二人の狂人編➁
振り返った青年の目を見て、アリサは全身が小刻みに震えるのを感じた。本能的な恐怖が体中を駆け巡っている。それでも、アリサは勇気を出して前に出た。
「あ、貴方に、た、たたた頼みたいことがあります」
「頼み事?」
青年は気怠げな声を上げながらも話は聞くつもりのようで、アリサに近づいてくる。
「わ、わわわわわわーーーーー」
私の、と言おうとしているのに言葉がうまく言えない。歯がカチカチとなって、いつも通り喋れないのだ。
「一旦落ち着け」
恐怖の元凶たる青年に言われてしまう。アリサは何度も深呼吸を繰り返し、心にほんの僅かな余裕を取り戻す。
「わ、私を」
二人の距離が一メートルかそこらと言った距離になった時、青年はアリサの目を覗き込んだ。
「恐怖が渦巻いてんな……こんだけの乱闘を見ても声を掛ける勇気があったから面白そうだとは思ったが……お前もそこら辺の凡人と変わんねぇのか。残念だ」
スッ、と顔が引かれる。青年は詰まらなそうな顔で数歩下がった。
「五秒やる。それまでに内容を話さないなら俺は帰るぞ。嫌がらせがまだ終わってねぇんだ」
「い、嫌がらせ……」
「ああ。『女王蜂』の下っ端の更に下っ端が、俺に金をたかってきやがった。あまりにもムカつく態度だったから思わず挽肉にしたはいいんだが、荷物が多すぎて持って行けない。そこで箱詰めにして『女王蜂』の奴の元に送り付けてやろうと思った訳だ。もちろん着払いでな」
わざわざ内容をベラベラと話してくれる。見た目の残虐さとのギャップに、アリサの恐怖が少し和らいだ。
「あ、あの……」
逃げ出したくなる気持ちを必死でこらえて、アリサは声を上げる。
「わ、私を助けて下さい!」
その言葉に、青年は楽しそうに口の端を歪ませた。
「詳しく聞かせろ」
アリサは昨日から自分の身に起こった事を全て話した。ほんの僅かな部分もかいつまむ事なく、しっかりと。
青年は終始話を聞いているのか聞いていないのか分からないような態度だったが、アリサの話が終わると「成程ねえ」と相槌を打った。
「つまり、お前は兄に会いたいが護衛が多くて一人では近づけない。だから護衛どもを蹴散らせる露払いが欲しいって事か」
「は、はい」
「護衛ねえ……」
青年はしばらく空を仰いだ後、アリサに向き直った。
「お前、処女?」
「え?」
突然の質問にアリサは面食らう。
「処女かって聞いてんだよ。いくら箱入りのお嬢様っつっても意味は知ってんだろ」
「え、えっと……男性との交際経験すらありません」
「そうか。じゃあお前の処女を寄越せ」
「え、えっ?」
動揺するアリサに、青年は笑う。
「当たり前だろ? 相手に命張らせるんだからこのくらいの見返りあって当然だ。それとも何か? お前は可愛く微笑んでおねだりすれば男がタダ働きするとでも思ってんのか?」
「い、いや、そんな事は………お、お金なら払います。ですからーーー」
青年は鼻で笑った。
「分かってねぇなお前。金じゃねぇんだよ。俺が欲しいのはそんな物じゃねぇ」
「しょ、商会の副会長の座も差し上げます! もっとも、その為には兄様を説得して私が商会に復帰する必要がありますが……」
「話にならねぇな。そんなに貞操を守りたいか」
「そ、そう言う訳では……ただ……」
言葉に詰まるアリサ。そんな彼女を見て、青年は溜め息を吐いた。
「仕方ねえな。なら、他の条件にしてやるよ」
「ほ、本当ですか⁉」
食いついたアリサを見て、青年は残虐に笑う。
「ああ。お前の体を引き裂いて、中の臓物を引きずり出させてくれるなら協力してやるよ」
「…………え?」
思考が一瞬、空白になるアリサ。青年はそんな彼女を知って知らずか、ベラベラと続ける。
「とは言っても、これは昨日散々やったんだよな………もうお腹一杯。しばらくはやらなくていいかな、と思った所なんだが……仕方ないか。少しは楽しめるだろ」
「あ、あう……」
