8話 男同士の内緒話・後編
お茶を飲んでいたレオ少年は、ティーカップを机の上に戻す。改めて、ローエングリン王子を見た。
「……おい、いつものように、三年前を一緒に振り替えってくれ。僕にとっては戒めだが、今のお前にとっては、オデットの昔の様子を知ることに繋がる。どうだ嬉しいだろう?」
「あ、うん。ありがとう、レオ」
親友の申し出に、ローエングリン王子は軽く笑った。相変わらず顔色は悪いけれど。
素直にレオ少年の心遣いに感謝する。
「えっと……男爵領地に着いた初日、君たちはオデットの家に泊まったんだよね。狭い部屋に君と親友たち四人が詰めこまれた。
固いベッドで、寝心地は最悪。翌朝起こしにきた相手に、文句を言おうとした」
「男爵家の七才の次男と二才の末っ子が起こしにきたからな。さすがに文句は言えん。
次男に『おはようございます、寝心地はどうでした?』と聞かれて、『良かった』としか答えれなかった。
『そうでしょう? 僕たちの部屋は一番広くて、ベッドは一番ふかふかだからね♪』って、無邪気に言われて、ライと顔を見合わせたぞ」
「ライが『君たちは、どこで寝たのですか?』って尋ねて、『姉様や兄様、妹と一緒に、外のわら小屋で寝たよ。お星様が見えて、楽しかった♪』って、答えが返ってきたんだよね?
初めて聞かされたとき、自分も、何度も君たちに尋ね返したよ」
「ああ。僕らは、男爵家の子供部屋を奪い取って、泊まったんだ。田舎貴族の家が、あんなに部屋数が少なくて、僕の衣装部屋より狭いとは思わなかったぞ。
それに、二才の幼子を外で寝させたなんて、さすがに良心がとがめた。以降は、騎士たちと一緒にテントに寝泊まりしたぞ」
豪華な部屋に住む、王都育ちのレオ少年。当時は、都会と田舎の違いにカルチャーショックを受けた。
けれども、それは序の口。
「それから、君たちは親友二人と一緒に、四人で朝食をご馳走してもらって食べた。でも、育ち盛りの少年たちにとっては、質素すぎて前菜みたい。
男爵家の長男を見つけて、改めて、要求したんだよね」
「そうだ。しばらくして、男爵家の長女が、鍋とパンを持ってきてくれた。
『我が家でお出しできるのは、これだけです』と言われてな。
さっきより少ない、中身の殆どない塩味のスープ一杯と、固いパン一切れ。
僕らはムスッとなったが、相手の方が上手だった。
スープをつぎ分けながら、色々と笑顔で話しかけてくれたんだ♪
本当に楽しい朝食だったから、食事内容に文句を言うことを忘れた」
「かろうじて空腹の満たされた君たちは、男爵家を出て、領地の視察に行こうとした。そして、男爵家の姉妹を見つけたんだったよね」
「……二人の会話に耳を疑ったぞ」
そう言って黙り混む、レオ少年。目を閉じると、強烈な記憶となった会話内容が、すぐに脳を駆け巡る。
『お姉さま、出掛ける前に、これをお食べください』
『……このパンは、あなたの朝ご飯ですよね? あなたが食べなさい』
『お姉さまたちの朝ごはん、高貴なる方々に差し上げたのでしょう?
少しは食べないと、お供をする途中で倒れます。お父さまの所へ、行くつもりですか?』
『……はいはい、半分もらいますよ。残り半分は、あなたが食べなさい』
『全部食べてください。私はスープを飲んでいますから、大丈夫です』
目を閉じていレオ少年は、ゆっくりと息を吐いた。
本当に強烈な記憶だ。思い出すだけで、胸が締め付けられる。
食事が食べられず、死と隣り合わせの日常なんて、食べ物のあふれている王都では考えられなかった。
あれぽっちのパンとスープが、一回の食事だなんて。
男爵家の人々は、命を繋ぐための大切な食料を、世間知らずで傍若無人なレオ少年たちに差し出したのだ。
あのときの身勝手な自分が、本当に恥ずかしかった。
腕組みして難しい顔をしている、レオ少年。
ローエングリン王子は、しばし口ごもる。持ち前の観察眼で、親友の変化を密かに見ていた。
重苦しい気持ちをうち破るかのように、軽い気持ちで疑問をぶつける。
「ねぇ。前から思っていたけど、朝食の場面を語るときだけは、妙に楽しそうだよね?
