を思い居出て、

「光源氏様の世話役にお迎えしたい」

 と、文などやり取り仕給いけれど、返り事、返事もせず父の入道ぞ、かう言う。

「物事には順序と聞こゆるべき事があるなむ。明からさまに対面を申し込むとは無礼もあるがな。ガキの分際で『娘を嫁に迎えたい』と軽々しく言いやかって文をよこすとは迷惑千万」

 と、言いけれど、その受け居飾らむ物の言い方ゆえ、良清は行き掛かりて恐れおののき、空しく帰らむ後ろ手のしっぽ姿も、愚こがましなる、負け犬のようであったと思うべし。

「あんな奴に誰が光源氏様との縁談を持ち掛けてやるものか」

 と、訓じ痛うて、その後しばらく行かず。

 世に知らず、明石入道は心気高く思えるに、播磨国の内には、神世の昔から天下を支配するゆかりの地とのみ思えしこそは、賢き家柄に生まれ住めれど、

「我が身はこんな安っぽい田舎などに留まって一生を終える男ではない。京に上り、帝の信頼を得て天下を動かす人間である」

 と、ひがめる心はさらにも積み重なり、

『それがは高望み』などとはさも思わで、今日まで年月を経けるに、この入道の君、

「光源氏様がかくてしかじか、どうも京の都を追い出され、須磨の地で暮らすようになったらしい。鬱屈した御気持でおわすらしい」

 と、姫の母君に語らうようなる。

「桐壺の更衣の御腹から御生まれの源氏の光る君こそ、我が家に幸運をもたらす男なれ。おおやけの朝廷に於いて過ちを犯し、困りにて須磨の浦に住まいの物、仕賜うなれ。

 我があの子の宿世にして運命的な出会いとなるなも知れぬ。枕元の神のお告げにより、

『娘を差し出すように』と、夢に覚えぬ命令事の有るなり。いかで宿命に掛かるついでに、我が娘を源氏の君に奉つらむ」

 と言う。母君は、

「あな方いさはや、京の人の語る噂を聞けば、やんごとなき良家の御女淑女ども、いと多く持ち賜いて、

『女にはだらしない』と、聞いておりますぞ。

そのふしだらな余り、忍び忍びて帝の御妻さえ口説き落として過ちを犯し賜いて須磨に流刑になりなむ。かくも騒がれ賜うなる人は、我が純粋な心の娘にふさわしくありませんぞ。

まさにあの、かくも怪しき山がつのひげ男を思い出し、乱暴者と心を留め給いてむや。娘を嫁がす訳にはまいりません」

と言う。入道は腹立ちて・・・・


                           つづく


    三十七


 入道は腹立ちて

「え、恥を知り賜はじ。そなたが思う心と異なり、あの男は女に優しい男なるぞ。その優しさゆえに女を捨てられず、

『愛することこそ思いやりだ』と、思うておるのだ。光源氏様に、さる尊敬の心を仕給え。ついでして、そんなにも優しい男は他にたった一人、ここにもおわしまさせむ。お前はわしの妻になって幸せであろう」

 と、心を思いやりて言うも、固くなにむなしく見ゆ。明石入道はまばゆきまでしてしつらい、自慢の髭をなでながら満足そうに賢しづきけり。

母君は、

「などか、どうしてでございます。めでたくとも物の初めに娘の婿として、罪に当たりて須磨に流されて居わしたらむ人をしも、選りに選って思いを掛けむとは、おかしいではございませんか。

 さても、あなた様があの男に惚れたのでございますか。罪人に心を留め給うべくはこそ、あらめ。戯れにても度が過ぎます。大事な娘の事を思えば、あるまじき事なり」

 と、言うを、明石入道は、いと痛く、

「まったくその通りだわい」とつぶやく。

「宮殿に於いて何らかの罪に当たるもめ事は、もろこしの唐の国に於いても、我が帝の日本国に於いても、良くある事なり。わしだって何の罪もないのに明石に追いやられたではないか。