「個人的には、昨日飽きるまで楽しんだ臓物ズルズルゲームよりお前の処女をぶっ壊す方が楽しめそうだと思ったんだがーーーーーどっちがいい? 好きな方を選ばせてやるよ」
「あ、や、いやあ……」
「おいおい、やる前からそんな声を上げるなよ。そう言うのはやる前のお楽しみだぜ?」
視界が揺れる。思わず吐きそうになり、アリサは口を押さえた。想像するだけで気持ちが悪い。不思議な物だ、先ほど人が殺される様を見た時よりも、今の状況の方が酷く気分が悪い。
揺れる視界の中で、アリサは青年を見る。血だらけで、本能的な恐怖を呼び覚ますような見た目。こんな男に体を許す方を選んだとしても、子宮を穴だらけにされそうな不気味さがある。
そこまでして、レンジと話したいのか。そんな思いが脳内を駆け巡る。
(話したい……)
多忙な両親に代わり、ずっとアリサの面倒を見てくれた兄。会長になり、商会が忙しくなっても自分の事を変わらず大切に扱ってくれた兄。
唯一の家族と言っても過言ではない兄。そんな彼と、こんな別れ方をするなんて絶対に嫌だ。
護衛達の強さはアリサが一番よく知っている。並の傭兵では彼らを倒し切れない。もっと、もっと強い力を持った者でなければならない。
そしてそんな強さを持った人間は、アリサの知る限り一人しか居ない。
「…分かりました」
全身に力を込める。アリサは青年を見た。
「私の処女を差し上げます。もし貴方が商会の護衛を突破し、私が兄様と話す事が出来たなら、終わった後に好きに抱いてください」
「ククッ、いいねぇ。その意気だ」
レンジは一人、街を歩いていた。
目的は考え事。家の中で考えても鬱屈になるだけだと思い、外で歩き回りながら考えようと思ったのだ。
「残り8時間……それまでに何か策を考えなければ……」
顎に手を当てて考える。しかし、良いアイデアは浮かばない。
「どうすれば、あの化け物を……」
「ギャハハハ! オモしれー!」
レンジの考え事は、前方から聞こえてきた笑い声によって途切れた。
前を見る。そこでは、いかにも柄の悪そうな若者たちが、壁に落書きをして遊んでいた。
「タカ、絵うめぇな! そっくりじゃんか!」
金髪の若者の称賛の言葉に、タカと呼ばれた男はまんざらでもなさそうな顔をする。
「へへっ、国王の顔は昔っから描いてるからな。俺の十八番だよ」
レンジはタカの描いた絵を見てみる。壁には下手くそな落書きが描かれていた。国王どころか人の肖像画とすら判別できない。よくこんな物を十八番だと言えた物だ。
「品がないな。この街もここまで落ちたか」
つい、そんな言葉が口から漏れる。レンジの小馬鹿にしたような響きに、若者たちは反応する。
「あ? 今なんて言ったよ?」
金髪の若者がレンジに詰め寄ってくる。レンジは眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「下手な物を下手と言って何が悪い。それに壁に落書きをするのは犯罪だ。そんな当たり前の事もーーーー」
「るせぇ!」
言葉の途中で、レンジは殴り飛ばされる。思わず倒れ込み、痛みに呻く暇もなく腹を蹴られる。
「ゲボッ!」
「すました顔しやがって! ムカつく奴だなあ! おいタカ! お前も来いよ!」
「ああ、分かってる」
タカも加わり、レンジへの足蹴が加速する。
(クソッ、こんな事をしている場合では……一刻も早くーーーーーーー)
その時だった。
「よう。何してんだぁ?」
前方から声が掛けられる。金髪の若者は怒気の混じった声を上げ、声のした方を向いた。
「あ? 何だよおまーーー」
言葉が止まる。レンジが腕の隙間から様子を窺うと、そこには二メートルはあろうかと言うピエロの化粧をした大男が居た。
「アイツは……」
大男は壁に描かれた落書きをジロリと見ると、金髪の若者に尋ねた。
「おう。これを描いたのはテメェか?」
「い、いや俺じゃないです。コイツ…タカって奴で」
