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かってに源氏物語 第12巻 須磨編 五・・と11巻 花散里完結編

※紫式部原作の源氏物語を、様々な方々の参考書を拝見しながら、十一巻賢木まで書き上げるとは思ってもおりませんでした。

 やはり内容が素晴らしく、小説、物語の形式、表現方法として素晴らしい物があります。古い時代の物語としては世界に勝る内容です。

 五十四巻まで続く源氏物語、何時まで書き続けられるか、お楽しみ下さい。語学力に乏しく申し訳ないのですが・・・・

                 上鑪幸雄


かってに源氏物語 

       第十二巻 須磨編

   原作者 紫式部

            古語・現代語同時訳    上鑪幸雄


     五


「いにしえの昔の人も、誠に犯しある誤りにても、これほど厳格にふしだらな性欲に係わる事に、当たり散らざりけり。人を好きになり、愛情の極限を果たすは、奥御殿の人の生き方の本能なる。

 なおさるべき運命にて、光源氏様と朧月夜が好き合う恋仲になったのも、たびたび御顔を合わすとなれば当然の成り行きでございましょう。

『このような男女の交わりは、人の世の帝の内部に於いても、係るたぐい、多う起こりはべりけり』とお聞きします。

されど、言い出ずる不幸わせありてこそ、さる人間社会の存続が成り立つ事も有りはべりけれ。光源氏様、今回の事は、

『運が悪かった』とあきらめて下さいませ。

 あの時ざま、こうざまにて、男女の色恋は神の権限も及ばぬ生き物の本能でございます。これを分かっていながら右大臣のやつ、光源氏様を処罰するに思い給え、優しさに思い寄らむ方にならなくなむ」

 など、左大臣と大宮様の御物語は、長々と聞こえ賜う。

「父君、何をひそひそ悲しい事ばかり話されているのでございますか。今夜は源氏大将の門出を祝う、楽しい宴会であるべきではございましょう。何よりも葵がそれを望んでおりますよ。

葵はおとなしい性格だったが、皆が楽しくふざけあうのを喜んで見ていたではありませんか。泣き言ばかりでは、葵が悲しみます」

 三人が悲しみに涙を流しておりますと、三位の中将楠木も参り合い賜えり。大神酒など、肴も多く持たせ賜うに、

「今夜は明け方までゆつくりと飲みましょうぞ。明日の朝、わしが帰るまでは、兵部省の者と刑部省の者は何もいたしません。

『わしが帰るまでは何も手出ししてはならん』と、言い聞かせております。こう見えてもわしは従三位の中納言、兵士が勝手に動くことはできません」

「さすがは我が子、楠も偉くなったものじゃ」

 大宮様は袖を持ち上げて、涙を流す振りをしました。

「お前が右大臣家の四の姫と間違いを起こさなければ、わしの良い味方で君り続けた物を。くやしい限りじゃ」

「父上様、私は今でも父君の味方でございます。何で父上の意見に逆らうことができましょうや」

「今は右大臣の天下じゃ。あの二人は、

『わしに逆らえばどうなるか分かっておろう。婿の楠木大将が引っ捕らえて牢にぶち込んでしまうぞ』と、脅しているではないか。長男のくせに右大臣に従うとは情けない奴じゃ」

「父君様、これだけは覚えて於いてくださいませ。今は朱雀帝の世の中、帝から官位をいただいている以上、私は母君である弘徽殿皇太后と右大臣に逆らうことはできません。

  しかし、朱雀帝の世は長く続きますまい。気弱で病弱な帝は永く体が持ちません。やがて世継ぎの夕霧帝の時代になれば、再び左大臣家にも光が差して参ります。

  父上、それまで辛抱して長生きして下さいませ。源氏大将は夕霧王子の後見人でございます。近いうちにそうした世の中になりましょう」

 楠木大将は何物も恐れていないようで、低くゆったりとした口調で言いました。

「果たしてそれまで体か持つかどうか」

「いいえ、父君様、私は須磨へ引き下がっても力を蓄え、早い内に都へ舞い戻ってまいります。しばらくの間辛抱して下さいませ」

源氏大将は沈みがちだった顔に、再び神々しい光をにじませました。

「世も更けぬれば。今夜はゆっくり泊まり賜いて、明日の朝出発なさいませ。私どもは年寄りゆえ、もう休ませていただきます。後は楠大将と我が家の若けもん、息子や姫君、親戚を交えて御話して下さいませ」

大宮様はさすがに疲れた様子で奥へ引き上げて行きました。

十人ほどの人々、光源氏様の御前にさぶらわせ賜いて、今と昔の御物など語らせ給う。親戚の連中が増えますと、見送りの宴もにぎやかになりました。

「桐壺帝の世では、飛ぶ鳥を落とす勢いのあった源氏大将が都を追い出されるとは、世も変わる物よのう。感慨深き物がある」

人よりはこよなう昔を忍び、源氏大将の行く末を思す中納言の君、


 いへばえに 言わねば胸に 騒がれて 心ひとつに 嘆くころかな

 言いたくも 言わねば胸に 騒がれて 心ひとつに 送るころかな

     (伊勢物語より 源氏物語ではいへばえにのみ使用され庵ます)


 と、悲しう思える有様を、人知れず心に秘めて哀れと思す。


                       つづく






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


かってに源氏物語 

       第十二巻 須磨編(一~四)

   原作者 紫式部

            古語・現代語同時訳    上鑪幸雄


       一


 光源氏様が二十六の春になった時でございます。

 世の中いと煩わしく、右大臣のはしたなき事のみ勝れば、せめて知らず顔の服重心にあり経ても、朧月夜との情事現場を見られてしまっては、

「もはやこれまで。官位剝奪の処分や流刑、打ち首の判決が下されるかもわからない」

 と光源氏様は観念して、

「都を脱出し、遠い須磨あたりに身を潜め、世の中が変わるのを待つしかあるまい。たとえどんなに言い訳しても、俺が朧月夜との愛人関係を認めた以上、罪の償いは免れぬ。

 右大臣は大事な娘を間男に寝取られた憎しみに燃えているではないか。たとえ帝の兄君が、

『あれは私の補佐役として大切な人間です。政務や祭り事において源氏大将がいなければ何もできません。あの男は私の意向を大事にして、朝廷をうまく操っております。

祭りの年中行事においても、作法に詳しい源氏大将がいないと何もできません』

 と説得しても、聞く耳を持たぬだろう。右大臣と弘徽殿皇太后は宮中のしきたりをまるでしらぬ。俺がいなくなっては、何事もうまく進まないことをまるで分らぬ。困り果てるまでじっくり待つことだ」