 かく世に優れ、何事にも人に異なりぬる卓越した人の身に左遷はぞ、必ずある事なり。その優れた才能があるがゆえ、弘徽殿太合と右大臣が計略して落とし入れたのであろう。

『如何に物華やかさ仕賜う君ぞ』と思う。

こんな優れた人物との出会いは一生に一度しかない。故母君、桐壺更衣御息所は、俺のが叔父もの仕賜いし按察使の大納言の娘成り。源氏大将とは遠縁に当たり助けねばならぬ。

 いと皇族なる名を取りて帝に宮仕え出し給えりしに、桐壺国王は優れて桐壺更衣に胸をときめかし賜う事、並び並みなかりけるほどだに、人の嫉み重く、この世から失せ賜いにしかど、

『この母君の、帝の側室として留まり給える功績は、いとめでたかし』

 我々は桐壺更衣様の御手柄を無駄にしてはならぬ。女は心高く家の計略として使うべき物成り。おのれがに掛かる田舎人に成り下がった者としても、天下人になる夢は思しても捨てじ」

 など言い至り、この機会は絶好の夢なる。

 この入道の娘は、優れたる容貌形にはならねど、懐かしゆう艶で柔らかにて温和な性格、心ばせある計算高き有様などぞ少しも持たず。げにやんごとなき気質、人柄、美貌など人柄に於いては、高貴な人にも劣るまじかりける人物なり。

「ただ残念ながら我が娘は、口惜しき身分の低い者に思い知りて、都の位高き人は、我々を宮殿に迎え入れる人物として、何の数にも思さじ。地方の下品な豪族としか思っておらぬ。

『この荒れ果てたるほどに付けたる世をば、さらに見じ。世も終わりではないか』

『命長くして生き、世を正そうとする人々に遅れなば、わしは尼にもなりぬ。恥ずかしくて海の底にもいりなむぞ』と、思いける」

 入道父君は、ところ急く思い賢づきて、新春詣でに御参りしたばかりの家の守り神に、年に二度、再び住吉明神に詣でさせけり。神の幸運の印をぞ、人知れず頼み思い続ける


                      つづく


     三十八


 光源氏様は数えて二十七歳になられました。

須磨には年変えりて日長くなり、つれづれに春の気配が感じられるに、京より持ち込み植え賜いし若木の桜は、早くもほのかに咲き染めて空の景色もうららかなるに、

『早くも年が明けて何の功績も残せぬまま三か月が過ぎようとしている。東宮様は安泰に御暮らしておいでだろうか。紫の上はどうしているのだろう。都人の暮らしも気にかかる』 

などよろずの事、色々思い居出られて、源氏の君、打ち泣き賜う折多かり。

「あれは二月二十日余り、ちょうど今の時期であった。ここへ行きにし年、京を別れし時は誰もが泣いておった、心苦しかりし人々の御有様など、いと恋しく、今も思い出されてならん。

 今頃二条院南殿の桜は盛りに成りぬらん。華やかに咲き誇っていることだろう。ひと年世、七年前の桜の宴に、桐壺院の表情御景色は嬉しそうで、内裏紫宸殿壇上の東宮様、今の朱雀帝も、いと清らかになまめいてわしに友好的であった

 帝は我が作れし和歌の句をずし歌いしも皆に披露し、ほめておった。


 ももしきの 大宮人は いとまあれや 桜かざして 今日も暮らしつ

 宮中の  奉公びとは ゆとりあれや 桜かざして 今日も遊びつ

          

新古今集 山辺赤人の和歌にも劣らぬ和歌なるぞ。これから披露する源氏中将の和歌を聞くが良い・・・・などとほめておったわ」

 と、光源氏様の思い出聞こえ賜う。


 いつとなく 大宮人の 恋しきに 桜かざしし 今日も来にけり

 いつとなく 宮中人の 恋しきに 桜かざして 今日も来にけり


「やはり山辺赤人の和歌にはかなわぬ。父君桐壺帝はおだてておったのだろう。あの当時、頭の中将楠木と舞った桜の舞が思い出される。東宮様から授かった桜の枝を頭にかざし舞を披露した。

