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家庭教師編②

 頭を掻きながら、青年は柵をよじ登る。男の方は金槌がヒットしたダメージが大きいようで、後頭部を抑えて蹲っていた。


「よっ、と」


 そんな男の背中を着地点にして青年は飛び降りた。数メートルとは言えもろに踏まれたのだ、男が苦悶の声を上げる。青年はその横っ腹を躊躇う事なく蹴り付けた。辺りはすっかり暗くなっているため、男の顔が見えないのが残念だ。


「とりあえず、俺から奪った金プラスお前が今持ってる全財産、そしてお前の命で許してやる。これでも安い方だぜ?」


 笑いながら腰のベルトからノコギリを抜き、うつ伏せになっていた男の右足を根元から斬り付けた。男の体がビクン! と大きく揺れるも青年は楽しそうな笑みを崩さない。


「うぎゃああああ!」


「オイオイ、近所迷惑だろ? このくらい耐えて見せろよ」


 うるさいからもう一本いっておこうかな、と青年がワクワクしながら考えていると、離れた方向から声がした。


「何事ですの⁉」


 甲高い声だ。多分、いや間違いなく女だ。『ですの⁉』と言う響きから見て恐らくお嬢様だろうか。


 一瞬で青年はそこまで推測すると、足を切られて呻いている男の懐から盗まれた自分の財布を奪い取り、お嬢様の方へ向かった。脚を斬ったので逃げられないだろうが一応だ。ひとまず、不確定事項を何とかする方が先決だと即座に判断する。


 お嬢様は手に松明を持っていた。魔法で掌サイズの光を産み出せるこの世界で、松明とは珍しい。青年が近づくと、お嬢様は突然叫んだ。


「わ、私の庭で一体何をなさっているんですの⁉」


「あ、ここ庭だったのか」


 成る程、道理で柵がある訳だ。辺りを見回してみると、数メートル先に大きな屋敷の輪郭が見えた。どうやらここはお嬢様の持つ敷地だったらしい。


 ひとまず顔の見える距離で話し合おうと、青年は休息に距離を詰めた。


「夜分にすみません。実はひったくりを追いかけていたらここまで来てしまいまして・・・」 


 基本、無関係の人間には極力迷惑を掛けない主義の青年である。丁寧に謝罪し、相手の反応を窺う。


「ヒイッ!」


 しかし、お嬢様は顔を引き攣らせた。青年はこんなに丁寧に対応しているはずなのにどうして悲鳴を上げられるのか考えーーー気が付いた。


「ああ、そりゃそうか・・・」


 常識的に考えて、顔に血が付きまくっているようなとんでもなく人相の悪い男が暗がりからヌッと現れれば怖いに決まっている。加えて、そんな奴が変に優しく丁寧語で話しかけてきているのだ。怖さに拍車がかかるばかりだ。配慮が足りなかったなと思いながらスッと両手を上げる。


「俺は怪しい者じゃない。よく見てくれ」


 そう言うと、暗い中でお嬢様がビクッと体を震わせるのが分かった。それでも、恐る恐る松明の火を近づけてくる。まだ話し合いの余地はあると言う事だ。


「さっきも言ったが、ひったくりを追いかけてたらここまで来ただけだ。別にこの屋敷に侵入したかったからとか、そんな事は一切思っていない」


 そう、心を込めて訴えかけるとお嬢様の警戒が少し和らいだ。チャンスと思い続ける。


「俺はさすらいの旅人だ。お前の名前を教えて欲しい」


 言葉を発した瞬間、青年は激しく後悔した。しまった。いきなり知らない奴が『怪しい者じゃない』と言って名前を聞いて来たら普通に怪しい。アラギなら迷わず斬り殺してくるであろうシチュエーション。警戒を和らげるはずが、逆に警戒させてしまう。


「わ、私の名前はエレノワール、ですわ」


 しかし、お嬢様ーーーーエレノワールは戸惑いながらも青年の質問に答えてくれた。青年の懸念に反して、変な警戒は抱かなかったようだ。青年は頷くと、両手を上げたまま火の前に顔を現す。すると、松明を持ったエレノワールの顔が見えた。気品の良さそうな顔立ちだ。


「驚かせた事に関して、もう一度謝罪しよう。ところでこんな真っ暗な中一体何をやってるんだ?」

 

「そ、それはーーーー貴方には関係ありませんわ」


 まだ警戒するような声色。このままでは面倒な事になりそうな可能性がある。何か相手を安心させる為の何かはないか。青年はエレノワールの頭からつま先までを注意深く観察する。すると、エレノワールが左手に本のような物を持っている事に気が付いた。


