二人の狂人編①
日常は、ある日唐突に崩壊する。
その言葉を、アリサは身をもって思い知っていた。
「お兄様、今なんと…」
「聞こえなかったか? お前は追放だと言ったんだ。お前のような無能は我が一族には不要だ」
驚愕に固まるアリサの前で、椅子に腰かけた男ーーーレンジは告げた。
「曽祖父の代から続くこの『コメゴ商会』は、今や国内では知らない者はいない規模となった。そして先月、国外へ支店を構える規模となったのはお前も知っていると思う」
「は、はい。でもそれの何がーーー」
「うちの組織は大きくなり過ぎた。優秀な組織には優秀な人材が集まってくる。優秀な人材で席が埋まっていっている今、お前のような無能に居場所はない。たとえ、それが実の妹であってもだ。会長権限で、今日を以てお前を副会長から解雇する」
「どうしてそんな急にーーー」
「急ではない、以前からの決定事項だ。ほら、これが手切れ金だ」
レンジは足元に置いてあった麻袋をアリサに投げてよこす。麻袋の中には、数え切れない程の金貨が詰まっていた。よほどの無駄遣いをしなければ、一生遊んで暮らせるだろう。
「荷物をまとめて出て行け。そして、二度とうちの敷居を跨ぐな」
「兄様ーーーーー」
「俺はもうお前の兄でも何でもない。その名で呼ぶな」
言うだけ言うと、レンジは立ち上がる。そのまままだ半ば呆然としているアリサを部屋の外へ突き飛ばした。思わず倒れ込んだアリサの目の前で、部屋の扉が閉じられる。
「兄様! 兄様ーーー」
アリサは叫ぶが、その声は扉の向こうへは届かない。騒ぎを聞きつけた護衛が、何事かとこちらに向かってくる。
「何でもありません……」
アリサは沈んだ声で言うと、おぼつかない足取りで部屋に戻った。
翌日。荷物をまとめていたアリサの元に、護衛がやって来た。
「お嬢様。残念ですがーーー」
「出て行く時間、ですか」
アリサは荷造りを終えた鞄を閉じ、護衛に向き直る。あれ以降、兄とは口を利いていない。
「兄様ともう一度話をさせていただけませんか? もちろん、話が終われば私は出て行きます」
「残念ですが、それは出来ません。当主様から、何があっても自分とお嬢様を合わせるなとの命令を貰っていますので」
「そうですか……」
アリサは護衛を見る。屈強な体に、油断のない目つき。元傭兵という肩書は伊達ではない。
この家には、そんな護衛が十数人も待機している。この国の一個小隊をぶつけても為す術なく倒されてしまうだろう。ましてやアリサが突破するなど夢のまた夢。
「どうして、急にこんな事に……」
あまりにも唐突過ぎて現実味が沸かない。そんなアリサに、護衛は同情するように目を伏せた。
「自分も悔しいです。お嬢様とは十年近い付きあいでしたのに、どうしてこんな突然ーーーーー」
よく見ると、肩が小刻みに震えているのが分かる。彼も悔しいのだ。
「仕方ないです。当主である兄様の言う事は絶対ですから」
無理やりアリサは笑みを作る。そして、護衛に促される形で家の外に出た。
アリサを追い出したレンジは、暗い部屋で辛そうに歯噛みしていた。
手に持った一枚の手紙を、強く握りしめる。
「済まない、アリサ…」
その声から、低く声が漏れた。
アリサはトボトボと街を歩いていた。
(これからどうしよう)
昨日まで、家から追い出されるとは思っていなかった。
その為まだ現実感が沸かない。それでも必死に頭を回して、為すべきことを考える。
(まずは寝る所を確保して、次に働き口を探してーーーーーやる事がたくさんありますね)
金はある。だが、生まれた時から何不自由ない生活をしていたアリサが果たして働き口や住居を自分で探すことが出来るだろうか。
(でも、とにかくやらなくちゃ)
アリサは気を引き締める。しかし、その顔はすぐに曇った。
「兄様、何でーーー」
実の妹を何の前触れもなく追い出す。これには何か理由があるはずだ。その理由を知りたい、兄と話したい。
