7話 男同士の内緒話・前編
ローエングリン王子は、物知りである宰相の息子のライ少年のところへ、やってきていた。
雪の天使について、図書館で調べてみたけれど、どれもピンとこない。
困ったときは、人に頼ればいい。ヒントを貰うだけだから、問題ないと結論付けた。
末っ子気質の王子は、他力本願な側面を持っている。
突然の訪問でも、豹のような少年は機嫌よく出迎えてくれる。侍女にお茶の準備を命じて、親友を椅子に案内する。
王子は出されたお茶を飲みながら、タイミングを図った。和やかな雰囲気になったとき、質問をぶつける。
「ねぇ、ねぇ。物知りのライは、本当の雪の天使って、知ってる?」
「本当の雪の天使ですか? あなたの婚約者のことでしょう?」
「オデット? なんで、そう思うの?」
「もしかして、知らないんですか? 北地方の美人の代名詞を。金の髪と青い瞳、そして白い肌を持つ者を指す言葉です」
「へー、そうなんだ」
それくらいは知ってると言葉には出さず、ローエングリン王子はやり過ごす。
年下を立てることも必要だと、悪友たちから学んだ。
「まあ、『雪の天使』は、色白の娘を誉める言葉として、定着していましたからね。あなたが詳しく知らないのは、当然でしょう。
王都では、金髪碧眼なんて、ほとんど見かけません。ですから、色白の娘を誉める言葉になったのです」
「んー、それはそうかも。自分が知ってる中で、王都の金髪碧眼はレオくらいかな。レオも雪の天使かぁ」
「レオは男ですよ? 肌も、オデットほどは白くありません。雪の天使は、無理があります。
第一、男のレオを将来の美人確定である、あなたの婚約者と同列に考えたくありませんよ!」
宰相の息子は、冷静に突っ込んでくる。
ローエングリン王子はお茶を飲んで、王家の微笑みを浮かべた。
突っ込まれたことを、あいまいにして欲しいという、意思表示。
親友の声なき主張を聞いた宰相の息子は、肩をすくめた。
「まあ、今後は王都の娘を『雪の天使』なんて、呼べなくなりそうですけどね。私は呼ぶのを止めました。
本物の雪の天使が、王宮を闊歩していますからね。北地方の貴族は、肌の白さが桁違いですよ」
「あー、オデットの一家って、兄君や弟君まで肌が白かったもんね」
お見合いのとき、家族揃ってやって来たオデット一家を、思い出す。
新作の白粉でも塗ってるのかと思って、それとなく家族全員を観察した。
どうやら自前らしいと、持ち前の観察眼で判断する。
男まで白粉を塗っていると考えるなんて、当時の自分はどうかしていた。
それほどまでに、肌の白さにビックリしたのだろう。
「……うん、あんまり参考にならなかった」
大した収穫も無いまま、王子は別れを告げて部屋の外に出る。豪華な装飾の施された天井を見上げて、考え込んだ。
雪の天使は見付からない。さりげなく父親に尋ねたら、教えてくれるだろうか。
心の中で自問自答する。
『うーん、きっと無理だろうな』
頭の良い父親だ。すぐに勘付くだろう。
末っ子に甘くて、今まで好き勝手させてくれたが、それとこれは別だ。
なにより、責任感の強い長女は、許してくれないはず。
婚約者候補としてすら、まだ認めてくれていないのだから。
『……道のりが遠いな。ダメ元で、レオに聞いてみようか。
でも、ロマンチストだから、とんちんかんな事を言いそうだけどね』
手がかりが少な過ぎて、挫折しそうだ。
でも、オデットへの愛を貫くためには、四の五の言ってられない。
あんまりアテにならない相手を目指して、とぼとぼ歩き始める。
ローエングリン王子は、恋の病に、かかっていた。
恋の病は、確実に王子を蝕んでいる。
*****
青い瞳を持つ、獅子のようなレオ少年は、驚いた顔でローエングリン王子を自室に出迎えた。
王子の婚約者オデットを紹介した『仲人王子』は、目付きを変える。
「おい、あいつの体調が悪化したのか!?」
王子が何も言わないうちから、レオ少年は聞いてくる。
青い瞳に宿るのは、小さな覚悟の光。
「姉君? 命に別状はないよ」
「なんだ、おどかすな。ドキリとしたぞ」
「ただね、持病の再発もあって、気力がかなり低下してる。
原因は、自分だけど。自分とオデットの婚約で、貴族から嫌なこと言われてるから」
「また、矢面に立ってるのか。兄弟を大切に思っているのは知っているが、無理し過ぎて困るぞ」
「そう思うなら、レオが言い聞かせてよ。姉君の親友でしょう?
