かってに源氏物語 第十巻 賢木編 前半(一~四十)
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かってに源氏物語
第十巻 賢木編
原作者 紫式部
古語・現代語同時訳 上鑪幸雄
一
斎宮の伊勢への御下りが近う成り行くままに、御息所様は物思いに沈み、心細く思保すに、
『源氏の君と誤解を招いたまま伊勢へ下るには未練がある。葵の上から受けた屈辱は許し難いが、その恨みは呪い殺すほどではなかった。しかし、この事を源氏の君に如何に理解させる事が出来ようか。
君は私に疑いの目を向けている。あの怒りに満ちた心の中に、どこに這入り込む隙があるというのだ。
ここは無駄な言い訳をするよりも、いさぎよく都落ちし、斎宮の役職を果たした後、堂々と戻ってくる方が得策ではないか。四・五年も経てば源氏の君の怒りも静まるだろう』
などと悩み賜う。
「しかも都人までが疑いの目をわしに向けている今となっては、何を遠慮する必要があろうか。悪女は悪女らしく好き勝手に振舞う方が、観衆の心を喜ばすのではないか。
あれ程やんごとなく目障りで、煩わしき物に覚え賜えりし左大臣家・大殿の葵の君も亡せ賜いし後、今では世間の人々も、
『源氏の君と御息所が復縁するのが楽しみじゃわい』と期待しているではないか」
さりとも伯母、甥の仲の良い間柄として、色恋の関係などあるまいに、親族として親しくお付き合いするは当然の事。誰に遠慮などする必要があろうか。
あの柔らかい肌に触れ合い一夜を過ごす事ができるならば、この世のあらゆる煩わしきものを忘れさせてしまう。あれは一時しのぎの快楽を楽しむには、絶品の上玉だ」
世人も『御息所が自由気ままな後家暮らしで、
『誰と一夜を共にしようが止められたものではない』と聞こえ扱い、斎宮殿の宮の内にもお仕えする女官にも光源氏様の人気は絶大で、
「もし光源氏様が御忍びで参ったならば、裏口からこっそり中へ入れて差し上げましょう、秋子斎宮様か御息所様のどちらかに御逢いなさるにしても。私どもは大歓迎ですわ」
と、心ときめきせしを、しかしそれは世間の噂だけで、光源氏様が野々宮の嵯峨野を訪ねる気配は一向にありませんでした。
その後しも、光源氏様の噂も掻き消えて、御息所様は光源氏様との決着が気掛かりで、左大臣家の息の掛からない二条院をこっそり訪ねたのであります。
「少しでも源氏の君の誤解を解きたいと思う。源氏の君にひと目合わせて下さらぬか」
と、紫の上に申し入れしたのですが、取り次いだ紫の上に源氏の君は、
「御息所が今さら何を弁解しようというのだ。とっとっと帰ってもらえ」
と言う源氏の君の、浅ましき御持て成しを見賜うに、御息所も、
「誠に憂鬱しと思えし御言葉じゃ。散々世話になって於きながら、御息所を追い返すなど十年早い。覚えておれ」
と、思す事こそ『ありけめ』と、知り果て賜いぬれば、よろずに源氏の君の孤独な哀れを思し捨てて、御息所様は下道に二条院を居出立ち賜う。
二
親が斎宮に付き添いして伊勢へ下り賜う例も、事に無くはなけれど、
「秋子斎宮は気弱な姫児じゃ。おとなしい性格を良い事に、神官が体力を無視した難題を押し付けぬとも限らぬ。わしが共に伊勢へ下り秋子を守ってやらねば、我が子の命も危ういかもわからぬ」
母親としては、いと我が娘を見放ち難き御有様なるに事付けて、
『京の人々の好奇心に満ちた監視の目を逃れるには、伊勢へ下るしか他に方法はあるまい。これは良い機会じゃ。煩わしき浮世を捨てて地方へ行き離れむ。これも何かの定めだろう』
と思すに、決断を下すと御息所様の御気持ちも楽になりました。
一方の源氏の君は野々宮の御息所をそっけなく追い返した物の、幼少から守られて育てられた恩義も思い出されて、大将の君、
「さすがに今は後悔の念に思い悩まされてならむ。御息所がわざわざ二条院を訪ねた事には、よほど深い事情があったのだろう」
朱雀帝の内管が、
「御息所様は御悩みの御様子。何もかも捨てて伊勢へ下るにしても、
『せめて源氏の君には、葵の上を呪い殺す考えなどなかった』
と、分ってもらいたかったのではないでしょうか。どうぞ光源氏様、御息所様の御気持ちを分かって差し上げて下さいませ」
と言う進言も有り、
「やはりここは御息所と対面し、決着を付けねばなるまい。伊勢へ下った後から後悔しても、四・五年も悩まされる事になる」
と、半端な気持ちで掛け離れ賜いぬる迷いも口惜しく思されて、
「御息所様が伊勢へ下る前に御挨拶申し上げるのが人の道であるとようやく気が付きました。どうぞ御体だけには気を付けて御下だり下さいませ。気持ちばかりの餞別品々ではございますが、どうぞ御納め下さい」
と、御消息ばかりは度々御訪ねして面会を申し込みなされど、斎宮殿の嵯峨野は衛兵の男子禁制の掟が厳しくて、
「朱雀帝の斎宮がおわします神聖な場所なるぞ。男の出入りは絶対に許されぬ。神のみそぎの場所を何と心得る」
と、門番に追い返されて、何の成果も果たせぬまま哀れなる有様にて、度々御訪ねしては、はかなくもあきらめ切れぬまま度々通う。
「御息所様、源氏の大将が度々御訪ねしている御様子。会ってやらなくてよろしいのですか。『せめて伊勢へ下る前に一度お会いしたい』と申し上げておりますのに・・・後悔が残りますよ」
朝顔の君はたまりかねて御息所様に申し上げました。
「斎宮殿に於いて対面仕賜わん事の理由をばや、分り切った事ではあらぬか。それは今の帝を汚す事になるからじゃ。如何にならず者のわしとて、それぐらいの事は分かっておる。
我が子がお仕えする斎宮殿に於いて、男と密会するなど、今さらあるまじき事」
と、御息所様も娘の立場を考えて思す。
世間の人は、度々訪れる光源氏様の御厚意を心付きなしと思い置き給う事も有らむに、作者の我は今少し、御息所様の思い乱るる事の、逢瀬の気持ちが勝るべきを、複雑微妙な気持で受け止めております。
「なおかつ斎宮殿を抜け出して、光源氏様の御車の中へ飛び込みたかったのではあるまいか。後のことなどどうでも良かったのではないか。娘の斎宮としての立場がなかったならば・・・」
と、そう思うております。そうでなければ御息所様は、可愛げのない薄情な愛無し女と、世間の人々は心強く思すに違いないと御思いになるべし。
案の定、御息所様は、元の六条殿にはあからさまに、実家の御様子が気掛かりな御様子で、度々渡り賜う折々もあるれど、
「里の家がどうなっておるか気掛かりじゃ。『斎宮の役職を引き受けたからには、帝に我が家をお守りしていただかなくては困る』と、申し上げておるが、我が目で確かめぬ事には安心できぬ」
と、痛う度々忍び参り賜えれば、世間の人々も、まして光源氏様も御息所様が野々宮ばかりに御住まいと考えて、六条で密会する事など、源氏大将殿、何も考え、知り賜わず。
厳格に守られた斎宮殿は、たやすく御心に任せて参り賜うべき御住み家にはあらねば、光源氏様の足取りもおぼつかなくて、御息所様と御会いした最後の日が何時だった、その日もおぼつかなくて、
「再会を思い立った月日もなかなか隔たりぬる」
と、悩み賜う。
ちょうどその頃、桐壺院の身の上にも、驚ろ驚ろしき病状の変化が見られるように御成りになりまして、幸運にも深刻な悩みにはあらで、
「そう心配しなくとも良い。年のせいじや。八十を過ぎたら誰でもひ弱になるわ。心配致すな」
と、例ならず光源氏様を時々悩ませ賜えれば、御息所様との再会も思うように進みません。
三
宮廷に於いては朱雀帝の補佐役として、いとど御心の休まる暇もなけれど、御息所様の伊勢へ下る日も差し迫り給えれば、仲直りが果たせぬ悩みも辛き物に思い果て賜いなむも愛おしくて、
「御息所様との和解が決着しない事には、どうも心にわだかまりが残ってかなわぬ。宮廷を一日休んだ所でどうにかなる物でもあるまい。桐壺院もそう簡単に死にやせぬ」
と、思されて、
『野々宮に通う我を、世間の人々がどう言おうと知った事か。人聞きを気にするとは情けなくやないか』
と、思い起こして、月夜に野々宮に詣で賜う。
九月七日ばかりとなれば、むげに伊勢へ下る日も今日、明日と焦り思すに、女方も心慌ただしく誤解を解きたい気持ちが増して、決着を付けたい気持ちも無くはないけれど、光源氏様の御文も度々重なって、
「立ちながらの御簾の影越しに御挨拶だけで十分でごいます。『ひと目逢いたい』と、お伝え下され。何もお構いせずとも、それで良いのです」
と気遣い、度々面会を申し込む御消息ありければ、いでや心は、本心を隠せず揺れ動いて、
我をのみ 思うと言わば あるべきを いでや心は おおぬさにして
我をのみ 思うと言わば 妻にして いでや心は 玉串にして
(古今集 源氏物語ではいでやのみ用いられています)
とは思し煩いながら、いと余りにも賢母として埋もれ難きを、誰にも悟られず秘密の中で『斎宮院の格子の物越しに対面されるは許されるか』
と結論付けて、人知れず、
「御待ち申し上げます」との声、聞こえ賜いけり。
宮殿からは、はるけき遠く離れた寂しい野辺を、野獣や鳥の鳴き声に脅えながら、光源の君、御一行は嵯峨野へ向かう。林を分け入り賜うも会いたさゆえの一途な心に因り、いと人に惑わされるも哀れなり。
彼岸花や撫子など、秋の花は皆衰えつつ、すすきの穂がたなびく浅茅が原も枯れ枯れなる荒れ地で、嵯峨野の騒がしい虫の音に心は脅かされ、山の松風すごく吹き貫き、
「このような寂しい場所に来てまで、御息所様に御逢いしなくてはならないのですか」
と言う惟光の声にも耳を貸さず、光源氏様は野々宮に急ぎ賜う。
琴の音に 峰の松風 通うらし いずれのをより 調べ染めけむ
琴の音に 峰の松風 吹き降りて いずれの音も 闇に染めけむ
(先人斎宮の母 微子 源氏物語にはありません)
茅の擦れる音に合わせて、惟光が到着の合図を知らせる口笛を吹きたれば、松風の騒がしい音に掻き消されて、人の逢引の声、その事も聞き分からぬほどに、斎宮殿の人々は何も知り給わず。
「朝顔の君はおるか。惟光じや。光源氏様をお連れ申したぞ」
という度重なる声もおかしくて、人声の合間合間に聞こえ来る物の音ども、絶え絶え聞こえたるに、野々宮の闇はいと妖艶なり。
四
睦まじき斎宮の御前に十余人ばかり、到着した御随身、事々しき武骨な姿ならで、そっと小柴垣の中をのぞき賜えれば、斎宮にお仕えする人々は、痛う忍び浮世を避け給えれど、
「事に引き繕い給える御持て成しの御用意、いとめでたく豪華に見賜えれば、斎宮の館も浮世と変わらぬ」
と、光源氏様の御供なる好き者ども、
『嵯峨野の神聖な所柄さえ、生きる楽しみを求める人間の欲望は変わらぬと見える』
と身に凍みて思えり。まして光源氏様は、
御息所様が、このように盛大に御持て成しする御気持ちがあったのならば、
「などて、もっと早く立ち馴らさざりつらむ。素直に『御会いしても構いません』と言えば、もっと早く来たものを。相当に寂しい思いをさせてしもうた」
と、過ぎぬる優柔不断な日々を悔しう思さる。
今にも吹き飛ばされそうな物はかなげなる小柴垣を、竹林と隔てる大垣にして、板ぶき屋根ども辺り見すぼらしく、壁の辺りも貧弱で、いと仮染めの間に合わせの建物なり。
「それにしても斎宮様が祈祷をするには貧弱な建物ではないか」
と光源氏様が御気の毒に思って言えば、
「野々宮は天皇一代事の仮の一時の御住まいでございます。三か月ほどで壊れる物を、丁寧な館には出来ぬそうでございます」
と、小君が答ゆ。
丸太を火で焼いた黒木の鳥居どもは、さすがに神神しう見渡されて、男が逢引きに訪れるには煩わしき景色なるに、神司の者ども、ここ、かしこに配備され、打ちしわぶきて咳払いするに、
「さすがに神のみそぎの場所で逢引を手助けするとは気が引けるのお。これはほんの気持ちじゃ。帰りに酒代の足しにしろ」
と、惟光もさすがに気を利かせて同情し、わずかな金を渡す。
神官の者ども、
「おのがどっちの味方になるか。神の味方か、権力者か」
一言『朱雀帝の野々宮を何と心得る。御控えなされませ』と苦言なる物、打ち言いたくなるそうなる気配なども、
『光源氏様の頼みならば聞くしかあるまい』
と、他には何も言い出せず、今は様変わりして見る。
人々は遠慮して遠くへ立ち去り、警護の者駐留する火焚屋のかがり火、かすかに光りて、人気少なく空気もしめじめとして、人が暮らすには寂しげな所なり。
ここに前皇太子妃とて物おわしき人の仮住まいを置くとは、栄華の月日を隔て賜えらむほどを思しゆるに、御息所様の宿命は、いといみじう哀れに思え心苦し。
神殿の奥に建てられた人々が寝泊まりする北の対の、さるべき暗闇に隠れ賜いて、
「朝顔の君、光源氏様がおいでじゃ」
と、来訪を告げる御消息聞こえ給うに、巫女どもの笛や琴、太鼓の遊びは皆辞めて、心憎き神にお仕えする謙虚な気配、あまたに聞こゆ。
「御息所様は、まだ迷っておいででございます。もうしばらくお待ちくださいませ」
などと言う、何くれの人づての御消息ばかりにて、斎宮殿に到着した物の、再会のめどは一向に立たず、御忍びでひっそりと逢うならばともかく、
「惟光は何をしておるのだ、歯がゆいのお。警備の者が内裏に斎宮殿の異常を知らせ、兵部省の者が駆け付けたならば何と言い訳する。宮殿内ならともかく、神のおわす神聖な場所で、自ら対面仕賜うべく、歩き回る訳には行かぬではないか」
御息所様を自ら探し回るべき有様にもあらねば、
『いと物々し』と思して・・・・
五
「かようなる度々の歩きも、今は尽きなきほどに回数を重ねる事になりにて、煩わしはべる苦労を思保し知らば、御息所様もかう、締め飾りの外に長くは持て成し賜はで。
『良くぞ御越し下さいました』
と、いぶせう不愉快な思いをさせはべる事をも心を痛めて、今は斎宮の母としての役目をあきらめ、早く会いたいと思いはべりにしがな。今直ぐに御逢いできるやも知れぬ」
と、豆やかに思考を重ねた御気持ちが聞こえ賜えば、随身の人々、
「げに片腹痛う不便な場所に立ち煩わせ給うに、心苦しゆう申し訳なく思いまする。いとおしう難儀を御掛け申し上げます」
など、主君を思いやる扱い聞こゆれば、
「いさや、まったくその通り。ここの警備の者の人目も見苦しゆう、長々と立ちすくんでは、逢引きの恥ずかしい姿を人に見られるではないか。かの
『男を欲しい』と思さむ事も若々しう、御息所様はご自身の欲望の趣くままに居出ん行動が良い所。今さらに乙女らしき恥じらいを見せるとは、慎ましきうぶな事。おっほほほ・・・似合いませぬ」
と思すに、いと物憂鬱しけれど、
「嫌です。嫌でございます。このような神にお仕えする場所で、男と逢ったと聞こえたならば、都の人々は何と申しましょう。どうぞ、御帰り下さいませ」
と、女は情けなう持て成さむも猛々しからねば、安っぽい女と見下される事もくやしくて、とかく打ち嘆き安らい、恥じらい給いて、部屋の奥からすのこ近くへ、渋々いざり居出賜える御気配、いと心憎し。
「こなたは好きな男を、すのこばかりの縁側の外に置くとは薄情ではないか。せめて廂の内側に入れて賜うれ。外は人目が気掛かりじゃ。御簾影越しの対面ならば許されはしよう。そなたも近くへはべれや」
とて言って、縁側の近く、すのこへ上り賜えり。
華やかに差し居出給える夕月夜に、三日月の弓矢は御息所の心を射抜いて、光源氏さまの積極的に打ち振る舞い賜える有様、誰も匂い似るものなく、努めて自然なままでめでたし。
月頃の積もり積もったお話を、付き付きしゆう親族として馴れ親しみ聞こえ給わむも、まばゆきほどの久し振りになりにければ、話す言葉もなかなか思い浮かばず、
「はたはたどうした物か」と迷った末に、近くに生えていたひ榊の枝をいささか間に合わせに折りて、小君が持ち給いける文を添えて簾の下から差し入れて一言、
「榊の葉の色は一年を通して緑色。私が御息所様を思う気持ちは、たとえ世の中がどう変わろうとも同じでございます」
と言う。
「榊の変らぬ色をしるべにしてこそ、神の斎垣も超えはべりににけれ。さも心憂鬱しく、罪を犯してまでここを訪ねるとは何事ぞ」
と、御息所様の御声聞こえ賜えれば、
「恋に燃えた蛍は、火の中とて飛び込みまする。私の御息所様を思う気持ちも同じでございます」
と答えるなり。この場面は、
血早ぶる 神垣山の 榊葉は 時雨に色も 変わらざりけり
荒々し 神垣山の 榊葉は 時雨に色も 変わらざりけり
ちはやぶる 神の斎垣も 超えぬべし 大宮人の 見まく欲しさに
血早ぶる 神の斎垣も 超えぬべし 斎宮人の のぞき欲しさに
我が庵は 三輪の山元 恋しくは とぶらい来ませ 杉立てる角
我が宿は 三輪の山裾 恋しくは 遊びに来ませ 杉生える角
乙女子が 袖振る山の 瑞垣の 久しき世より 想い染めて来
斎宮が 袖振る山の 我が宿に 久しき世より 忍びて来ませ
榊葉の 香をかぐはしみ 留め来れば 八十氏人ぞ まといせりける
榊葉の 香を懐かしみ 留め来れば 八十氏人ぞ まとわりうざし
伊勢物語や古今集などにこうした和歌を参考にしながら、賢木の巻を紫式部は書いたものだと思われます。
神垣は 印の杉も なき物を 如何にまがえて 折れる賢木ぞ
神垣は 標の杉も 神なるに 如何に曲がえて 折れる賢木ぞ
と、聞こえ給えば、
乙女子が 辺りと思えば 賢木葉の 香を懐かしみ 留めてこそ折れ
斎宮が そこと思えば 榊葉の 香を振りまき やむを得ず折る
