闇の剣聖編⑤
翌日。
「ん…」
日の出と同時に、ジャスミンは目を覚ます。大きく伸びをしながら体を起こしていると、ふと妙な感覚に教われた。
「あれ?」
手を開閉してみる。すると、昨日までの倦怠感が嘘のように消えている事に気が付く。驚いて手を何度も何度も開閉させていると、ラグラが部屋に入って来た。
「おはよう、ジャスミン。調子はどう?」
「お兄ちゃん…」
「お腹は空いてない? 何か作ろうか?」
「ううん、大丈夫。お兄ちゃんこそお腹空いてない?」
ジャスミンの質問に、ラグラは首を振る。
「俺は大丈夫。じゃあ、朝の練習行ってくるね」
ラグラはそう言うと、部屋から出て行った。残されたジャスミンは、そっと右手を自分の額に当てる。昨日まで凄まじかった熱は、一夜にして引いていた。
「何だったんだろう、あれ…」
昨日の事は、正直よく覚えていない。最近妙な咳が続くな、位に思いながらも特にそれ以上の進展がないので「風邪でも引いたかな」と楽観的に考えながら日々を過ごして居た所、昨日の夜唐突に視界が傾いた。それが自分が倒れたと気付いたのは、意識が薄れかかってからの事だった。
自分の症状が何だったのかも分からなければ、どうやって治ったのかもよく分からない。ただ一つ分かっている事があるとするならば、
「また、お兄ちゃんに助けて貰っちゃった…」
倒れている間の事が記憶になくても、それだけはよく分かる。指先が布団をキュッ、と握る。
「ありがとう、お兄ちゃん」
『それにしても、良かったのか?』
いつものように走っている最中に声を掛けられ、ラグラはポケットからペンダントを取り出す。
「何がだ、闇将軍?」
その顔には先ほどジャスミンに向けたような温和な表情はなく、やや殺気だった物となっていた。
『取引の事さ。いくら妹を守る為とはいえ、これはやり過ぎなんじゃないのか?』
ジャスミンの病気をラグラの体へと移そうとして失敗した、あの時。
「何でもする」と言ったラグラに、闇将軍は提案したのだ。
『【おれとお前の肉体を「合体」する】なんて、正気の沙汰じゃねえぞ?』
そう。闇将軍が提案した方法は、【肉体の合体】。
「俺達の体を合体させるなんて、確かに正気じゃできないな」
ラグラはそう言って自身の体を見下ろす。服で隠れて見えないが、今ラグラの体は右半身がラグラ、左半身が闇将軍の体といったちぐはぐな状態になっているのだ。
ちなみに、肉体を合体したと言っても五感はラグラの支配下に置かれている。あくまでも闇将軍は左半身の肉体を乗っ取っただけであり、それ以上の事は何もできないのだ。
「半分とはいえ闇将軍の体を手に入れた事で、俺は病気を移されてもこうしてピンピンしてる。凄い体だよ、本当に」
結局の所、病気と言うのは強靭な肉体を持っていればいるほど効果が薄い。そこで闇将軍の体を得る事で問題ない体力まで上昇させたと言う訳だ。
「それにしても、とてもジャスミンが掛かった病気とは思えないな。ビックリするほど何も感じないよ」
『おいおい、おれの体力を舐めすぎじゃないのか? おれの体力は、たかが病気の一つや二つに掛かったくらいでなくなるほど柔じゃないぞ』
その話が本当なら、これでも充分病気に掛かっている状態らしい。凄まじい体力だな、とラグラは素直に感心した。
「それにしても、ありがとうな」
『ん? 何がだ?』
「俺なんかに力を貸してくれて。闇将軍が居なかったら、ジャスミンはあのまま病気に掛かったままだった。…最悪死んでたかもしれない。だからありがとう」
すると、ペンダントの中から笑う声が聞こえた。
『何、気にするな。この肉体の合成はおれにとってもメリットのある事だったからな』
その言葉にラグラは少し引っ掛かりを覚えたが、家が見えてきたので一度中断する事にする。これから聞く機会はいくらでもあるはずだ。ゆっくり聞いていけばいい。
「ただいま」
それからしばらくは、特に大きな事は何もなく過ぎ去った。変わった事と言えば、ラグラの訓練が以前にも増して過酷になった事だろうか。