自分がお説教しても、半分しか聞いてもらえないからさ」
「分かった。後で見舞いに行く」
あからさまに、ほっとした顔になる、獅子のような少年。
ローエングリン王子は、王家の血を持つ美少女と、一つ年下の親友の関係を不思議に思う。
責任感の強い長女と一人っ子のレオ少年は、とても仲が良い。「性別を越えた親友」だと、真顔でお互いが言った。
レオ少年の誘いでお茶会をするときは、よく美少女がレオの隣に座って、お茶を入れている。半年前から、見られるようになった光景。
ハンサムなレオ少年と、王都でも屈指の美少女。二人が並んで座っても、違和感が無い。むしろ、しっくり来る有り様。
洗練された立ち振舞いの二人が、お茶を味わい、楽しいそうに雑談する様子はお似合いで、歌劇の一場面を見ているようだった。
あまりにも仲が良いから、レオ少年は花嫁にするつもりだろうと、ローエングリン王子は思っていた。
けれど、レオ少年の婚約者候補に名前が挙げられたときに、レオ本人が断る。
「口達者な親友を、女として見られるわけないだろう。父上の考えは分からん」と、一月か前に愚痴られたことは、王子の記憶に新しい。
「あのね、レオに相談があるから、人払いしてもらえないかな?」
席をすすめられるより先に、美少女の体調を聞かれたローエングリン王子は、立ったまま切り出す。
「え? あ、すまん。おい、ローにお茶を出したあと、部屋の外で控えてくれ」
「かしこまりました」
壁際にいた侍女と護衛の騎士に、命じるレオ少年。美少女の体調が気がかりで、ローエングリン王子を席に案内することなんて、すっぽりと抜け落ちている。
部屋の主の許可を得ることを諦めた王子は、勝手にソファーに座った。
出されたお茶に視線を移している間に、部屋の中は二人っきりになる。
「レオ、このお茶って、東方のやつだよね? 水色が違うから」
「そうだ。今、一番お気に入りなんだ」
「これ、渋いから苦手なんだけど。レオは、よく飲めるね」
「お前、王子だろう。出されたものはケチを付けずに、笑顔で頂くのも王族の条件だ。
東国へ行った時に、絶対、そんなこというなよ。外交問題になるからな」
「……分かってるよ」
正面のソファーに移動してきたレオ少年は、座りながらローエングリン王子を睨む。後継ぎの自覚がまだ薄い、末っ子の王子を、自覚バリバリの一人っ子は注意した。
レオ少年の視線は、机に置かれたティーポットに向かう。おもむろに蓋を外すと、中を覗き込んだ。
「おい、ロー、さっさと飲みほせ。まだ一杯分残ってる。 お前が飲まないなら、僕が飲むぞ」
「だから、渋いのが苦手だから、すぐには飲めないって。レオが飲んでよ」
「やれやれ。このお茶は、最後の一滴まで出しきっておかないと、二回目に入れたときの渋みが増すんだぞ」
手間のかかる相手を一瞥して、ティーカップに手を伸ばしたレオ少年。優雅に黄緑色のお茶を飲んでしまう。
二杯目のお茶を注いだあと、外していたポットの蓋を、少し横にずらして戻した。
「レオ、何やってるの? ポットが冷めるよ?」
「うん? こうやっておけば、茶葉が蒸れずに済むから、二回目も美味しく飲めるらしい。クレアが教えてくれた」
「あー、東国へ行ってた、東の侯爵家の姫君ね。
うまく、やってるみたいだね♪ 婚約も秒読み?」
「……クレアは、おばあ様の親戚だ。親戚付き合いをするのは、当たり前だぞ」
「でも、君の婚約者、最有力候補だよ?」
「……女は魔物だ。可愛い顔して、いつ豹変するか分からん! じっくり見極めんと、後悔するのは、僕自身だからな」
レオ少年は、仏頂面になった。腕組みをすると、ローエングリン王子を見据える。
一月前に、二人の美少女の心を射止めようとして失敗した経験は、レオ少年の心に深い傷を残した。
ローエングリン王子は、苦手なお茶に口をつけながら、年下の親友を観察して、心の中で結論付ける。
『軽い女性不信に、なってるみたい。仕方ないけどさ』
ローエングリン王子も、愛しいオデットが、他の少年に色目を使って逆ハーレムを作ったりしたら、レオ少年のようになるだろう。
王子の心の内など知らず、腕組みした獅子は、親友に忠告する。
