5話 盗み聞き
明日、オデット一家は、領地のある北地方へ帰ることになった。
領地を離れて早十日。一週間ほどの旅行の予定は、二週間に伸びてしまった。
王家から領地へ使いは出したが、留守番をしている祖父母から、冬の訪れを心配する手紙が届く。
手紙を読んだ新興伯爵家の当主は、家族に早く帰るように命じた。
ローエングリン王子は、オデットと近衛兵を伴い、庭へ移動する。二人で、最後の散歩をするつもりだった。広い庭の中に入り、楽しげに会話しながら、歩みを進める。
王子の視界に、ヒソヒソと相談している別の近衛兵たちの 姿が目に止まった。近づき、声をかける。見知った近衛兵が答えた。
「ねぇ、君たち。ソワソワしているみたいだけど、どうかしたの?」
「ローエングリン様! この先へ、二人で進むとおっしゃられまして。『人生相談をするから、待っていろ』と命じられました。
かなり時間が経過しておりますので、どうしようかと相談していた次第です」
そう言いながら、困り顔で答える近衛兵。チラチラと奥に目をやる。命令されれば待ちはするが、気がきでない様子。
「もう……仕方ないな。自分が見てきてあげるよ」
「まことですか! よろしくお願いいたします」
近衛兵たちの表情が、すがるように明るくなった。
「えーと、君たち、彼らと一緒にここで待ってて。人生相談ってことは、人払いしたいはずだから。
ちょっと時間がかかるかもしれないから、そこの長イスに座ってて」
「はっ」
「あ、君たちもそこで座ってるといいよ。ローエングリン王子に命じられたって、答えるんだよ」
「お心遣い、いたみいります」
「じゃあ、姫君、行こうか」
「え? 私も、ここでお待ちします」
「大丈夫。この先に、姉君が居るみたいだから」
ローエングリン王子は、自分の近衛兵にも、入り口で待機するように伝える。先客の近衛兵と共に、長イスで座っているように命令することも忘れない。
戸惑うオデットの手を離さず、歩き出す。木々の生い茂る中を、ゆったりと進んでいった。
*****
庭の奥から、話し声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。
「おい、僕が側室を持つことは変か?」
「……なぜ、それを私に聞くんですか? あなたが必要とするなら、構わないと思いますけど」
「ローに、女の本音を聞いてこいと言われた。お前以外の年頃の女には、聞けん。うかつに聞いたら、僕の嫁になれると勘違いされてしまうからな」
話の内容を理解したローエングリン王子は、足を止めた。
ずいぶん、込み入った内容のようだ。二人っきりになるための単なる口実かと思ったが、本当に人生相談らしい。
大人しくついてきていたオデットを見下ろし、口元に人差し指を当てる。静かにという合図。
「なるほど。世間一般の女性の常識としては、側室を持って欲しくないでしょう。
複数の伴侶を持とうとするあなたの行為は、先日、あなたが愛そうとした二人のご令嬢たちと同じ行為ですから」
「僕はあいつらみたいに、優越感に浸って、女を侍らしたりしないぞ! 子供がたくさん欲しいだけだ。
子供が一人っ子じゃ、もしも亡くなったときに、後継ぎ問題が大きくなる」
「あなたがどう思っていようと、周囲からは、侍らして見えると理解してください。
女性の神経は、あなたが思っているよりも図太いですからね。敵を蹴落とすために、暗殺くらいしますよ?
先日のお二人の場合は、そこに至る前に解決できたので、良しとすることです」
「……お前、とことん現実主義だよな。しかも変に前向きだし」
「お褒めいただき、光栄です」
ローエングリン王子は、会話の内容に、眉を寄せる。
どうやらレオ少年が、先日の王子との会話を覚えていて、本当に「女の本音」を聞いていたようだ。
相手は、沈着冷静な現実主義者。王家の血を持つ、美少女で間違いない。
「確認しておきますが、伴侶をたくさん持つことは、あなたの本音では無いでしょう?
あなたは、ご両親のように、たった一人の女性を愛して婚礼をあげるのが夢だと、昔からおっしゃっていましたからね」
「……まあな。嫁は一人でいい。運命の相手と恋人になって、周囲から祝福されながら結婚する。それから、子供は最低二人だな」
「その辺にしてください。あなたの妄想を長々と聞かされるのは、苦痛になってきます」
「お前、相変わらず付き合い悪いな。僕は理想を語ってるんだぞ!」
「あなたの理想の未来は、あなただけのものです。私の物では、ありません。
ロマンチストのあなたと、現実主義の私の意見は、なかなか交わらないと知っているでしょう」
感情的な獅子のいかくを、冷たい声が制する。淡々と、淡々と。
「本当に腹立つ女だな! 夢を語るのは、楽しいのに」
「未来を語ることなど、とてもできませんよ。私が見るべきは未来では無く、現在です。今だって、痛みを感じていますから」
「……また血を吐きそうなくらい、ひどいのか?」
「大丈夫です」
「お前の大丈夫ほど、あてにならん物はないぞ」
「たかが、吐血したくらいで、おおげさですね。あのくらいの出血で、死にませんよ」
「お前の基準は、不明だ。普通の人間は血を吐かないと、理解しているのか?