 と考え、

『これより勝る解決事は、もはやあるまい』と、思しになりぬ。

 かの須磨は、むかしこそ源氏大将の荘園であり、管理人の住み家などもありけれ。しかし今は、船の輸送が便利になり、人も里離れして住む人もなく、家は荒れ果てていると聞く。

「今はまるで何もない所でございます、光源氏様。砂浜の松林には海女の家だに、まれに点在するぐらいなど、寂しい所です」

と聞き賜えど、

『人の出入り激しげく、混沌とひた猛けたらむ華やかな御住まいは、いと本意になかるべし。罪人の身にては、ひっそりと暮らさなければならぬ』

 と、そうと御考えになられたと推測されます。

 さりとて都を遠ざからんも寂しくて、里の二条院はおぼつかなる放置にになるべきを、

「妻の紫の上と使用人を置き去りにして、よくも一人で逃亡出来るものだ」

などと人悪くぞ思われて、心は思し乱るる。

 よろずの事、これからの人生の行く末や、来し嵐の襲来方、行く末の不安を思い続け賜うに、悲しき事多く、いと様々な悩み多かるなり。

『人の人生も浮き物』と思い、『宿命には逆らえぬ』と捨てつる世も、

「今はいさぎよく運命に従うのみ」と、二条院を住み離れなん事を思すには、いと捨て難き事多かる中にも、紫の姫君の明け暮れに心を添えては、思い嘆き賜える事多し』

落ちぶれた有様の苦難は、心苦しう、哀れなるを、


下の帯の 道は方々 別るとも 行き巡りても 逢わむとぞ思う

下帯の  道は様々 別るとも 行き巡りても また逢えるとや

 (古今集 紀友則 物語では行き廻りても のみが使用されています)


「紫の上とは、また会い見むことを必ず成し遂げる」と思さむにてだに、

『この償いは大きくして返してやろう』と決意する。

 なお一つ日、二日のほど、よそよそしくに事情を明かし暮らす折々だに、二人の関係もしっくり行かず、おぼつかなき物に覚え、女君も心細うのみ思い賜えるを、

「幾年流刑のそのほどと、限りある道にもあらず、今度の逃亡期間はいつまで続くかわからぬ。しかし、いつか必ず帰って来るからな。それまで我慢して、この二条院と領地の管理を怠るな」

 などと言われ、紫の上は不安のみ多かり。


我が恋は 行方も知らず 果てもなし 逢うを(今)限りと 思うばかりぞ

我が道は 行方も知らず 果てもなし 逢うを(今)限りに 思うばかりぞ

   (古今集 凡河内 源氏物語では逢うを限りにが使用されています)


 源氏の君とは今日限り、隔たり行かんも悲しくて、幸せには成れぬ定めなき世に、やがて分かれるべき門出にも、

「笑顔で見送らねば、安心して旅立ちできないやも」

 と、いみじう気丈に覚え賜う。


                          つづく


      二


 紫の上は『このまま死の別れになるのではないか』と心配し、古今集佐原滋春の和歌、


 かりそめの 行き交い路とぞ 思い越し 今は限りの 門出なりけり

 かりそめの 行き別れとぞ  思い越し 今を限りの 門出と思う

                   (源氏物語にはありません)

 と悩み賜えば、

「忍びて使用人もろともに、須磨に逃亡するも良し」と思し依る手段の折々もあれど、

「しかし須磨に逃亡したとしても、知り合いは誰一人おらぬ。さる心細からん海づらの波風よりは、他に親族など立ち混じる助け人もなからんに、軽はずみな行動をしてはならぬ。

かく労たき御殿様にて引き具し、足手まとい賜えらむも、いと心付きなくやないか。我が心にもなかなかの物、良く良く考えて行動しなければならぬ」

 との思いの、妻なるべき責任など思し返すを、女君は、

『恐ろしくいみじからむ逃亡の道にも、遅れ聞こえずあなた様と運命を共に致します』

 と趣むけて、素直に行動できない自分を、恨めしげに思い至り。

 かの花散里の所にも、おわし通う事こそまれまれにて、麗景殿の女御様は心細く哀れなる御有様を、この紫の上の御蔭に隠れて、遠い存在の物仕賜えば、思し嘆きたる有様も、

「光源氏大将に於かれては、二条院の妻を慰めるだけで精一杯であろう。この四条河原の中川を超えてまでは来てくださるまい。須磨へ下るとの噂の折、それもやむを得ない事か。花散里が可哀そうじゃ」