「お前に言っておくが、女の動向には注意しておけよ。変な徴候があったら、嫁にするのは考え直せ。
特にオデット姉妹は、演技がうまい。男を手玉に取るなんて、簡単にできる女たちだからな」
「……自分に紹介したのは、レオだよね? 演技するって知ってて、なんで見合いさせるのさ!」
「ライが、オデットが医者になりたがっているって、僕に言うからだ。
父上たちは、北国へ輿入れさせるつもりだったのに、ライのせいで計画が中止だぞ」
ローエングリン王子は、顔をしかめると苦手なお茶を机に置いた。
不機嫌丸出しで、家族や親戚ぐるみで、政略結婚を計画していた親友を睨み付ける。
「なんだよ、その視線。お前だって、北国の王家が北地方の貴族を嫁に欲しがっているのは、知っているだろうが」
「……知ってるけど、レオらしくないよ! 君は、恋愛結婚至上主義で、政略結婚が嫌いだったじゃないか」
「だから、お前との見合いを実現させたんだ! 王子の嫁になるなら、北国の王家だって口出しできんからな」
「……それが、レオの本音?」
「あいつらを、僕も、ライも、弟や妹のように思って、可愛がっているんだぞ。幸せにしてやりたいのは、当然だろうが!」
仏頂面のレオ少年から、本音がダダ漏れになる。
一人っ子は、兄弟が欲しくてたまらない。オデットの兄弟は、格好の相手だった。
宰相の息子のライ少年と、いとこのレオ少年は、三年前にオデットの一家と知り合う。
貧乏男爵家の五兄弟は、地獄のような環境の中で、健気に生きていた。
当時、北国の内乱の余波で、北地方には難民が溢れていた。食料争いで住民と難民が衝突を繰り返し、そこに敗走してきた落武者が加わって、北地方のあちこちで暴動が多発。
各地の領主一家に怒りの矛先が向き、北地方の貴族たちは王都へ逃げした。
その中で、唯一領地に留まっていた貴族が、オデットの一家である。
「半年間、あの男爵領地で過ごしたから、あいつらの苦労は知ってる。
僕がどれだけ傲慢で、世間知らずだったか、思い知った。 人生観がひっくり返ったんだからな!
お前だって、一緒に来てたら、僕と同じ事を言ったと思うぞ」
「……北地方は行けないよ。まだ行く勇気がないから」
「お前の兄上が亡くなった場所だからな」
ティーカップを手に持ち、うつむいままのローエングリン王子。
レオ少年は、兄のことを思い出して、悲しげな年上の親友から視線を反らすと、二杯目のお茶に手をつけた。
親友の気を紛らわせるように、ぽつりと言葉をつむぐ。
「ロー、お前は、自分の幸せだけを考えろ。後のことは僕らがなんとかする」
「後のことって……?」
「新しい『人柱の花嫁』に決まってるだろう。お前は政治なんて分からないんだから、僕たちに任せておけ」
気を使って、笑いながら言う、レオ少年。ローエングリン王子には逆効果だった。心に傷をつける。
人柱の花嫁は、必要だ。春の国の平和な未来を守るためには。
オデットが人柱にならなければ、別の誰かが、人柱になるだけ。
恋の病にかかって、オデットを助ける正義の味方気取りだった王子は、そんな当たり前のことにすら、気付いていなかった。
顔が青ざめていく。うつむき加減になり、声が震えた。
「……自分のせいだね? ハクをつけるためのお見合いだったのに、本気で恋しちゃったから」
「お前を責めるつもりはない。僕は、お前とオデットは似合うと思っていたからな。むしろ喜ばしいぞ。
だが、『また人柱の花嫁を選ぶのか』と、宰相のおじ上が苦悩していた。おじ上が倒れないか心配だ、そのときは頼むぞ。医者見習いのお前が診てくれ」
「……ライの母君って、人柱の花嫁として、西国からよこされた姫君だったよね?」
「そうだ。おじ上は王女がかわいそうで、あちこち連れ回してたら、いつの間にか恋仲になっていたらしい。
おじい様は最初は怒ったが、初代仲人王子だから、最終的には許したんだ。
きっと、おじ上は、全面的にお前の味方になってくれる。だから、大船に乗ったつもりでいろ」
「……うん」
医学に打ち込んだローエングリン王子は、政治にうとい。どうすれば良いかなんて、全然分からない。
今できるのは、親友を心配させないことだけ。
感情を隠す仮面、王家の微笑みを浮かべて、顔を上げるしかなかった。