大方の男の気配煩わしけれど、光源氏様は御簾の下から頭をくぐらせて、御簾ばかりは身を隠すために引き着て、長押しの敷居に押し掛かりて頭持ち上げ、腹這にて居賜えり。
六
男が長押しに寄りかかり中の女を見つめる仕草は、恋の成就を望む暗示に相違ないけれど、心に任せて見奉りつべく、無遠慮な態度は、女に警戒心を呼び起こさせる。
恋人も慕いざまに思したりつる五年ほどの年月は、再びこうしてお会いできた喜びに、相手ものどかに親しくなりつる自分の気持ちと同じだと思いがちなり。
『どうせ女も好き者。男がここにいると分かっていながら、ただじっと待っている姿は、早く抱きしめて欲しいと願っての事よ』
と思える男の御心のおごりに、さしも相違なく思されざりき。
また心の中に、
『如何にぞや、傷ありて我が正妻を呪い殺した罪の意識に、御息所様はここ半年ばかり苦しまれたに違いない』
と思い聞こえ賜いし後、女も今の世に生きる生命力も旺盛で、半年の月日は、葵の上に対するはたはた哀れの慰めも冷めつつ、かくこのように再び光源氏様と御仲も隔てぬるを、
『あれほど尊敬しあった珍しき美男と美女の間柄ではないか。御対面の昔を覚えたるに、何を今さら正妻に遠慮がいるものか、馬鹿馬鹿しい。叔母と甥の間柄なと考えれば、世間に遠慮など必要ない』
と、この関係を哀れと思し乱るる事限りなし。
御息所は、
『今こうして世間の咎めを無視してまで私を訪ねたことは、たった一人の味方、左大臣家の反発を招くことになるだろう。桐壺院もこの先、そう永く生きるとは思えぬ。宮中で生き残れるのだろうか』
と、哀れと思し乱るる事限りなし。御息所様は、来し方の行く先々を思し続けられて、心弱く泣き賜いぬ。女は、
「源氏の君が今こうしてお訪ね下さったことは、伊勢へ下る斎宮と私に挨拶に来ただけなのだ。えしも色恋の気持ちなど見えじ。御神木の賢木を差し入れた事が何よりの証拠ではないか」
と心を思し包むめれど、敷居を超えて、え忍び、中の女を覗き賜わぬ御景色を、
『いよいよ恋心の御気持ちに変わりぬれ。私を抱きしめたいのかも分からぬ』
と半分期待も込み上げながら、いよいよ心苦しう思さるる。
「なりませぬ。それ以上斎宮の館に足を踏み入れてはなりませぬ。神の怒りに触れたくなければ、すのこの板敷に戻り、早くこの野々宮から立ち去る事です」
と、なおこれ以上の逢瀬を思し留まるべき有様にぞ、聞こえ賜うめる。
月も雲に入りぬや、哀れなる空を眺めつつ、
『あの圧迫感に満ちた柔らかい体を抱きしめ、固いあそこを触りたいものよ。しかし、それはならぬ。ここは神のおわする館ではないか』
などと恨み給える有様聞こえ賜うに、ここら性欲と自制心の思い集めたる様々な考えに、辛さも消えぬ葛藤は、壮絶な物てあったろうと、世間の人々は思うべし。
光源氏様も、
「ようよう今は、恋の欲望を果たすも己の気持ち次第。相手の女もそれを望んでおるではないか。今さら何をためらっておる」
と、自制心からの思い離れ賜えるに、
『さらばよ、思い切って立ち上がり、女を強引に抱きしめてやるか』
と、なかなか心が勝手に動きて、良心は思し乱る。
宮殿の政務所、紫宸殿に於いては、重臣として政務に意見を申し述べるべく、殿上の廂に席を構える若公達など、主君の野々宮訪問に同行させるべく打ち連れて来た連中は、二人の御様子を伺いながら、
『もっと積極的に迫るべき。神の領域を超えて踏み込みながら、今さらためらうとは何事ぞ。たとえ強引に、御息所様に思いを果たした所で、今さら罪は変わりもせぬ』
とはやし立て、とかく立ち煩いなる供の者が庭から覗く気配のたたずまいも、げに妖艶なる主君の方に自分の思いを重ねて、影ながら加勢を受け張りたる有様なり。
それから八時間ほど過ぎて月も西の彼方へ沈んだ頃、廂から消えた二人は、思欲し残すことなき永遠の時間を過ごして、元の親しき御仲らいに見え賜える事ども、めでたし、めでたし。
「御息所様の艶やかな御体は、昔とちっとも変わりませぬな」
「何を仰せです、この年寄りを捕まえて。若君のふっくらとして御体は、よりたくましくなられました。宮中の誰もが若君を恋しがるのも無理はありません。この色男め」
「何を仰せです。伊勢の御勤めが終わりましたら、再び御会いしましょうぞ」
「これで京に帰って来る楽しみが増えたわい」
「はははは・・・」
二人の親しき御話の聞こえ交わし賜う事ども、同じように真似び、自分も実行したいと思いやらむ方も少なくなし。
外に居出賜えば、ようよう明け行く空らの景色、見事に空は晴れ渡り、すじ雲のゆったりとたなびく姿は、ことさらに二人の祝福を創り居出たらむ様子なり。
暁の 別れはいつも 露けきを こは世に知らぬ 秋の空かな
暁の 別れはいつも 悲しきを 子は世を知らぬ 夢の中かな
光源氏様は、居出掛けだてらに、御息所様の御手を捕えて、安らい賜える。
七
源氏の君と過ごしたひと時は、いみじう不吉でも、昔の仲を思い出させて楽しく懐かし。
風、いと冷ややかに吹きて、心に隙間風が入り込む頃、待つ虫の鳴き枯らしたる声もしつこく、二人の禁断の恋をあざ笑うかのようで、知り顔なる嫌がらせを、
「何は事あれ、源氏の君との恋は、世間の懐疑的な目を笑い飛ばす良い気晴らしにになった。斎宮の母に押し付けられた犠牲を考えれば、これぐらいの楽しみは当然許される事。これで心置きなく伊勢へ下れる。
『噂がどうなろうと知った事か。五年後の都入りをどうするか』
その事は、その時に考えよう」
女はさして、先々の事など思う事なきだに、その時その時の瞬間を思うように生き、世間の噂など聞き見過ぐし方げなるに、まして本人の割り切れなき御心惑いも、
『なかなかそうとも言い切れぬ。この不安な胸騒ぎは何を暗示するのか』などと迷わされ、心の整理も思うように行かぬにや。
大方の 秋の別れも 悲しきに 泣く音へ添えそ 野辺の松虫
たいがいの 秋の別れは 悲しきに 泣く身に添えよ 野辺の待つ虫
右大臣家出身の帝に、わざわざ縁の薄い御息所の秋子姫が斎宮に選ばれる事は、不本意な役職と悔しき事多かれど、帝の皇太后である弘徽殿の御意向には逆らえず、
「その役目、御辞退申し上げます」
などと言える甲斐もなければ、女はすべてをあきらめて北の館の縁側に立ち、
『明け行く空も、はしたなうて、昨夜の思いでも罪なる逢瀬かな』
などと思い、顔を隠しながら縁側に居出賜う。遠くに見える光源氏様の御帰りの道のほど、草原はいと露景色。
見送る女も、え心強からず、伊勢への道のりは遠く、
『再び光源氏様と御逢いできるのか、これが最後の別れではないか』
不安は名残り惜しく哀れにて、去る一行を眺め賜う。
空を見上げれば、ほのかに見奉る月影の御かたち弱弱しくて、なお奥の御部屋にに留まれる匂い袋の薫りなど、若き巫女の人々は身にしみて嬉しがり、
「まあー、光源氏様の香料は何と素敵な匂い。この甘い匂いを胸いっぱい吸い込めば、まるで光源氏様に抱かれたかのよう」
などと、過ちも光源氏様としつるべく、めでたき喜びの声聞こゆ。
「宮殿ヘの道のりは、伊勢に比べては、如何ばかりの道のりにてか。掛る御息所様の悲しき御有様を見捨てては、悔いなき別れ聞こえん。御息所様は光源氏様に御逢いしたばかりに京の都に未練が残るやも」
と、御仕える女房どもは、伊勢へ下る御息所様の事を思い、訳も合いなく涙ぐみ合えり。
野々宮の草原は朝霧が立ち込め、萩の花が咲き誇れど、誰一人来る人ぞなき。光源氏様が立ち去った後は、静けさだけか残っておりました。
お昼近く返礼の御文あり。常よりも内容が細やかなるは、御息所様が源氏の君に思しなびくばかりなれど、
『今さら源氏の君の御近くで暮らしたい』
などと、また打ち返し目的を定め兼ね給うべき迷いに、成り兼ねない事にならねば、
『御息所様の行く末を案じております』
という優しい御言葉も、いと甲斐なし。
男は、差しも御手紙に残した優しい言葉など、真剣に思さぬ事だに、女をつなぎ留める見せ掛けの情けの為には、良く良く優しい言葉を言い続け賜うべかめれば、
「まして我が妻を呪い殺した恨みは生涯忘れてはならぬ」
と許されぬ傷も残れば、押し並べての平然とした面には、すっきりとゆかぬ思いが残り、聞こえ賜わざりし御仲の良さも、かくて昔のように背き賜いなんとするを、懐疑的に思したり、
『いやいや、今さら昔の事を恨んでも、どうにかなる訳でもあるまい。子供の頃の恩を大切にお守りせねばならぬ』
などと、口惜しうも、愛おしいく思し続け、
『この先どうした物か』
と悩むべし心情であったろうと思われます。
八
源氏の君はその後、二人のため旅の御装束より始め、伊勢での暮らしに困らぬようにと、調度品や、生活用品、寝具に至るまであらゆる生活物資を整え賜う。
「食べ物については、そのつど困らぬように、都から届ける所存でございます」
とあり。ややもすれば、女二人で旅の身支度を整えるなど無理だとお感じになられたのか、荷造りの人々まで手配仕賜う。
何くれの専門的な職人がこしらえた調度品など、いかめしう厳格に選び優れた珍しき有様の物にて、斎宮にお仕えする巫女どもは溜息がこぼれども、
「伊勢の片田舎に都落ちした者が、これらの高価な品物で身を囲んだ所で何の価値があるものか。これらの値打ちは都の者でしか分からぬ」
と、光源氏様の御息所を思う気の毒なとぶらい聞こえ賜えど、女は何とも感動思されず。
伊勢へ下る日は一刻一刻と迫り、慌慌ただしう野々宮の者は動き回れど、世間の人々は、
「光源氏様と御息所は、この所毎晩のように御逢いなさっているのだとよ。別れの迫った御二人には、世間の好奇心など目に入らぬと見える」
などと、悪い噂ばかり誇張して、心浮気な名のみ流して、
「野々宮の掟に背いてまで源氏の君と御逢いしたからには、世間の批判的な噂も仕方があるまい。しかし私は世間が騒ぐほどはしたない女ではない」
などと、御息所様は浅ましき身の有様を嘆き賜う。
「世間の噂など、今さら始めたらむ騒ぎのようではない。悪女の様に言われるのは仕方がないこと。好きなように言わせておけば、それで良いのた。
大臣家に生まれ、一時は皇太子妃として名を上げたわが身を、世間の人々は噂話の絶好の餌食と思うておる」
伊勢へ下る日が程近く押し迫り、平穏な暮らしが届かぬままに暮らす日々を、御息所様は起き伏しに嘆き賜う。
秋子斎宮は若き御心に、
「不忠になりつる母の御居出立ちが、かく伊勢へ下る意向に定まりつつある事は喜ばしいこと。伊勢神宮に参内したからには、神の厳格なしきたりに従い、巫女となり私を支えるに違いない」
と、嬉しとのみ思したり。
世の人々は御息所様の事を、
「斎宮の母が共に伊勢へ下るは御気の毒な事。このような事は遠い昔、一件あっただけと聞くが、なかなか例なきこと」
「いやいや、母君の付き添いは優しくも聞こえるが、神の神事に男を知った女が同行するは不謹慎な事。伊勢への奉仕は聖女でならなければならぬ」
などと、非難もどき言葉もあれば、
『御気の毒』と、哀れがりのささやきもあり。事々に人の考えは、様々に聞こゆると思うべし。ただ安易に、
『悪女もどき女』と決めつけ扱われぬる一般市民の横暴ぎわは、思慮に乏しく安易げなり。
なかなか光源氏様のような方を手玉に取ったり、左大臣家の娘を恨んだり、斎宮殿に男を呼ぶなど、世に抜け居出ぬる人の行動は、我々一般市民をわくわくさせる。
馬を乗り回すこともあった人への御当りは、所責き非難の言葉が多くなむ。
十月十六日、嵯峨野の野々宮を出発した斎宮は、桂川にて御祓いの儀式を仕賜う。右大臣の特別な御計らいにより、常日頃の禊の儀式に勝りて、参議の長奉行送使など、
「朱雀帝の威厳を見せ付ける絶好の機会じゃ。これまでにない規模に仕立て、更ならぬ上達部も十分とは思うが、やんごとなく華やかに覚えある若者を揃えよ」
と、重臣の若者を選ばせ賜えり。桐壺院の、兄嫁に対する御心寄せもあれば、盛大になるべし。
河原の掛け幕の中から斎宮様が居出賜うほどに、源氏大将より、例の伊勢へ下る訓示が、例の尽きせぬ大切な役割である事ども、
『天照大御神を敬い、心しめやかに桐壺帝の天皇即位を報告せよ』
と、聞こえ賜えり。
「かけまくも、かしこきかしこき御前にて、帝の御意向を伝えるものなり」
と、光源氏様は白糸の由布に榊の枝を付けて御祓いを仕賜う。
九
天の原 踏みとどろかし 鳴る神も 思う仲をば さくるものかな
天の国 踏みとどろかし 鳴る神も 二人の仲を さぐるものかな
(古今集 源氏物語では鳴る神のみ使用)
源氏の君は『鳴る神だにこそ』と思い、心あれば、
八洲守る 国つ御神も 心あらば 飽かぬ別れの 仲を断れ
人守る 国の御神も 心あらば 惜しむ別れの 定め断れ
と思う賜ふるに、飽かぬ名残り惜しき心地、斎宮を見賜いて、しはべるかな。
『斎宮も中々良い女に育った』とあり。
秋子宮は源氏大将の関心が自分にも向けられ始めた思い、近くで見守る母に代わりて、いと騒がしき神事の最中ほどなれど、厄介な文に対する御返りの和歌あり。
「光る宮への御誉む言葉をば、何とか他へ向けなくてはならぬ。長官殿、この文を届けてはくれぬか」
と女辺担当を通して、かう書かせ賜えり。
国つ神 空に断る 仲ならば なおざり事を まずや正さむ
国の神 空に断る 仲ならば 浮気の恋を まず改さむ
源氏大将は斎宮の御有様を興味ゆかしう思いて、内裏の側室御殿にも参らせたま欲しく思せど、宮中から打ち棄てられ、斎宮を見送る巫女の人々も、
「今さら京に踏み留まるよう説得しても何になる。秋子斎宮は伊勢へ下る覚悟をしているではないか。恋しく思うた所で何になる」
と、悪ろき心地仕賜えば、御自分の未練を思し留まりて、つれづれに寂しく眺め賜えり。
秋子宮のお返りの文が大人大人しき鮮烈な言葉であった事に、源氏の君はほほ笑みて見賜えり。
「秋子は、御年の若きほどよりは『おかしうもませておわす存在』と思うべき乙女かな」
とただならず、恋心が芽生えがちなり。
かう思うように、源氏の君は御息所との思いが成就した後は、
『母に飽きたならば今度はその娘を』
と、例に違える代償の煩わしさに、君は必ず次の女を求める御心に関わる欲張りな御癖にて、紫式部の私から見ても、
『いと良う見奉り、惚れつべかりし軽はずみな男かな。あどけなくいわけなき斎宮の御程を、恋心として見ずに成りぬる事こそ妬ましけれ。世の中、斎宮に対する敬愛の定めなければ、源氏の君は堂々と、夜の神殿へ押し入り、対面するような事も有りなむかし』
などと思す。けしからん事です。
御息所と斎宮が伊勢へ下る日となり、母は心憎く良しある華やかな御気配なれば、宮殿の大通りは物見客であふれ、車多かる日なり。午後の五時頃、申の時に二人は内裏御殿に参り賜う。
御息所は御輿に乗り給える風格につけても、一昔前、右大臣として権勢を振るった父君、大殿様の限りなき威厳の筋に思し、
『権勢を志して、威付き奉り給いし尊敬される六条の家柄にて、わしは桐壺院の兄の妃であった。世が世なら、わしはここの宮殿で中宮として権勢を振るったはず』
と、たちまち宮殿の主の有様に様変りて、
「あおに良し、奈良の都は」
と歌った皇太子無き後の末の世に、たちまち存在感を見させてしまう。
今は斎宮の母君として落ちぶれた我が身が内裏宮殿を見賜うにも、物見尽きせず哀れに思えて可哀そうに思さる。
この御息所は十六にして故東宮に嫁ぎ参り賜いて、二十にして夫を失い、六条の実家に送られ奉り給う。夫の皇太子が殺害された折には、どのような悔しい思いをしたか計り知ぬ。
縁あってか、三十過ぎにしてぞ、今日また九重の宮殿を久しく見賜いける。
その神を 今日は掛けじと 忍ぶれど 心の内に 物ぞ悲しき
恨む神 今日は掛けじと 忍ぶれど 心の内に 怒る悲しき
御息所が和歌を詠みあげると、朱雀帝は、
「斎宮は幾つになる」と近くの内務官に御尋ねになりました。
「もう十四にぞ、成り給いける」
と、内務官が答えれば、ゆゆしきまでに哀れに見え賜うを、帝、朱雀帝は御心動きて、
「斎宮としての御勤めご苦労である。別れの記念にこの御櫛奉り賜うほどに、役目が終わったならば、再びこの宮殿で、十二単をまとったそなたの姿を見せよ。
良いか伊勢へ麻呂の名代として参るからには、その名代として役目を果たせねばならぬ。この黄楊の櫛をそなたの髪に挿したからには、役目が終わるまで京の方へ赴き賜うな」
」
との御言葉あり。
宮殿にいた人々は、いと哀れにて涙を流し、力なくしおたれて、首をうな垂れさせ賜いぬ。
十
宮殿の外で儀式を待ち続けた家族の人々は、いよいよ随行して伊勢へ居出賜う夫を待ち奉るとて、中央官庁八省の建物の前に、自らの御車を用意して、一行が通り行く旅姿を待ち続ける。
「我が夫もいよいよ斎宮様にお供して、伊勢へ御参拝する身分となった。伊勢へ無事御送りして、早く京の都に帰って来てもらいたいものよ」
そう言いながら待つ御婦人方は数多く、官庁の通りに立て続けたる居出し車どもの、十二単の袖口の数々、色合い目馴れぬ有様にて心憎き景色なれば、
「さすがは我が妻、御息所様の権勢はいまだに衰えぬと見える。こけほど着飾って来るとは、御息所様の生き方を尊敬している証拠であろう。御息所様に御逢いしようと思うても、なかなか会えぬからのう」
と、殿上人どもも、御息所と同じ思いで私的別れを惜しむ声、多かり。