あの血の海を見てから、ローみたいに深く医学を学べば良かったと、思うことも多いぞ」
不機嫌な獅子の唸りに対して、体の弱い美少女は無言だった。
オデットは、ローエングリン王子の服を引っ張った。ものすごく心配そうな表情で、見上げている。
王子はオデットの耳に口を寄せるとささやいた。
「今は血を吐いたりしないから、心配しないで。僕が責任持って、姉君を治療してるからね」
オデットの心配顔は直らない。ローエングリン王子は、ぽんぽんと背中を軽く叩いてなだめた。
そうこうするうちに、レオ少年は、話題の転換をはかったようだ。医学繋がりで、ローエングリン王子の名前が出てくる。
「……なあ。お前は、ローエングリンとオデットの件は、どう思っている? 僕はお似合いだと思うが」
「反対します。雪の国との戦争になったら、どうするのですか?
王侯貴族の娘は、政治を円滑にするための道具に過ぎません。たった一人の犠牲で争いが避けられ、国中の大勢の者が助かるなら、喜ぶべきこと。
北地方の白き宝、陸地の塩の産地を守るのは、雪の天使の義務であり使命です。
オデットも、それを理解しているから、自ら『人柱の花嫁』になることを選んだのですよ」
レオ少年と美少女の会話を聞いていたオデットは、体を小さくする。青ざめた顔で、ローエングリン王子と繋いだ手に、力が込められた。
王子はオデットを黙って引き寄せ、両腕で抱きしめる。辛い現実から守るように。
「難しい問題だ、頭が痛くなるな。国家間の利害関係が絡むから、お前は反対する。
だが、ローの嫁が決まらないと、国内が乱れるぞ。僕の家族や親戚は、それを危惧している。
王家の権力狙いで、十才以下の娘を、ローと見合いさせようと考えている貴族が水面下で動きだした」
「十才以下? さすがに無理があると思いますけど」
「……オデットは、栄養不足で成長が遅いからな。外見年齢は、九才か十才くらい。
ローが、そんなオデットを『正室にしたい』と興味を示したから、『ローエングリン王子は幼子が好みだ』と勘違いした貴族が多いようだ」
「外見と違うんですか? 私は、母親似で将来、絶世の美女になりそうだから、オデットに興味を持ったのだと思いました。
親戚であるあなたも、お顔の美しい女性を婚約者に選ぼうとしましたしね」
「うるさい! あいつの場合は、外見よりも、人柱の花嫁になる女自身に興味を持っている。
つまり、オデットの献身的で控えめな内面が、物静かで落ち着いているローの好みだったんだ。
しかし、外見しか考えないアホどもは、それを見抜けん。お前のように判断するやつが多くてな!」
「……王宮に幼子のお見合い行列が出来たら、困りますね。あはは」
さすが、仲人王子のあだ名を持つレオ少年。親友のローエングリン王子の好みを、的確に見抜いていた。
美少女の声が、ややトーンダウンする。乾いた笑い声が聞こえた。
身を固くして聞いていたオデットは、ローエングリン王子を、そっと見上げる。
惚れた部分をズバリと指摘され、王子の顔は赤くなっていた。目が合うと、あわてて反らす。
オデットは恋する乙女の視線になって、雪の天使の微笑みを浮かべた。
「とにかく、お前は二人のことに口出しするな、ややこしくなる。外交関係は強いが、色恋沙汰は苦手分野だろうが。
そのあたりは、僕やライに、任せておけ。ローにとっては、お前よりも、よっぽどアテになるからな」
「はいはい。得意分野である、あなたたちに、丸投げしておきますよ。
ですが、オデットの北国への輿入れは、前提条件ですからね。この国の未来のためです、お忘れなく」
「……分かっている」
レオ少年の込み入った人生相談は、終わったようだ。オデットの弟や妹の好きなお菓子やおもちゃについて、話題が移っている。
オデット一家が王宮に滞在している今、 一人っ子のレオ少年にとって、兄弟ごっこをするチャンスらしい。
深刻な話の終了を察したローエングリン王子は、オデットを抱きしめていた手を離した。
腰をかがめて、火照った顔を近づけると、オデットに耳打ちする。
「姫君、今聞いた話は内緒だからね。誰にも言ったらダメだよ。
レオなら、絶対に助けてくれるから、安心して」
「……はい、誰にも言いません。王子様と私の秘密ですね?」
「うん、君が察してくれる女の子で助かったよ。
それから、僕の顔が赤いのは、『外が寒くて風邪を引きかけているのかもしれない』って、事にしておいて。レオたちに声をかけて、王宮へ帰ろう」
「はい、王子様。お心のままに」
「本当にありがとう、姫君」
内助の功という言葉が似合いそうなオデットは、雪の天使の微笑みを浮かべて、素直に頷く。
十才くらいの外見に騙されそうだが、中身は十三才だ。その上、この春の国と、北国との力関係をもう理解している、賢い少女である。
微笑みの奥に、王家と貴族の関係、そしてローエングリン王子の置かれている立場を心配する感情を押し込めた。




