6話 姉からの宿題
王宮に滞在していた、北地方の新興伯爵家。ついに領地に帰る日がやってくる。
王宮の豪華な出入口では、悲しみにくれるローエングリン王子の姿があった。
「姫君、もう領地に帰るなんて! なんて時間は残酷なんだろう……」
「私も、王子様ともっと一緒に過ごしたいです。けれども、領地で祖父母と民が待っておりますので。
一刻も早く、幸せを報告したいのです」
太陽の光を集めたかのような、輝く金髪の少女は、微笑みを浮かべる。
湖面のごとき、きらめく銀髪の王子は、少女の手を握って離さない。
「王子様、お手をお離しください。ね?」
小首を傾げながら、困った顔になる少女。別れを惜しむローエングリン王子は、小柄な相手を抱き締める。
ようやく巡り会えた運命の恋人、オデットを離したくなかった。
「……僕も一緒に行く。姫君の領地に!」
王子は思い付きを叫ぶ。恋の病は、確実にローエングリン王子を蝕んでいた。
「おバカなことを言わず、手を離してください。オデットも、さっさと馬車に乗って」
冷たい声がした。二人の仲を認めてくれない、冷たい声が。
ローエングリン王子の手をつかみ、二人の世界を作らせない。
「姉君、邪魔しないでよ!」
「邪魔します。王子が公務放棄など、何を考えているのですか?
それから、そんなに強く抱きしめては、オデットが潰れてしまいます」
「あ、ごめん! 大丈夫?」
「え、ええ」
冷たい声の主の一言で、我にかえる王子。
小柄なオデットの体は、王子の腕の中にすっぽり収まる大きさだ。力強く抱きしめられて、息が少しつまりかけていたらしい。
「オデット、早く領地に帰ってください。もうすぐ冬が来ます。戻れなくなるでしょう? 家族揃って、遭難するつもりですか?」
王家の血を持つ美少女に冷たくあしらわれ、オデットは馬車に顔を向ける。足取り重く、乗り込んだ。
オデットは諦めきれず、馬車の窓から手を伸ばす。ローエングリン王子と、名残惜しげに手を繋いだ。
「馬車を出してください」
無情に響く、出発の合図。雪のような冷たい声が急かした。
石畳を蹴って、馬は歩き出す。一歩、一歩、王都から離れていく。
自然と繋いでいた手はほどけ、ローエングリン王子は、愛しい恋人と離ればなれになった。
「さて、部屋に帰りましょうか。あなたとは、話したいことが、たくさんありますからね」
「……うん。分かってるよ、姉君」
馬車が見えなくなったことを確認した美少女は、背の高いローエングリン王子を見上げる。
冷たい声に含まれる、怒りの響き。
背の低い美少女の眼力に圧倒され、ローエングリン王子は生唾を飲み込んだ。
*****
「おい、ロー! 生きてるか?」
「部屋に入れてください!」
「……生きてるよ、二人とも入って」
さっきまで、美少女と会話していた、ローエングリン王子。声に、覇気がなかった。
机に突っ伏したまま、親友二人を出迎える。死んだ魚のような眼差しを向けた。
「……こっぴどく、叱られたようだな」
ローエングリン王子に、同情の視線を向けながら、レオ少年はイスに座る。
侍女にお茶の準備を頼んだ後、宰相の息子のライ少年も机を囲んた。
「いやはや……彼女を怒らせたら、毒舌が炸裂しますからね」
「むしろ、賭けに出たツケが、この程度で済んでよかったと思うぞ」
「恋人が領地に帰る直前に、国王の前で勝手に婚約発表しましたからね。ローにしては、頑張ったと思いますよ」
「ようやく嫁が一人決まったんだ。めでたいじゃないか」
「五年間探し続けて、やっとですからね。
オデットを紹介したのが仲人王子のレオですし、『もう今後、ローエングリンの仲人はしない』と口添えすれば、貴族も一旦口を閉ざすでしょう」
「王子の嫁探しは、国家レベルで大問題だからな」
好き勝手言い合う親友たちに、答える元気も無い。ローエングリン王子は、無言だった。
「おーい、ロー。起きろ、お茶でも飲んだらどうだ?」
「生ける屍と化しているから、無理でしょうね」
「家族とどんな話をしたか、教えてくれ。むしろ、正式に認めてもらえたのか、気になるぞ!」
何度も催促する、獅子のような少年。しつこい相手に根負けして、ローエングリン王子はノロノロと動き出した。
「一応、仮婚約を認めてくれたよ。でも……側室前提。姫君は伯爵になったばかりで、元は男爵の血筋だからね。
自分が、両親をきちんと説得できないと、国民に正式な婚約発表はできないと思う」
話を聞いたとたん、獅子のような少年は、金髪が乱れるのも構わず一気に動いた。
ローエングリン王子の両肩を掴むと、思いっきり揺さぶる。
「認められたのか? 一応、婚約者と認めてくれたんだな!