昨日まで欠片もそんな気配はなかった。兄の様子がおかしくなったのは、今朝の郵便が届いてからだ。
「郵便の中身に何かあったのでしょうか……」
そこで、何かに躓きそうになりアリサは近くの壁に手を付く。辺りを見回すと、どんよりとした空気が漂う路地に来ていた。
どうやら考えながら歩いていたため、大通りを外れてしまったようだ。最近この辺りは治安が悪いと聞く。急いで戻らなくてはーーー
「あれれぇ? お嬢ちゃん、こんなところで何してんの?」
が、遅かった。向こう側から来た柄の悪そうな三人組がアリサを見つけ、近づいてくる。
「うひょー。可愛いじゃん。ねえねえ一人? 誰かと待ち合わせ?」
「あ、え、あの……」
「声まで可愛いじゃん。俺らと遊ばない?」
そう言って腕を掴んでくる。アリサは抵抗するが、力強く握られて逃げられない。
「いいじゃん、遊ぼうよー」
男の手が胸に伸びる。アリサは無我夢中で抵抗した。
「いやっ、辞めて!」
振り回した掌が、意図せず男の頬を打つ。平手打ちを食らった男は一瞬呆気に取られたが、すぐにキッとアリサを睨みつける。
「痛ッ…てぇな!」
男の殴打がアリサの顔に刺さる。ジン、とした痛みが頬に伝わり、膝の力が抜けた。
「あ、あ、あ…」
「おいおい、顔は辞めとけよー」
「もういいからここでやっちまおうぜ。どうせ誰も見てないべ」
男がニヤニヤ笑いながらアリサに手を伸ばしてくる。アリサは目をつぶった。
その時だった。
「あ? 何だアイツ」
男の一人が素っ頓狂な声を上げる。その言葉に目を開けると、アリサたちに何者かが近づいてきていた。
黒髪に黒いコートを羽織り、至る所から血を流している。体格からして男だろうか。そこまで歳を取っていなそうな青年だ。見た目の割に平気そうで、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来ている。
「おい、こっちは今取り込み中だ。どっか行けよ」
男の一人がそう言うも、黒コートの青年は歩みを止めない。まるでこちらの声が聞こえていないかのように。
「おーい、聞こえてるー?」
「あ、コイツあれじゃね? さっきお前が投げた水筒に当たって痛がってた」
「ああ、アイツか! いやあれはあんな所に居た方が悪いでしょ。ごめんねーさっきは。ってさっきも謝ったし」
男たちはゲラゲラと笑っている。その間に、青年は男の一人の目の前に立った。
「で、何の用よ? 俺達今忙しーーー」
そこで、男の言葉が止まった。それと同時に、ドチュ、という湿っぽい音が聞こえてくる。
青年の千枚通しが、男の左目を貫いたのだ。
その場に居た誰もが、思わず沈黙した。やがて、目を貫かれた男が間抜けな声を出す。
「あ、え……」
「人様に物ブチ当てておいてよぉ、そんな謝罪で済むと思ってんのか?」
青年が男たちを見る。その目を見たアリサは背筋が凍った。
明らかにただ者ではない。今まで子供の喧嘩すらも見たことがなかったアリサですら分かる、異常な瞳。
「うぎゃああああ!」
「うるせえよ。近所の皆さまの迷惑だろ?」
青年がどこかからバールのような物を取り出し、男の顔面目がけて振り回す。痛みのあまり膝を突いた男の脳天に、青年はバールを振り下ろした。グシャッ、という嫌な音が響き、男の一人が地面に倒れ込む。
「お、お前…」
「アッハッハ、ごめんねー。ホラ許せよ」
青年は楽しそうに笑い、残った二人の男たちに接近する。男の一人の股間に膝蹴りをくらわせ、立て続けに杭のような物で両目を突き刺した。
「う、うぼぁ、あああああッ!」
「そんな所に目があるのが悪いんだろ?」
そう言って、青年は最後の一人ーーーアリサの腕を掴んでいた男に肉薄した。男は咄嗟にアリサを盾にしようとしたが、青年の方が速い。目にも止まらぬ速さでどこからか牛刀を取りだした青年は、男の右手ーーーーーアリサを掴んでいた方の腕を斬り落とした。ゴトリ、と地面に落ちる右腕。