 廂の高欄干には華やかな衣装を着飾った側室女御どもも大勢集まり、高官らと共に拍手喝采を贈ってくれた。あの時は我が栄華の極めだった」

 と、昔の思い出聞こえ賜う。


 いとつれづれに何の変化もないまま時間だけが過行く無駄な日々が重なるに、京の都に於いては右大臣大殿の入り婿、頭の中将楠木は参議宰相になりて出世の道を歩き続ける。

 人柄の大雑把な性格で部下の面倒見もいと良ければ、時世の覚え、帝を支える期待も重くて、本人としては満足の物仕賜えど、源氏大将と言う競争相手がいなくなった今は、世の中哀れに味気無く思い給う。

 物の季節折ごとに、源氏大将との争いを恋しく覚え給えば、事の弘徽殿太合と右大臣の策略が聞こえありて罪に当たるとも、

「本当の事を言えば、源氏大将だけが悪いとも思えぬ。むしろ誘ったのは朧月夜ではないか。帝の内侍の官でありながら源氏大将に惚れてしまった。男は女の誘いに弱い。

『女に誘われて逃げ出すは男の恥だとも言える』

帝の世話役でありながら男を誘った朧月夜に問題がある。朧月夜をいかがせむ」

 と、思しなして、にわかに帝に詣で給う。帝は

「帝としてもその通りだと思うておる。しかし母君の弘徽殿太合が、

『源氏大将を追放せねば右大臣家も安泰ではおられぬ』と言い張って聞かぬのじゃ。母君と右大臣御爺爺様の力がなければ朝廷に重石が利かぬ。それに今回は妹の朧月夜の命運にも関わる。妹を守るために源氏大将を追放するしかなった」

「しかしながら・・・」

 と三位の宰相言い掛けると、朱雀帝はそれを手先で阻止し、

「分かっておる。源氏大将を宮殿から追い出すのは酷であった。いずれ機会を見て京へ呼び戻すつもりでおる。そこで楠木宰相に頼みがあるのだが、

『源氏大将はいずれ京へ飛び戻す。辛抱強く須磨で待っておるように』

と、伝えてくれぬか。そなたと源氏大将は仲の良い友人だと聞く。須磨へ下ってその事を伝えてくれ」

 と朱雀帝は御自分の御気持をお伝えなられました。


                        つづく


    三十九


楠木三位宰相は、事の起こり聞こえありて源氏大将が罪に当たるとも、

『いかがせむ。妹の葵は亡くなったとは言え、友人でありながら義理の弟である源氏大将を見捨てて良い物だろうか』

と思しなして、帝の頼みも有りにわかに詣で給う。

須磨の浦に到着した宰相は海の景色が素晴らしく晴れやかに感動はしたものの、案内された源氏大将の貧しい住まいを、遠くから打ち見るより早くも哀れに思えて、

「これがあの栄華を極めた源氏大将の住まいか」

 と、珍しう嬉しきにも、一つ涙ぞこぼれける。

 住まい賜える須磨地のさま、言わむ方なく、何となく唐めいて、

「よその国にきたようじゃ」

 と、思い居たり。

暮らし所の庭と建物の有様は、絵に描きたらむように美しげなるに、竹筒で編める垣根を四方に仕渡して、鑓水の石の橋、建物の松の柱、板壁はおろそかなる素人の雑な物あるから、隙間が多く厚みや大きさもばらばらで珍しかに貧弱でおかし。