良かった、良かったぞ、本当に! ロー、根性あるじゃないか。見直したぞ!」
ガクンガクンと揺れる、王子の視界。死んだ魚のような眼差しは、部屋の中を無茶苦茶に写す。
「レオ、止めてください! ローが壊れます! あなたたちも手伝って」
手荒な歓迎に目を丸くしたライ少年は、控えていた近衛兵に声をかけた。
三人がかりで、興奮した獅子を引き剥がす。
目を回したローエングリン王子は、気分不良で、寝室に運ばれた。
「レオ、やりすぎです!」
「すまん」
レオ少年は緑の瞳を持つ豹に怒られ、ショボくれた獅子になった。
目を回したローエングリン王子は、二人に肝心なことを伝えられなかった。
王家の血を持つ美少女には、婚約者候補としてすら、認められていないことを。
*****
オデット一家が帰ってから、五日が過ぎた。
王家の血を持つ美少女の機嫌と体調が、急行直下を辿る。
あちこちの貴族から、嫌みを言われているらしい。ローエングリン王子の婚約発表の件について。
とうとう心労がたたって、自室で臥せってしまった。
ローエングリン王子は、遠慮がちに美少女の部屋の扉を叩く。
活気の無い声で、「どうぞ」と入室の許可が降りた。
「……姉君、気分はどう?」
「あまり良くありません。あなたのおかげですね」
ベッド上で身を起こして、つんけんどんに答える美少女。これは虚勢だ。
五日前の眼力は、どこにもなかった。青い瞳に元気な光は見てとれない。
ローエングリン王子は知っている。
沈着冷静で現実主義の美少女が、本当は周囲に気を使う繊細な性格だと。
他人に迷惑をかけたくが無いために、勝ち気に見せかけて、限界近くまで無理を通す性格だと。
「痛みがひどいんでしょう? 痛み止めの薬を持ってきたんだ。ほら、自分が調合したから飲んでよ」
「……お見通しですか。正直、夏の体調に逆戻りしたようです」
「だろうね。ほっといたら、また血を吐くかもしれないよ? 今度こそ、天国に行くかもね」
「脅かさないでください。医者見習いのあなたに言われると、生きた心地がしませんよ」
「ふふっ、必死で勉強したからね。大人の医者にも負けるつもりは無いよ」
ベッド脇にイスを引っ張ってきて、ローエングリン王子は腰をおろす。
冗談の応酬をして、二人は笑った。
子供の頃の王子は勉強熱心では無く、親友たちと王宮を抜け出して、遊び倒したやんちゃ坊主だった。
やんちゃ坊主が、心を入れかえるきっかけ。それは、憧れの兄の病死。
眠り病で兄を亡くしたあと、ローエングリン王子は別人のように、帝王学や医学の勉強に打ち込んだ。
美少女が薬を飲み終えたのを見届けた王子は、ベッドに横になるように促す。
布団をかけ直すと、弱っている相手を見下ろした。ぽつりと話しかける。
「オデットの肌は雪のように白いけど、姉君も白いよね。血の気が無くて青白い、完全に病人の肌だよ。
分かってる? 無理し過ぎって。このままじゃ、天国へ行っちゃうよ?」
「……善処します」
ローエングリン王子は、ため息を吐く。美少女は、なかなか頑固な一面を持っていた。
責任感の強い長女は、きっと王子の言うことを半分しか聞かない。
しばらくの沈黙を挟んで、か細い声が聞こえる。力を失っている青い瞳が、王子を見上げていた。
「オデットに執着するのは、『白き宝を守る雪の天使』だからですか?