ほとんど苦しそうだったり、悲しげな表情しかしないのに。あそこだけ、顔が笑ってるときがあるよ?」
「そりゃ、まあ……美少女と一緒だったからな……」
レオ少年は消え入りそうな声で、白状する。仏頂面で睨みつつも、段々と頬が赤くなっている。
当時を思い出しているのか、台詞が上擦っていた。
「……レオも、ライも、可愛い子が大好きだもんね。不謹慎だと思うけど」
「うるさい! 道中は親友や年上の騎士たちに囲まれて、ずっと男所帯だったんだぞ。
久しぶりに年が近くて、王都でも滅多にいない美少女を見たら、心動いて当然だ!」
「……基本的に、嫌な思い出なんでしょう? なんで顔が赤くなるのさ」
「僕の人生で、最も幸福を感じた瞬間の一つだからだ!
かわいい女が、あんなに近くで笑顔を振りまいたり、労ってくれるんだぞ?
北地方を平定するための殺伐とした旅で、すさみきった心が、どれほど癒されたか……。
あいつの性格を知った今では、嫁にしようと思わんが、あの心地よさは忘れられん。
将来、嫁にするなら、絶世の美女で、あんな風に接してくれる女が理想だな♪」
「……あっそ。レオの理想の花嫁の原点なわけね」
ローエングリン王子は、頬を赤らめつつ、十八番の理想論を長々と語る相手にジト目を送る。
年齢を重ねるごとに、花嫁の理想が高くなるレオ少年だが、原点は以外なところにあった。
戒めにするくらい嫌な思い出とセットだから、普段のレオ少年は、あまり深く語らない。
けれども、今日はローエングリン王子が、いつも以上に突っ込んだから、本音が聞けただけ。
年頃の少年として、健全な反応を示した親友に、ローエングリン王子はあきれ返った。
空気の変化を機敏に察したレオ少年は、咳払いをする。
仏頂面に戻ると、年上の親友を睨んだ。
まだ頬と耳が赤くて、ちっとも怖くなかったけれど。
「お前、相談に来たんだったよな? さっさと、本題に入れ」
「あ、忘れてた。えっとね、レオは、本物の雪の天使って、知ってる?」
「本物の雪の天使? お前の婚約者、オデットのことだろう?」
昨日の宰相の息子と、同じ反応が帰ってきた。ローエングリン王子は、少しガッカリする。
やはり、頼るだけ無駄だったらしい。
「もしくは、オデットの母上。昔の王都じゃ、母上を指す言葉だったって、おじい様たちが言ってたぞ」
「母君? なんで?」
「ロー、もしかして母上の素性を知らないのか?」
「五代さかのぼっても、平民だよね? レオが、そう言ったし」
「……お前、婚約者のことくらい調べろよ! 仮にも、王子だろうが!
