4話 背徳の恋
背徳的な秘密の恋は、燃え上がる。
ローエングリン王子の親友、ライ少年が言った言葉だ。
現在の王子を、そのまま指し示す言葉でもある。
北国へ輿入れする予定のオデットを、自分の花嫁にしたいと願ってしまったのだから。
でも、王家の血を持つ美少女に、現実を突き付けられて、散々叩き伏せられた。顔を会わしたくなくても、向こうが勝手にやって来て、容赦なく正論を並び立てる。
道ならぬ恋をしてしまったローエングリン王子は言い訳できず、うなだれるしかなかった。
そして、オデットを正室にしたいと言う言葉を口にするのを止めた。
オデットと呼ばず、姫君と呼び方も改めた。
ローエングリン王子は、現在、王宮のダンスホールでオデットと踊っている。
「姫君、ステップが違うよ。右足は引くんだ」
「こうですか?」
「うん。もう一度、やってみようか」
モテない代表のローエングリン王子は、真面目。真面目ゆえに、オデットをエスコートしながら、様々なダンスの練習に励んでいた。
恋の駆け引きが得意な、モテる代表ライ少年が、提案したのだ。
「ロー、ダンスの練習相手をしたら、どうですか? 王妃教育の中にも、ダンスの授業はあります。
それにオデットは北国の王家へ輿入れするのですから、王子が相手をすれば、よき練習になるでしょう」
「それもそうだね。王立学園から帰ってきたら、オデットを誘ってみるよ」
「何を言っているのですか? ローがしばらく学園を休んで、練習するべきでしょう?
北の伯爵一家が王都に滞在する期間は、限られているんですよ」
「えー、学園を休むなんて、不良だって!
それに、ライやレオの方が踊り慣れているよね?」
「大丈夫です。私の父上経由で、手を回しておきますから。宰相の息子を甘く見ないでください。
別の理由としては、私やレオが相手をしたら、また虜になる娘を一人増やしてしまいますよ。
北国へ輿入れせず、私たちの花嫁になると言い出したら、本末転倒ですからね」
「あっそう。まあ、ライなら口説き落としそうだよね。
わかった、自分が相手をするよ。この国の王子としてね」
合法的に二人の密着度を高められる方法として、ライ少年は親友の王子のために提案した。
けれども、真面目なローエングリン王子や、世間知らずな田舎貴族のオデット一家は、言葉の通りに受けとめてしまう。
ダンスの講師の指導のもと、短期間の特訓が始まった。
「一、二、三、ターン。はい、完璧ですよ!
オデット嬢、素晴らしい♪」
「恐れ入ります。先生の手本と教えが素晴らしいからですね」
講師に誉められ、雪の天使を浮かべて淑女の礼をする。
オデットは、か細い外見に反して、運動神経がとても良かった。古来の難しいステップを、完璧に踊ってみせる。
どこぞの王女級の仕草や踊りを披露する、田舎貴族の元男爵令嬢。ローエングリン王子は純粋な疑問を持って、オデットに聞いてみた。
「オデット……じゃなかった、姫君って、古来の難しいステップを踊れるんだね。驚いたよ」
「驚くことですか? 歌劇では、古来のステップしか踊りませんよ?」
「あー、歌劇ね。姫君って、本当に歌劇が好きなんだね。会話してると、時々歌劇を引き合いに出すから」
「はい、大好きです。雪花旅一座の皆様のように、歌って踊れるよう、兄弟たちと頑張っていました」
「そっか。姫君も、雪花旅一座が目標なんだ。
王都の貴族の女の子たちも、雪花旅一座のように踊れるようになりたいって言ってたから」
春の国、先代国王夫妻は、熱狂的な雪花旅一座のファンだ。王族たちは影響を受けて、歌劇好きが多い。
ローエングリン王子も、親友に誘われたときは、王立劇場へ一緒に見に行っていた。
春の国で最古の歌劇団である、雪花旅一座は、世界一の呼び声高い、実力派集団。
地域密着型の歌劇団が多い中、各地を巡業する旅一座なので、あちこちへ赴く。
オデットの故郷のような、小さな男爵領地にも来ることがあり、歌劇を通じて子供たちに夢を与えていた。オデットも、夢見た一人。
また、巡業旅一座の強みを生かして、他国の王家の招きで、王都へおもむいて公演することもある。
一番有名なのは、内戦が起こるまでは二年に一度必ず呼んでいた、雪の国の分家王族、南の公爵であろう。
ダンス練習を提案したライ少年の手回しはよく、王宮専属楽士たちがダンスホールに現れた。
演奏の練習をするなら、ついでにローエングリン王子のダンス練習に付き合って欲しいと、国王陛下から命じられたらしい。
ダンス講師の目の前で、一流の音楽家の曲にあわせて踊り始める二人。
古来の難しいステップを完璧に踏めるオデットは、ローエングリン王子の相手としては申し分ない。
ローエングリン王子は、オデットと歌劇の舞踏会のような、楽しい時間を過ごした。
王宮専属楽士たちの帰宅時間が近づき、ダンス特訓は終了を迎える。
講師と楽士にお礼を述べ、 洗練された動作で、同時に一礼する二人。息がピッタリで、傍目には、とても仲の良い兄と妹に見えた。
壁際に控えていた近衛兵たちからは、ねぎらいの拍手と笑顔が送られる。
「姫君、今日はお疲れ様。相手をしてて、楽しかったよ」
王家の微笑みではなく、一人の青年として、年相応の笑顔を浮かべたローエングリン王子。