暗うなる頃に居出賜いて、一行が東院の大路を折れ曲がり賜うほどの頃、この辺りは二条院の前なれば、
「光源氏様、御息所様の御一行がそろそろこの屋敷の前を通るそうでございます。通りへ出て斎宮様を御見送りになられますか」
との犬君からのお知らせあり。
「むろんじゃとも。皆で御送りしようではないか。皆付いて参れ」
と大将の君、通の屋敷の前に出で賜う。
「さすがは斎宮様と御息所様。堂々として脇目もくれませんわ。何と気高く立派なお姿でございましょう」
紫の上が大将の君に話し掛けますと、光源氏様は二人が二条院を前に
『無理をしている』と思われたのか、御息所様をいと哀れに思されて、御用意していた文を賢木に挿して、
振り捨てて 今日は行くとも 鈴鹿川 八十瀬の波に 袖は濡れじや
振り捨てて 今日は行くとも 鈴鹿川 伊勢路の波に 袖は濡れじや
との御文聞こえ賜えど、御息所様の御帰りは、いと手元も暗く、見送りの人々で物騒がしき程なれば、また別の日に大津関の彼方よりぞ、御返りの文ある。
鈴鹿川 八十瀬の波に 濡れ濡れず 伊勢まで誰か 想い起こせむ
鈴鹿川 旅は楽しく 浮き浮きぞ 伊勢まで誰も 思い起こせず
御息所様の返歌は事削ぎて同情を軽くあしらい、笑い飛ばして書き賜えるしも、御手は文字もしっかりして、いと良し良ししく生めきたるに、
「女ならば少し弱さを見せて、哀れなる気配を少し添え賜えらしかば、もっと得策になるだろうに」
と、この紫式部は思す。
翌朝二条院は霧痛う降りて、ただならぬ誰も姿を見せぬほどなれば、光源氏様は寂しい朝ぼらけの夜明けに心を痛め、廂の外に出で立ち賜い、庭を打ち眺めて一人ごち語りおわす。
行く方を 眺めもやらむ この秋は 逢坂山を 霧な隔てそ
行く人を 眺めてやらむ この秋は 逢瀬の山を 霧が隔てそ
源氏の君はこの所、紫の上が暮らす西の対にも渡り賜はで、人やりならず自らの御意志で孤独を楽しみ、
「誰も構うてくれるな」
と、一人物寂しげに庭を眺めて暮らし賜う。
まして源氏の君が思いを寄せる斎宮と、御息所様の旅の空は、いかに険しくなむ。
『雨風吹き荒れても野宿せざるを得まいに』
と、光源氏様は御心尽くしなること多かりけん。溜息の続く毎日でございます。
十一
桐壺院の病状の御悩み、神無月に成りては、いと重くおわします。世の中のに知る人ぞ知る名君にて、
『惜しみ』聞こえぬ人ぞなし。
「光源氏殿、それほど桐壺院の病状は重いのでございますか。今は藤壺が正妻として努めておりますが、元々は私とは長い間連れ添った仲、いずれ御見舞いにお伺いしなくてはならないと思うております」
「これは弘徽殿の皇太后さま、有難い御言葉でございます。私の見た限りでは、この冬は残念ながら越せないのではないかと覚悟しております。何ゆえにも御高齢で、やせ細っておりますゆえ」
光源氏様が朱雀帝を表敬訪問しておりますと、珍しく弘徽殿の老女房が訪ねて参りました。高齢とは言え、まだ顔もふっくらとして御元気な御様子です。
「母上様、近々皇太后様の名代を兼ねて、この私がお見舞いにお伺い致しましょう。桐壺院は私に天皇の位を授けて下さった大切な方です。『誰よりも大事に致せねばならない』と思うております」
朱雀帝は口数の少ない人だったのでございますが、この日は帝王様自ら仰せになられました。
「そうしてくれるか。そうしてくれるなら、これほど有難いことは無い。それではこの櫛を私の身代わりとして届けてくれ」
皇太后さまは大切に差して来た御櫛を、自ら両手で髪から抜いて、付き添いの女房に渡しました。
「それは桐壺院もお喜びになられる事でございましょう、源氏の大将よ、なるべく早く訪問したいと思うが、先方との日程を調整してくれるか。
『内裏にも桐壺院の病状を思し嘆きて、行幸の希望あり』と、丁寧に御伝えして賜うれ」
「かしこまりました。帝王様自ら行幸されるとなられますと、かなり大掛かりでございます。今しばらく御待ち下さいませ」
光源氏様は帝に挨拶しますと、清涼殿を後に桐壺院の御住まいがある一条へ向かいました。
光源氏様が朱雀帝の御意向を桐壺院へ伝えますと、
「それは願ってもない有難い御事じゃ。わしからも朱雀帝にはお願いしたき頼み事が幾つかある。是非とも早くこちらへ御越し頂くよう御伝えせよ」
との御言葉が有り、朱雀帝との面談はいち早く実現しました。
行幸は桐壺院が内裏の近くにあることを幸いにして、この日は特別に内裏の北門が使われ、内密にひっそりと行われました。
「桐壺院様にはただならず御礼申し上げます。病弱の私が、今こうして帝の位におりますのも、桐壺院の御蔭でございます」
朱雀帝は寝殿の高床の前に座しますと、深々と頭を下げました。
桐壺院は弱き御心地にも、源氏大将に支えられて起き上がり、
「そなたを帝にしたのは順番に従ったまでの事、何も気にするでない。わしの命もそう永くないようじゃ。死ぬ前にそなたに幾つか頼みたいことがある。聞き届けてくれるか」
と、遺言らしき事を伝えました。
「ははっ、何なりと仰せ下さいませ」
「一つ目は中宮である藤壺女御の東宮の事じゃ。東宮は見ての通りまだ幼い。藤壺は中宮と言っても奥御殿では権力が弱い。後ろ盾の左大臣もこの所、中宮へは滅多に顔を出さないと聞く。
わし亡き後は、そなたの祖父である右大臣がますます幅を利かすであろう。弘徽殿の女御のわがままも気掛かりじゃ。そなたも見ての通り、わしの血を引く次の帝は東宮しかおらぬ。
濃い天皇家の血を引く者は東宮一人だけじゃ。そなたに子供が出来れば良いが、もしそれが無理ならば、藤壺の東宮を次の帝にせよ。天皇家とは縁の薄い雑魚が帝になったならば争いは絶えぬ。しっかりと今の東宮をお守りせよ」
「かしこまりました。必ず仰せの通り致します」
桐壺院は東宮の御事を、返す返す聞こえさせ賜いて、朱雀帝にお願い申し上げました。
「次は源氏大将の御事じゃ。右大臣もそなたの母君も『源氏大将が帝の地位を奪うのではないか』と心配しているのは分かっておる。
しかしこの源氏大将は、女癖は悪くても帝の位を奪ったりはせぬ。それだけの後ろ盾がない事も知っておる。この源氏大将はそなたの臣下として、朝廷を束ねるしか生き残る道はない。源氏大将もその事を心得て朱雀帝にお仕えするのじゃ」
桐壺帝は隣で支えている源氏大将に向かって言いました。
「十分心得ております」
源氏大将が答えますと、桐壺院は大将の顔を見てにっこり笑い、
「そうじゃ、この通りじゃ」
こと、朱雀帝に向かって言いました。
「源氏の大将、これからもよろしく頼む」
朱雀帝が源氏大将に向かって言いますと、源氏の大将は、
「承知いたしました。何なりとこれからも御命じ下さいませ。私が大臣どもの意見をまとめてご報告申し上げます」
て、軽く頭を下げました。
「わしがはべりつる今の世に変らず、わしが亡き後も大小の悪い噂の事に囚われず二人がお互いに誤解を取り払い、仲の良さを隔てず互いに助け合え。たった二人の兄弟ではないか。
源氏大将を御後見人と思せ。 源氏大将は若く、齢のほどよりは頼りなげに見えるがそうではない。世の政治を祭り、ごたごたを治めるにも先見の目を持っておる。
『大臣どもの我がままを、をさをさ憚り、あるまじう争いをなむ、丸く収める才能がある』
と見賜ふる。源氏大将は必ず世の中を平和に保つべき人相ある人になり。腹違いとは言え二人とない兄弟じゃ。大切に致せ」
「ははっ、必ず私の腹心として大事に致します」
朱雀帝は院の言っている事は正しいと思い深々と頭を下げました。
十二
さらに桐壺院は続けます。
「さるに因りて遠い昔、高麗の高僧に源氏の未来を占わせた事があった。人の上に立つ人相ではあるが、これが帝になると反感を持つものが多数現れて、世の中が乱れると出た、
争いを避ける煩わしさに、源氏の君には不本意であったが、王族としての身分を剥奪し、親王にもなさず、臣下のただ人にて貴族とし、帝としての英才教育も受けさせなかった。
これも源氏の君には
『朝廷の公け事を取り締まる御後見人をせさせむ』
と思い賜えし考えの事成り。これこそが朱雀帝の世を安泰に導く唯一の方法じゃ。お互いが自分の役目を果たし、共に助け合って生きて行く事こそ大事である。悪どい中傷に惑わされず、互いの信頼を違えさせ賜うな」
と、哀れなる御遺言ども多かりけれど、女の紫式部が真似ぶべき政治向きの事にして、ここに書き留める地位にはあらねば、帝王学の片端だに、御傍で聞いておりましても、
『光源氏様の宿命は御気の毒で片腹痛し』と思えます。
院の遺言を御聞きする朱雀帝も、いと光源氏様の宿命を悲しと思して、
「さらに源氏の君と誤解を違えさせることなど致しません。朝廷から追い払うなど聞こえさすまじきよし。源氏の君がこの京の都で安心して暮らせますよう私がお守りいたします」
朱雀帝は桐壺院が安心して旅に出られるよう、返す返すこの事を聞こえさせ賜う。
桐壺院は朱雀帝の御容貌も、利発な考えも、いと清らかに成長ねびき勝らせ賜えるほどの事を嬉しく思い、頼もしく見立て奉らせ賜う。
「有難い事じゃ」と、御涙を流し賜えり。
帝の行幸となれば宮殿を長い間留守にもできず、面談の時間にも限りあれば、
「帝王様そろそろ帰宅の御時間でございます。御名残り惜しゅうございましょうが、お急ぎ準備下さいませ」
と、急ぎ帰らせ賜うにも、なかなか話は尽きず、別れ難くなる事、多くなん。
朱雀帝の行幸には『冷泉東宮も一たび同行したい』と思し召しけれど、
「何を考えておる。帝はわしの名代を兼ねた忙しい身の上じゃ。東宮の同行など許されぬ。もともと帝と東宮が同時に出掛けてはならぬ決まりではないか。
二人が同時に襲われでもしたら、王家の世継ぎが絶えてしまうではないか。東宮としての役目を心得よ」
と言う弘徽殿皇太后の物騒がしきにより、日を変えて渡らせ賜えり。
御年五歳の程よりは大人び、光源氏様に似て美しき御有様にて、院を御世話をする藤壺中宮は、
「恋しかったぞ。そなたを一人置いて宮殿を去ってからは、無事に生きているかどうか気掛かりでならなかった。御元気そうで何よりじゃ」
と、光源氏様が御手を引いて院に現れたのを見るやいなや、冷泉王子を急いで抱き上げました。
桐壺院は息子に対して父としてではなく上皇としての権威を保ち、身分の立場をわきまえるよう思い、聞こえさせ賜いけるつもりに、今はその事をすっかり忘れて、
「御無事で元気な様子。これほどうれしいことはない」
と手を取り、父親以外の何心もなく嬉しと思して目を細め、我が子を見立て奉らせ賜う御景色も、いと哀れこの上ない喜び成り。
中宮は喜びの涙に沈み賜えるを、源氏大将に未来を見立て奉り給うも不安で、様々御心乱れて悪しき境遇を思し召さる。
桐壺院は幼い冷泉王子によろづの宮殿のしきたり事を聞こえ知らせ給えど、東宮の御年はいとはかなき御程なれば、成人に育つまで面倒見てやれぬ事を、後ろめたく思して、
「許せ冷泉王子よ。そなたを最後の最後まで見てやれぬのが唯一の心残りじゃ」
と、我が子の事を『悲し』と見立て奉らせ賜う。
源氏大将にも、公け事に仕う奉り賜うべき朝廷への御心遣いを教育なさり、
「良いか、何事も大臣どもに威圧的に物事を押し付けてはならぬ。相談事のように持ち掛けて、太政大臣に皆の意見を取りまとめさせるのじゃ。大臣どもが自らの意志で積極的に行動起こすのがなによりじゃ」
などと、言い聞かせ賜う。この冷泉宮の御後見仕賜うべき事を、
「良いか東宮が如何なる事があろうとも、次の帝に据え置かなくてはならぬ。それは東宮とそなたが共に生き残れる唯一の方法じゃ。朱雀帝もこの事を十分に承知しておるが、
なにしろ右大臣の強欲さに負けぬとも限らぬ。弘徽殿の皇太后の出方も心配じゃ。誠意をもって朱雀帝に相談することじゃ」
などと返す返すのたまわす。
藤壺中宮は幼い我が子と久しく面談した事や、源氏大将に言い残す桐壺院の忠告も限りなくあり、この日の二人の訪問は、夜更けてぞ、帰らせ賜う。
光源氏様の御一行が帰られた後も、桐壺院の未練は数多くあり、誰一人残る人なく院内は静かに仕う奉りても、
「まだまだ言い残す事が数多くあった。誰か源氏の君を呼び戻してくれ。後二言、三言言い聞かせたいことがある」
などと、藤壺中宮を取り巻く女房どもに、騒ぎてののしる有様、行幸の朱雀帝が御帰りになられた後の名残り惜しさに劣るなど、優劣のけじめなし。
桐壺院と藤壺中宮様は、冷泉東宮と光源氏様に飽き空かぬほど御名残り惜しくて、仕方なく帰らせ賜うを、この上ない幸せといみじう恐ろしくさえ思し召す。
十三
弘徽殿の皇太后、大妃も、帝に自分の御櫛を預けて見舞いの旨、伝えるよう申し上げたものの、桐壺院からの特別な伝言もなく不安を感じた春子様は、
「桐壺院はあの程度の見舞いでは満足しておらぬとも限らぬ。直接わしが会って御見舞い申し上げなければなるまい。『明日にてもお伺いして、御見舞い申し上げます』と伝えよ」
と、桐壺院へ参り賜わむとするを、
「院には中宮の藤子様が御世話してかくおわする。皇太后さまが参られましては、何これと波風が立ちましょう。ここは御文を差し上げて、静かに御過ごさせた方が良かろうかとぞんじます」
と言う老世話女房の忠告に御心置かれて、
「それはそう言う事か。若い妃が世話している物を、年寄りのわしがしゃしゃり出ては。桐壺院も平穏ではおられぬと言う事か」
と、思し安らうほどに、皇太后様は遠くから見守る事に致しました。
それから幾日か過ぎて、いつものよりは暖かい夜の事でございました。桐壺院は驚ろ驚ろしき有様にもおわしまさで、静かに眠るようにして、この世から御隠れさせ賜いぬ。
『御年九十歳だった』と聞いております。
世の人々は足を空にして落ち着かず、
「桐壺院が治めた平和な世の中がとうとう終わりを告げた。しばしの平和な暮らしであった。これから右大臣と皇太后の横暴な政治が続くのかと思うと心配でならぬ。左大臣家がどう動くのか、太政大臣がどう動くのか心配じゃ」
などと、思い惑う人多かり。
『院が上皇様と言う御位を去らせ賜う』と言うばかりにこそあれ、摂政と言う権力が絶大であっただけに、世の政り事を沈めさせ賜える事も、『我が御世よ。院の政治に負けぬ立派な世の中を築いて見せる』
と言う桐壺院と同じ事にては、おわしまいつる弱さを考えますと、朱雀帝は、いと若くおわします。
大爺爺大臣は、いと急に悪い性、押さえ切れなくおわして、その御意のままに成りなん世を、
「これから如何に成らむ。あいつらの親族以外は朝廷から追い出され、財産まで乗っ取られるぞ」
と、上達部、殿上人、皆思い嘆く。
藤壺中宮、源氏大将殿などは、今までに増して優れて右大臣を押さえる手立て物思し湧かず、後々の冷泉王子即位の御技など、教じ仕う奉り賜える有様も、
「そこらあたりにおる親王達の御中に於いては、冷泉王子は特別に優れ賜える血筋ぞ。王位継承者として特別に扱え」
などと断りながら説得するも、いと哀れに思われて、世人も御気の毒に見立て奉る。
喪に服し、藤の繊維御衣にやつれ、地味な衣服に着替え賜えるにつけても、光源氏様と中宮は美しく、限りなく清らかに質素でおわしまするは、心苦しげに御気の毒なり。
去年の葵の上、今年の桐壺院と御不幸が打ち続き、掛かる生きる事の苦悩を見賜うに、この世もいと味気なう、つまらなく思さるれど、掛かる出家のついでにも、
「まず僧に成り、読経ずくめの平穏な暮らしも良かろう」
などと、まず思し立たるる事は多くあれど、
「桐壺院に託された東宮の後見人の役目はどうする。途方に暮れる中宮様も見捨てると言うのか。若い紫の上を尼に引き込むには、余りにも若すぎる。御気の毒だ」
などと、様々の親族の絆、御ほだし多かり。
世の憂き目、見えぬ山路へ 入らむには 思う人こそ ほだし成りけれ
世の苦悩 見えぬあの世へ 入らむには 恋し人こそ 邪魔に成りけれ
(古今集 物部吉名 源氏物語では、ほだしのみ引用しています)
十四
御七つ、なの日、四十九日までは、桐壺院の側室である女御の方々や中宮である御息所達、皆桐壺院に集い給えりて供養施させつるを、その日も過ぎぬれば、それぞれが散り散りに院をまかり出賜う。
「皇太后様、中宮様、七つ、なの日を過ぎ、とうとう実家へ帰らせていただく日となりました。御名残り惜しゅうはございますが、これで失礼つかまります」
梅壺の女御は、およそ十人ほどの側室を従え、位牌を横にして正座している中宮と皇太后に御挨拶致しました。その反対側には朱雀帝と光源氏様が座っておられます。
「長い間の御勤めご苦労でした。実家へお帰りになられましても、どうぞ御元気で御暮しなさいませ」
中宮様が軽く頭を下げますと、
「ありがとうございます」
と深々と梅壺の女御は頭を下げました。
その後、残りの女御どもも次々に前に進み居出て一礼し、次々と魂の安置所をまかり出賜う。
「あっははは・・・これで気が楽になった。堅苦しい内裏暮らしともお別れじゃ。これからはせいぜい実家で自由を楽しもうとしよう。麗景殿の女御どの、これからは時々鴨川の船宿で御会いして、酒でも飲もうではないか」
「ああー、それは良い考えでございます。是非とも御誘い下さいませ」
「それでは是非私も」
「桐壺院の寵愛が少なかったと言う事は、それだけ身軽に振舞えると言うことでございます。あの二人は御気の毒、
『ざま見やがれ』と、いう気分でございます。おっほほほほ・・・・」