などと、いと事割りにも、自分の身の上を嘆くこと多かり。

なおざりにしても、光源氏様が大して相手にしない女方も多ければ、ほのかにして二条院の中の様子を見奉り、足げなく通い賜いし高貴な方々も所々多く見かけ賜いて、

「光源氏様は、やがて流刑の身となるのでしょうか」

「いやいや、そんなことはあるまい。高々にして半年の自宅謹慎で収まるやも知れぬ」

「いや、打ち首との噂もありますぞ、弘徽殿太后は朱雀帝を守りたい一心ですから、光源氏様を亡き者としたいはず」

「そんな恐ろしい」

 人々の思いは様々にして、人知れぬ心を砕き賜う人ぞ多かりける。

 また尼君入道の宮よりも、光源氏様を心配して、

「源氏大将の処罰はいかに。弘徽殿の皇太后に罪を軽くして欲しいと願いたいが、下手に動いては、

『情愛を交わす相手だから、それほど熱心なのだ』と疑われ兼ねる。我が子、東宮にも害が及ぶかも分らぬ。

『物の聞こえや、またいかが』などと取りなさむ」

 と、我が身の御為にも慎ましけれど、目立たぬように忍びつつ、御励ましのとぶらい常にあり。

 昔、桐壺院が生きている頃、かのやうに逢い慰めあったり、あのように苦難の対策を語り合った物を、今に至っては、

「朝廷の審判を待つのみ。右大臣の天下にては、まな板の鯉と同じよ。哀れな姿をも見せ賜わしかば、刑が軽くなるだろうか」

 と、打ち思い出賜うに、さも様々に、

「私ども心は光源氏様の味方でございます。他にも同様に考える方はたくさんおります」

 などと聞き賜うに、

「さも様々に心のみ尽くすべかりける人の多さは、親しかった人の陰の味方、契りかな」

 と、辛く悲しみに思い賜う御心が聞こえ賜う。

 三月二十日余りのほどになむ、左大臣家の重臣が左遷させられたのを契機に、光源氏様も都を離れ賜いける。知り合いの人にも、

「今、出発します」と、しも知らせ賜わず。

 ただ、いと近う仕う奉り、馴れたる腹心限り、惟光や子君など七・八人ばかり御供にて、

「しっ、静かに。誰にも悟られてはならぬ。知られたら最後、打ち首じゃぞ」

と、いとかすかな物音を立てずに、居出立ち賜う。

 さるべき知り合いの所々に、別れの御文ばかり、打ち忍び賜いし御心配りにも、哀れと忍ばるばかり尽くし居賜い経るは、光源氏様も落ちぶれ果てて何の見所も有りぬべかりしかど、

「ああー、桐壺の御殿様。紫式部は光源氏様が可哀そうで見ておられません。何とか助けてくださいませ。私が風林院を御守り申し上げます」

 と、お願いしてみても、

光源氏様、その悲しみを知る折々、不安な行く末の心地感じられる紛れ紛れに、はかばかしうも未来を明るくする物、何も聞き於かずに成りにけり


                       つづく

       三


 二・三日、京の都に留まり、紫の上の祖父、僧都の家に身を潜めた光源氏様御一行は、夜に隠れてかねてから気になっていた左大臣家の大殿様屋敷に渡り賜えり。

質素な網代車の打ちやつれたる姿にて、

「このような女車の、女房が乗るような車にて、光源氏様が隠れしろえ、この屋敷にひっそり入り賜うも、いと哀れにて、悪い夢とのみ見るゆる。何かの間違いであってほしいと願うばかり」

 光源氏様を出迎えた人々は、一行の周りに集まり、口々にそう言いました。

「光源氏様、門が閉じられましたので、もう安心でございます。どうぞ御車から降りて下さいませ」

 童の従者が踏み台を置いたのを見て、惟光が御簾の外から言いました。

「左大臣家御方も、いと寂しげに打ち荒れたる心地して、かっての賑わいも失われてしまったようじゃ。わしが朧月夜と不始末をしたばっかりに、多くの人に迷惑をかける」

 光源氏様は踏み台から降りると、屋敷の中を見渡し、申し訳なさそうに一礼して言いました。

「婿殿、御無事で何よりででごさる。葵が暮らした部屋も懐かしい思いでござろう。見てやって下され」

 出迎えた老大臣は親しげに笑みを浮かべて言いました。葵の上が暮らした御方の調度品はそのまま残され、整然と整理された奥に仏壇が置かれております。

 夕霧若君の御乳母どもや、昔葵の上にお仕えさぶらいし女房人の中に混じり、その後の様子を聞き賜うも、御覚えのある人は少なくて、

「まかで多くの次女は役目を解かれ、四方八方へ散らぬ限り。寂しゅうなりました」

 紫の上にお仕えしていた老女は、そう言いました。

「かく光源氏様がこの屋敷に渡り賜えるをどう見る。何か月振りかのう。久しゅう覚えがないぞ」

 などと珍しがり聞こえて、

「妻に先立たれた思い出が悲しくて、なかなか来れなかったのでしょう。 大宮様は、

『時々来て仏壇に手を合わせて欲しい』と、願っているそうですけれど」

「須磨へ落ち延びる前にお顔を拝見できたことは喜びの限り」

 婿様の久々の来邸に喜ぶ人々は、光源氏様の周りに参い上り、集いて見奉るにつけても、ことに物深からぬ若き下働きの使用人の人々さえ、世の常なさ没落の思いに知らされて、涙に暮れたり。

 そうした中にも、夕霧若君は、いと美しうて元気に走り回り、自由奔放におわしたり。

「久しきほどに逢うて見れば、わしの事など忘れ覚えておらぬと見える。無邪気に親戚でも来たのかと、はしゃぐことこそ哀れなれ。よしよし、こっちに来てわしの膝に座れ」

 とて言って、我が子を膝に据え賜える御景色、忍び難く考え深げななり。

「光源氏様、御子様との対面はそれぐらいにして、母屋の寝殿へ参りましょう。左大臣もそちらに参るとの御話でございます」

 左大臣家との対面を早く終わらせたい惟光は、外の様子が気になるようで急ぐように言いました。

 大臣は北の方大、宮様を伴われ、客間のこなたに渡り賜いて、対面仕賜えり。

「光源氏様、御無事で何よりでございます。右大臣のやつ、弟の桐壺院が亡くなられた事を良い事に、勢力拡大を図っておるらしい。光源氏様、

『今にぎゃふん』と言わせてやりましょうぞ」

 大宮様は右大臣の横暴にあきれた様子で、苦笑いの笑みを浮かべて言いました。

「願ってもないことでございます」

 光源氏様が両手を床に大きく広げて挨拶しますと、

「つれづれに朝廷を去り、この大殿屋敷に籠らせ給えらむのほど、光源氏様には申し訳ないと思うておる。何とも言いはべらぬ桐壺院の昔物語も再び参り来て、

『右大臣よ、今を何と考えておる。右大臣は左大臣に服従するべき身分ではないか。大宮様の婿殿を何と心得る』

 などと聞こえさせむと、思う給えれど、我が身の病、重きにより公け事の政治向きには御奉公仕う奉らず。仕方なく位も返し奉りて隠居しはべるに、婿殿には申し訳ないと思うております」

