無敵の医者編⑦
ナズナが言った瞬間、青年は手に持っていた酒瓶を振った。酒瓶の蓋は空いており、中の酒が辺り一面にぶちまけられる。
「何を……」
続けざまに青年は腰のベルトからバールを抜くと、近くにあった棚に叩き付けた。棚がメキメキという嫌な音を立てながら壊れ、乗っていた酒瓶が落下して床を酒で満たしていく。
瞬く間に、酒屋の中が酒の匂いで充満していく。
「な、何をしているのですか⁉」
ナズナは思わず叫んだ時、青年は一本の酒瓶を手に取った。それをナズナに向かって投げつける。
「ッ⁉」
咄嗟に左腕を振って身を守ろうとして、ナズナの首筋に嫌な物が走った。
「オイオイ、ここまで来て単純な手に追い詰められるなんて情けねぇな」
酒瓶を投げつけた青年が、死角から接近していた。酒瓶がナズナの掲げた左腕に当たると同時、青年がいつの間にか抜いていたノコギリがナズナの二の腕を切り裂く。
「くっ!」
痛みこそ感じないが、二の腕がピクピクと痙攣する感覚は伝わってくる。そちらに視線を配ろうとして、ナズナの右腕に違和感が走る。
(…何だ?)
見ると、ナズナの右腕に酒瓶の破片が突き刺さっていた。それもかなり大きい物が。
「い、いつの間に…」
「本当に残念だなぁ、痛みを感じないって言うのはよぉ」
青年が酒瓶の破片を掴み、手首を捻るのを見てナズナの喉元が干上がる。
それは、人を殺す際の動き。
突き刺した物を捻って傷口を広げる。人を殺す際に最もポピュラーな技だ。もしもこれを胴体にやられていたら、ナズナは今度こそ一巻の終わりだったかもしれない。
自分の死ぬかもしれないという感覚---そしてそんな芸当を一切の躊躇なく行った『黒百鬼の死神』に、ナズナは恐怖した。
「クク、クハハ」
その声を聞いた途端、考えるよりも先に体が動いていた。金槌を振りかぶってくる青年の肩を押してバランスを崩させ、震える指を鳴らす。
「あ、ああッ!」
体内の細胞を爆発させる技を、焦りながらも発動する。青年の体が吹き飛んで酒屋から消えていく。それを見て、ナズナは安堵の息を吐いた。
「何なんだ、あの男は……」
額の汗を拭おうと、右手を翳す。すると、右手が不自然に痙攣しているのが見えた。
「そう言えば、右腕は刺されてましたね…」
近くの壁に背を預け、ナズナは右腕の様子を見る。刺されて傷口を強引に広げられたためか、右腕は酷い有様となっていた。動くだけでも貰い物。
ナズナは回復魔法を使おうとして、自分の中の魔力がほとんど残っていない事に気が付いた。かなりの魔力を有しているナズナではあるが、少女との戦いと青年やアラギにくらわせた【細胞爆発】などは、かなり魔力の消耗が大きかったようだ。
ここで回復魔法を使えば、迫り来る敵に対処できなくなると考えたナズナは、酒屋の中を見回す。既にほとんどの酒瓶は青年の手によって破壊されているが、僅かに数本だけ無事な酒瓶があった。
「拝借しますよ」
無事な酒瓶数本を手に取り、蓋を強引に破壊する。棚に背中を預ける状態に戻ると、ナズナは右腕に刺さった破片を一気に引き抜いた。
「ッ…」
痛みこそ感じないが、何やらピリピリと来る物がある。右腕から血が噴き出し、酒に濡れた店の床を汚し
ていった。ナズナは素早く酒を口に含む。
「ブーッ!」
口に含んだ酒を、自分の右腕に吹き付ける。念のための消毒だ。それを数回繰り返した後、ナズナは動く左手で自身の燕尾服を僅かに引き裂く。
「まさか、お気に入りの服をこんな事に使うとは思っていませんでしたが…」
右腕に破った燕尾服の一部をきつく巻き付けると、ナズナは大きく息を吐いた。念のために応急処置を行ったが、これでしばらくは持つはずだ。