噴水のように勢いよく出た血が、アリサの服や壁を汚していく。
「う、あ、え…?」
男はその場に尻餅を突いてしまった。その頭上を、青年の牛刀が通過する。
ここに来て、ようやく現実を認識したらしい。男は失った自分の右腕を見て、絶叫する。
「う、う、うああああッ!」
「うるせぇなあ。近所の皆さまの迷惑だって言ったろ? お前達には社会的常識がまるでねぇな」
青年はそう言って笑った。とても不気味な笑みだった。
「なん、なん、なん……」
「ナン? そう言えばこっちに来てからナン食ってねぇな。あれってカレーに付けても美味いけどさ、そのまま食っても美味いよな。ああ、そんなこと言ってたら食いたくなって来た」
「なん、何でだよ! 何で俺達がこんな目に!」
男の言葉に、青年は詰まらなそうに鼻を鳴らした。
「何で? お前が俺に物ぶつけたからだろ。駄目だぜーポイ捨ては。ゴミはゴミ箱に捨てねぇと」
どこかズレている。アリサは傍から聞いていてそう思った。
「だ、だってそれは、あやま、謝って…」
「いや知らんがな」
青年はそう言った後、パチンと指を鳴らした。
「ああでも、そうか…………お前らの中ではそれが常識なのか。『謝れば何しても許される』、成る程な」
青年は牛刀を放ると、バールを構えた。
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ」
しゃっくりのような声を上げる男の頭目がけて、青年は躊躇いなくバールを振り下ろした。それも一発ではない。何発も、何発も。男の顔面が倍以上に膨れ上がっても、青年は攻撃の手を緩めなかった。
ゴン! ゴン! ゴン! ゴン! ゴン!
硬い物に硬い物をぶつけたような音が、規則的に響き渡る。
やがて男が誰の目から見ても絶命状態になった時、青年は驚愕の表情を浮かべた。
「ああっ、なんてことだ! 死んでしまった! ごめんな!」
謝罪の意思など欠片もなさそうな言葉を掛けると、青年はバールを地面に捨てた。
「よーしこれで俺の殺人は許された。地獄で呪うなよ? 俺は『許された』んだからな」
そう言うと、青年は両目を潰され地面を転がりながらも、三人の中で唯一生き残っている男に向かう。そして牛刀を拾い上げ、一瞬の躊躇いもなく男の首を刎ねた。
「お前も、ごめんな。殺しちゃって」
男の首が壁に辺り、ベチャッと水っぽい音を立てる。首から血が流れ、足元の地面を汚していくが青年は動じることなく、使用した武器の回収を始めた。
残されたアリサは、全身が小刻みに震えるのを感じていた。
(狂ってる)
三人の男を迷いなく殺した事だけではない。
常識の感覚が、常人と明らかにずれている。
口では常識を語りながらも、本人が常識から外れている。
言葉に出来ない奇妙なズレ、気持ち悪さ。ただただ『狂っている』としか形容できない何かが、その青年にはあった。
武器をすべて集め終えた青年が、満足そうに歩き出す。彼の眼は一度もアリサを見なかった。眼中にない存在、ということなのか。
アリサは今にも気絶しそうだった。今あの青年に目を合わせられただけでも恐怖でショック死する自信があった。
(何この人、怖い……頭おかしい……)
「助けて、兄様…………」
思わず口からそんな言葉が漏れる。その時、脳内に電流が走った。
(そうだ……兄様)
兄と話したい。その望みを叶えるためには、必要な物がある。
力だ。護衛達を倒して、兄の元まで道を切り開ける力を持った人間が、アリサには必要不可欠だ。
(この人なら、この異常者なら!)
間違いなく護衛を突破できる。
「あ、あの!」
去り行く青年に、アリサは声を掛けていた。顔面を血まみれにした青年が振り返る。
「あ?」
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