北地方の貴族の娘を王子の花嫁にすれば、春の国の利潤は、将来も保証されますからね」
「……政略結婚なのは、認めるよ。貴重な塩の産地は、この国に絶対必要だから。
『白き大地の白き宝を制する者は、国を制する』って、王家の古き言い伝えは知ってるし」
弱っていても、美少女の現実主義は変わらない。淡々と、淡々と言葉をつむぐ。
未来を夢見ることを諦めた瞳は、冷たく王子を見上げていた。
王子は、グッと息を吸い込む。力強い言葉に変換した。
「でもね、オデットに決めたのは、別の理由だよ。『命の尊さ』を知ってる女の子だから!」
冷たく見上げる青い瞳と、視線を合わせる。心のうちを白状する。
「姉君、オデットは医者になりたいって言ってたよ。知ってるでしょう?」
「知っています」
「大切な人たちが眠り病で亡くなったって、悲しげに言ってた。自分と同じなんだ!」
「そうですね」
虚勢をはる必要が無いと悟った美少女は、素直に目を閉じた。
耳だけを傾けて、ローエングリン王子に答える。
「大切な人をもう失いたくないから、絶対に医者になって助けるって、言ったんだよ!」
オデットは、ローエングリン王子と同じ夢を持っていた。
会話出来たのは、ほんの数日だけれど、運命の花嫁だと王子は確信する。
「姉君、親より先に天国に行くなんて、親不孝だよ。
約束して。自分たちの結婚式を見届けてくれるって!」
ローエングリン王子の口調が強くなる。
生きて欲しかった。兄のように死んで欲しくなかった。
春先に二回も血を吐いて、美少女は倒れた。その上、暑さに弱いため、夏の間はベッド上で療養生活を強いられる。
体の弱さは、王宮の医者の折り紙つき。ローエングリン王子は、本当に心配だった。
「あなたと共に……ふぁあ……失礼。医学の道を歩んでくれる伴侶です……か」
美少女の意識が、途切れがちになる。薬の作用で、眠気が襲ってきた。
まだ眠れない。ローエングリン王子に、告げなくてはならないことがある。
まぶたを開けると、王子を見上げた。微かながら宿る、真剣な光。
自分は夢見ることを諦めてしまったけれども、王子たちは夢に向かって歩いている。
少しくらい後押しして、応援してみようか。
「姉君。もう寝てて良いよ?」
「一度しか言いません、よく聞いてください。
雪の天使を探すことです。それが父君と母君を納得させ、オデットを正室として婚約できる唯一の道」
「……雪の天使を探す?」
「この国の王子なら、春の国の王子なら、白き宝のもう一つの意味を知っていて、当たり前のはず。
ですが、あなたの態度を見ていて、知らないと判断したから、教えました」
「……もう一つの意味?」
「あなたは、医学に精通して、観察力のある王子ですからね。辿り着けると思いますよ。
真実にたどり着けたら、私も、婚約者として認めましょう」
そこまで言うと、美少女は微笑みを浮かべる。
儚くて、今にも消え去りそうな雰囲気に包まれていた。
語るべきことは、もう無いと、青い瞳を閉じた。ローエングリン王子が静かに見守っていると、夢の世界に旅立つ。
規則正しい寝息が聞こえるのを確認して、ローエングリン王子は部屋を出た。
夕日の射し込む廊下を歩きながら、王子は考え込む。
「雪の天使って、オデットのことだよね?」
雪の天使。
それは、雪深い北地方の美男美女の代名詞。金髪碧眼で、色白肌を持つ者を指す言葉。
北地方で生まれ育ったオデットは、雪の天使の条件を全部満たしていた。
「……探せって、意味分かんない」
ブツブツと呟きながら、早足で歩き出す。
なんとも不可解な宿題を出されたものだ。