 源氏大将は山がつの山賊めきて、許し色の薄い紅色の下着は黄ばみがちになるに、青い鈍色の狩衣を上に着て、薄墨の指貫袴は打ちやつれて、ことさら田舎人びて御気の毒なり。

「そうした荒っぽい姿も、たくましく成ったようで良くお似合いじゃ」

 と楠木三位の宰相は握りこぶしに咳を吐きながら、苦笑いして言う。

「そう無理に御世辞を言うな。わしにすれば、精一杯おめかしをして出迎えておるのじゃぞ」

 源氏大将は、懐かしい京服のさりげない姿を懐かしそうに見つめながら、海で捕れた食べ物を並べて持て成し給えるしも、恥ずかしそうにいみじう見るるに、微笑まれて清らな姿成り。

 取り使い賜える調度品の机や引き出しども、仮そめに簡素化仕なして、普段座って過ごす御座所も露わに奥が見入れられる。

「そうじろじろ見るな。我が家がすべて見通せるではないか」

 源氏大将は顔を赤らめて言う。

「いや、寝起きしながら何もかもが見渡せる気ままな暮らし。のんびりと過ごせて楽しそうじゃ。わしも出来るならこうしてのんびりしたい」

 楠木宰相は、碁、双六の盤、調度の弓矢、弾木の道具など、遊び道具は田舎技に仕なして腕を磨いていると見え、念ず仏様の道具を見て、この世を去った桐壺院や葵の上、秘めたる夕顔の供養など読経の行いを、

『勤め賜いけり』と、見えたり。

 源氏大将はしばらくして海の見える離れに案内して、田舎の食べ物持って参れるなどして、ことさら所々に配慮付けし、宰相は興味ありて珍しい物に感動仕なしたり。

 土地の海女どもは礒を漁りして、はまぐりやあさりなど貝つと言う物、持って参れるを調理し、召し居出て楠木宰相に御覧ずさす。

「これはまた、おいしい貝汁じゃ。海の近くで暮らす者でなければ味わえられん。これを毎日食えるとはうらやましい限りじゃ。

 所で、須磨の浦に年振る月日はどうじゃ。さぞや都が恋しい事であろう。朱雀帝からの言付けじゃが、

『もうしばらく須磨の地で我慢せよ』との事じゃ。必ず呼び戻すと言っておったぞ。何か不自由にする物はないか。何なりと申してみよ。精一杯努力して届けさせよう」

 宰相は、須磨の浦に暮らし賜う有様問わせ賜うに」

「不自由と言う物は何もかもじゃ、しかし今更それを言っても始まらぬ。早く都に戻れるように帝に頼んでくれ。この須磨の地で老いぼれて今にも死にそうじゃ」

 光源氏様は、様々な安げなき身の愁へを申す。


                        つづく


       四十


 そこはかとなく暮らし向きをさえずるも、心のゆくえは同じこと、桐壺帝の太平の世に生き、共に学び、遊び、見習の時を経て朝廷の重要な地位に昇り詰めた。しかしその結果が、

『一人は罪を問われ地方へ流罪となり、もう一人はさらに重要な権力者になった。今は互いの命運か何かかが異なる』

 と、哀れに見賜う。


 須磨の浦に 漁りする海女の 大方は 貝あるよとぞ  思うべらなる

 須磨の浦に 生きる人の   大方は 甲斐あるよとぞ 思うべらなる

        (菅原兼盛 源氏物語では引用のみ)


 楠木宰相が、

「これは誠に失礼と思うのだが」と、御衣どもなどかづけさせ賜うを、

「いやいや、これは実に有り難い。京の着物などめったに手に入らぬ。対面など構っておられぬ。生ける甲斐あり」

 と思えり。

 源氏大将は御馬ども納屋から近う引き立てて、

「これは明石の入道からいただいた黒毛の馬じゃ。なかなか品格があり、立派であろう」

 と、自慢げに見せる。

「こいつはいい。是非わしが乗って来た栗色の馬と砂浜で競争してみたいものじゃ」

 と、宰相は首輪をつかみ、馬の鼻をなでながら言う。

後ろを見やりなる納屋らしき倉か何ぞなる建物から、稲鳥数羽取り居、出て来るなど、卵を産む鳥を珍しう見給う。


 世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる

 世の中は 何か異なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は背になる

                      (古今集)