「ん? 何だそれは?」


「こ、これはーーーー」


 目を凝らすと、どうにか表紙の絵柄だけは確認できた。魔法陣のような物が描かれた表紙、魔法関連の本とみて間違いないだろう。


「魔法の練習か。大変だな」


「ッ!」


 青年が言った直後、エレノワールは顔を引き攣らせた。青年から距離を取るかのように数歩後ずさる。


「あ、貴方っ、どうしてそれを⁉」


「どうしても何も、持ってる本からして明白だろ。それにしても、こんな夜遅くまで練習とは随分と勉強熱心な事だな。がり勉なのかーーー」


 不意にエレノワールが動き、気が付くと胸倉を掴まれていた。エレノワールは本を床に捨て、空いた手で青年の胸倉を掴んだのだ。


「こ、この事がバレたからには生かして返す訳には行きませんわ!」


「お、おいおい。いきなり物騒だな。何かあったのか?」


 これには流石の青年も動揺する。まさか、突然目の前の人間が胸倉を掴んでくるとは思うまい。


「ま、待っててくださいまし。今、貴方の記憶を消去する呪文を調べてーーーーああっ、本が足元に! ど、どうやって取れば・・・」


「だから何があったんだってーーーん?」


 あたふたとせわしなく手を動かすエレノワールに首を傾げていると、背後から気配が。首だけ振り返ってみると、足を斬られた男が膝を震わせながらも立ち上がろうとしていた。


「あの状態でまだ立ち上がろうとするのか。凄いな」


 感嘆の声を上げながら、青年は自分の胸倉を掴んでいたエレノワールの手をそっと外す。そして、男に向き直った。


「あ、ありましたわ! 記憶消去の呪文はーーーって、あれ?」


「おいエレノワール。俺よりももう一人の侵入者の対処の方が先なんじゃねえか?」


「え?」


 エレノワールは青年の言う方向に松明を向けーーー男の存在に気が付き声を上げた。


「な、何者ですの⁉」


 男はその質問に答えず、黙って右手を突き出した。どうやら戦うつもりのようだ。


「あの状態からまだ戦おうってのか・・・面倒だな。おいエレノワール、下がってろ」


 青年は舌打ちすると、腰のベルトから金槌を抜く。あの状態からがむしゃらに来られても、青年一人ならどうにでも出来る。だが、そうなると近くに居るエレノワールにも危害が及ぶ可能性がある。無関係の人間に極力迷惑を掛けたくない青年からしたら、それは避けたい事だ。



 しかし、そんな彼の心配は杞憂に終わった。



 男の右手から、バチッ! と電気が放出されたのだ。どうやら男は魔法を使って青年を攻撃しようと言うらしい。それを見た青年は安堵の息を吐く。


「何だよ・・・驚かせやがって。最初から最後まで迷惑な奴だな。もうウゼエからさ・・・」 


 本当に驚かせてくれた物だ。てっきり風の魔法やら氷の魔法やらを放ち、エレノワールもろとも巻き込んで攻撃してくるのかと思っていたのだ。青年は再度安堵の息を吐くと共に、一言告げる。




「----爆発しろ」




 瞬間、男の体が爆発した。  





 比喩ではない。突然男の右肩が火を噴いたかと思うと、次の瞬間には爆炎を噴き出していたのだ。爆発の規模はそこまで大きくなかったため、数メートル離れていた青年達は無傷で済んでいた。


「・・・はぁ」


 そんな爆発の一部始終を安全圏から眺めていた青年は、面倒くさそうに頭を掻いた。男が爆発してしまったせいで自分の分の金しか取り戻せなかった。本来であればあの男の有り金を全て奪い取った後、全身解体して臓器を売り払おうと思ったのに、非常に残念だ。


「ま、ガソリンの効果を試せただけ良しとするか・・・」


 ガソリンの引火点は-40℃。すなわち、僅かな火でも爆発を起こしてしまう危険な液体である。


 そんな液体を被った人間が、火や電気と言った『火源』となり得る物を使ってしまえばどうなるか。そんな物は火を見るより明らかである。


「い、今のは爆発魔法・・・それも【爆発しろ】の一言であれほどの威力を発揮できるなんて・・・」


「おい、大丈夫か?」


 何かを呟いているエレノワールに、青年は声を掛ける。距離的に考えて大丈夫であるとは思うのだが一応聞いておく。


「は、はい。大丈夫です」


「そうか。じゃあ俺はもう行くぞ。今の爆発音で誰か来ると困るからな」


 青年はそう言って歩き出す。すると、背後から左腕を掴まれた。


「お、お待ち下さい!」


「ん?」


 青年が振り返ると、焦った様子のエレノワールが青年の左腕を掴み悔しそうにこちらを見ていた。


「どうした?」


「そ、その・・・」


 エレノワールは恥ずかしそうに俯いた後、青年の目を真っ直ぐに見つめた。


「わ、私に、魔法を教えてくださいませんこと?」


「・・・は?」


 青年は呆気にとられた。自分に? はっきり言って無理な話だ。銀髪の少女と違い、青年に魔法の適正は微塵もない。そんな人間がどうやって魔法について教えろというのだろうか。


 即座に青年は断ろうとしたが、ふと金が足りなかったことを思い出した。このままではかなりまずいことになると予想していることも。ならば、ここで金を稼いでおくのも悪くない。いざとなったら少女を呼び出せば何とかなるはず。


 この間、わずか5秒。青年はエレノワールに言い放つ。


「いいけど、俺は高ぇぞ?」


「構いませんわ。魔法の技術が上達するならば、いくらでもお支払いしますわ」


 エレノワールのやる気のこもった声。その時、屋敷から複数の足音が聞こえてきた。


「今の爆発音は何だ⁉」


「ヤベッ、もう追手が来やがった!」


 青年は慌てて逃げようとする。暗がりだからかエレノワールには『黒百鬼の死神』であることがばれなかったが、もし正体が判明すればその瞬間面倒なことになる。ひとまずここは逃げておいて、夜が明けたらまた来ようと思い逃亡を図る。


「お待ちください。大丈夫ですわ」


 しかし、エレノワールがそれをよしとしてくれない。左腕を掴んだままのエレノワールを振りほどこうともがいていると、屋敷の警備員と思われる男たちが手に松明を持って青年達を取り囲んだ。


「貴様、何者だ。どこから入った」


「いや、俺は・・・」


 青年が弁明しようとすると、エレノワールが口を開いた。


「お待ちください。この方は怪しい者ではございませんわ」


 言いながら、掴んでいた青年の左腕を高く掲げる。


「この方は、本日より私の家庭教師となられた方ですわ。失礼な態度は許しませんわよ」


「・・・はい?」




 



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