 大臣は目もうつろなようすで、我が身の情けなさに困ったのか、ほんやりして小声でいいました。

「何も大臣様が悪いのではありません。補佐する私の力の至らなさが悪いのでございます。力がないのに、大胆にも帝の守り役に手出しするとは、私にも用心深さが足りませんでした」

「寄りによって、右大臣にみられるとは不運よのう」

「恥ずかしい限りでございます」

「私ざまに於いては腰を高く押し延べてなむ。『左大臣ともあろう方が、右大臣に立ち向かって行くべきではないか』と、物の非難聞こえ給いて、ひがみひがみしかるべきを、

『今は官位の身分を捨てて、世の中の政治、口出しをはばかるべき身分にも有りはべらねど、いち早やき世の移り変わり、いと恐ろしう思いはべるなり』

光源氏様、どうぞご用心あそばされませ。掛かる官位剥奪の御事を見賜ふるに付けても、私の命長きは心憂鬱しく思う賜えらるる、世の末にも有りはべるかな。悲しい事でございます。

天の下を逆さまになしても、今の右大臣の天下は『あってはならぬ』と思う給え因らざりし御有様を見賜えれば、よろずに世の中、いと味気なくなん。今の世の中は、何かが間違っております」

 と、左大臣の嘆く声、聞こえ賜いて、痛うしおたれ、うなだれて涙を流し賜う。


                     つづく


      四


「『帝を補佐せよ』とある事も、帝から追い出されるに係る今回の事も、前の世の報いにこそ有りはべるなれば、魔が差したとしか言いようがありません。

 言い持て行けば、これは単なる言い訳はべりにて、ただ自らの欲望を抑え込む怠りになむはべる。さしてかく未だに官職を取られず、浅はかなる遊びごとに関わりづらいてだに、

『公のかしこまり偉大なる人の、美しざまにて世の模範に有りふるべきは、咎め多き技にて、人の国、世界に共通した規範になりしはべるなる』

この報いを受けるべく遠く伊豆や佐渡、隠岐に放ち遣わすべき定めなども、素直に服従仕はべるなるは、世の常の有様に於いて、私だけが特別に異なる罪にこそ、有りはべるなれ。

朝廷の命令に従い、濁りなき心に任せて、親戚につれなく過ぐしはべるも、はばかり多く薄情だと言われ兼ねぬ。

『これよりさらに大いなる恥にさらされ、親族にまで災難が及ぶを望まぬ先に、右大臣の世を逃れて立ち去りなむ』と思給えて立ちぬる」

 などと、光源氏様が細やかに説明する声が聞こえ賜う。

「昔の元服の儀式、楠大将との華やかな舞、葵との初夜の昔の御物語。思い出すと懐かしい。桐壺院の事。帝は事のほか、そなたの行く末を心配しておった。

 そなたの美しい振る舞いが弘徽殿皇太后を不安に落とし入れたのであろう。桐壺院正妻の子が、側室の子に負けたとあっては、母親として我慢ができなかったのであろう。弘徽殿太后がもっと大らかであったならば良かったものを」

 光源氏様の不運を思し、のたまわせし御心映えの左大臣の優しなど聞こえ居出賜いて、流す涙に左大臣の御直衣の袖も顔から、え引き離ち賜わぬに、源氏の君も、

「父君様、そう悲しく泣かないで下さいませ。私はどんな事があっても生き延びて舞い戻って来ます。流刑の地で力を付け、やがて右大臣一族を苦境に追い込んでやりましょうぞ」

 など、心強く持て成し、不安など与え賜わず。

 若君の幼さは何心なく判らなくて、退屈に紛れて光源氏様の膝を離れ、左大臣や大宮様の回りを歩きて、これかれの親戚に、

「この人お父様、私のお父様」

などと馴れ聞こえ賜うを、いみじく可愛いと思したり。

「過ぎはべりし天国へ召された人を『この世に居てほしい』と、思う給え、忘るる世を泣く泣く嘆くのみ。今にして悲しび続きはべるを、この須磨退出の予感を思わせる前触れの、御事に相違なむ。

『もし正義が通りはべる世ならましかば』と、葵は如何ように思い、嘆きはべらまし。

『良くぞ命短くして、係る悪い夢を見ずなりに旅たちける』と、思う給えて慰めはべりし。夕霧は幼くもの仕賜うが、かく齢過ぎぬる年寄りの中に留まり賜いて暮らすが、一番良かろうかと存じます。

 夕霧若君が父君に『馴づさ聞こえぬ月日が長くなることや、愛情に隔たり賜わむ』と思い給ふるをなむ。よろづのあらゆる苦難の事よりも悲しうと思いはべる」

 左大臣は年に増して、身体が弱くなった自分を情けなく思い、嘆くように言いました。


                       つづく


     五


「いにしえの昔の人も、誠に犯しある誤りにても、これほど厳格にふしだらな性欲に係わる事に、当たり散らざりけり。人を好きになり、愛情の極限を果たすは、奥御殿の人の生き方の本能なる。

 なおさるべき運命にて、光源氏様と朧月夜が好き合う恋仲になったのも、たびたび御顔を合わすとなれば当然の成り行きでございましょう。

『このような男女の交わりは、人の世の帝の内部に於いても、係るたぐい、多う起こりはべりけり』とお聞きします。

されど、言い出ずる不幸わせありてこそ、さる人間社会の存続が成り立つ事も有りはべりけれ。光源氏様、今回の事は、

『運が悪かった』とあきらめて下さいませ。

 あの時ざま、こうざまにて、男女の色恋は神の権限も及ばぬ生き物の本能でございます。これを分かっていながら右大臣のやつ、光源氏様を処罰するに思い給え、優しさに思い寄らむ方にならなくなむ」

 など、左大臣と大宮様の御物語は、長々と聞こえ賜う。

「父君、何をひそひそ悲しい事ばかり話されているのでございますか。今夜は源氏大将の門出を祝う、楽しい宴会であるべきではございましょう。何よりも葵がそれを望んでおりますよ。