体を預けるようにして休めていると、ふと喉が渇くのを感じた。そう言えば、戦いが始まってから一度も水分補給をしていない。加えて炎の攻撃やら酒を口に含んでやらで、やたらと喉の渇きを促進するような物ばかりだった気がする。
「少し、水分を補給しておくか…」
蓋を開けていた酒に口を付け、ごくごくと飲む。酔っていると精神に異常をきたして魔法を使う事は出来ないが、酒に強いためその部分は問題ない。
酒を数本飲み、ようやくナズナの喉が潤う。もちろん喉を潤したのは酒である為にしばらくすれば時五億のような喉の渇きが訪れるだろうが、今は目の前の事に対処していかなくてはならない。
「さあ、『黒百鬼の死神』と最終決戦をーーーー」
「ああ、さっさと始めようぜ」
その声は、頭上から聞こえた。
天井に空いた穴から青年が落下してくる。突然の襲撃に怯むナズナに、青年は金槌を振り下ろした。
「ッ!」
「あら、外したか。まあいいんだが」
間一髪、青年の攻撃は外れる。狭い場所ではこちらが不利と判断し、ナズナは自分が背中を預けていた壁に体当たりをかます。
「ここに来て逃げんのか?」
青年が言うが、それを無視する。体当たりで壁を突き破ったナズナは、勢いもそのままに大通りまで走り続けた。
(室内戦で逃げるのは屈辱的ですが、あそこで戦えば負けていたのだから仕方がありませんね)
元々、瘴気を操るナズナからすれば密閉空間である室内の方が有利である。しかし、あの場でそんな事をしようとしても、瘴気を放つ前に殴り殺されて終わっていただろう。
この場合のナズナの判断は、とても的確な物だった。しかしどうしても悔しさは残る。
「見ていなさい、『黒百鬼の死神』……貴方には私の最高傑作を食らわせて上げますよ」
ナズナの左手から、黒い煙のような物が滲み出てくる。それは吸えば『黒死病』に掛かってしまう
危険な瘴気。
「私の力の奥底ーーーー病気のスペシャルブレンドを受けて、苦しみながら死んでもらいましょう」
細胞操作に長けたナズナは、病気同士をミックスさせて本来ありえない病気を産み出す事が出来る。
如月が確認した【獣毒】と『黒死病』の組み合わせもこれに該当する。
本来、同じ人体に入るはずもない病気。それは治療の難易度を大幅に上げ、結果ほとんどの割合で治療が出来なくなってしまう。
「フ、フフフ。三種類、いや五種類の瘴気をミックスさせましょう……永遠の苦しみを味わってくださいよ、『黒百鬼の死神』!!」
手の中で瘴気を融合させながら、ナズナは青年が来るのを今か今かと待ちわびる。この瘴気を受けた時の青年の顔を、間近で拝みたい。
「さあ、速く来てくださいよ、『黒百鬼の死神』! 私は貴方が来るのをーーーー」
突如、ナズナの視界が揺らいだ。
「な、ん、だ…」
頭が混乱する。吐き気がこみ上げ、ナズナは口元を手で覆った。まずい。体がフラフラと揺れていく。
「なんだ、これは……」
初めは酒で酔ったのかと思った。確かに全速力で走ったために興奮し、酔いが回った可能性はある。
だがそれにしては、眩暈がおかしい。
意識ははっきりとしているのに、目だけが回っていく感覚。気を失う寸前のように、音がどこか遠のいていき、視界も徐々に落ちていく。無意識の内に、ナズナは膝を突いていた。
「やっと効いたか。耐久力まで化け物とか、お前やっぱり凄ぇな」
その時。ナズナの耳に、嫌に鮮明な声が響いた。
「『黒百鬼の死神』…私に何を……」
「オイオイ、自分より頭がいい奴にネタバラシする訳ねぇだろ? 喋って対策を立てられたらどうするんだよ」