 

宰相は飛鳥井少し歌いて、月頃の京の都の御物語、人の興亡の変わりように泣き見たり。笑い見たりして、

「夕霧若君の、何とも世を思さで無邪気にはしゃぎ物仕給う姿を見ると、側で見る人々は哀れを感じて、左大臣大殿の明け暮れに付けて、あの子の将来を嘆く。

『源氏大将と娘の葵との間に生まれた御子が、この先どうなるのか』嘆いておったぞ」

 など語り給うに、源氏の君、耐えがたく京の現実を思したり。

 二人が語り合う事、尽きすべくも有らねば、なかなか秘密の策略も多く、片っ端しにもすべてを残らず語り伝える事は、え真似び報告に及ばず。紫式部は秘密を暴く訳には参りません。

「もし我々が天下を取ったならば、どのような人選が良かろうかのう。左大臣と右大臣はわしと源氏大将として、太政大臣をだれかにするかだ。朱雀帝の近親者は仕方がないとしても、実力者では困る」

「右大臣家からおとなしいお人好しを選ぶしかあるまい。側近の惟光をどうするかだが、あいつは遊び人で政治家には向かぬ。祭りや祭礼を統括する治部省の卿にするのが良かろう」

「俺の兵部省の人選をどうするかだが」

「とりあえず思い付いたままに紙に書き込んでおこう」

 二人は夜もすがら一晩中まどろわまず、文作りして夜を明かし賜う。さう言いながらも、

「夜が明けたら、わしはすぐに帰るぞ。余り長居しては感の鋭い弘徽殿太合が『何を企んでいるのだ』と問い兼ねない。若君は暇が多いのだから、じっくりと策略を考えておいてくれ」

 などと、世間から物の聞こえ包みて心配し、急ぎ帰りの支度を整え賜う。用心深さは、いとしたたかなり。御河原器、盃を持って参りて

「さらばじゃ。『酔いの悲しび、涙注ぐ。春の盃の裏』

白楽天は今のわしの心境で親しい鑑真を、こうして見送ったことであろう。気残りな事じゃ」

 と、諸声に涙して、宰相はずし歌い給う。

御供の人も涙を流す。源氏大将己が自身は束の間なる別れを惜しみ、嘆かむべかめり。朝ぼらけの空に、雁が連れ立って北へ渡る。主の君


 古里を いずれの春か 行きて見ん うらやましきは 帰る雁が音

 宮殿を いずれの春か 行きて見ん うらやましさは 帰る友人


 と、和歌を詠み賜う。


                         つづく


      四十一


 宰相は断ち居出んばかりの後ろ髪を引かれる思いがして、


 明かなくに 雁の常世を 立ち別れ 花の都に 道や惑わむ

 明け方に  友の常世を 立ち別れ 花の都に 足や進まぬ


 楠木中将からは、さるべき都から包とみ贈り物として、良しある有様にて織物や調度品など多数あり。

「これは有難い。かくかたじけなき心遣いじゃ。『お礼に』と言っては何なのだが、須磨の海産物と、黒駒馬一頭を進ぜよう。なかなか良い馬じゃぞ」

 と言いながら、旅の土産品を奉り賜う。

「流罪者から贈り物をもらうとは、忌々しう思されぬべけれど、須磨の風に当たりては、居映えぬべければなむ。どうかこの馬を、都の華やかな晴れ舞台に披露してくれ」

 と申し賜う。世に有り難げなる御馬の有様なり。三位の中将は

「形見に忍び、思い出し賜え。いみじき笛の名、疑いの元となった前例ありける。これは源氏大将に預けておこう。もうしばらく我慢仕賜え。疑われる事はしない事だ。都へ呼び戻される日は近い」