なにげなく、王子としていつもの癖が出た。オデットを抱きよせ、目を閉じると、軽く頬に親愛の口づけを落とす。
「ローエングリン様、なんてことを!」
「え? あ!」
壁際の近衛兵から、慌てた声がした。
声で目を開けたローエングリン王子は、オデットを見下ろして、しまったと言う顔をした。
真っ赤になったオデットが、彫像と化している。
「ど、どうしよう?」
「きちんと弁解することです。お見合いのときみたいに、泣かれますよ」
「……うん。とにかく、椅子に運ぶよ」
冷や汗を流しながら、お姫様抱っこでオデットを壁際の椅子に運ぶローエングリン王子。
王子や近衛兵の脳裏に浮かぶのは、お見合いで別れ間際の騒動。
*****
オデットにお礼と別れを告げられたローエングリン王子は、長イスから立ち上がり、王子として、額に親愛の口づけを贈った。王都に住む王侯貴族にとっては、ありふれた挨拶代わりの口づけ。
けれども、田舎育ちのオデットにとっては、衝撃的な行動だった。赤面して、動かなくなり、彫像と化す。
慌てた王子は、とりあえず、長イスに座らせると気が付くのを待った。
三十分後、ようやく意識を取り戻したオデット。人目もはばからず、ポロポロと泣き出す。
「ちょっと、なんで泣くわけ?」
「もう、お嫁に行けません!」
「なんで!?」
泣きじゃくるオデットをなだめる羽目になった、ローエングリン王子。あたふたとして、モテない男の醜態をさらす。
三十分後に、ようやく話せるようになったオデットは、王子を睨んでいた。
冷や汗をかきながら、改めて尋ねる王子。オデットの怒りの目線に気圧される。
「えーと、なんで泣くの?」
「王子様は、ひどいお方です! まだお見合いの席なのに、夫婦の愛情表現をなさるなんて!
あのような不義をされて、平気でいられるはずないですわ!」
「なんで、あれが夫婦の愛情表現になるの? 不義って、なにさ! 君は、おおげさすぎ!
第一、顔への口づけは、親愛なる相手への挨拶だよ。さっきのは、別れの挨拶」
「別れの挨拶? あり得ません。親愛なる口づけは、愛する人へ行うものです!」
断言されたローエングリン王子は、分からず屋の不思議ちゃんに辟易する。
ヒステリーを起こす相手と話すのが面倒になった。投げやりに、質問する。
「じゃあ、オデットの言う挨拶って、なんだよ?」
「紳士淑女の礼に決まっています! 古来から伝わる、基本中の基本ですよ!
王子様は、他国の王妃様が来られたら、先ほどのような親愛の挨拶をするのですか?」
「……しない、しないね。そんなことしたら、外交問題になるよ」
「分かっているのなら、金輪際、なさらないでください!」
「ごめん、気を付ける。君があまりにも印象的で、自分の心に残った女の子だったからさ。思わず、やっちゃたんだよ。
言っとくけど、自分は誰にでもやるわけじゃないよ。本当に気に入った相手だけ。それだけは、信じて」
年下のしかも、たった十三才の少女に、正論で論破されるローエングリン王子。
オデットは、十五才になれば、他国の王家へ輿入れする予定の少女だ。嫁入り前に、王子にこんなことをされれば、不義と糾弾しても仕方ないだろう。
モテない代表のローエングリン王子は、つい本音を口走ると顔を横に反らした。
王子として、人柱になる花嫁が居るのは知っていた。
この国の未来のために、北国との関係を良くするために、その身を捧げる人物。
けれども、ローエングリン王子にとっては、会ったこともない他人。遠い所にいる他人。
はっきり言って、自分には関係ないと感じていた。
まさか、人柱の花嫁になる人物が、こんなに儚い外見で、あどけない娘だとは思わなかった。
自らの運命をもう悟り、受け止めて、年上の王子に気を使うような、大人びた少女。
ローエングリン王子は、王子なのに、人柱の花嫁を助けられない。
自分より年下の相手を幸せな未来に導くのではなく、医者になりたいという夢あふれる未来を、奪ってしまわなくてはならない。
……本当に情けなかった。
それでも、オデットの顔を見ようと、反らしていた顔を正面に向け直す。
再び、顔を赤らめ、もじもじしている少女がいた。オデットは、か細い声で尋ねてくる。
「あの……王子様は、私を花嫁にしたいのですか?
心に残った女の子で、本当に気に入った相手にだけって」
ローエングリン王子の頭が真っ白になる。自分は、そんなことを口走ったのだろうか?
オデットの様子から判断するに、口走ったのだろう。
とっさだったので、覚えていないが。
そして思考が、悪い方向へ転がり始める。
『自分の花嫁にすれば、オデットは北国へ輿入れしなくて良くなる?
オデットを助けられる?』
転がり出した思考は、止められない。
王子としての義務感と、助けたいと言う純粋な思いが、頭の中でせめぎ会う。
そして出た結論。
「……うん。オデット、君を自分の花嫁にしたい」
手を伸ばして、頬を赤らめたオデットを抱き寄せる。
迷うことなく、頬に口づけた。
王子の花嫁にすると言うのは、春の国に、争いの種をまくかもしれない行為。
それでも、ローエングリン王子は、大勢の国民の未来では無く、たった一人の少女の未来を選んでしまった。
もう後戻りはできない。
国を裏切った王子の背徳の恋は、こうして始まった。