葵はおとなしい性格だったが、皆が楽しくふざけあうのを喜んで見ていたではありませんか。泣き言ばかりでは、葵が悲しみます」

 三人が悲しみに涙を流しておりますと、三位の中将楠木も参り合い賜えり。大神酒など、肴も多く持たせ賜うに、

「今夜は明け方までゆつくりと飲みましょうぞ。明日の朝、わしが帰るまでは、兵部省の者と刑部省の者は何もいたしません。

『わしが帰るまでは何も手出ししてはならん』と、言い聞かせております。こう見えてもわしは従三位の中納言、兵士が勝手に動くことはできません」

「さすがは我が子、楠も偉くなったものじゃ」

 大宮様は袖を持ち上げて、涙を流す振りをしました。

「お前が右大臣家の四の姫と間違いを起こさなければ、わしの良い味方で君り続けた物を。くやしい限りじゃ」

「父上様、私は今でも父君の味方でございます。何で父上の意見に逆らうことができましょうや」

「今は右大臣の天下じゃ。あの二人は、

『わしに逆らえばどうなるか分かっておろう。婿の楠木大将が引っ捕らえて牢にぶち込んでしまうぞ』と、脅しているではないか。長男のくせに右大臣に従うとは情けない奴じゃ」

「父君様、これだけは覚えて於いてくださいませ。今は朱雀帝の世の中、帝から官位をいただいている以上、私は母君である弘徽殿皇太后と右大臣に逆らうことはできません。

  しかし、朱雀帝の世は長く続きますまい。気弱で病弱な帝は永く体が持ちません。やがて世継ぎの夕霧帝の時代になれば、再び左大臣家にも光が差して参ります。

  父上、それまで辛抱して長生きして下さいませ。源氏大将は夕霧王子の後見人でございます。近いうちにそうした世の中になりましょう」

 楠木大将は何物も恐れていないようで、低くゆったりとした口調で言いました。

「果たしてそれまで体か持つかどうか」

「いいえ、父君様、私は須磨へ引き下がっても力を蓄え、早い内に都へ舞い戻ってまいります。しばらくの間辛抱して下さいませ」

源氏大将は沈みがちだった顔に、再び神々しい光をにじませました。

「世も更けぬれば。今夜はゆっくり泊まり賜いて、明日の朝出発なさいませ。私どもは年寄りゆえ、もう休ませていただきます。後は楠大将と我が家の若けもん、息子や姫君、親戚を交えて御話して下さいませ」

大宮様はさすがに疲れた様子で奥へ引き上げて行きました。

十人ほどの人々、光源氏様の御前にさぶらわせ賜いて、今と昔の御物など語らせ給う。親戚の連中が増えますと、見送りの宴もにぎやかになりました。

「桐壺帝の世では、飛ぶ鳥を落とす勢いのあった源氏大将が都を追い出されるとは、世も変わる物よのう。感慨深き物がある」

人よりはこよなう昔を忍び、源氏大将の行く末を思す中納言の君、


 いへばえに 言わねば胸に 騒がれて 心ひとつに 嘆くころかな

 言いたくも 言わねば胸に 騒がれて 心ひとつに 送るころかな

     (伊勢物語より 源氏物語ではいへばえにのみ使用され庵ます)


 と、悲しう思える有様を、人知れず心に秘めて哀れと思す。


                       つづく






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かってに源氏物語 

   第十一巻 花散里(一~六最終回)

 原作者 紫式部

           古語・現代語同時訳 上鑪幸雄


        一


 人知れぬ他人に対する御心遣いからの物思わしさは、何時となく自信を無くした時に現れる事なめれど、

『かくこのように、右大臣家が支配する大方の世につけて、面と向かって苦情を言えぬは情けなき事、この先、何時まで続くやら』

 と、光源氏大将は思いながら、憂鬱な日々を送っておりました。

「源氏の君よ、どうしたと言うのだ。この所元気がないではないか」

 浮かぬ顔の弟君を心配する朱雀帝の御心遣いさえ煩わしう思し、御心の乱るる事のみ勝れば、頼りにする桐壺院の助けもなく心細くて、世の中押しなべて厭わしう思しならるる。

 あれほど好きであった女遊びもめっきり衰えて、ただ二条院に籠り、死を待つ老人のごとく無意味に暮らすは、かって、

「光る君」と呼ばれた華やかさも消えて『今は過去の人物』と扱われ、

『やはり光源氏様も普通の人間であったか』

 と、さすがに嘆きなる事多かり。

二条院に籠る光源氏様を心配した惟光が、

「光源氏様、このように毎日ぼんやり御過ごしなさるは、御体に良くありません。せめて桐壺院に良く尽くして下された女御の方々に、御礼を申し述べてはいかがでしょうか」

 と申し上げますと、空蝉の小君も心配して、

「そうでございます、光源氏様。特に前の麗景殿の女御様は、今は四条のの一画で過ごし、貧しい暮らしをしておられるとか。是非見舞いに行って下さいませ」

 と申し上げました。

 麗景殿の女御と聞こえしは、帝との間に御子宮たちも居わせず、桐壺院がこの世から隠れさせ賜いて後、役目を終えて実家に戻られしを、

「今は頼りにする父君、母君の姿はなく、いよいよ貧乏暮らしが現実のものとなり、哀れなる御有様なる」

 と聞くを、光源氏様も気に掛けておられました。

ただ今はこの源氏大将のわずかな御心遣いに持て隠されて、

『ひっそり過ぐし賜うなる暮らし』と聞けば、

『好きな妹の暮らしはどうなっているのか』と、小君は気掛かりなようすになるべし。

 この御妹様の三の君、内裏の奥渡りにては源氏の君とはかなう、わずかにほのめき賜いし挨拶をする程度の間柄でございましたが、小君にすれば例の似た者同士の御心なれば、さすがに忘れも果て賜わず、