昭陽舎の梨壺は後を振り向きながら言います。
その声を聞きながら皇太后は、
「桐壺帝に散々世話になっておりながら、よくもあのような薄情な恨み事が言えた物よ。帝の寵愛が少なかったゆえに、負け惜しみを言っているとしか思えん」
弘徽殿の皇太后様は、開け放たれている妻戸から見えて、渡殿から遠ざかる女御どもをにらみながら言います。
「人の死は縁の切れ目と言います。あの者達は宮殿から追い払われる身の上、帝を嫌いになるのは当然でございましょう」
「所で中宮殿、桐壺院が崩御したかににはそなたも奥御殿から退出してもらわなくては困る。何処ぞ行く先は決まっておるか」
皇太后様は藤壺の女御を見下すようにして背筋を伸ばしながら言いました。
「行く先は三条に屋敷を構える兄の、兵部卿の宮邸にお願い致しております。ですがもうしばらく、この隠居で過ごさせて下さいませ。まだ桐壺院と分かれる決心が付きません。 少なくとも三か月はここで魂の供養をさせて下さいませ」
「行く先が決まっておるのならば、そう急ぐことはあるまい。私と帝は明日にでも内裏の奥御殿に戻るが、ゆつくり御過ごしなされ」
弘徽殿の太合はにっこりと笑い、ほっとした様子で言いました。
四十九日が過ぎ、師走の二十日頃となれば、大方の世の中、年の瀬、閉じむるべき空の景色に付けても、
『桐壺院も三途の川を渡り、あの世で御暮しになられているはず。どこでどう暮らして居るのやら。この時雨の雨模様が、院の涙でなければ良いが』
藤子様は空を見上げながら言います。我が子を宮殿に残しながら、平民として暮らさざるを得ない藤子様にとっては、増して晴るる世なき中宮の御心の内なり。
「冷泉王子が目障りでかなわぬわ。女三宮が男であったら間違いなく今の帝の世継ぎとして東宮になれたものを。朱雀帝に男の子でも出来れば間違いなく皇太子になれる。
しかしそれは無理な事。桐壺帝に事もが出来ぬのは分かっておる。女三宮はもらい子だからのう」
藤子様は、口々にそういう皇太后の御心を知り賜えれば、この先、御心に任せ賜えらむ皇太后の気まぐれを思い賜えれば、
「世のはしたなく自分本位に住みう皇太后の、絡む争いを恐ろしく思うよりも、馴れこそ大事。あのいびりは病気としか思えん』
と、聞こえ賜える年頃の御有様を思い居出、悲しみ聞こえ賜わぬ時のわずかな憩いの間無きに、かくて奥御殿におわしますまじう、他の女御どもは皆外へと居出給うほどに、一人残った藤壺中宮様は、悲しき事限りなし。
十五
暮れも迫り藤壺宮は三条宮へ渡り賜う。御迎えには兄の兵部卿の宮、参り賜えり。
「御待ち申しておったぞ。桐壺院の御世話、ご苦労であった。これからはゆっくり我が里にて休むが良い」
「かたじけのうございます、兄上、これから何かと面倒を御掛け致しますが、宜しゅうお願い申します」
宮は言葉数少なげに頭下げ賜う。
この日、しぐれ模様の雪、打ち散りて足元を濡らし、風が激しゅうて妻戸など激しく音を立てるなり。
「桐壺院の内、やうやう人目枯れ行きてしめやか寂しくなるに、ようやく院の屋敷を閉じる決心が付きました。御位牌も内裏の安置所に御納めしたゆえ、私の役目も終わりました」
「それは寂しいのう。平和が長く続いた桐壺帝の時代も終わったという事じゃ。この先、平穏に暮らせれば良いがのう」
「私もそれが心配でございます」
兄と妹はしみじみ語り給う。
それからニ・三日過ぎて、源氏大将殿、三条宮のこなたに参り賜いて、
「藤子中宮様には幼少の頃から、母を偲ばせる小母として大変世話になって参りました。私の育ての親でもあます。桐壺院からは、
『冷泉王子の後見人の役目』を仰せつかっております。兵部卿の宮さまには、王子の伯父上として、これからも御助けいただきたいと願っております」
「そなたとは因縁の仲じゃのう。紫の姫は元気にしておるか」
「至って御元気に、陽気に暮らしております。御心配でございましょうが、安心してお任せ下さいませ。決して悪いようには致しません。あれは中宮様に似て優しゅうございます」
源氏様と兵部卿の宮は、奥の廂に参り賜いて、酒などを飲みながら、しっとりと昔の古き御物語聞こえ賜う。
外の五葉の松、雪にしおれて重たげに垂れ下がり、下葉枯れたるを見て兵部卿の親王、
影広み 頼みし松や 枯れにけん 下葉散り行く 年の暮れかな
影広く 頼みの帝 枯れにけむ 栄華散り行く 年の暮れかな
と兵部卿の宮、我が一族の後ろ盾を失った帝の崩御を嘆き賜う。
人の死は宿命で、何ばかりの事はあらぬに、折りからの雪の物、心を寂しくさせて、埋もれ行く庭の物ども哀れにて、
「帝は、
『わしの世もそう永くはない。桐壺の更衣の遺言にて、そなたを大事にして守って来たが、これから先はもう守ってやれぬ。そなたは宮殿の中で絶対的な権力者となった。
これからは御自分の力で今の地位を守り抜く事じゃ。朱雀帝には、
【たった二人の兄弟として仲良くし、助け合わなくてはならぬ】
と、言い聞かせておるが、弘徽殿の皇太后と右大臣の事じゃ、欲望に任せて何をしでかすか分からぬ。たとえ内裏を追い出されようと、必ず宮殿に元って参れ」
と言い聞かされております。雪に覆われた草木どもも、やがて春が来れば枝を伸ばし、花を咲かせましょう。追い出されるような恐ろしい事はないと存じますが、やはり不安でなりません。桐壺帝はこの事に不安を残しながら、あの世へ旅立ったのでございます」
そう話しながら、源氏大将の御袖、涙で痛う濡れぬ。池の水、隙なう全面凍れるに、
冴え渡る 池の鏡の さやけきに 見慣れし影を 見ぬぞ悲しき
冷え渡る 池の氷の 美しに 見慣れし人を 見ぬぞ悲しき
と、源氏の君、思すままに兵部卿の宮と同じ悲しみなれば、残された藤壺宮の御年は、余りにも若々しうぞあるや、尼としてひっそりと生きるには、御気の毒な感じが致します。
藤子王命婦は、
年暮れて 岩井の水も 凍り閉じ 見し人影のあせ(主人)も行くかな
年暮れて 沸き立つ水も 凍り付き 愛しき人よ 君も行くかな
などと、不安のそのついでに悲嘆に明け暮れる和歌、いと多かれど、紫式部としては、左様のみ暗い詩ばかりを書き続くべきことは いと計り知らず。暗い詩が多すぎては、読者が嫌がります。
三条宮へ渡らせ賜う儀式、親族を次々と招き賜う人の懐かしさ変わらねど、人々の同情に満ちた思い成しに、院との別れがいよいよ現実的に思われ、心は哀れにて、
「古き一条宮は返り見て旅心地仕賜う。桐壺院との暮らしは夢か幻か。ここは私のふるさと言えども、兄嫁の屋敷に居候しているに過ぎぬ。余所余所しくて落ち着かぬ」
藤壺中宮が実家の御里住に耐えながら暮らしたる年月のほど、決して幸せであったとは言い切れません。女の苦難のほど思し巡らさるべし。
十六
開けて年も代へりぬれど、世の中平穏なれば、今めかしきことなく静かなり。まして源氏の大将は、右大臣が我が物顔に振舞う朝廷を物憂鬱しくて思して、参内する気力がなく、二条院の自宅に籠り居賜えり。
国司など地方官任命の徐目の頃など、
「光源氏様、御聞き下さいませ。桐壺院がご健在中は、我が宇喜多家は一度も安芸の国司を除外されたことはありません。ですがこの春の新任式で、我が一族は国司の目録からすべて消えてしまいました。
あの右大臣が朱雀帝を説き伏せて、右大臣の一族を安芸の国司に取り立てたのでございます。何とかして下さいませ、光源氏様」
と、泣きついて来る光源氏様の側近は多く、空蝉の小君など、
「私も淡路の国司から外されてしまいました」
などと言って涙を流し給う。
「時世が変わってしまったのじゃ、桐壺院の御時をば更に言っても仕方があるまい。弘徽殿の皇太后は、
『光源氏様、ここを何処だと心得ておいでなのですか。帝がおわします宮殿でございますよ。身分の低い桐壺更衣の腹から生まれた子供など来て欲しくありません。二度と来ないで下さいまし』
と、わしを嫌っておるのじゃ。帝の警護は厳しい。朱雀帝に御会いしたくても今はできぬ」
源氏大将は固く閉ざされた内裏の高官にも、
「今度の人事は公平さに欠けておる。右大臣家の者ばかりが優遇されているではないか。これでは多くの者に不満が残るぞ」
と更にも物言わず、桐壺院の亡き世の中を静かに避けて御暮しです。
そうなると、年ごろ右大臣家に劣るけじめは変わるようすなくて、二条院の御門の渡り、埋め尽くすほど所なく立ち混みたりし貢物の馬、荷車など薄らぎて、ほとんど人影もない有様なり。
まして夜の警護を買って出る者、夜の宴会に酒を持ち込む者、宿直用の袋を持ち込むものなど、をさをさ滅多に姿見せず。来るものは親しき家事職人、荘園管理の下司どもばかりなる。
たまに来る用件なども、事に急ぐことなげにて怠け癖あるを見賜うにも、今よりはかく熱心に宮廷に赴き、
『秋の国司などいち早く解決した物を』と思いやられて、髭は伸び放題、髪も乱れて、朝寝坊、酒は飲み放題、堕落のほどは物すさまじくなむ。
その荒れた光源氏様の御暮しが終わり掛けた頃、光源氏様と何回か言葉を交わした事がある貞観殿の御櫛げ殿は、朱雀帝の御世話役、内侍の守に成り給いぬ。
「我が妹のそなたが、朱雀帝の身の回りの世話をしてくれると、安心じゃ。先の帝には、桐壺の更衣や藤壺などのならず者が取り入って手を焼いた。そなたが帝の周りで目を光らせておれば安心じや」
『承香殿の女御が御住まうだろう』と思って住まいを明け渡した前弘徽殿の太后は、安堵したかのように月夜の君に近付き、
『何もかも頼んだぞ』とばかりに、新任の内侍の守の手を固く握りしめました。
おぼろ月夜の選任は、前任の内侍の守が桐壺院をお慕い申し上げた末の御思いの後追いで、やがてご自身も尼に成り給える出家に応じた代わりの穴埋めなりけり。
妹はやんごとなく人々を暖かく持て成して、人柄も、いと良く社交的におわしますれば、奥御殿の女御側室ども、更衣など、余多参り集り賜う中にも、すぐれて時めき賜う人に成りける。
皇太合の春子様は、朱雀の天下が安泰になったと安心したのか、この所里がちに御成りおわしまいて、宮殿に参り賜う時の御局には梅壺を御使用したれば、弘徽殿には内侍守の君、おぼろ月夜様が住み賜う。
十七
おぼろ月夜様は、朱雀帝の装束係として天皇が御召しになる御着物や、小道具を管理する長官として貞観殿で過ごす事が多く、御住まいも隣の登華殿で寝起きしておりましたので、
「私は世捨て人も同然、宮殿の一番奥に埋もれたりつるに、華やかな宮廷暮らしとは無縁じゃ。こんな地味な暮らしを若い私にさせるとは姉上もどうかしておる」
と不満を持っていただけに、内侍の守は天皇の身の回りの世話をする晴れ晴れしう花形役職になりて、住まいの弘徽殿では各側室の女房なども数知らず集い参りて、
「帝はどのような着物が御好みなのでしょう。色は?柄は?もうー、詳しく教えて下さいまし。内の女御様は、
『帝に気に入られるにはどうすれば良いのか』毎日毎日御悩みなのでございますよ。詳しく教えて下さらなくては私が叱られます」
と、梨壺の女御が言えば、
「私の女御様はそんなことはどうでも良いそうでございます。この奥御殿では一番若く美しいと、御伝えして下さいとの事でございます」
と、麗景殿の女房が言う。
「それは聞き捨てならん。私共の側室女御さまに比べたらどうだか。ねえー、梨壺の女房様」
「えー、そうだとも」
「まあー、良いではございませんか。朱雀帝に公平に側室の御部屋へ御渡りいただくよう御伝え下さいまし。それが争いの起きぬ一番の方法でございますよ」
「そうそう」
新しい内侍の守は、多くの部屋の女房に囲まれて、今めかしうちやほやされて華やぎ賜えど、光源氏様が御着替えなさる桐壺殿に近い元の貞観殿には戻れないかと思うと、心の内は、
「光源氏様と時々お話しできる機会が無くなるではないか。光源氏様からの、
「着物がほつれてしもうた。すまぬが直してはくれぬか」
などと気軽に呼び止められたあの御言葉がもう聞けぬかと思うと、たまらなく寂しい。
『一度だけでも光源氏様の御体を抱きしめたい』と、そう思っていたのに』
などと、思いの外親しくなりし事どもを夢見ていただけに、今では忘れ難く嘆き賜う。
一方の光源氏様も、おぼろ月夜様を思う気持ちは同じで、おぼろ月夜様がいと忍びて桐壺殿に通わし賜う大胆な行動を、今でも期待しているのは、二人とも、なお同じ心の有様になるべしと考えるべき。
『あの御部屋のいい匂い、柔らかい御着物の肌触り。今でも忘れられない』おぼろ月夜様は嘆き賜う。
一方の光源氏様もおぼろ月夜様を思う気持ちは同じで
『おぼろ月夜の願いを叶えてやる楽しみも、今では叶わぬ夢となった。内侍の守の部屋は多くの世話係に囲まれておる。内侍司の長官ともなれば、帝と直接会話する事も多い。半ば妾同然の身の上ではないか、
おぼろ月夜との密会が公けになったならばいかがせむ。ただ事ではすまされぬぞ。朱雀帝に物の聞こえあらば如何にならむ。島流しぐらいでは済まされぬぞ』
と、思しながら、例の男の悪い御癖なれば、
「今にしも清涼殿を抜け出して、桐壷の部屋に来るのではないか』
と、思う御心差しに、勝る物はないと考えるべかめり。
桐壺院のおわしましつる世こそ弘徽殿皇太后の横暴は憚り賜いつれ、亡くなれた今では彼女の不倫を見破る直感の御心、いち早く察知して、光源氏様と二人の御方々、
『互いを思し詰めたる事どもの報い』荒縄で縛り上げ、二人そろって人前にさらけ出す見せしめを、皇太后はせむとも思すべかめり。
右大臣家の天下となった今では、事に触れて光源氏様のはしたなき事のみ居出来れば、光源氏様の官位剥奪に係るべき事とは思しかど、生まれてこの方ない見知り賜わぬ世の憂さ晴らしに苦しみ賜う。
まして今では、勝つ見込みのない右大臣家に立ち向か舞うべく戦いも考え思わず。
十八
左大臣家の大殿様も、宮殿の支配力にすさまじき心地仕賜いて、ここ内裏にも参り賜わず。
「左大臣殿よ、今さら何を老骨にむち打って、この宮殿に来ると言うのだ。葵の上が死んだ今となっては、言わば光源氏様とは他人も同然ではないか。
右大臣家の家族が暮らす宮殿に、断りもなしに来るとはどうかしておるぞ。丁度良い機会じゃ。左大臣家の者は皆『朝廷の役職を剥奪したゆえ、登庁してはならん』と伝えて賜うれ」
と右大臣に帝の前で言われ、左大臣様も身の置き所がありません。
近くにいた内管や太政大臣に『何とかして下され』と申し上げたのですが、二人とも黙っております。左大臣が登庁を嫌がるのも無理はありません。
せめて朱雀帝に自分の心情を申し上げたいと、御住まいの清涼殿に御伺いしたのですが、あいにくそこには皇太后がいて、
「帝にいとま乞いをするとは、右大臣も哀れよのう。故葵の姫君をこの朱雀帝に引き寄きて東宮妃にしておけば、このようなみじめな事にならずに済んであろうがのう。残念な事じゃ」
と、この左大臣、大将の君に、昔の恨み言を聞こえ付け賜いし憂さ晴らしを思し置きて、今でも左大臣をよろしうも思い聞こえ賜わず苦しめ賜う。
「右大臣との御仲も、元々よりそばそばしう嫌な相手におわする。今さら何を後悔しても始まらぬ」
左大臣は私邸にお戻りになられて、大宮様に報告しますと、大宮様も左大臣に同情なれて、
「そうでございますとも。私も右大臣と弘徽殿の女御が大嫌いでございました。だからこうして左大臣に世話になっているのでございます。今は御辛抱下さいませ。
どうせあの者どもの天下も長くは続きますまい。やがて右大臣家は滅亡するでありましょう」
御二人は涙を流しました。
故桐壺院在世の御世には、弘徽殿の女御も院に遠慮して横暴な振る舞いもほとんど無かったので、左大臣もある程度我がままにおわせし振る舞いを、女御に対してする事ができました。
しかし、時移りて弱い立場になった今でも、今さらしたり顔におわする弘徽殿の女御の勝ち誇った顔を我慢して、服従するなど、
『あぢきなし』と思したる。左大臣はあの人を見下した態度が苦々しく思えてなりません。
「今に見ておれ、やがて何時かはてめえらに同じ思いをさせてやるからな」
と、にらみ賜う、ことわりなり。
世の中が神の保護のもとで平等であるならば、左大臣の思いがやがて現実になるは、当然の道理なり。
源氏の大将は、葵の上が有りし昔に比べても、相変らず我が子が暮らす左大臣家に渡り通い賜いて、
「どうじゃ、坊は元気にしておるか」
と、御声を掛け賜う。
夕霧君を世話しながらさぶらいし人々も、なかなかにっこりまかに思し置きて、若君を大事にかしづき、可愛い思いたまらなく聞こえ給える事、うれしい限りばかりなれば、哀れに有難き御心と、
「坊は幸せな御子じゃ。父君様は何時までもそなたを大事に思うておるぞ」
と、いとどこの上なく幸せに居た付き、若君を抱き上げ給う。光源氏様の幸せな御姿を見て、
「苦労の甲斐があった」と、喜び聞こえ給う事ども、人の母親と同じ有様なり
限りなき御覚えの女遊びがばったり途絶えて、余りにも騒がしきまでに馬鹿げた遊びも今では暇なげに見え賜いしを、今では過去の出来事のように思えます。
かって通い賜いし愛人の所どころも、方々に途絶え賜う事ども多くあり、軽々しき御忍び歩きも、あいなう、
「馬鹿げた遊びであった」と、思し成りて、これからは真面目に仕賜わねば、桐壺院にも葵の上にも申し訳が立たないと思うべし。
今ではいとはのどやかに、戒めも有らま欲しき理想の御有様なり
十九