我が国じゃ、母方の血筋は価値が無いから、お前みたいに知らない貴族も多いかも知れんが」
「なんで? レオの紹介だよね? 自分は、レオのことを信頼してるから、なんにも調べてないよ。
北国の王家へ輿入れできるくらいだから、変な血筋じゃないだろうし。
第一、お見合い相手を徹底的に調べてたら、身が持たないって」
「五年間、お見合いしまくった弊害かよ! お前、本当にのんきだな! その他力本願、いい加減に直せ!」
一人っ子少年は、末っ子の王子に毒気付く。
親友の他力本願、おっとり、のんびり気質は、後継ぎに決まっても、なかなか直らないらしい。
仲人王子のレオ少年は、顔をゆがめると腕組みした。のんきなローエングリン王子を、正面から見据える。
先程まで、赤くなっていたのが嘘だと思えるほど、真剣な表情で。
「いいか、母上は雪花旅一座の座長の娘だ。二十年前は、歌劇『雪の恋歌』主役の『雪の天使アンジェリーク』を演じる役者をしていた。
だから、当時は『雪の天使』と言えば、母上の代名詞だったらしい」
「え、母君って、元女優なの!? ……そっか、美形揃いの雪花旅一座の血筋なら、美人で当然だよね」
「そうだ。浮世離れした絶世の美女だから、平民でも貴族に見初められて、正室になれたんだろう。
普通、平民なら側室止まりで、子供たちの貴族の戸籍も、父親が認めないからな。
正室になれた上、子供全員が貴族の戸籍を持っているオデットたちは、珍獣並の存在だ」
「そっか。オデットたちって、奇跡的な存在なんだね。と言うか、人の婚約者を珍獣って呼ぶな!」
「怒るな。すまん、すまん」
相づちを打ちながら、ローエングリン王子は思考を働かせる。
婚約者の母親は、本当に美人だ。この前のお見合いの前後に、連れ添いを亡くした貴族が、後妻にと言い寄っていたのを見たことがある。
持ち前の演技力で、言い寄ってきた相手の連れ添いへの愛を思い出させ、お互い後腐れないように上手く断っていたけれど。
元女優は、相手の心に直接訴えかけ、夢や感動を与える術を知っている。
金髪碧眼で、「雪の天使」と呼ばれた、美しい母親。
北地方で生まれ育った、正真正銘の雪の天使である、子供たちと並んでも違和感がない。
『……あれ? オデットたちって、母君と瓜二つだよね?』
王子の観察眼が、警鐘を鳴らす。違和感が無いことに、違和感を抱いた。
雪花旅一座は、国内外で有名な巡業する歌劇団。
あちこちを移動する旅一座が、北地方の貴族と同じ肌の白さを持つのは、おかしい。
「……レオはどうやって、母君の素性を知ったの?」
「本人に直接聞いた。お前の婚約者の家に滞在したときに、興味を持った。男爵夫人なのに、立ち振舞いが高位貴族なみだぞ。
あの洗練された動作は、雪花旅一座で培われたものだ。そして、子供たちに受け継がれている」
「うん、うん。お見合いのとき、王族相手に、堂々としてたよ。
親も、子供も、粗は一つもなくて、僕の両親が感心してた」
「だろう? どこの家の出身かと思って、聞いたんだ。
ライが、『あの美貌だから、きっと親戚も美人揃いで、口説きがいがあるはず!』って、騒ぐしな」
「……口説きがい? もしかして、口説いたの!? 自分の婚約者を、オデットを!」
「僕は口説いてない! 口説いたのは、ライだ!