 とて言って、

『明るい未来が有りける』とばかり、人咎めつべき贈り物の事は、片身にも互いに、え仕賜わず。

 日ようよう差し上がりて人目も気掛かりに心も慌ただしければ、馬の上から返り見のみ仕つつ振り返り、三位の中将居出出発仕給うを、主一行が見送り賜う景色、いとなかなか名残り惜しげなり。中将は、

「何時また対面賜わらんとすらん。さりとも、かくてやは源氏大将をこのまま地方に留めたりはしない」

 と申し賜うに、源氏の主、


 雲近く 飛び交う鶴も 空に見よ 我は春日の  曇りなき身ぞ

 京近く 飛び交う鶴も 天に見よ 我は悔しくも 曇りなき身ぞ


 と言う。

「かっては昔、帝を補佐するように桐壺帝に頼まれながら、かくこのように都を追放される羽目になりぬる人は、昔の賢き人だに、一人もおりはせぬ。流刑は余りにもひど過ぎる。

ただ右大臣の天下に於いては、はかばかしうも世に交じらう事がむずかし難うありはべりければ、何かに付けて帰京は難しく、残念ながら、

『都の境を又も再び見ん事はないなむ』と思いはべらむ」

 などと、のたまう。宰相は、


 鶴が泣き 雲居に一人 寝をぞ泣く 翼並べし 友を恋いつつ

 友もなき 都に一人  寝をぞ泣く 翼並べし 友を恋いつつ 


 と詠み賜う。

「かたじけなく 慣れ親しみ聞こえはべりて桐壺帝の宮殿で育って生きて来た。いとしもと、堪忍袋が切れるほど悔しう思い給えらるる昨今の折多く、桐壺帝が今の世の中を見たらどんなに嘆くだろう。二人して世を正せねばならむなん」

 と、しめやかに決意したもにもあらで、

『覚えておれ、右大臣め。このまま屈服してなるものか』

と、怒りながら帰り賜いぬる名残り、いとど悲しうながめ暮らし賜う。


                         つづく



      四十二・四十三(須磨の巻最終回)


 弥生の月立ちに居出来る上旬の巳の日、

「今日になむ。かく世の中を不満に思す事ある人は、古来中国の祭礼に従い、海でみそぎを仕賜うべき」

 と、なま賢しき人の忠言聞こゆれば、源氏大将の君、海づらもゆかしうて何となく気に掛かりければ、礒に居出賜う。いとおろそかに一枚のぜじょう布幕ばかりを引きめぐらして、祭礼の場とし、

「陰陽師召して御祓い施させ賜え」と、命じ賜う。

 祈祷の準備しめやかに整えて、小さき舟に人型の人形を載せて流し雛を見賜うにも、舟は強い風にあおられて沖へ向かうわず、他所へ追いられて、遂には岸に打ち上げられる始末。


 知らざりし 大海の原に 流れ来て ひと方にやは 物は悲しき

 知らざりし 大海原に  流れ来て 人型雛は   物も悲しき


 とて言って、うなだれ居賜える御若様、さる晴れ幕の外に居出来て、何も言う由なく呆然と、現実の厳しさを悟ったように見え賜う。

「海の表裏と泣き渡りてさまよい、行方も知らぬに、流し雛は来し方、行く先を思し続けられて、さぞや恐ろしい思いをした事であろう」


 やおよろず 神も哀れと 思うらむ 犯せる罪の それとなければ

 八百の地  神も哀れと 思うらむ 犯せる罪の 悪さなければ


「天の神よ許し給え。私は都の人を救えずただのんびりと、須磨の地で過ごしております。都の祭り事さえ見守る事ができません」

 と、のたまい賜うに、にわかに風が吹き居出て、空も暗く掻き暮れれば嵐が吹き荒れぬる。

「御祓いも完全に仕果てず、皆が立ち騒ぎたりして混乱しております。ここはまず危険でございますので、とりあえず祈祷を中止して館へ引き上げましょう。落雷の危険がございます」