西の対の寝殿で暮らしなさる姫君の暮しが御幸いなるを、世人の人々も『めでたき事』と聞こゆ。世話をする小納言の乳母も、
「人知れず故尼の上様が、普段より御祈りした誠実さの印と見立て奉る。尼君様は、朝夕欠かさず仏様に御祈り致しておりましたもの」
と聞こえ奉る。
「そうか。それほどまでに姑女殿は、夫、按察の大納言を大事に思って供養しておったのか。尼君殿が幼い紫の上を残して先立ったは、さぞや無念であったろう。
尼君殿は、紫の上が私の後妻に辛く当たられるのを見かねて、北山の草庵に引き取られた。亡くなられた後、私に知らせなかったのは、再び継母にいびられるのを心配したからであろう。
北山の僧都が訪ねて来て『妹の尼君がなくなられたと聞いた。姫宮はそなたの家で暮らしておるのか』と聞いて、初めて尼君様が亡くなられたのを知ったのじゃ。びっくりしたぞ。
二人で紫姫の行方を捜しておったのじゃが、まさか光源氏様の二条院で暮らしておるとは夢にも思わなかった。小納言よ、どうして姫君の安否を知らせてくれなかった。心配するではないか」
光源氏様の留守中、二条院を訪ねて来た兵部卿の宮は、かしこまって扇で顔を隠す小納言に言いました。
「それは光源氏様に固く口留めされていたからでございます。光源氏様は、父親や御爺さまに連れ戻されるのを恐れたのでございましょう」
「光源氏様が相手では『連れ戻すなどできぬ』と分かっているではないか。この役立たずめ」
父、兵部卿の宮親王も、娘が二条院で暮らしておると知った後は、思う有様に、度々ここを訪ねて、親しき御言葉を聞こえ交わし賜う。
しかし、継母が兵部卿の正妻であった向かい腹の御子様を、
『限りなく憎し』と思うは当然の心情で、たとえ一家の主であったとしても、ねたみを押さえるには、はかばかしうもえ、あらぬに、光源氏様が引き取られたことは、最大の幸運と思うべし。
たとえ紫の姫君がおとなしく従順であったとしても、やる事なす事すべてにおいて、ねたげなる事多くで、継母の北の方は『安からず平生でおられなかった』と思うべし。
この継母と小姑のいびり物語に聞く非情な話は、古来からことさらに作り居でたる母系社会の、他人排除のようなる宿命の御有様なり。
故桐壺院を祈禱所でお守りして来た第三皇女の斎院様は、父君の崩御に伴い、喪に御服従にて寺におり居賜いしかば、朱雀帝の斎院として新たな候補が選ばれる事となりました。
朝顔の姫君は先帝のお孫様で、六条の御息所様に世話に成りながら御暮しになられておりましたが、前斎院の出家に伴いまして、その代わりに居賜いにき。帝の命令とあらば仕方なし。
加茂神社で身を清め神に仕える斎院の居付きには、帝の御孫様に当たられる孫王の皇女が居賜う例も多く有らざりけれど、この時ばかりはさるべき女御子や皇族、おわせざりけむ。
源氏大将の君、十八の頃、六条の御息所邸にて打ち明けられた朝顔の君からの恋心を、年月振れ過ぎてもど思い出して、
源氏大将の君、十八の頃、六条の御息所邸にて打ち明けられた朝顔の君からの恋心を、年月振れ過ぎても思い出して、
「そうじゃった、朝顔の君からの恋心を叶えてやらなくてはならないと思うておった所だった。朱雀帝の斎院に決まった今頃になって思い出すとは、何と間の悪い」
と、今なお御心離れ賜わざりつるを、
「かう斎院の巫女と決まった朝顔の君に恋心を抱くのは、遊び相手として筋異なり賜いぬれば、もう諦めなければなるまい」
などと『口惜しく』と思す。
「それならば朝顔付きの女房と楽しむのはいかがかな」
と思いぬれど、世話係の中将に訪れ賜う事を口実にしても、結果は斎院に手出しする事と同じ事にて、斎院女房に御文など送る期待は、実らぬ恋同じにて、
「手を引くのが得策」
と考えるべし。
『光源氏様の昔に変る御有様などをば、葵の上の死によって反省し、おだやかになるのか』
と思えば、月日が過ぎた今では、色事に溺れる事にしても、何とも思したらず。
「かようなる人の死のはかなし事ども、次の素晴らしい女性と恋を交わし夢中にならない事には、罪の意識を紛るるままに、はかないこの世を忘れようにも忘れる事など出来ようか」
光源氏様は反省の心なきままに『次の相手はこなたか、彼方の年増な女か』などと思しなめり。
二十
今度の帝は桐壺院の御遺言に違えず、哀れにも『約束を守ろう』と思したれど、まだまだ若うにおわします気弱な性格の内にも、
「そなたはまだ若い。何も言いたくないのは当然じゃ。紫宸殿の壇上で黙って見ているだけで良いのじゃ。この母と祖父が、朝廷の意見をまとめて従わせて見せる」
「そうでございすとも帝王様、何もかも爺の右大臣が指図いたします。ご安心下さいませ」
などと、御心など読びたる方に付け込まれ過ぎて、強き所、自己主張など、おわしまさぬ状況と推測されるべし。
母太后や大伯父、右大臣や、その他とりどりに考えを押し通され、逆らうなど仕賜う事は、え背向かせ賜わず。政治の祭り事を、御自分の御心に任せて進める事は、叶わぬようなり。
一方の光源氏様は、桐壺院の遺言に励まされ登庁を試みる物の、宮殿の雰囲気は相変わらず前の弘徽殿の女御が実権を握り、煩わしさのみ勝れど、
「光源氏様、この所どうしたのでございますか。めっきり清涼殿に御姿を見せぬではございませんか。帝も、
『源氏大将は近くにおらぬか。五大明王の御修法が今夜行われると言うに何をしておる。早よう登庁するように申し伝えよ』
と、言っておりますよ。どうぞ清涼殿に御這入り下さいませ」
などと言う内侍の官の君は好意的で、光源氏様もその愛敬に安心感を覚えたり。
この君とは貞観殿に居た頃から、人知れぬ御心差し通えば、敵方の右大臣家の人間で、今では帝の世話をする内侍の守に抜擢されて、割切れなくあれど、おぼつかなく他人行儀にはあらず。
深夜行われた国家安泰を願う五壇明王御修法祈祷のおり、帝が祈祷の始めにて奥に籠り祝詞を読み上げる間、帝王様に付き添う者は離れて慎み深く見守りおわす暇を伺いて、光源氏様がおぼろ月夜様に目をやりますと、
「ふっふふふ・・・」
と、例の夢のような笑顔に見られて、誘いを求められるような気持に聞こえ賜う。
二十一
光源氏様がおぼろ月夜にこっくりとうなずいて合図すると、おぼろ夜様は笑いを堪えるようにして、付き添いの中納言女房を従え、祈禱所を出て行きました。
朱雀帝はこの頃から一昼夜、五壇明王の祈祷に明け暮れ、世俗とのつながりを断つ決まりになっておりましたので、身の世話をするおぼろ月夜様も、しばしの間暇になったのでございます。
しばらくすると、祈祷所の南廂の近くで祈禱のようすを伺いながら見守っている光源氏様の近くに、おぼろ月夜付きの中納言が現れて、光源氏様の耳元に何かささやきました。
「おぼろ月夜様が『光源氏様に御用がある』との事でございます。どうぞ、一緒にお越し下さいませ」
中納言も、何やら意味ありげににっこりと笑いを浮かべます。
「分った」
光源氏様と中納言は他に居た重臣に一礼すると、妻戸を開けて出て行きました。案内されたのは、
かの昔覚えたる弘徽殿の細殿の局に、中納言の君は、人目を紛らわして光源氏様を御入れ奉る。光源氏様は人目を避けるように、背を低くして周りに気を配りながら付いて行きました。
「光源氏様、いまだったら大丈夫でございます。誰もおりません」
今の時刻は就眠前の時刻にて人目もしげ期頃なれば、上級下級の女房どもは廂の部屋に自分の寝場所を決めるのに大騒ぎです。
「やがてそれぞれが落ち着く場所に寝場所を決めれば、静かになりましょう。しばらく御待ち下さいませ」
光源氏様は中の油の灯りに照らされた御簾の外側、常よりも庭に近い端近なる廂においでになる。庭を通る者、渡殿でつろぐ者に見られたりはいかと、そら恐ろしゆ覚ゆ。
君は中納言から借りた上衣を頭からかぶり、女に化けて女房の寝ている間をすり抜けて弘徽殿の奥へ向かったのですが、御格子の扉に鍵を掛けぬ中納言のルーズな態度と言い、男が通る気配に気づかない女房どもの愚かさと言い、
「これでは間男が側室の寝室に忍び込み、主に間違いが起こる事もあるぞかし」
と思いながら奥へと進んで行きました。
朝夕の宮殿のあらゆる場所に見奉る先帝の人だに、女を楽しむ歓楽に飽きる足りかぬ御若様なれば、・・・・
二十二
朝夕の宮殿のあらゆる場所に見奉る先帝の人だに、女を楽しむ歓楽に飽きかぬる御若様なれば、自分よりも身分の高い側室女御ならばともかく、側室の世話女房どもを襲う事など許された身分である。
間違いが起らないようにするには、努めて光源氏様と巡り合わないようにするか、その気がない事を示すために、そっけない態度を取るしかない。
まして女の方から男を呼び寄せるなど、珍しきほどにのみある御対面の誘惑、いかでかは、
『どうしてその気になったのか』
理解に苦しむ愚かならむ行為である。だが女の御内務官様もげにぞ、めでたき性欲の御盛りなる。宮殿の掟に逆らい男を求める欲望は、押さえるにも押さえ切れる物ではない。
「あっ、光源氏様」
君が几帳の中に入るやいなや、おぼろ月夜様は光源氏様の胸に飛び込んで行きました。
「麻呂もそなたとの恋を待ち望んでおったぞ」
それ以上の会話も無きままに、重なりかなる二方はいかが気持ちの良い快楽にあらむ。
「ああー、すごい。今が一番幸せでございます」
「麻呂もこの事を望んでおったぞ」
二人はおかしうまでになまめき、若びたる心地して、その乱れた姿は、見ま欲しき御気配なり。
楽しく気持ちの良い時間は『あっ』という間に過ぎ、
「ほどなく夜が明け行くにや」
と覚ゆるに、ただここかしこ近くにしも、
『時刻は卯の刻になるぞ。おのおの方御目覚めなされ。朝の準備を召されなされ。宿直申しの右近衛府見回り番が御近くをさぶらう。時刻は卯の刻になるぞ。おのおの方御目覚めなされ。朝の準備を召されなされ。宿直申しの右近衛府見回り番が、御近くをさぶらう』
と、繰り返し庭園を歩く衛兵は、大声を張り上げ、声作るなり。
「おぼろ月夜殿、お別れの時刻じゃ。また近い内に逢おうぞ」
光源氏様は寄り添う女君を押しのけて立ち上がりました。
「きっとでございますよ。御待ち申し上げております」
女は男の下腹に抱き付き言います。再び外から大きな声がして、
「またこの渡り、隠ろえたる敵方の左近衛府司ぞあるべき。見られたならば大事ぞ。楠木大将に知られる前に、近衛府詰め所に戻るべき。腹汚き右大臣の方への失態の現実、教え起こするかし」
と源氏大将は聞き賜う。
「大将殿はどこにもおらぬそうじゃ。早よう探し出せ。側室の部屋で敵方に見つかったら大変ぞ。見回りの振りをして各部屋を調べるのじゃ」
ベテランの上司が若い士官に向かって小声で話す声が聞こえます。
自分が弘徽殿でおぼろ月夜といる事を考えれば、おかしき物から笑いが止まらず、衛兵のお節介はわずらわし。衛兵の一人は、ここかしこ尋ね歩きてとうとう光源氏様を見付け、
「寅一つ」
と申す成り。合図の言葉を聞いた上官は急いで光源氏様の元へ駆けつけ、
「お急ぎ下さいませ、光源氏様。まもなく人々が起きて参ります」
「分っておる。安全な通路へ案内致せ」
「かしこまりました」
衛兵の上官が光源氏様を先導しようとすると、女君、
心から 方々袖を 濡らすかな 悪とを知ふる 声に付けても
心から 下々袖を 濡らすかな 悪としりゆる 二人を見ても
と、のたまう有様、はかなき別れ悲しみ立ちて、恋する女の哀れな姿は悲しくて、いとおかし。源氏の大将は、
嘆きつつ 我が世はかくて 過ぐせとや 胸の開くべき 時ぞともなく
嘆きつつ 我が世は終わる この恋も 胸の安らぐ ひと時ぞなく
と嘆きつつ、静心なく居出賜いぬ。
二十三
夜深き暁月夜の名月が、えも言わず霧に隠れ渡るに、いと痛うやつれてだらしなく振舞いなし賜える光源氏様の姿にしも、事にあろうか普段の警戒心に似るものなき御有様にて、渡殿を歩きなされておわしますと、
「あれはだれじや」
とつぶやく者あり。
それは承香殿、女御の御兄弟で兄の藤少将でありました。朱雀帝が珍しく心を寄せている側室の兄であることを良いことに、奥御殿に立ち寄った御帰りなり。
『これは良い所を見たぞ。源氏の大将が弘徽殿から出て来なさったということは、何か秘密の関係があるに違いない。女官にささやかれて紫宸殿を抜け出した理由はこれだったのか。
源氏大将のことだからこれで終わる訳がない。きっと藤壺御殿にも立ち寄るに違いない。先回りして様子を見ようじゃないか。この事を報告すると、右大臣から御褒美がもらえるぞ」
藤の少将はにやにやしながら後ろを振り向き、背を低くして藤壺御殿へ向かいました。
光源氏様は藤壺より少し外の渡殿にはみ居出て、月影の少し隈ある立てじとみの格子の裏元に立てりける藤少将を知らで、いそいそと藤壺御殿へ過ぎ賜いけん愚かこそ、いとおしけれ。
「馬鹿な奴め、俺が見ているのも知らず、ぬけぬけと藤壺様に御会いに行くのであろう。俺がしっかりとその失態を見届けてやるぞ」
などと、非難もどき罵声も聞こゆるような落とし穴も有りなんかし。
「かようなる浅はかの振る舞い事につけても、光源氏様はおぼろ月夜様との密会に満足しておらぬようじゃ。おぼろ月夜様の真心を持てはなれて、藤壺様に御会いに行くとは、このつれなき人の御心をおぼろ月夜様が知ったら、どんなに嘆く事だろう」
藤の少将は、光源氏様が藤壺御殿へ向かう姿を見て、険しく目を光らせました。
かってはこの性欲旺盛な性格を、めでたしと思い聞こえ賜う王室の子沢山の物であったから、仕方なしと思えど、我が心の引く女の方に付けては、御気の毒である。
『なお辛う心憂鬱し』と覚え給う奥御殿の折りも多かり。
二十四
光源氏様が奥御殿の内裏に参り賜わん事は、右大臣が宮殿を支配した後、久し振りのことなるゆえ、初々しく自らを所責く思いにしなして落ち着かず、
「ここは奥御殿に踏み込んだ以上、冷泉東宮を見奉り賜わぬことには、易々と帰る訳にも行くまい。わしは桐壺帝に東宮の後見役を命じられたたった一人の人物である。
春子皇太后に宮殿の出入りを禁じられているとは言え、冷泉東宮に御会いして、今の様子を御伺いせぬ事には何も始まらぬ」
と、日頃の御無沙汰をおぼつかなく思おえ賜う。
また東宮にとっても『光源氏様が頼もしき人もの仕賜わねば、誰一人御身を守って下さる権勢家はおらず、ただこの源氏大将の君をぞ、よろずに頼み聞こえ賜える』
と思すに、なおこの王子の事を思い続けるこの憎き御心の止まぬに、
「冷泉王子が寂しがっておられる様子が痛いほど分かる。しかし朝廷に於いて力を失った自分に何ができるのだろうか。ともすれば、ありもしない藤壺女御との関係を持ち出して、
『源氏の君が、これほど危険を冒してまで冷泉王子に逢いたがるのは、御子が自分の子供と思っているからではないか。冷泉東宮が源氏大将の子供であったならば、御子は桐壺帝の子供ではなく、不倫で生まれた間男のこどもである。
・・・ということは、帝王の位を引き継ぐ正当な子供ではない。東宮は廃位しなくてはならないぞ』とも言われ兼ねない」
光源氏様は悪い噂が広まる事に御胸を潰し賜いつつ、
『いささかも宮廷に於いて、自分の力のない景色を冷泉東宮が御覧じ知らずなりしを思うだに、力のない東宮がこの現実を知ったらどのように嘆くか』
と、いと恐ろしきに、
『今さらにこの事を悩んでどうなる。東宮様は源氏の大将が頼りに成らない事をとっくの昔に知っておるわ。引き恥をさらしてこそ、何か手立てがあるもの』
と割り切り賜う。また去る事のついでに、
「朱雀帝は冷泉東宮を見捨てたりはしません。御子様のない帝にとっても、東宮は唯一の跡取りであり、大事にしない訳はありません。私も心ならずお守りする覚悟でございます」
と、またさるこの事の、朱雀帝の御意向も聞こえありて、
「我が身は去る者にて『春宮の御ために必ず良からぬことが居出来なん』とすればいち早く身を引くしかない」
と思すに、右大臣と春子皇太后の仕打ちが、いと恐ろしければ、
『京都御所を見下ろす東山の寺に御祈りをさえ施させて、東宮をお守りするしかあるまい。この事を命に代えて思い止ませ奉らむ』
と、桐壺院との約束を思い出し、至らぬ事を実行するでもなく逃れ賜うを、如何なる折りにか思い出す事も有りけん。
「冷泉王子にこの事を詫びるにはいましかない」
などと思すに、浅ましう生き恥をさらして近付き賜えり。
藤壺殿には冷泉王子を世話する乳母と女房が数名ほど居て、
「あら、どうしたのでございましょう。珍しく源氏大将がお見えでございますわ」
「えっ?」
「光源氏様、御遠慮なさらずに、どうぞ奥へ御はいり下さい。東宮様もきっとお喜びでございますよ」
女房の多くは、心深く藤壺女御との関係を、たばかりに思い巡らし給いけん禍い事を知る人無かりければ、人々の気持ちも友好的なりしなれば夢のようにぞありける。
「東宮様、光源氏様が参りましたよ。是非とも御会いしたいそうでございます。東宮様も、久し振りの小父様にお会いしたかったでございましょう」
命婦が嬉しそうな顔をして東宮様に来訪の報告しますと、東宮様は以外にも、
「わしは嫌じゃ」
と言う声が返ってきました。
「あら、どうしたのでございましょう。何も恥ずかしがらずとも良いではございませんか」
「嫌なものは嫌じゃ」
女房と帝配属の命婦が学ぶべきようなく説得聞こえ賜えど、冷泉宮はいとこよなく持て離れ聞こえ賜いて奥へ隠れるなり。それを見た源氏大将は、はてはて御胸を痛うつぶれる思いがして悩み賜えり。