青年の足音が近づいてくる。ナズナは咄嗟に指を鳴らそうとするが、上手くいかない。
「無駄だ。そこまで意識をやられちまったら、もうお前は魔王を使えねぇよ」
青年が目の前に来る。ナズナは無我夢中で腕を振るが、難なく躱されてしまった。
「クソッ、何が…」
こんな訳の分からない幕引きがあっていい物か。ナズナが歯噛みしていると、青年の懐から何かがポロリと落ちた。
カラン、と音を立てて地に落ちたその小瓶は、確か目薬とか言う物だったか。
「ま、さかーーーー」
そこで、ナズナは気が付いた。自分が何をされたのかを。
「……スコポラミン溶液」
「おお、さすが病気を操る男。よく知ってるなぁ」
青年の言葉に、ナズナは全身が震えるのを感じた。
目薬の中に入っているスコポラミンは、アルコールと混ざると様々な障害を引き起こす。量が多ければ死に至るほど危険な成分でもある。
「この国の技術が遅れてて助かったよ。何せ俺の元居た国じゃあコイツによる強姦被害が相次いだせいでスコポラミンなんざ入ってないからな。いやぁ、良かった良かった」
「こ、のッ…」
ナズナは青年に向かっていこうとしたが、足が動かない。そんなナズナに、青年の声が振りかかった。
「じゃあ、終わりにするか。なかなか楽しかったぜ」
「待、て…」
最後に何か一言言おうと、ナズナは手を伸ばそうとした。その時、ナズナの脳裏に電流が走る。
頭がいいが故に、気付いてしまった事。
「まさか、まさかーーーーー貴方は、全部読んでたって言うんですか⁉ 私が酒屋で応急手当をする事も、喉が渇いてスコポラミン入りの酒を飲む事も、全部----」
返事はなかった。
グシャッ! ゴリュッ! と言う嫌な音と共に、ナズナの意識は途切れた。
ガシュッ、ゴキッ、と言う鈍い音が響く。
脳の一部が飛び出たナズナの頭に、青年の金槌が叩き込まれる。ナズナが死んでいる事は誰が身ても明らかなのに、青年の攻撃は一向に止まらない。
ノコギリで切断し、金槌で殴り、ペンチでへし折っていく。
数分後、青年の攻撃がようやく止んだ。青年はもはや人の原型を留めていない遺体を確認すると、額の汗を拭った。
「ふぅ、ようやく気が晴れた。ったく、一発で死んでるんじゃねぇよ。生きてる間にもっと俺を楽しませろよ」
先ほど、なかなか楽しめたと言ったにも関わらずこの言い草。満足するまで獲物を蹂躙した狂人は、足取りもおぼつかなく歩き出す。
「あー、疲れた。チッ、どんだけ過酷なんだよこの世界はよ」
自動回復で肉体は硬く、痛覚を感じない上に膨大な魔力持ちの魔法使い。
そんな強敵が一人ではないと言うのだから、本当に驚かされる。
「まぁ、楽しめたからいいかな」
そう呟いて角を曲がった時、患者を治療し終えて一息ついた如月の姿が見えた。青年は千鳥足で如月の元へ向かうと、彼の目の前で倒れ込んだ。
「お疲れさまでした。大丈夫ですか、死神君」
「大丈夫じゃねぇよ。全身が滅茶苦茶痛い。やべぇ、もう死ぬかも」
「まあ、そのままだと本当に死ぬでしょうね」
意外に辛辣な如月の言葉に、青年は苦笑する。医者と言うのはこう言う時、患者を励ます物ではないだろうか。
「大量出血になりそうだな……治療してくれるか?」
「ええ、もちろん」
如月がにこやかに答える。
「善人だろうと、悪人だろうとーーーー人殺しであろうと、僕は救いますよ。僕は医者ですから」
※スコポラミンの効果に関しては諸説あります。また、作中でも言われていますが今の目薬には入っていません。
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