『今頃どうしているのか』気になって仕方がありません。

光源氏様がわざとも持て成し給わむに、人の御心をのみ心配し尽くし、妹君を案じ果て給うべかめるをも、小君はこの頃、残る事なく思し心乱るる事のみ多かりき。

世の哀れの仕ぐさ配には、様々に多種多様あれども、経済的事情に思い居出賜うには、

『御気の毒』にと思し忍び難くて、五月雨の空、珍しく晴れ渡る雲間に時間を見付けて光源氏様を御誘いし、一行は元麗景殿女御の館へと渡り賜う。


                     つづく



       二


 光源氏様は、何ばかりの有名な織物の御装いもなく、至って地味に打ちやつれして御身を整えるに、御車を先導する御前の随身などもなく、一行は忍びて京極中川のほどに到着おわし、川を過ぐるに、

「光源氏様、ご苦労様でございました。丁度中川に差し掛かって参りました。ここらで一休み致しましょう。牛を休ませ、草を与えるには丁度良い所でございます」

 と、惟光が申し上げました。

「それは丁度良い。車に揺られて腰が痛うなってしもうた。小君よ、踏み台を頼む」

 光源氏様は、努めて貧弱な御簾の中からのたまう。

小君が御車の後ろに踏み台を置くと、光源氏様は降りて参りました。小君は、

「ささやかなる家の、木立など細やかに整え、館の雰囲気など豪華に良しばめるに、この辺りはなかなか気品に満ちた別荘地帯でございます」

 と申し上げました。

 川は小さく流れの音もなくて、耳を澄ますと、


『月はおぼろに東山あーあ、霞む夜ごとの、かがり火にー、

夢もいざよう、紅桜あーああ、忍ぶ思いを、振い袖にー、

祇園おーん恋しーいや、だーあらーりいの帯よ

 夏は河原の、夕涼みーい、白い襟足、ぼんぼりにー、

 隠す涙の、口い紅がーああ・・・・』


と、言ったような歌が聞こえて参りました。

屋敷の中には、玄人集団と思える人物が数多くいると思え、良く鳴る筝の琴を、あづま調べに合わせて、和琴や琵琶、つづみ、太鼓など多くの楽器を掻き合わせて、賑わわしく引き鳴らすなり。

光源氏様の御耳に止まりて、そこが門近なる家の入口所なれば、御体を少し差し居出て、のぞき見入れ賜えれば、大きいなる桂の木の追い風に、四月の葵祭の頃、思し居出られ賜う。

「惟光、ここには葵祭に飾る桂の木の、大きな枝が沢山あるぞ。なかなかの名家と見える」

 光源氏様が仰せになられますと、

「これはまた、立派な桂の木でございますな。中の女人どもも、かなりの教養人と御見受け致します」

 と、意味ありげに笑いながら申しました。

「休みのついでに、一度御尋ねしてみようかのお」

 光源氏様は『中の主に受け入れられてもらえるのか』不安げな様子で仰せになられましたが、惟光は『してやったり』と、ニコニコ顔で口を大きく横に開き、

「それは願ってもない事でございます」

 と申しました。

「なに?」

 光源氏様が余りにも驚いた様子だったので、惟光は主人に自分の心を見透かれた様子で恥ずかしくなりました。

その屋敷の中はそこはかとなく威厳ある建物で、気配おかしきを、

「ただひと目見給いし、価値ある宿りなりと御給う。少し休ませてもらおう。ただならす、仲の姫君どもにも後挨拶せねばなるまい。あの琴の調べには覚えがある。

『記憶なきほどに経ける宮殿の女御かな。それとも町の女かな』

覚えおぼろげで、目隠しされたようや」

と、記憶慎ましけれど、四条の女御、もと桐壺帝の側室訪ねのし道中、通り過ぎがてらに安らい賜う。

光源氏様と惟光が門の前に立ち、扉を叩くと、折しもホトトギスの声、けたたましく鳴り渡りて、人の訪問を歓迎するかのようである。

「鳥の声も、人の歌声も、鳴り物の響きも、催し聞こえ顔なれば、

『どうぞお気軽に中へ御はいり下さい。御待ち申し上げておりました』

 と、言っているのでございましょう。あの奇麗な歌声の主を訪ねてみましょうや」

と、惟光は言いました。

 中に入る人々も、光源氏様の気配を感じて催し聞こえ顔なれば。

「これはいけるぞ。間違いなく歓迎されよう」

 と光源氏様のたまうに、小君は御車を押し返しさせて、河原の広い場所に停めに行きました。

 例の惟光、嬉しそうににやにや顔で、屋敷の中に入れさせ賜う。

「どうぞ光源氏様『御はいり下さい』とのことでございます。」

 惟光は引き返すや否や、嬉しそうに言いました。


                             つづく



    三


 落ち返り 絵ぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らいし 宿の垣根に

 落ち返り 昔忍ばる   ほととぎす 思い語らう  宿の垣根に


「昔を忍ばせる君との再会なれば、麻呂もほととぎすと同じ、耐え難く立ち寄った次第」

 と光源氏様は風流に歌いながら、池の向こうの建物に近付いて行きました。迎える側は、寝殿と思しき建物の西の妻先に、大勢の人々居たり。

 惟光は親しげに、見覚えのある女どもと感じ取ったのか、

「へちまの女房どもではないか。会いたかったぞ」

 と笑いながら近づき、光源氏様が向かう先々も聞きし見覚えのある声なれば、

「あな恐ろしや惟光殿。そなたの浮気心には騙されぬぞ」

 と笑い声聞こえたり。

「おっほん、おっほん。そういうそなたも、めっぽうに楽しんでいたではないか」

 惟光は馴れ馴れしい(こわ)作り景色取りて、

「逢いたかったぞ」と、御消息の気遣い聞こゆ。

 光源氏様が強引に主の手を握るなど、若やかなる景色どもすれば、女房どもはおぼつかさめく、恥ずかしげに顔を赤らめ『逃げ腰なる景色』と思うべし。


 ほととぎす 言問う声は それなれど あなおぼつかな 五月雨の空

 ほととぎす 我問う声は そちなれど 頼りにならぬ  五月雨の空


『男心と移り気は、五月雨の空と同じ。ことさらにたどる道は前と同じ』

と、見れば女の態度もそっけなし。

「よしよし

花散りし 庭の梢も 茂り合い 植えし垣根も 絵こそ見湧かぬ

花散りし 庭の桜も 茂り合い 植えし垣根も 面影湧かぬ

           (紫明抄 源氏物語では植えし垣根のみ使用)