二十五
光源氏様がひどく落胆仕賜えれば、近うさぶらう王命婦、左中弁などの女房ぞ、
「東宮様もまだ幼いとは言え、困った物でございます。源氏大将が東宮様をお守りしなくて、誰が守って下さると言うのでしょう」
などと言って顔を曇らせ、浅ましう見立て奉りて、困り果てぬ。嘆きてこれ以上奥に引きこもる事がないようにと、恐れながらそっと見守り扱う。
男はこの東宮様の御様子を拝見いたし、憂鬱し辛しと思い聞こえ賜う事限りなきに、東宮を心配して来し方、用向きを頼まれて行く先、掻き暗す心地して、憂鬱しく心失せにければ、
「わしがここに居っても東宮を困らせるだけじゃ」
と痛う嘆き、時刻は宵の口で夜も明け果てにならねど、東宮御所に居出賜わず、去る事になりぬ。
主の御悩みに驚きて、東宮様にお仕えする人々は、近う御そばに参りて何を御困りなのか、茂うお聞きしても、
「嫌な物は嫌なのじゃ。誰も私の気持ちなど判っておらぬ」
「それでは何が嫌なのかおっしゃって下さいまし。私共は東宮様の仰せの通りに致します」
「嫌な物は嫌なのじゃ。誰ももう要らぬ。一人にしてくれ」
などと、東宮様とお仕えする者が何事も紛えば、幼い王子は我にも有らで、納戸の塗籠に押し入り、隠れられておわす。
東宮様の脱ぎ捨てた御衣ども掻き集めて、外の人々にこの事を知られまいと隠し持たれる王命婦や左中弁など人の心地ども、
『どのように対応して良いものか』手立ても、いと難し。
世継ぎの宮は、御自身の存在意義の物を『いと侘し』と思しけるに、御気持ち激しく舞い上がりて息も荒々しく、なお悩ましう咳をしながら苦しう施させ賜う。
伯父の兵部卿の宮、中宮の長官、内務大輔など参りて、
「何をしておる。このままでは死んでしまうぞ。僧召せ。祈祷をさせるのじゃ」
などと騒ぐを、源氏の大将、桐壺殿に籠り、いと侘しう聞きおわす。
東宮様の御いら立ちは、辛うじて日も暮れゆく程にぞ治まり、激しい動悸も怠り賜える。
源氏の大将が東宮様に御会いした事で、納戸にかく籠り賜えるらむとは思しも掛けず、御世話をする人々も、
「また御心を惑わさじ。お静かにそっとして上げましょう」
とて言って、
「かくかくしかじか。このような事があったのでございます。この案件に関しましては、何とご返事もうしあげましょう」
などとも言わず、今はお静かに過ごさせ賜いて、かく何とも申さぬ状況になるべし。冷泉宮は、今は明るい昼の御まし所にいざり居出ておわします。
良ろしう思さるる御気配になめりとて、宮も庭にまかり出賜うなどして楽しそうに振舞えば、安心したのか、兵部卿の宮や左中弁の女房も去って、御前は人少なになりぬ。
通常の例もなく東宮様のけ近くに馴らさせ賜う親しき人少なければ、東宮様をお守りする人々はここかしこの遠くから身を低くしたり、物の後ろなどに隠れたりして、警護にぞさぶらう。
命婦の君などは、
「いかにたばかりて、平穏に東宮様の前に居出し奉らむ。今宵さえ自棄を起こして御気持ちが上気揚がらせ賜わんとは限らぬ。愛おしう、可哀そうな東宮様」
などと、打ちささやきめき、慎重に取り扱っておられます。
二十六
東宮様が庭で御静かに過ごされている間、源氏の君は藤壺殿に戻り、塗籠納戸の隙間が細めに開きたるを、やおらそっと押し開けて、御屏風との狭間に伝い入り賜いぬ。
「いったいこの狭き塗籠の中に何があると言うのだ。薄暗くて息が詰まるではないか」
光源氏様が半分手探りで納戸の中を調べ賜えれば、そこに女の姿が。
「そなたは一体何者だ。東宮様の御部屋と知っての事か。人を呼ぶぞ」
と、光氏の君が刀に手を当てれば、
「お待ちください。私は怪しい者ではありません。藤壺の女御でございます。もうお忘れですか」
その女は警戒しながら身を引いて離れ、光源氏様に捕えられまいと逃げようとしております。
「まさか、あの桐壺院の正妻、藤壺の女御様でございますか。
『院の中宮様は尼に成り、ひたすら一条院で読経に明け暮れております』と聞いておりましたが。まさかここで御逢いするとは」
「御懐かしいですね、光源氏様。私は毎日桐壺院の供養に明け暮れておったのでございますが、冷泉王子の身が危ないと聞いて居てもたまらず、ここへ参ったのでございます。 夕べは我が子が光源氏様になつかず申し訳ございませんでした」
「いいえ、とんでもございません、中宮様。これで東宮様がこの塗籠に閉じこもった理由が良く分りました」
光源氏様は刀に当てていた手を放しました。
「今は右大臣の天下、あの子も不安で誰も信用できなくなったのでございましょう。私も桐壺院を抜け出したとあっては、弘徽殿の皇太后にどんな叱責を受けるか分かったものではございません。
それでこうして塗籠の中に隠れておるのでございます。東宮様が安心して暮らせるようになれば、また一条院に戻ります」
「私が至らないばかりに申し訳ございません」
光源氏様は久しぶりに藤壺の女御様に御逢いできて、珍しく嬉しきにも、涙落ちて懐かしく見立て奉り賜う。
「なお、いと苦しう右大臣に追いやられた暮らしにこそあれ。桐壺院の平和な世や、尽きぬらむ。私共はこの先、どのような惨めな暮らしが待っているのでございましょう」
とて言いながら、外の方見い出だし賜える傍ら横顔の目、涙に潤んで言い知らずなまめかしう色っぽく見ゆ。
藤壺中宮は東宮の差し入れなのか、
「御果物をだにとて少ししかございません。こんな物でよろしければ召し上がれ」
とて言って参り、前にすえたり。漆箱の蓋などにも昔使った見覚えのある物で、懐かしき有様にてあれど、その果物には見入れ賜わず、
「その御顔の悲しい御姿、世の中を痛う案じ、思し悩める御景色にて、憂慮致します。そのうち何とかなりましょうぞ。案じめされるな。右大臣の天下が何時までも続く訳がございません」
などと言いながら、のどかに眺め入り賜える。藤壺様は可愛げで、いみじうろうたげで可哀そうなり。
髪差し、頭付き、御髪の肩に掛りたる有様、限りなき匂わしさが漂い、つやつやして流れ落ちるような柔らかさなど、ただただ、かの兵部卿の宮一族の姫君に違う所、間違いなし。
「藤壺様と我が二条院の紫の上は良う似ておる。愛おしく美しい」
と、光源氏様はうつむいた藤壺の女御様を見てそう思いました。
『年頃少しご無沙汰致して、藤壺様を思い忘れ賜えりつるを、今こうして御近くで拝見いたし、浅ましきまでに覚え賜えるかな。幼き頃に失った桐壺の母君を良う思い出す』
と、見賜うままに、少しもの思い、霧が晴れて、迷いの晴るけ所ある心地仕賜う。
二十七
気高う恥ずかしげなる有様なども、更に異なる人とも思い分き難きを、なお、
「限りなく昔より、思い占め聞こえて、藤壺女御様こそ理想の女性に相違ない。桐壺帝の側室でなかったならば正妻として迎えたい所」
と、私心の片隅に思い成し、様々な事にいみじう親しみを感じ、
『年々ますます練び勝り賜うかな。御年と供に学識が増し、知的美しさに備わって来た』
と、たぐいなく覚え賜うに、源氏の君は心惑いして、やをら静々と御帳の内に係わりづらいて、御衣の褄先ぞ、
『パタパタ』と引き鳴らし賜う。
「あの気配知る仕草」と匂いたるに、浅ましう向く付けに恐ろしう思されて、前の中宮様はやがて畳の上にひれ伏し賜えり。
「後ろを見だに、私の方を向き賜えかし」
と、心やましう手を取りへつらうて、衣を引き寄せ賜えるに、藤子女御様は御衣を肩から滑らし置きて、源氏の腕から膝でいざり退き賜うに、心にもあらずどうした事か、すべすべした御櫛の髪まで取り添えられたれば、
「さあ藤壺様、もう私の手から逃れられませぬぞ。いい加減に観念なされませ」
と、抱き寄せ賜えり。
女はいと心憂鬱しく、宿世のほどを思し知らされて、
「源氏の君と私は、こうなる運命であつたのか。いみじく恐ろしい宿世ではないか」
と、思したり。
男もここら辺りの、世の批判を持て沈め賜う自制の御心も皆乱れて、先々の事まで映しざまにもあらず。よろずの宮殿内の事を泣く泣く恨み聞こえ賜えど、
「こうなったのも神の思し召しの賜わ物、それぞれの御心のままに、素直に従いましょうぞ」
と言えば、女は、
「誠に心付きなし。このような事は嫌いです」
と、思して、応えの返事も聞こえ賜わず。ただ、
「居心地の、いと悩ましき苦しみを、掛かわらぬ外の女房どもにも、悟られ気付かれる折りもあらば、聞こえてむ。このような不謹慎な事は御辞めなさいませ」
とのたまえど、
「私は子供の頃から藤子様が好きだったのでございます。この絶好の機会をどうして逃すことができましょう」
と、尽きせぬ御心の程を、言い続け賜う。
さすがに藤子中宮も、
「いみじく御気の毒な御方」
と、聞き賜う節も混じらん。
『親子として、穢れの無い添い寝など有らざりし事は有らねど、あれは世間から見れば誤解を招くもと』
と、改めて、いと口惜しう思さるれば、懐かしき物であるから、
「あの光源氏様の子供の頃が一番楽しかった。男も女も忘れて自由に戯れる事ができましたもの」
と、いと良うのたまい逃れて、今宵も純真な親子のままに明け行く。
せめて源氏の君が従い聞こえざらむも、かたじけなく、女は心恥ずかしき御気配なれば、
「ただ、これほど課ばかりにても、時々いみじき虚しさを愁え嘆くをだに、二人の心がはるかに遠けしに有りはべりぬるべくは、何のおおけなきやましい心も、有りはべらじ。堂々と生きてゆきましょう」
などと夢夢に聞こえ賜う独り善がりの願いで有ったろうと思うべし。
こうした色恋はなのめなる平凡な事だに、かようなる仲良いは、哀れなる悲劇の事が添うなるを、ましてたぐいなく泥沼に落ちる事も有りげなり。
二十八
夜も明けはつれば、二人していみじき恐怖心の事ども聞こえ、
「源氏大将よ、早くここを立ち去れなされ。右大臣家の者に、この紛らわしい現場を見られたならば、
『汚らわしい密会』と見られましょうぞ。誤解を招く前に、早よう立ち去れなされ」
と、藤壺宮は、半ば命も無きようなる御景色の災いに心苦しければ、
「世の中に、無き物を『有り』と聞こえ召されるも、いと恥ずかし気配なれば、世はやがて失せ去りはべりなんも、やむを得無き事。またこの世ならぬ先の世に、罪となりはべりぬるべき憂鬱な事」
などと聞こえ賜うも、向く付けきまでに不安に思し入れり。
逢う事の 敵を今日に 限らずは 今行く世をか 嘆きつつ経ん
逢う事の ひがみを今日に 限らずは 今住む世をも 嘆き去るのみ
「藤壺様と私の結ばれし、ほだしにもこそ、祝福あれ」と、聞こえ賜えば、さすがに中宮も打ち嘆き賜いて、
永き世の 恨みを人に 残しても かつは心を 仇と知らなむ
永き世の 恨みを人に 残しても 己は心を 仇と知らなむ
藤壺様の、はかなく言い成させ賜える有様の、言いよし無き利発的な心地すれど、人の我が身を案じ召される御心を思さむ所も、
『我が御んためにもならず』
と苦しければ、明け行く空に急かされて、光源氏様も我に在らで、そこを居出賜いぬ。
その後光源氏様は、いずこを表にしてか、行く先も定まらず、またも宮殿にも姿が見え奉つらん。
「逢いたければ『ますます愛おしい』と思し、苦しみを知るばかり」と思して、さほど遠慮する事のない、御文の便りも聞こえ賜わず。ただ呆然と無意味に過ごしておられます。
また先の帝に命じられた源氏大将としての役目も果たさず、宮殿の内裏、東宮殿にも参り賜わず、ただ二条院に籠りおわして起き臥し、
「あれほどいみじかりける優しかった人の御心かな。もう少し御気軽に叔母、甥の間柄として、気楽に接しても良いはず」
と、人悪ろく他人行儀に接する方に恋しう思い、なかなか思い通りに行かない悲しきに、
『心も魂も、失せにけるにや』と、悩ましうさえ思さる。
「藤壺様からの御文も物心細く、まったく当てにはならぬ。これほどこの私が恋焦がれ、逢いたがっているのに無視するとは謎や。世に触れれば、憂さ晴らしにこそ、己の未来は勝れり」
と思し立つには、光源氏様の御年は若すぎるかも分かりません。
この女君の、いとろうたげにて可哀そうな哀れに打ち勝ち、光源氏様が藤壺様の不安を振り払い、
「私どもに構わないで」
という声の頼み聞こえ賜える願いを振り捨てて、薄情に生きむは、いと困難で底固し。
二十九
藤壺宮も光源氏様と出逢った宮殿の事は、その名残りは例にもおわしまさず、
「かう言う事、噂になれば、我が子、東宮の身が危ない。私は東宮の為に尼になるしかないのではないか」
と、更めきて桐壺院に籠り居、宮殿を訪れ賜わぬを、帝の周りで暮らす命婦などは、
「愛おしく御気の毒な藤壺宮様。我が子を心配するは世の常。もっと気楽に訪ねれば良いものを」
と、歯がゆがり聞こゆ。
藤壺宮も、春宮の御為を思すには、光源氏様が心置き賜わぬ事愛おしく、
「私をどうしようもなく味きなき物に思い成り賜わくば、世を捨てて仏門に入るのみ。色恋の欲望を振り捨て、権力の争いから立ち去り、源氏大将の欲望を振り払うには、これしか方法はあるまい。
『下道に生きるを思し立ちつ生きる』こう思う事も大切や」
と、さすがに利発的な藤壺様も、苦しう人生をあきらめたと考えるべし。
『光源氏様に掛る事を絶えずんば、いとどしき右大臣の世に、はしたなき噂さえ漏り居出なむ。こうした事が我が子の未来にどれほど暗雲をもたらす事か。
春子大后のあるまじき不謹慎な行いに苦言をのたまうなる身分の位をも振り捨て、中宮の座も去りなん』
と藤壺中宮は、ようよう思しなさる。
桐壺院ののたまわせし有様の、
「わしが亡き後、右大臣が朝廷を支配するようになるぞ。源氏大将がそれを押さえるには若すぎる。春子皇太后の横暴も止められなくなるぞ。それを防ぐには藤壺が中宮の座に納まるしかない。 奥御殿の絶対権力者として、中宮の座をしつかり守る事じゃ」
と、なのめならざりし御言葉を思し出ずるにも、今の左大臣家、源氏大将、藤壺中宮の力では弱過ぎる。
「よろずの事、正義有りしにもあらず。善の良し悪しは時代と共に、変り行く世にこそあれ。私の中宮としての権力も、もはやこれまで。
漢の国の戚夫人は王の崩御後、呂皇太后に息子と共に虐殺されたではないか。我が身と新王の命が危ないと思えばこそ決断した残客な行為。
戚夫人の見けむ悲劇の目のようには在るらずとも、必ず人が笑えなくなる事は有り得ぬるべき事として、我が身にこそあれ。私はそうした悲劇を起さないために尼になるしか方法はない」
などと、世の疎ましく過ぐし難う思さるれば、世の定めに背きなさむ事を思し取るには、当然の決断であっただろうと思われます。
春宮を見奉らで、決意が面変わりせむことを哀れに思さるれば、宮殿の内裏に忍びやかにて参り、御自分の決意を帝に報告しようと参内し、まかり居出賜えり。
三十
源氏大将の君は、藤壺の女御様が、
『まさか中宮の座を捨て尼になる事など、ことさらに起り得ぬ事』と考えるだに、
『奥御殿で東宮の立場が危ない』など思し寄らぬようすで、何事もなく、いつものように仕う奉り賜うを、
「あれほど東宮が、わしの事を嫌いになっていると分かっていながら、嫌な者が誠意をこめて押し掛けた所で、ますます嫌われるのは必定。ここはじっと我慢して、御機嫌が回復するまで待つのみ」
と、御心地悩ましき境遇に事付けて、中宮様が桐壺院を去る日、御見送りにも参り賜わず。
大方の御訪いは様々な事情が有り、同じように難しようなれど、光源氏様の御遠慮は無下に考え過ぎと思し、必要以上に屈しけると、王命婦や中弁の君など心知る仲間同士は、
「どっちもどっちだ」
と、愛おしがり聞こゆる。
冷泉の宮は六歳に成りあそばしまして、いみじう美しく大人び賜いて、宮殿内では珍しう『嬉し』と思して、様々な人々と睦まじく戯れ聞こえ賜うを、
「東宮ともこれが最後の別れ」
などと『悲しい』と見立て奉り賜うにも、藤壺中宮の尼に思し立つ決意の筋は、いと固しけれど、奥の内裏渡りを見賜うに付けても、桐壺院の亡き世の有様は、
『哀れにもはかなく移り行き、変る事のみ多かり』
と、思い賜う。
大妃、春子皇太后の御心もいと煩わしくて、
「前の帝の供養も放り投げて、何しに宮殿に参ったのじゃ。東宮の事が心配で参ったのだろうが、何を疑っておる。私共の事が信頼できぬのか。それならそれで面倒見切れぬわ」
などと言われると、宮殿にかく居出入り仕賜うにもはしたなく思えて、会う人合う人ごとに触れて、心苦しければ、
「冷泉宮の御為にも危うく、忌々しうなるのでないか」
などと、よろずに付けて何もかも思欲し乱れて、
「御覧ぜ、母君を。これからも久しからむ程に疎遠になり、滅多に母とは逢えない事になると思い、身分の形の事様にて浮立てげに母が変わりて、みすぼらしく成りはべらば、いかが思さるるべきか」
と、聞こえ賜えば、冷泉王子は母君の御顔を打ち見守り賜いて、不安な様子に成り、
「式部卿の先生が言うにや『母君はいかでか、そうは成り賜わん』と言うておる」
と、微笑みのたまう。母君は、
「この事は冗談ではなく、本当の事ですよ」と言う甲斐なく、哀れな姿にて、
「それはこういう事です。母とて老いて年を取りはべれば、醜き姿に成り賜わんぞ。そうは有らで、髪は今のそれよりも短くして、黒き絹の着物など着て、夜の僧などのようになりはべりなん。
『黙って口も聞かぬ』ように成りはべらむとすれば、いかがせむ。今の華やかな母君を見立て奉らむ事も、いとど久しく無かるべきぞ。もう会えなくなるかも知れぬ」