感情がこもってなくて下手だと、母上からダメ出しを食らっていたが」
「……あのライが、ダメ出し?」
「いいか。オデットの母上は、雪花旅一座の元役者だぞ? プロ相手に、素人が敵うはずないだろう」
「あー、そう言うこと」
「いいか、復讐するなら、ライだけにしてくれ。僕は無関係だ。
命がけの遠征で、女に心奪われるライの心理状態なんて、意味不明だぞ!」
ローエングリン王子は、胸の中で呟く。
『君だって、女の子に心奪われたよね? 今でも理想の花嫁像にするくらい、影響受けてるじゃないか』
医学をかじっているローエングリン王子は、当時の親友たちの行動を論理的に推理してみた。
たぶん、現実逃避による、思考停止状態だ。
人間は極限の世界で過ごすと、平常心を失って、奇異な行動をすることもあるらしい。
「そっか、母君も、雪の天使なんだ。ありがとう、レオ。とても参考になったよ!」
「参考になったのなら、何よりだ。
親友として、もう一度忠告するが、オデットは役者の娘だから、演技がうまい。変だと思ったら、嫁にするのは考え直せよ?」
「……僕は何があっても、花嫁にするよ。北地方の白き宝は、我が国に必要だからね。
あれを手離すってことは、北国が南下してくるってことだから。
最悪、我が国は南地方に王都を移さないといけなくなるよ? 軍事国家の北国と戦って勝てるわけない。王子として、それは避けたいのが、本音だね」
「……まあな。北地方の貴族は、北国への切り札になる。三年前、北地方が北国の正規軍に占領されたとき、効果は実証済みだ。
北地方の貴族は全部死に絶えたと、北国は思っていたから、内乱の残党狩りに見せかけて、攻めてきたんだ。
だが、あの男爵家が生き残っていた。それを知った北国は、大人しく兵を引き上げてくれた」
「王家同士の密約で、北の男爵家から花嫁を貰うことが、引き上げる条件だったもんね。
王家は、最後の北地方の貴族を守る必要がある。この国の未来のために。
あの家の血筋は、王家に引き込んでいた方が良いと、僕も思うからね」
「……ロー。お前に、政略結婚を押し付けて悪かったな」
「レオ、お詫びなんて、必要ないよ。僕は損得勘定抜きで、オデット個人に惚れたんだから」
王家の微笑みを浮かべて、礼を述べるローエングリン王子。続いて、心配そうな顔になった。
一番気がかりなことを尋ねる。だって、自分が原因だから。
「ところで、人柱の花嫁はどうなりそう? 君たち家族の意見は、やっぱり、オデットの姉君?」
「……分からん。北国次第だ。僕としては、妹を指名してくれるほうが嬉しいと思う。
まだ道理が分からん幼子だ。喜んで嫁に行くように仕向ける事が可能だからな」
「仲人王子から人柱の花嫁への、せめてもの贈り物ってこと?
……恋愛結婚至上主義のレオの台詞じゃないね」
「僕だって、好きでこんなこと考える訳じゃない! ただ、オデットを救おうとした結果、別の被害者が生まれてしまうんだ。
オデットは姉妹を犠牲にしたくないから、自分が人柱の花嫁になったのに。結局、姉妹を犠牲にしてしまった」
「自分が言うのもなんだけど、王族って、本当に嫌な一族だよ。
大勢の国民を守るために、少数の国民を犠牲にしようとするんだからさ」
ローエングリン王子は、あいまいな笑みを浮かべた。黙りこんだ親友の部屋を後にしようとする。
「おい、お茶が残ってるぞ、全部飲め。オデットは、食べ物を粗末にしない」
「う、うん」
レオ少年に呼び止められ、素直に席に戻った。眉をしかめながら、東方の渋いお茶を飲み干す。
「嫌そうな顔をするな。高級なお茶を出してくれた相手に、失礼だぞ。
お前は、王族としての自覚が足りてない。ましてや後継ぎなんだ、しっかりしろ!」
「うー、お説教は今度聞くよ。またね!」
「こら、ロー!」
口うるさいレオ少年に、ローエングリン王子は憎まれ口を叩く。
言いたいだけしゃべると、さっさと部屋の外に逃げだした。
「あ、君たち、話は終わったから、部屋に戻って。それから、美味しいお茶をありがとう」
魅惑的な王家の微笑みを浮かべた。廊下で待っていたレオ少年の使用人に、愛想を振り撒く。
末っ子の王子は、子供の頃から、周囲の愛情を得ることに長けていた。
おべっかと微笑みで、民衆心理を掌握するくらい、すぐにやってのける。
「……レオって、心配性だよね。それより、雪の天使を探さないと」
ようやく手がかりを掴んだのだ。ローエングリン王子の歩みが、自然と早くなる。
オデットの母親のことを調べようと、決意した。