と言いたい所だろう、そうはさせぬぞ。このたくましい腕と足が、そなたを喜ばせてやろうぞ」

 とて言って出居づるを、人知れぬ女心には、妬ましうも哀れにも嬉しう思いけり。

『しかし、光源氏様。麗景殿の女御様を訪問する前に中川あたりで道草し、女をからかうは、さも慎むべきことぞかし。紫式部はそのような甘ったれた態度は許しません』 

 と、事割りにも書き居づるあれば、源氏物語の作者はさすがなり。

「光源氏様、そろそろ出発致しましょう。麗景殿の女御様が御待ち兼ねでございますよ」

 御帰りが遅い二人を心配した小君は、寝殿造りの西の妻先に来て光源氏様に申し上げました。

「かようの宴の際は、筑紫の五節がら、十一月宮殿の清涼殿で催される宴なりしばや。大襄会。新襄会の舞姫として推薦しよう」

 と、まず思し出ず。

「小君よ、大襄会の舞姫候補として書き込んでおけ」

 と、光源氏様は仰せになられました。

如何なる時に付けても、光源氏様の御心のいとまはなく、宮殿の運営を御考えるなる態度は、日常に於いても苦しげ成り。

年月を経ても、なおかのように女を見付けては持て成し当り、情け掛け過ぐし賜わむにしても、小まめに御声掛け仕賜うは、なかなか余多の人々に対しての物、思いやり仕草なり。


                       つづく


     四


 かの本意、今回目的の所は、思しやりて『なかなか不運な人であった』と知るべくも、来てみればまったくその通りで、人目もなくうっそうとした森に囲まれ、静かにて平穏な有様を見賜うも、いと哀れなり。

『このような寂しい所で尼に成り、残りの人生を送るには余りにも御気の毒』と、光源氏様は独りごちにつぶやきました。

 まずは女御様の御宅方に上がらせてもらい、昔の思い出や楽しい御物語など聞き答え仕賜うに、

「あの泣き虫の若様がこれほど達者で御出世なされるとは思っても考えておりませんでした。母様の桐壺の更衣殿は、ことごとく身分の低い御方だと、御殿の他の女房どもは馬鹿にしておりましたもの。

その方が亡くなられたとあっては、

『いずれ奥御殿を追い出され、下々の家に養子としてもらわれて行く運命なのでしょう』とばかり思っておりました。光源氏様は運の強い御方でございますよ。よほど桐壺帝に気に入られたのでございましょう。よろしゅうございました」

「麗景殿の女御様には母を大切にして下さり、ありがとうございました。母が桐壺帝の寝所に参ります時に、麗景殿の女御様に預けられた事を良く覚えております。これはわずかばかりの気持ちですが、どうぞ御受取下さい」

光源氏様は幾らばかりの御金を渡しました。

「そのような御気遣いなど、しなくてもよろしゅうございますのに」

「いいえ、どうぞ御受取下さい」

「桐壺帝の亡き後、宮殿では右大臣と、弘徽殿の女御殿が幅を利かせるようになったとか。困った事でございます」

「まったくその通りで私もどうにもなりません」

「私の父君でも生きておりましたら、少しは御役に立てた物を。申し訳ございません」

 麗景殿の女御は昔を懐かしみ、父親が大弁として活躍していた頃を思い出して言いました。二人の間は懐かしい思い出が重なり、つい知らずの間に、随分と夜も更けにけり。

十五夜を過ぎて半分欠けた二十日の月、差し出ずるほどに、いとど小高き屋敷森の影ども、小暗く見え渡りて、近き橘の薫り懐かしく匂いて、

「紫宸殿の宴を思い出しますな」

 と、光源氏様が言いました。

「あれは三月の光源氏様の元服の時でございました。当時の頭の中将楠木との舞を思い出します。二人ともなかなか華麗で若くございました。なかなか見応えのある踊りでございましたよ」

 麗景殿の女御は目頭を押さえ、懐かしそうに言いました。その女御の御気配、ねびに老けたれど、その上品な御振る舞いは、飽く事なきまでに可愛い女としての御用意あり。

「あてに体が小さく上品で『ろうたげに守ってやりたいと思わせるなり』そうでございましたな」

 惟光は後になってそう言いました。

 この弘徽殿の女御様は『優れて華やかなる歌や舞の御覚えこそ無かりしかど、睦ましう懐かしき方に思いしたり仕ものを。謙虚で争いを好まぬ御人柄であった』

などと、思い居出聞こえ賜うに付けても、昔の幼き事が書き連ね思い出されて、

「あの頃は宮殿の誰もが敵と思われて苦しゅうございました」

 などと、打ち泣き賜う。


                      つづく


     五


「ほととぎす 先ほど在りつる垣根の所にや、別の鳥が来て、同じ声に打ち泣く。いい女の所にや、男が慕い来にけるよ」

 と、思さるほど、ここの麗景殿の所も艶に魅力的なりかし。


 いにしえの こと語らえば ほととぎす いかに知りてか 古声のする

 語らえば  昔の事を  ほととぎす  いかに知りてか 古声に鳴く

         (古今集 源氏物語ではいかに知りてかのみを使用)


 など、光源氏様は忍びやかに打ち誦し、鼻声で舞い賜う。


 橘の 香を懐かしみ ほととぎす 花散る里を 訪ねてぞ問う

 橘の 香り懐かし  ほととぎす 花散る里を 訪ね華やぐ


 橘の 花散る里の ほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しそ多き

 橘の 花散る里の ほととぎす 片思いしつ 鳴く日そ多き

        (万葉集 大伴旅人 源氏物語にはなし 引用かも)


 光源氏様は、昔の桐壺帝健在の頃を懐かしみ、麗景殿の女御様と御逢いしましたが、いにしえの忘れ難き慰めには、なお参りはべりぬ。今の右大臣天下を一掃するまでは、喜べぬべかりけり。