と、藤壺中宮が泣き賜えば、東宮は真面目立ちて、こうおっしゃいます。
三十一
「久しく御会いできませぬとは、寂しく恋しき物を。『御会いできぬなど』と、二度とおっしゃらないで下さいませ」
とて言って涙落つれば、幼子ながらも『恥ずかし』と思して、さすがに泣き顔を見られまいと、後ろに背き賜える。
御櫛の前髪はゆらゆらと揺れ、御顔のきめ細かい肌は清らで、真み目の人懐かしげに匂い賜える有様、大人び賜うままに、王族としてのただかの誇りを脱ぎ滑らせ賜えり。
御歯の前歯は少し朽ち落ちて、口の内側黒みて微笑み賜える仕草の薫り、女のようにて見立て奉らま欲しうほど、清らかにて愛おしげなり。
いとかうのようにしも、愛らしく覚え賜えるこそ心憂鬱しけれど、光源氏様に似て玉の傷に思さるるも、
『実は本当に親子ではないか』
と言う、世の煩わしさの誤解を招く根拠で、空恐ろしうさえ覚え賜うに成りけり。
源氏大将の君は、冷泉宮を、いと恋しう思い『訪問せねば』と思い、その願いも聞こえ賜えど、春子皇太后の浅ましきに御心のほどを気になさり、
「源氏大将が東宮を度々訪問するのは『実は我が子』と思っての事ではないか」
などと、時々は思い知る有様にも見せ奉らむと、冷泉宮の幸せを念じつつ過ぐし賜うに、
「二条院に閉じ籠ってばかり居ては御体に良くありません」
と、人悪ろくつれづれに、そう思さるれば、秋の野山を見賜いだてら、今後の生き方を決めようと、京都北にある雲林院に詣で賜えり。
そこは故母君、桐壷御息所の御兄弟が、住職の律師の位にて籠り給える坊にて、光源氏様は法文仏典などを読み、
『修行を行いせむ』と思して、二日、三日籠りおわするに、質素な暮らしは哀れなる事多かり。
紅葉ようよう色付き渡りて、秋の野の、いと生めきたる花など見賜いて、
秋の野に 生めき立てる 女郎花 あなかしがまし 花も一時
秋の野に 生めき立てる 女郎花 静かがましき 暮らしも一時
(古今集 僧正 源氏物語にはありません)
と口づさみながら、古里、二条院の暮らしも忘れべく思さる。
法師腹の才ある限りの知識を召し居出て、律師は経文の意味など論議施させて、光源氏様の意見を聞こし召させ賜う。所からに、いとど世の中の薄情な常なさを思し明かしても、
天の戸を 押し開け方の 月見れば 浮き人しもぞ 恋しかるける
天の空 押し明け方の 月見れば 逢いたき人ぞ 恋しかりける
(新古今集 源氏物語にはありません)
と思し居出らるる押し開け方の月影に、寺の僧たちは何事もなく早々と目覚めて、法師腹の閼伽水など奉るとて言いながら、
「からから」と花立を鳴らしつつ、井戸端へ集い給える。
菊の花、濃き薄き紅葉など、黄色や赤の枝を折り散らかしたる井戸もはかなけれど、この僧どもの営みは、この世の暮らしはつれづれならず貧しくとも、死んだ後の世は頼もしげなり。
源氏の君は、そのような暮らしを、
『さも味きなき人生。身を持って一生なやむかな』などと、思し、更に考え続け賜う。
三十二
本堂に立ち寄れば、律氏のいと尊き声にて、
『念仏衆生摂取不捨』と、ただ無心にて念仏を打ち述べて繰り返し、毎日毎日修行を行い賜える僧の暮らしが、いとうらやましければ、
「なぜそこまでに世を棄て欲を捨て、無欲になれるのか、謎や」
と思しなさるに、まずは光源氏様にしてみれば二条院の紫姫君の事が心に掛りて、
『愛しい妻を捨ててまで、仏門に専念する事などわしにはできぬ』
と、思い居出賜う雑念こそぞ、いと悪ろき心なるや。
例ならぬ二条院を留守にした日数もおぼつかなく、心配のみ思さるれば、
「御文ばかりぞ茂う、毎日毎日御届けならなければなるまい。家に残る者にとっては、
『これからの暮らしがどうなるのか』心配でならないだろう」
と聞こえ賜うめる。
「二人は行き離れぬべしや。どんな事があっても捨てたりはせぬ。
『仏門にはいれぬか』などと試みはべる道なれど、己の心に対しても、つれづれに慰め難う思える。出家した所で心細さ勝りてなむ。安心して念仏など唱えられぬ。
紫の上に対しても聞き指したる事ありて、そなたの考えを聞きたい。右大臣の天下となった今、今までのような贅沢な暮らしはできないようになると思え。
場合によっては遠い国へ島流しされるかも分からない。それでも二条院に残れば、少しは安らいはべる暮らしができるほどを考えて欲しい。右大臣の権力が弱まり、再び朝廷を動かせる日が来るかも分からない。紫の上の考えはいかに」
などと、粗末なみちのく国紙に打ち解けて、心情を書き賜える御心遣いさえぞ、めでたき配慮なり。
浅茅ふの 露の宿りに 君置きて 四方の嵐ぞ 静心なき
荒れ草の 露の宿りに 君置きて 世もの嵐ぞ 静心なき
などと、自分の境遇を細やかに知らせなるに、女君も打ち泣き賜いぬ。
紫の上からの御返りの文は、白き色紙にて、
風吹けば まずぞ乱るる 色変わる 浅茅が露に 掛るササガニ
風吹けば まずぞ乱れて 色変わる 浅茅が露に 掛る蜘蛛の巣
とのみあり。源氏の君は、
「御手は、いとおかしう寸足らず。しかし幼き姫君にしては上達のみ成り勝るかな」と、一人ごちにつぶやいて
『和歌も文字も美し』と、微笑み賜う。
『葵の上とは常に手紙を書き交わしたれば、我が御手習いに、いと良う似て知性に満ちた和歌ぞ』
光源氏様は届いた御手紙に、今少しなまめかしう、女らしき所を書き添え賜えり。
「何事につけても紫の上は氣しうはあらず、素直な所が良い。幼少の頃より、御保し育て立てたりかし理想の女に成長した。姫君を御誉めして、今後も大事にお守りせねばなるまい」
と思保す。
三十三
吹き交う噂の風も近きほどにて、光源氏様が雨林院をお訪ねしている事は近くに祈祷所を構える斎院にも聞こえ賜えり。
光源氏様は斎院の暮らしを御気に致しまして、世話する中将の君に、
「かく旅の空になむ。物思いに沈み、世間の祭り事にも空くがれて疎遠になりけるを、
『近くに住む斎院の君にまで無視された』と思い知るにもあらじかし」
などと、恨み聞こえ賜いて、斎院の御前には
掛けまくは 畏こけれども その神の 秋思ほゆる 木布たすきかな
気遣いは 恐れ多くも その神に 秋思ほゆる 白たすきかな
掛けまくも あやに畏こく 言わまくも ゆゆしくあらむと 心乱るる
気遣いは 恐れ多くも 言わずには 捨てておけぬと 心乱るる
(万葉集 この一句は源氏物語にはありません)
『昔の栄華を今に』と思い賜ふる甲斐もなく、
取り返す 物にもがなや 世の中を ありしながらの 我が身と思はむ
取り返す 物であればと 世の中を 昔ながらの 我が身と思わむ
『今さら昔の栄華は、取り返えされむ物のように思える』とあり。
馴れ馴れしげに、唐の国から取り寄せた浅緑色の紙に和歌を書き、榊に木綿糸付けなどして、神神しう仕なして御手紙を参らせ賜う。
「まあー、私共の斎院を何と心得ておいでなのでしょう。光源氏様は落ちぶれたと致しましても、私共はれっきとした現帝の斎院なのでございますよ。甘く見下しては困ります」
と中将の君が朝顔の斎院に言えば、
「あの方は昔からそうなのです。昔からの決まり事に、まるで興味がありません。でも良いではありませんか。私の退屈な斎院暮らしにひと波乱ありそうですもの。少し楽しみましょう」
と、返事が返ってきました。
「でも」
「この事はそなたにお任せします。何がどうなったとしても、私が責任を持ちます」
「分かりました」
考えに考えた末、御帰りの文を中将は、
紛れなく 六条院へ 来し方の 昔を思え つれづれのまま
「紛るる事なくて、六条院へ来し方の昔の事を思い賜え。出づる昔の事をつれづれのままに考えましても。光源氏様に思いやり聞こえ差する事、多く有りはべれど『今さら甲斐なくのみなむ』と思う」
と、少し心に留めて、昔を語らぬ事多かり。
光源氏様は『そうか。朝顔の君も中将も、わしを避けておるのか』
と嘆き賜う。
光源氏様に対しての御返りの物は、白き木綿たすきの片端にて、
その神や いかがはありし 木綿たすき 心に掛けて 忍ぶらんゆえ
その神も いかがはありし 白たすき 心に掛けて 君忍ぶゆえ
「近き世に 自由な身となったならば再び御逢いしましょう」
とぞある。御手並みは細やかにあらねど、利発的にらうらうじう、草書体などを取り入れて、賢こうなりにけり。
この文を読んだ光源氏様は、
「おっ、そうか。朝顔の君は、まだわしを捨てておらぬのか」
と、微笑み賜う。
ただ今は神に仕える身の上にて、まして、
「朝顔の君も煉び勝り、色恋に落ち賜えらむかし」
と思いやるも、ただならず恐ろしや。紫式部は心配でなりません。
三十四
哀れ、この頃ぞかし、去年の秋、野々宮の斎宮社殿において、秋子斎宮の御母、御息所と禁断の恋に落ちたではないか。神にお仕えする巫女に恋することは、
『哀れなりしこと。到底永くは続かぬ運命なるや』
と光源氏様も思いし居出て、異常なまでに怪しう、
『巫女の白き衣服に惑わされる禁断愛のようのもの』と、神を恨めしう思さるる御癖の、冒険こそ見苦しき甘えぞかし。
神の聖域で色恋を果たせぬ事を割切れなう思されるならば、そうも有りぬるべかし年頃の御暮しは、書物など開いて、のどかに過ぐい賜いて、ひたすら謙虚になべき。
『今は悔しう思さるべかめるも、怪しき不謹慎な事なりや』
斎院もかくなべて、『光源氏様を好きになってはならぬ』御心映えを、見知り聞こえ賜えれば、たまさかの誤解を招く御文の御帰りなどは、
『えしもあってはならぬ事』と、人情を持て離れ、
「今は斎院の役職専念すべき」と、聞こえ賜う状況にあるべき。
まじかりに男の情に溺れる事は、有ってはならぬめり。
『どうしてあのようなうぶな姫君が、ならず者の光源氏様に惑わされるのか。少し理解に苦しむ相なき事になりにかし』
と、紫式部は思うております。
幸いにして北山での恋の芽生えは文のやり取りだけで終わり、源氏大将は天台宗開山の本義を説いた天台六十巻という文を読み賜い、おぼつかなき難解な所どころを説かせ、御聞きするなど修行におわしますを、
「山寺には、このような素晴らしい光、迷いを断つべき功徳を居出し奉りれり」と
『仏の面目に掛けて光源氏様をお守りできた事は、願ったり叶ったりでありました』
と、怪しの法師ばらどもまで喜びあえり。
「住職殿、長い間お世話になった。これでわしの迷いもすっかり良くなった」
と、光源氏様が本堂の仏の前で挨拶しますと、僧は少し前の横から、
「何事も欲張らぬ事が肝要かと存じます。一つ一つ確実に解決なさいませ」
と、笑いながら軽くうなずきました。
光源氏様は、しめやかに世の中の事を思保し居出つづくるに、
『内裏に帰らむ事も物憂鬱かりぬべけれど、ひと一人の御事を思しやる深い絆があるなれば、久しゆうもここにおわしまさで、宮殿へ帰らねばならぬ。長い間お世話になった』
と、寺にも御誦経のお布施をいかめしう、有らぬ限り施させ賜う。
有るべき限りを尽くして、上や下の僧ども、庭を掃く小僧やその渡りの木こりや薪を拾い集める山がつの者まで物多び、尊き限りの品々を尽くして居で出し出発し賜う。
「源氏様を見奉り送る」
とて言って、この者かの者に限らず、怪しき人相の腰が折れ曲がり、痛々しく仕は振る老人や、顔が黒ずんだ酷い者も集り居て、寂しさに涙を落としつつ、見奉る。
光源氏様が黒き御車の内に入りて、藤色の垂れ幕の御たもとにやつれ、御座り賜えれば、人々は自由な気持ちになって、
「光源氏様のような派手な御方が黒い御車でおいでになるとは、似合わぬのう」
と言うものまで現れて、
「いやいや、桐壺院の喪が開けぬのでのう」
「それはそうだわい」
などと、ささめき合う。
光源氏様の御有様を事に見賜わねど、世の中の人々はこのほのかなる御有様を、
『世になく、素晴らしい行い』と思い、
「有難い、有難い」と聞こゆる評判になりべかめり。
三十五
二条院の女君は、日頃の暮らしの程に練び勝り、成長仕賜える心地して、
いと痛う静まり賜いて目立たないように過ごす日々が多くなりました。
『世の中いかがあらむ。何もかも思うようにならないではないか』
などと思える悩み多き景色の、心苦しう哀れに覚え賜えば、訳もなく相なき心の様々な不安が浮かび居出て、乱るる心や知るからむ。
風吹けは まず乱るるぞ 色変わる 浅茅が露に 掛る笹蟹
とありし先日の和歌も、らうたげに可愛く思えて、光源氏様は常よりも事に多く惟光に語らい、
「あれはどうしておるかのう」と、語らい賜う。
山勤めに持たせ賜えりし紅葉のおみやげ、御前の宮中の物に御覧じ比ぶれば、事に真っ赤に染め増しける露の色鮮やかさも見過ぐし難う、
「冷泉王子に会わぬまま宮殿を素通りして二条院へ帰ったとなれば、何と思われよう」
と、おぼつかなさも、人悪きまでに罪深く思い賜えば、ただひたすら大方の形だけの御挨拶にて、冷泉宮に参らせ賜う。
「宮殿に這入らせ賜いけるを、珍しき事と承りはるに、冷泉宮の間との関係が事におぼつかなく成りはべりにければ、静心なく胸騒ぎ思い給えながら、
『桐壺院の供養の行い、比叡山に籠る念仏も務めむ』
などと思い立ち、籠りはべりし日数を、
『心ならずや成仏させてやらねばならん』とてなん、浮世を捨てて過ごし日頃になりはべりにける。
ただ山寺の暮らしはすばらしくて、紅葉を私一人見はべるには贅沢過ぎ、豪華な錦を一人で食らう事と思い賜うればなむ、こうして持ち帰りました。折り良くて、気が向いた時に御覧ぜさせたまえ」
などと、御手紙にあり。
げにいみじき豪華な枝どもなれば、藤壺中宮の御目に留まるに、
「まあー、何と美しい紅葉でございましょう。色の鮮やかさといい、すこやかに伸びた葉の形まで、宮中にはない物でございますよ。冷泉王子様、とくと御覧ぞあそざされまし」
と中宮は宮の御前に運べるに、
「おおーう 本当に美しい紅葉じゃ。源氏大将は毎日こんな美しい景色を見て暮らしておったのか。うらやましいのう」
と東宮様が言えば、
「父君の供養の御勤めに参ったのでございます」と藤壺中宮は答えます。
「あっ、何これは」
と目を険しくして驚くに、例のいささかなる紙の文なる物ありける。
東宮殿の人々も紅葉を見奉るに、中宮の御顔の色も移ろいて、床の間の花瓶にさす素振りを見せて隠し賜えれば、
「なお掛る心の絶え賜わぬ思いこそ、いと疎ましけれ。あったらしか。思いやり深う配慮仕賜う人の、ゆっくり心の休まる暇もなく、
『かようなるお土産のような事を折々届け混ぜ賜うを、人も怪しい』と見らむかし」
と、心付きなく思されて、瓶に差させて庭近く、廂の柱の基に押しやらせ賜いつつ、粗末に扱いて文を開き賜う。
大方の東宮様養育に係わる事ども、宮の仕草や知識に触れたる事などを指導し、後見役を打ち頼める有様にしてみれば、
「必ず立派な帝になられますよう、責任を持って御勤め致します」
などと、すくよかなる良い御帰りばかりを聞こえ賜えるを、藤壺中宮は、さも賢く、奥御殿の女御や世話する女房に、
『尽きせずとも悪い噂が立たないように』もと、そっけなく恨めしうは見賜えど、
『我が身は、ただひたすらに東宮様を、今の朱雀帝に御任せするしかない立場の人間』
と、冷ややかに聞こえ馴らい賜いに至れば、奥御殿の人々は、
『藤壺中宮様と光源氏様の関係は怪しと、見咎めもこそ、すれ』
と思して、中宮様は桐壺院へまかり出賜うべき日、参り賜えり。藤壺様は夫の供養のために戻られたのでございます。
三十六
光源氏様はまず内裏の尊き御方に謁見すべく参り賜えれば、朱雀帝はのどやかにおわしますほどにて、
「比叡山の供養の程はいかがであった。十分に満足出来る法要であったか」
と、壇上から静かに聞き賜う。
「随分長い間留守に致しました。心置きなく供養にを致す事ができました。朝廷を束ねる役目も果たさず申し訳ございませんでした」
「良い良い。父君が安らかに成仏できるよう願うのはわしとて同じじゃ」
「朱雀帝は父君に似て寛大な御心をお持ちでございます。桐壺院もあの世で安心して笑っておいでしょう」
「周りでは『源氏大将が次の帝の座を狙っておるのではないか』と噂しておったが、わしはそれを信じなかった。桐壺院は迷うことなくわしを次の帝にしてくれた。有難いことじゃ」
二人の会話からは、昔今の御物語が聞こえ賜う。帝の御顔、御形も桐壺院に、いと良う似奉りて、今少しなまめかしき色気添いて、懐かしう父君に御会いできたような御気持ちに成り、和やかにぞおわします。
「噂では、右大臣と母君が、源氏大将をこの都から追い出そうと策略を練っておるとのことじゃが、わしがそのようなことはさせぬ。安心してお過ごしなされ」
「有難い御言葉でございます」
二人は片身にお互いの事を思い『自分と源氏大将が争う事にならないように』と哀れと見奉り賜う。
内侍官、おぼろ月夜君様の御事も、
「あれは色気の強いおなごじゃ。年頃になって兄弟の話し相手の役目を押し付けられては、毎日が退屈なのであろう。奥御殿で男あさりしたい気持ちもよう分かる。源氏大将にすれば、いい迷惑じゃのう」
とからかい賜う。
「とんでもございません。私とおぼろ月夜様の間では、けっしてそのような事はございません」
「そう力んで言わずとも良い。ただ、噂になるような事だけは避けなければならぬぞ」
などと、なお絶えぬ有様に聞こし召し、怪しい景色を疑い、御覧ずる折りもあれど、