そう言ってタカを指さした。大男はタカに詰め寄る。
「おうテメェ。この絵は俺をモデルにしたのか?」
「え、い、いや、いや違っ……」
「よく見たらお前、ムカつく顔してんなぁ……しかもその顔で『タカ』って名前もムカつくぞぉ……」
もう理不尽どころの騒ぎではなかった。そもそもあの落書きの題材は国王であって大男ではない。更に言えばこのタカと言う男、やや強面で男前であるためそこまで名前負けしているという程でもない。
「ち、違います! この絵は……」
タカは慌てて言い訳しようとする。しかし、大男は聞く耳を持たなかった。
「ムカつく顔したムカつく名前の奴にムカつく肖像画を描かれた! つまりムカつきの三乗だ! よってテメェには『三条河原の刑』を執行してやる!」
大男は足元に落ちていた鋭利な破片を拾い上げ、タカの腹を一文字に切り裂いた。タカの服を、血が汚していく。
「あ、あ、うあ……」
「どけ!」
タカが腹を抑え蹲る。大男はそんなタカを蹴り飛ばし、金髪の若者に肉薄した。
「ひぃっ!」
「テメェはもっとムカつく顔をしてんなぁ! 整形してやる!」
大男の伸ばした二本の手が両耳を掴む。瞬間、ブチブチブチィ! と嫌な音が聞こえた。
「あ、あ、あ⁉」
金髪の若者の両耳が千切り取られていた。大男は立て続けに破片で顔を斬り付ける。
「あっ! ああっ! やめ……」
金髪の若者の顔が切り裂かれて行く。両目は既に斬り付けられて塞がり、鼻は下半分が切断された。地面に落ちた鼻の下半分を見て、レンジの背筋が凍る。
「よし。いい顔になったぞぉ。及第点だ、許してやる!」
やがて、大男は満足したのか破片を地面に放り捨てた。同時、金髪の若者が地面に崩れ落ちる。
レンジは地面に倒れた二人を見る。どちらも酷い有様だが、小刻みに痙攣している辺りまだ生きては居るのだろう。大男は命までは奪わなかったようだ。
「まだ一人、ムカつく眼鏡君が居るぞぉ」
前方から声。レンジが顔を上げると、二メートルはしようかと言う巨体が眼前に立っていた。
「おう眼鏡君。コイツらはテメェの仲間か?」
「い……いや違う。俺はコイツらの仲間じゃない」
「そうか。とりあえず金出せ」
ずいっ、と大きな手が突き出される。レンジは言われるがまま財布を出そうとしてーーーふとある事を思いついた。
(待てよ……コイツまさか)
「どうした? 金持ってねえのかぁ? だったらボッコボコの刑だ」
「お前……『嗤う道化師』か?」
意を決して、レンジは聞いた。
『嗤う道化師』。奴の情報は手配書で見たことがある。
ピエロの顔化粧をした大男。傍若無人を体現したかのような人物で、気に入らない相手であれば誰であろうと躊躇なく暴力を加える危険人物。人類最高峰の筋力を持ち合わせる上、行動、思考の予測が一切つかない『三狂人』の一人に数えられる男だ。
(もしこいつが本物の『嗤う道化師』で、上手い事協力を取り付けることが出来れば俺は助かるかもしれない)
「だから何だぁ? いいから金出せよ」
大男の言葉に僅かに怒気が籠る。レンジは大男の顔を見上げた。
「今は手持ちがない。そんな事より『嗤う道化師』。お前に頼みたい仕事がある。それを引き受けてくれるならいくらでも金を払おう」
「ああ⁉」
胸倉を掴まれ、レンジの体が持ち上げられる。
「俺に指図してんのか、テメェ⁉」
「指図ではない、取引だ。こちらにも事情があるんでな。今ここで俺をリンチにしたいのならすればいい。ただしそうした場合、お前は金を得られなくなるぞ」
大男の目を睨みつける。数秒の間、二人は睨み合う。
「…ふん」
やがて、大男はレンジの胸倉から手を離した。地面に倒れ込むレンジ。
「いいぜぇ。テメェのくだらない話に乗ってやる。ただし金はちゃんと払えよぉ」
「ああ。分かってる」
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