 と、良清朝臣が言う。

「非時傘雨とか言うにわか雨でございます。急ぎましょう」

 小君は源氏大将の袖をつかみ、急ぐように促します。雨は激しく降り来て、いとあわたたしければ、みな館へ帰り給はむとするに、笠も取り合えず間に合わず。

 激しい雨にさるべき心の準備も無きに、雨は増々よろず一面に吹き散らし、また無き大風なり。波、いと厳めしう泡立ち来て、人々の足をすくい、引き反らすなり。

「下人が一人波にさらわれたぞ、助けてやれぬものか」

「他人の事など構っておられぬ。我が身を守る事で精いっぱいじゃ。せめて光源氏様だけでも御守りせねば」

 雨風は増々激しくなり、海の面はふすまを張りたらむ金箔のように光り満ちて、雷が鳴りひらめく。今にも頭上に落ち掛かる心地して、辛うじて館にたどり着きて、

「掛かるこのような破目に合うとは、今まで見ずもあるかな」

「風などは、吹くもそれらしき雲の景色付きてこそあれ。晴れ間に突然嵐が来るとは驚きじゃ。浅ましうも珍しかなり」

 と随身が戸惑うに、なお雷は止まず鳴り満ちて、雨の足、当たる所、板壁を通り貫ぬくべく打ち付けて、時々払めき落つ。

「かくして世は我々を見捨て果てぬ。運命も底を突きるにや」

 と、誰もが心細く思い惑うに、源氏大将の君はのどやかに御守り本尊を懐から出し、経を打ちずじて静かに念仏をとなえおわす。人々はただ外の嵐を見詰めながら、おとなしく待つしかありませんでした。

 夕暮れに館も暮れれば、雷少し鳴りやみて、強き風ぞ時々夜も吹く。

「やっと収まって来たぞ。光源氏様が多く立てつる願力の力なるべし。やっと願いを聞き入れて下さったぞ」

「今しばし、かくも強く吹き増す事あらば、われわれは皆波に引かれて、海の沖へ入りぬべかりけり。命拾いしたぞ」

「高潮と言う大波の物になむ。大地震の後や、秋の野分と共に襲われるとは聞いたが、春にこのような暴風雨が吹き荒れたとは聞いた事がないぞ。取り合えず簡単に言えば、海辺に住む者はいつ何時大波にさらわれる事もあるそうだ。用心せねば」

「海辺では突然の大波に襲われて『人損なわるる』とは聞けど、まさか我々がこうして襲われるとは思わなかった。

『災害は忘れた頃にやって来る』と聞くが、いとこれに関わる事はまだ知らず。地元の民が高台で暮らすのは高潮を恐れてのことであろう。われわれもこの館を引き払って高台へ移らねばならぬ」

 と、光源氏様を取り巻く側近は言い合えり。

 暁方になると人々も疲れて、皆打ち休みたり。源氏の君もいささか疲れ果てて寝入り賜えれば、その人の有様とも見えぬ人来て、

『などか、どうしても光源氏宮を召し上げあるお迎えには参り賜わぬ。こんな田舎で何をしておるのだ。さっさっと計略を練って、都に戻る準備をせぬか。何をもたもたしておる』

 とて言って、枕元をたどり歩くとも見えぬ白ひげの老人が語り掛けるに、光源氏様は驚きて、

『さは海の中の竜王神の御使いか。いと痛う物目出する神々しい御使いの者にて、心をときめかし見入れたるになりけり』

 と思すに、

「いと難しう、この住まい耐えがたく思しなりぬ。こんな田舎で命を落とすとは生涯の恥だ。何としてでも暮らしを立て直し都へ戻らねばならぬ。明石入道の力を是非とも借りたいものだ」

 と決意する。


                      須磨の巻終わり




自分の作品の未熟さに落ち込むことも有りますが

平均的な生活を維持しつつ こつこつと書き続けましょう。

良い小説なら、いつの日か世間に広く知られる期待しています・・・・・


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