「何かは、今始めたる事でもあるまい。ならば、人目に付かぬように謙虚にこそ有らめ。すでに深い関係に有りそめにける事なれば、さも幾度となく心交わさむに、離れられなくなるであろう。
源氏大将と内侍官とでは似げ無かるまじき人の、不釣り合いな淡い恋に成りにかし」
とぞ思いなして、深く咎めさせ賜わざりける。
よろずの恋の御物語、
「玄宗皇帝と楊貴妃は深く愛し合ったが国は亡びたではないか。このことは如何に。源氏大将は身を滅ぼしてまで恋に溺れるのか」
などと問わせ賜う。
「帝の仰せの通りでございます。ただ玄宗皇帝の残した絵画や書物は天下一品でございます。あのような恋の激しさが、芸術の感覚を磨くのでございましょう」
「わしもそう思うておる。漢詩に現れる玄宗皇帝の書体はなかなか優れておるのでのう」
「その通りでございます」
帝は、二人が交わしたであろう文のおぼつかなく赤裸々に思さるる事どもなども、問わせ賜いて、また、玄宗皇帝と楊貴妃が交わした好き好きし歌物語なども、片身に、
「あの二人は堂々と人前で裸になって愛し合ったのでございましょうなあ。皇帝ともなれば何も遠慮することは無い。王妃様は悔しい思い出二人を見詰めたのでございましょう」
「それはそうであろう」
互いが血を分けた兄弟として好奇心に満ちたのぞき趣味なども語り賜う。
「ついでに、かの秋子斎宮の伊勢へ下り賜いし日の事、様子はどうじゃった。悲しい思いで泣く泣く伊勢に旅立ったのか。役目とは言え、なかなか難儀な事であったのう」
「秋子斎宮は母君と違って物静かな御人でございます。
『役目ならば、それに従うのみ』と言って、泣き言も言わず伊勢へ下って行きました。秋子斎宮の容貌、御形は、おかしくも巫女その物でおわせし姿でございました」
供 など語らせ賜うに、
「ならば三年したらこの都に呼びもとしてやろうではないか。桐壺院と先帝の孫は沢山おる。変わりは幾らでもおる」
「かたじけのうございまする御戻りの際は、是非とも奥御殿で暮らせますようご配慮下さいませ」
「冷泉王子の中宮にはどうかのう。かなり年上だが幼い帝にはその方が安心できるであろう」
「おおー、そこまで御考えでございますか。それはとても良い考えでございます。我も打ち解けて申し上げまするに、斎宮様と御息所様の野々宮の暮らしは哀れでございました。曙の出発の日は露も冷たく、皆々泣きながら見送りました」
などと、斎宮の旅たちの様子など、皆聞こえ居出賜いてけり。
三十七
9月二十日の月、ようよう差し居出て、おかしき笑い顔のほどになるに
帝は、
「このように月の美しい夜は、管弦楽を鳴り響かせ、遊びなども施ま欲しきほどかな。源氏大将と過ごすと、わしも遊び心が差し居出て、何か楽しい事をやりたくなるわ」
などとのたまう。
「ならば舟の準備をさせましようか。鳴り物はとにかくとして、池に舟をすべらすぐらいなら構わないでしょう。桐壺院も二人の仲の良い姿を見て、微笑まれることでしょう」
「やはり辞めておこう。弘徽殿の皇太后が怒る姿が見えて来るわ」
「それはそうでございますな。『けしからん。二人とも何を考えておるのじゃ』ですか」
「そうとも」
「わっははは・・・」
『ははは・・・』
「所で藤壺中宮の、今宵まか出賜うなる御帰りを御存じですか。中宮様は私が奥御殿に参ったのを知って『悪い噂が立たないように』と、急いで御帰りになったそうでございます。
『桐壺院へ戻り、さぶらい物仕はべらむ。仏前を長く留守にしておっては先帝に申し訳ない』と、中将の君に言い残して出て行ったとか」
「そのことはわしも知っておる。何もそうお気遣いされなくても良いものを。藤壺様は未だにこの内裏の主たる」
「桐壺院ののたまわせ置く遺言に、
『源氏大将を東宮の後見役に任命する。朱雀帝と皇太后は源氏大将を助け、東宮をお守りせよ』
などはべりしかば、その根拠に、
『まだ後見仕う奉る人も居はべるめるに、東宮の御ゆかり親戚縁者は少なくて、愛おしくう哀れに思い賜えられ、はべりて』と言いながら、泣く泣く私を後見人にしたのでございます」
と奏し給う。
「『東宮をば、今の第一皇子になして世継ぎとする』など、のたまわせ置きしかば、取り分きて『なぜ藤壺様だけが優遇されるのか』など心差し物すれど、事に差し分きたる有様にも、わしの世継ぎとなる若い男の子は今の東宮しかおらぬ。
何事かはとて言っても、帝に世継ぎがあってこその事じゃ。年の程よりも、帝は学識の御手などの技と、賢うこその決断物仕賜うべけれ。度胸を持ち合わせておらねばならぬ。
何事にも今の政治をはかばかしからぬ状態にしておる自らの、面起こしなむ。東宮は親族や権力者に惑わされる事の無いように、固い信念で政治をやってもらいたい」
と、朱雀帝がのたまわしすれば、源氏の君は、
「おおかた何事においても御勉強仕賜う技など悪くはあらず、いと諭おしく言い聞かせるにしても、大人びたる聞き訳の有様に分別もの仕賜えど、まだいと、片なりに未熟でございます。」
など、その東宮の御有様も謙虚に奏し給いて、
「今日はこれで失礼つかまります。東宮様に対し、暖かい配慮を有難く承りました。私は朱雀帝と東宮様の為ならば何でも致します。これからもよろしゅう御頼み申し上げまい」
と言い、清涼殿をまかり出給うに、
近くで帝の書類を片付けていた弘徽殿皇太后大宮の御兄弟、藤大納言の子、蔵人頭の頭弁という人が、
世にあい華やかなる世間知らずの若者にて、思う事遠慮なく申し上げ、胸に秘めたること無きになるべし心境なれば、仕訳けた文の一つを妹の麗景殿の女御、御方に届けに行くに、
源氏大将の向かう先を忍びやかに追い越し、しばし立ち止まりて振り返り、
「白虹、陽を貫きけり。太子と言えども怖じけ付いたり。源氏大将も我が右大臣家の世とあらば、朱雀帝に刺客を送る事もできまい。今では朱雀帝に摺り寄って逃げるしかないのか」
と、いと緩やかに鼻歌を打ち誦したるを、源氏大将、
「いとまばゆし。腹の立つ頭弁じゃのう。世が世なら島送りにしたものを。覚えておくが良い。『ちんころの空威張りじゃ』と、胸に閉まっておこう。出来の悪い笛は耳障りな音じゃ」
と、のたまえど、頭弁は咎むべき事かは分からぬようすなり。
「皇太后の御景色は、いと恐ろしう煩わしげと見ゆる。白豚は清涼殿へ上ろうと思わず、せいぜい紫宸殿の庭先で昼寝でもなさりませ」
などと、朱雀帝の正妻冬子王妃の兄である強みを良い事に、空威張りのみ聞こゆるを、
『かう昔親しき人々も馬鹿にしたように景色立ち、遠慮も無う言うべかめる事どもあるに、内裏も品格が落ちたものじゃ。せいぜい汚れが目立たないように拭き掃徐でもなされよ」』
などと、煩わしうは思されけれど、
「わっぱを相手に遊んでいる暇などない。大人は忙しいのだ」
と、連れ無うのみ持て成し賜えり。
「朱雀帝の御前にさぶらいて、兄弟仲良う話をしたのじゃ。
『麗景殿の女御と話すよりは、源氏大将の話がよほど面白い』と言っておったぞ。せいぜい他の側室に帝を奪われぬよう警戒することじゃな」
と聞こえ賜う。
三十八
一条大通りを背にした桐壺院の坊に於いても、空は静まり月の華やかな満月なるに、
「昔、かうのようやる気持ちの良い夜の折りは、舟遊びや管弦楽を鳴り響かせ、舞や踊りをさせ賜いて楽しんだものを、今は寂しい限りじゃ。この桐壷院の蘭林坊には、誰一人訪ねて来ようとせぬ」
藤壺中宮様は、今めかしう華やかに持て成させ賜いし帝のご配慮など思し出づるに、
『あの頃は幸せだった』と昔を忍び、同じ内裏御垣の内ながら、変れる事多く悲し。
九重の 霧や隔つる 雲の上の 月をはるかに 思いやるかな
幾重にも 霧や隔つる 雲の上 帝はるかに 思いやるかな
などと、王命婦通して聞こえ伝え賜う。朱雀帝は、
「御気の毒な事じゃがどうしようもない。今は御静かに暮らし、父君の供養に精進していただくしかない」
と、藤壺中宮の悩みが深刻に感じられるほどでもなければ、何か手立ても考える御気配もほのかなれど、父君と暮らしはべる内が懐かしう聞こゆるにしても、今は辛さも忘れられて、まず涙ぞ落つる。
月影は 見し世の秋に 変わらぬを 隔つる霧の 辛くもあるかな
月影は 見る夜の秋に 変わらぬを 隔つる愛は 遠く悲しき
山桜 見に行く道を 隔つれば 霞も人の 心なりけり
山紅葉 見に行く道を 隔つれば 霞も人の 悩みなりけり
(紫明抄 この和歌の一部を引用)
「霞の人とか、昔も今も先立った夫の供養にはべりける修行は、難儀なる事にやのう」
などと聞こえ賜う。
藤壺宮は、春宮を飽かず不安な思い聞こえ賜いて、
「冷泉王子は毒物を飲まされているのではないだろうか。成長が遅いではないか」
などと、よろずの事を疑い深く聞こえ賜えど、王命婦は、
「何をおっしゃいます、中宮様。東宮様は同じ年頃の若者に比べても大きい方でございます。安心して下さいませ」
と答えして、深うも思し入れたらぬを、藤子中宮様は、
「御近くで見守って差し上げられぬは情けない。何とかならない物か。いと後めたく」
などと、思い聞こえ賜う。
例の大将は、いと度しく世間を避けて二条の大殿屋敷に籠るを、
『何事か事件が居出給うまでは、起き上がりたらむ』
と思すに、
「何をしておる。源氏大将は春宮の御近くをさぶらい、養護すべきではないか。歯がゆい限りじゃ」
と、御考えになられていると考えるべし。
源氏大将の右大臣を恐れた態度は恨めしげに思したれど、さすがに自分としても源氏の君を、え慕い、熱烈に御持て成しして、思い通りに動かそうとは聞こえ賜わぬを、いと哀れな姿と見立て奉り賜う。
源氏の大将は、清涼殿の渡殿で頭弁の誦しつる軽蔑の事を思うに、御心の鬼に右大臣天下の世を煩わしう覚え賜いて、内侍官のおぼろ月夜様にも訪れ聞こえ賜はで、御無沙汰も久しうなりにけり。
そうこうしている内に、
『初冬の初しぐれ何時しか』と景色立つに、いかが思しけん朧月夜様の気まぐれ癖が踊り居出て、その女、彼より、
木枯らしの 吹くにつけつつ 待ちし間に おぼつかなさの 衣減にけり
木枯らしの 風にいら立つ 待ちし間に 残り少なき 衣減にける
と、聞こえ賜えり。
「おおっ、おぼろ月夜は内裏にわしの姿が見えぬを寂しがっているようじゃ。帝を相手に御世話の折りも哀れに退屈と見えて、あながちに掟を破ってまでこの手紙を忍び書き賜いつらむ」
と源氏の大将は、おぼろ月夜様の御心ばえも憎からねば、御使いを御部屋に留めさせて、返事の文を書き賜いぬ。
三十九
「唐の紙ども入れさせ給える御厨子を開けさせ賜え。その中から朧月夜が好きそうな色紙を見付け出させ給いて、なべて安物ならぬ上等な物を選り居出つつ、ここに持って来させよ。
筆なども心より、事に引き繕ろい賜え。宮中の女官ともなれば、最上の文を届けねばならぬ」
などと、異常なほどの御心遣いなる景色、とても妖艶なるを、光源氏様の御前なる従者の人々、
「相手は誰ならむ。これほど高価な色紙を使い、筆のしなやかなるを選ぶとは、相手は帝か太政大臣か、それとも新しい愛人か。誰ならむ」
と、目を突き白う。
「それが誰か聞こえさせても、そなた達には甲斐なき物。やるだけ試して凝りにしてこそ、無下にくず惚れ、悪い病も治りにけれ。ただ我慢して生きておっては何も解決出来ぬ。
数ならぬ 身のみ物憂く 思ほえて 待たるるまでに なりにけるかな
数ならぬ あるじ物憂く 思われて 無駄に待たるる 供となりける
(小倉百人一首 後選 身のみ物憂くを引用 源氏物語にはありません)
身のみ物憂きほどに、何も心配せずとも良い」
と光源氏様は言う。
逢い見ずて 忍ぶる頃の 涙をも なべての空の 時雨とや見る
逢わずとも 忍ぶる頃の 涙をも なべて男の 時雨とや見る
「君と心の通う間ならば、如何に眺めて見る空も感動的に思われて、例え時雨の通り雨でも。物忘れ仕はべらむ」
など、文の内容も細やかになりけり。
かう思いやり深やうように驚かし聞こゆるたぐい、多かめれど、情け無からず相手が望むままに打ち返えり、優しごちに振舞い賜いて喜ばす事は、光源氏様に結婚の意志がないだけに、
『光源氏様は私が好きなのだ』
と思わせ、最後に相手を傷付けるのは、
『光源氏様の御心には深う責任を締まわざる無責任な振る舞い』と考えるべし。
藤壺中宮は、桐壺院の御果ての葬儀事に打ち続き、一回忌御八議儀式の準備急ぎを、様々な方面に心遣い施させ賜いけり。
霜月の一日ごろ、御国を上げて一年忌なるに、季節は早くも雪痛う降り続いて寒い日になりたり。それに合わせ源氏大将殿より、藤壺中宮に御手紙聞こえ賜う。
別れにし 今日は来れども 見し人に 行き合うほどを 何時と頼まん
別れるに 今日は来れども 見し人に 行き交うほどを 何時と頼まん
「いずこにも、今日は物悲しう思さるほどにて、亡き桐壺院の面影を再び見るやもと思えてなりません。出来ますれば、蘭林坊を訪ね、焼香したいと存じます」
とあり。これに対し藤壺宮様から御返りの御文あり。
ながらふる ほどは憂けれど 行き巡り 今日はその夜に 逢う心地して
雪降りて 道は憂けれど 行き巡り 今日はその夜と 願う心地して
「来る方に、その気があるならば、誰も止めたりはできません」
とあり。事に繕い賜いても切に望みあらぬ御書きざまなれど、当てに気高き御振る舞いはあったとしても、
『これが最後の別れとなるならば、逢って東宮の事を良く良く御頼みするしかない』
と思いなし、そのような事と推測なるべし。
『源氏大将との恋と誤解されるは避けるべき事』と、固い決意の筋変わりは、今めかしう厳格にはあらねど、
『人には事に変わる事もある』と、ここに書かせ賜えり。
今日はこの御事も思い決ち意して、私こと紫式部も、哀れなる雪のしずくに濡れ濡れ苦しみながら、蘭林坊に行き居賜う。
四十
十二月幾余日ばかりの頃、藤壺中宮の御八議法要なり。これはいみじう尊し日なり。宮中をはじめ、全国の寺、隅々にまで亡き桐壺院の一回忌法要を行い賜う。
日々に供養施させ賜う御経書物をはじめ、珠玉の付いた軸、羅紗織りの表紙、紺の地紙に金泥の文字で描かれた経典は、錦や綾の竹すだれ細工で包まれる、ちずの飾りも、この世になき有様に整えさせ賜えり。
さらならぬ金糸や銀糸のひもで結ばれた経典は、事の外清らだに、世の常ならず特別な事におわしませば、ましてこの世に無き名君であった桐壺院にすれば、豪華な供養も当然の事割り、道理なり。
「仏の衣の御飾り、花机の覆いなどまですべて金糸の織物で、誠の極楽浄土と思いやられる」
「それはそうでございましょう。こう長く太平な世が続いたのは、桐壺院の徳の高さであったからな」
「そうとも」
法要に参列した人々は口々に感謝奉り賜う。
『始めの日は院の先代への御礼御料』
『次の日は母君、太后大きさきへの御んため』
『また次の日は本番の桐壺院への御礼御料。もっとも尊き五巻の供養の日なれば、上達部なども右大臣の世の権勢に、慎ましさをえ、してもこの日ばかりは遠慮憚りはで、いとも余た多く参り賜えり』
「右大臣の権勢には服従するしかないが、桐壺院への御礼は別格じゃ」
と、人々は喜び賜う。
今日第五巻の講示は特別な日で、心事に選ばせ話させ賜えれば、
『法華経を我が胸に得し事は、薪こり、若菜摘み、水汲みし経てぞ得し』
の教え説き通り、
『薪こる』より内始めて、同じ事を言う普段の事の葉も、いみじう尊しのように聞こえる。
親王達も様々な宝物を捧げて何ケ所かの拝殿を巡り賜うに、源氏大将の御用意した物などは別格で、なお似る物なし、
「常に同じ事のようなれど、源氏大将の心遣いを見立て奉るたび毎に、珍しからぬ感動をば受けるは、いかがはせむ。懐具合も楽ではなかろうが、大した物よのう」
と、上達部は口々にそう言う。
供養最終、果ての日、
『我が供養の御事を決ち意願にて成就させ賜うに、皆様方に申し上げます。私は世に背き賜うよし。出家して仏門の道には入ります。どうぞ仏様、末永く御導き下さいませ』
と、藤壺中宮は声高くして仏に申させ賜うに、皆人々、驚き賜いぬ。
「何、藤壺中宮様よ。この兄は何も聞いておりませぬぞ」
と、兵部卿の宮は咎めさせ賜う。源氏大将の御心も動きて、
「中宮様、何も急ぐ必要はありません。若君はまだ若い。せめて御子様が帝になられる日まで御待ちください。浅ましう急ぐは性急な事」
と思し、申し上げ奉る。
「藤壺中宮はまだ二十代半ばではないか。そこまでしなくとも、誰も咎めたりはせぬ」
参列した人々は、口々にそう言う。
先代の親王、兵部卿の宮は我慢ならず、読経の半ばのほどに祭壇の中に立ち入り賜いぬ。
「何も急ぐ事はなかろう、妹よ。この兄が『今の戯言はほんの一時の迷いであったそうな。藤壺中宮様は出家など致しませぬ』と、言っても良いぞ。妹よ、考え直せ」
と言う兄のぼやきが小声で聞こえ賜う。
「何を申されます兄上、今は尊き五議の最中でございますぞ。私の決意は変わりません。どうぞ御引取下さい」
と、中宮は言う。
僧都は
「おっほん」と咳払いしながら、
「何も決意した物を、今さら覆す事もなかろう」
と、心強う思し立つ有様をのたまいて、恐ろしい顔で兄をにらみながら読経を続け賜う。
つづく
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自分の作品の未熟さに落ち込むことも有りますが
平均的な生活を維持しつつ こつこつと書き続けましょう。
良い小説なら、いつの日か世間に広く知られる期待しています・・・・・