「光源氏様、そう昔の事を懐かしんでばかり致しても何も始まりません。私は仏門の道に救いを求め幾分心が和らぎましたが、光源氏様はまだ若こうございます。これは修行と御考えに成り、じっと耐えて下さいませ」

 女御様はうつむき加減に、僧頭巾を揺らしながら言いました。

「ああー、何と有難い慰めの言葉でございましょうか。今では右大臣に遠慮して、亡き桐壺帝の世の中を話す人など、誰一人おりません。人は時勢に逆らえないと分かっておりながら、私は今だにあきらめることもできません」

 光源氏様は両手を広く床に付けながら、涙ぐみ言いました。

「光源氏様、そう悲しい事ばかりではございますまい。いつかきっと運が開けて参りますよ」

「こよなう様々な人々に御会いしてこそ、紛れる事も、数多く添う事もありはべりけれ。人は皆、大方の世に従う物なれば、良き時代の昔語りも掻き崩すべき人、少なく成り行くを、

 私は黙ってみておられないのです。まして如何につれづれも、右大臣に対しては見て見ぬ振りをして、紛れもなく、

『強い者には巻かれろ』の風潮が漂っていると思さるらん」

 と聞こえ賜うに、

「いと更なる厳しい世なれど、物事をいと哀れに思し続けたる優しい心の御景色、光源氏様は決して浅からぬも、これはすべて人の求める御様からであるにや。必ず光源氏様を必要とする世の中になりますよ。

 それまでは何事も、我慢、我慢でございます。その内にきっと良い事もございましょう」

 女御様は多少無理をして笑いながら言いました。

「この世の中は、多く哀れぞ添いにける」

 光源氏様は多少慰められた御気持ちになられました。


                            つづく



      六 (最終回)


「 人目無く 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまと成りけれ

  人目無く 荒れたる家は 橘の 花こそ君に 捧げ奉れり


 御持て成しは何もできませんが、この家で自慢できるものは橘の薫りだけでございます。西側の家には妹の花散る里がおります。光源氏様、どうぞ立ち寄って下さいませ」

 とばかり、和歌をのたまえる。さわ言えど、人々には、いと異なる好き好きありけり。

『麗景殿女御の妹が二条院の紫の上に比べて魅力的な女か、果たしてそうばかりも言い切れないではないか』

 と、光源氏様は思し比べらるる。


 西端の部屋となりし西面には、

「花散る里はおるか。源氏の君が御見舞いに参ったぞ。このような寂しい所で暮らすとは御気の毒な事じゃ」

 と大声でわざとでもなく、忍びやかに打ち振る舞い賜いてのぞき賜えるも、人の訪問は珍しきに添えて、世に目馴れぬ高い位の御殿様なれば、花散里は慌てて。

「ああー、どう致しましょう。急に来られましても何も準備致しておりませんわ。姉上も困った物でございますわ。それならそうと、何故早く知らせて下さらないのでしょう」

 と、荒れ家の辛さも忘れて、御持て成しに困り果てぬと思うべし。

「奥御殿の麗景殿で、そなたを度々見かけた事はあったが、面と向かってじっくり話す事はなかった。どうした事か今頃になって、気掛かりになってのう。麗景殿の女御を訪ねたついでに立ち寄ったのじゃ」

 光源氏様は言い訳する自分もおかしいと苦笑いし、申し訳なさそうに言いました。

「光源氏様の訪問はとてもうれしゅうございますわ。宮殿では私など見向きもなさらなかったですもの。それが急にこのように親切にしていただきますと、なんだか恐ろしゅうございますわ。その目的が何か分からないですもの」

「そう、そっけない事を言うな。目的など何もない。父君が帝の位の時、麗景殿の女御様とそなたには大変世話になった。それでこうして御礼が言いたかったのじゃ。少しの気持ちじゃ。これを取って置け」

 光源氏様は懐からわずかばかりの金を取り出すと、花散里に渡しました。

「うれしゅうございます。こんな寂しい所ですけれど、気が向いた時にはどうぞ、何時でも御足をお運びくださいませ。私共は何時でも歓迎いたしますわ」

「それは有難い」

 光源氏様は万が一の場合、避難場所が増えた事に喜びを感じました。

 何やかんやと花散里と話しながら、例の藤壺の女御様や、六条の御息所様、葵の上などと比べて、

『自分か随分安っぽい振る舞いをするようになったな』

 と感じておりました。

『こんな下級の女を相手にしてどうするのだ。宮殿で弱い立場になった憂さ晴らしか。中川の女は親しく振舞っても心を許さなかった。桐壺院が亡くなられるとこうも変わる物か。しっかりしろ、光源氏』

 光源氏様は少し反省させられておりました。

 例の花散里や麗景殿の女御と懐かしく語らい賜うも、本来の自分のあるべき闘争心から遠ざかり、ただ負け犬として、

『現実から逃避しているな』と思さぬ事も心の底に在らざるべしと思えり。

 仮にも見賜う限りは、押しなべて三位上下の際にあらず、身分の低い者に甘んじて付き合う様々に付けて、今は堕落していると思える。

『言う甲斐なしや』と思さるるは、

『情けなしに有りけれ。頑張らにや。憎いげなく自分を大事にしてくれる人を大切にし、我も人も情けを交わしつつ過ぐし賜う辛抱強い人になりけり。何時か右大臣と弘徽殿の女御を見返してやろうぞ』

 光源氏様は今の自分の立場が分かって来たような御気持ちになられました。

『それをどうしようもなく相無しと思う人は、好き勝手にやらせておくが良い。とにかく変わる世の中の筋道としては、事割の世のさが、欲望むき出しと思いなし、耐えるしかあるまい』

 と、思い賜う。

先ほど有りつる中川の垣根も、さようにて有様変わる当りなりけり。

「わしを見限ったな。覚えておれ」

 と光源氏様は思い賜う。


                      花散里の巻おわり


 ※何となく物足りなく短すぎる花散里の巻ですがこれで終わりです。紫式部も光源氏の前途が危なく物語を書き進める気力を失ったのかも分かりません。

                       上鑪幸雄





いつものご愛読ありがとうございます。

 誠に申し訳ないのですが・・・・

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                  上鑪幸雄


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