『遅い! そんなんじゃ敵にやられちまうぞ!』
「お、おう!」
闇将軍と肉体を合成して以降、ラグラの運動能力は格段に上昇した。
----かに思えた。
実際には、とんでもなく下がってしまったのだ。その理由は単純明快で、右半身と左半身の筋力に大きく差がある事にある。
かたや日常的に鍛え上げただけの肉体、かたや魔王の側近を務められるレベルにまで強化し尽された肉体。
こうまで差があり過ぎると、逆に体を動かしづらくなってしまう。何しろ一歩を踏み出す脚力すら大きく違うのだ、走るだけでも一苦労である。
それでも何とか闇将軍の筋力に追いつこうと、ラグラは無茶な訓練を続けていた。おかげで毎日泥のように眠りこけ、翌朝も肩が持ちあがらないレベルの筋肉痛に襲われているが、それでも必死で食らいついている。
その日も疲れた体を抱えて家に戻り、食事を取っていた時のことだった。
「そう言えばお兄ちゃん、町に居る副町長さんって知ってる?」
「いや、無いけど。それがどうかしたの?」
「何かね、殺されたみたいだよ。さっき買い物に言った時に八百屋のおじさんが話してくれたんだ。誰かに殺された可能性があるらしくて、憲兵隊が調べてるみたいだよ」
「へえ。魔族の侵攻だけじゃなくて人間同士で殺し合うとか、物騒になったなあ」
特に魔族はつい最近ラグラ達の村に乗り込んできた為、深くそう思う。
「どうやら副町長さん、個人的に勇者にお金を渡してたみたいなんだよね。『見返りは要らない、強いて言うなら魔族を皆殺しにする事こそが見返りだ』とか言ってて。いい人だったのに、何で死んじゃったんだろ」
「さあ、何でだろうな」
つい数日前まで身近な人間の死に動揺していたラグラからすれば、会った事もないような人間が死のうが特に何かは感じない。ただ、この辺りも物騒になったであろうから今日からは気を付けようと思うくらいだ。
「ご馳走様。それじゃあ、もう寝るよ」
「あれ、そう言えば最近食後の訓練してないね? どうしたの?」
「練習をきつくしたからね。もう疲れて疲れてしょうがないんだ。じゃあ、お休みジャスミン」
そう言って微笑みかけると、ジャスミンも笑い返してきた。
「そっか。いつもお疲れさま、お兄ちゃん。お休み」
ジャスミンに背を向けて、ラグラは部屋に戻る。念のためベッドに愛用の木剣を立て掛け、眠りに付いた。
『しっかり眠れよ。明日も訓練が控えているんだからな』
闇将軍が何かを言っていた気がしたが、よく分からなかった。
次の日。ラグラは近くから漂ってくる異臭で目を覚ました。錆びた鉄臭い香り。この匂いは嗅いだことがあるような気がするが、何の匂いだっただろうか。
「何だ⁉」
ガバッ! と跳ね起きるが、見た所不思議な物は何もない。しかし警戒に越した事はないと思いながら、ベッドの脇に立てかけてあった木剣を掴む。
「一体何か分からないけどーーーー」
木剣をブン! と力強く横振りし、ラグラはベッドから立ち上がった。
「ジャスミンを狙うって言うなら、容赦はしない!」
しかし、室内にはラグラ以外誰も居ない。透明化の魔法でも使われているのかと考えたが、それにしてはラグラが起きてからの反応がない。不思議に思ったラグラは、目を凝らして室内の様子をくまなく見渡した。
---すると、木剣が何やら少し曲がっているように見えた。
「ん…?」
不思議に思いながらも木剣の先端を確認する。すると、木剣の剣先が赤い液体で濡れているのが見えた。
「これってーーーー」
「お兄ちゃん、大変! 今度は市長さんが殺されたって!」
ラグラが木剣に目を奪われていると、ジャスミンの声が部屋の外から聞こえてきた。
「え…」
ラグラは絶句して、手に持った木剣を二度見した。するとやはり木剣の先は赤く濡れている。
「こ、これって…」
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