2話 不釣り合いな相手・前編
男爵の父と平民の母を持つ娘オデットが、ローエングリン王子とお見合いをした。
王子は美しい娘に夢中になり、領地に帰るはずの一家を王宮に引き留める。
王子の行動は、周囲を、他の王族を驚かせた。
ローエングリン王子の部屋に、冷たい声が響く。
「一時の感情で行動するなど、『愚か』の一言に尽きます」
「姉君! 自分たちは、運命の出会いを果たしたんだから!」
「……運命の出会いですか。あの子も、同じ事を言っていましたね。
よろしいですか? あなたは王子で、いずれ父君の地位を引き継ぐ身なのですから、よく考慮して決断することです。
あの子を婚約者、ましてや正室に望むなど、愚かな行為ですよ!」
十七才のローエングリン王子の話し相手は、あきれた声音になった。
大人でもたじろぎそうな、父親譲りの眼力は、無言の会話を続ける。
室内の使用人には聞かせられない、王家の秘密事。
『北国へ輿入れさせる予定の娘を、あなたの花嫁にするなんて、外交問題になります!』
末っ子のローエングリン王子を一瞥すると、椅子から立ち上がり扉に向かう。
これ以上、話し合うだけ無駄と判断したのだろう。
「もう一度だけ言います。あの子を婚約者にするなど、愚かな行為です。
あなたは王子なのですから、よく考えてください!」
扉から出ていく間際、王家の血を引く美少女は、念押しする。
世界でも高級品とされる、北国の綿をふんだんに使った、白いドレスの裾を翻して、廊下に姿を消した。
一人残されたローエングリン王子は、ティーカップに残ったお茶に視線を向ける。
白い陶磁器の中で揺らめく水面。窓から降り注ぐ、秋の陽を受けて、キラキラと輝いていた。
輝きは、王子にあるものを連想させる。
太陽の光を集めたかのような、輝く金髪を持つ娘を。
白い陶磁器よりも、なお白いと思わせる、雪のような柔肌を持つ娘を。
「……オデット」
なんとはなしに、唇からこぼれ落ちる言葉。心奪われた娘の名前。
「なんで、分かってくれないんだよ。姉君なら、絶対、喜んでくれると思ったのに!」
ローエングリン王子は毒気付くと、両手で顔をおおい、うつむく。
王子が、一番の味方だと思っていた美少女は、真っ向から反対した。
愚かだと連発して、後継ぎである王子の立場を考えろと諭し続ける。
「……自分は、好きで後継ぎになったんじゃない」
ローエングリン王子の肩が、三番目の息子として生まれた末っ子の肩が、微かに震えた。
一つに結ばれていた白銀の髪が、背中から滑り落ちる。
手で隠した瞳から、涙が溢れ、声を殺して泣き始めた。
長男である兄は、生まれてすぐに亡くなったから、知らない。
けれども、少し年の離れた二番目の兄は、憧れの存在だった。
優しくて聡明な王子。それが周囲の評価。
父の後継ぎとして、申し分ない頭脳も、持ち合わせていた。
憧れの兄が亡くなったのは、五年前。はやり病の『眠り病』に、かかった。
婚約者の居る、北地方の避暑地に赴き、婚約者共々、帰らぬ人になる。
将来を期待された、王子の訃報。
それは、ローエングリン王子の一家を悲しみに突き落とし、混乱をもたらした。
当時、十二才だった末っ子が、父の後継ぎになると決定した瞬間でもある。
声を殺して泣いていた、ローエングリン王子。
部屋の扉が、荒々しくノックされ、ようやく現実に意識が向く。
「おい、ロー! 居るか? もう入るぞ!」
「待ってください。レオは、せっかちですよね」
「ライは心配じゃないのか? 薄情なやつめ!
おい、近衛兵。ローは、外出したのか?」
「いいえ、王子はご在室です」
「よし。おい、ロー、開けろ!」
ローエングリン王子の部屋の出入口を守る近衛兵と誰かが、やり取りしている。
泣いていた王子は、顔を上げた。見守っていた侍女が、濡れた布を差し出す。
気のきく相手に礼をのべ、涙を拭いた。何度か深呼吸をして、気持ちを切り替える。
表情を隠す仮面「王家の微笑み」を浮かべると、扉に向かって声をかけた。
「二人とも、入っていいよ」
ローエングリン王子の許可が降りると、近衛兵が扉を開ける。二人の少年が、足早に入室してきた。
「ロー、遊びに来たぞ。気分はどうだ?」
豪華な衣装をまとう少年が、まず声をかけてきた。
風に揺れる金髪と、何者にも屈しない青い瞳は、大胆不敵な獅子を連想させる。
「あなたが泣いてないか、見に来たんですよ」
二人目は、緑の瞳に心配そうな光を浮かべる、眉目秀麗な少年。
豹のような身のこなしで、優雅に正面の椅子に腰かける。部屋の中に控えている侍女に、身ぶりでお茶の準備を命じた。
「……なんで、自分が泣いてると思うわけ?」
「一対一で話したんだろう? あいつは、正論で相手を叩き伏せるやつだからな」
「彼女に現実を突き付けられて、落ち込んでいるあなたの様子は、予想の範疇ですよ」
机の脇で立ったまま、腕組みをする、獅子のようなレオ少年。苦虫を噛み潰したような顔をして、ローエングリン王子を見下ろしてきた。
豹のようなライ少年は、肩をすくめる。困ったような笑顔を浮かべていた。
「あいつの場合は、反論できん。下手に言い返せば、倍以上になって返ってくる」
「感情論が通じない相手ですからね。王家のことを一番に考えているから、あのような発言になるのでしょうけど」
「そうなんだ。自分のことよりも、周囲のことを一番に考える現実主義者。
昔から、あの性格だから、仕方ないが」
ぶつぶつと言い続ける、二人組。
二人とも美少女に、正論でやり込められた経験があった。
「レオも座りなよ」
ローエングリン王子は、王家の微笑みを崩さなかった。立ったままの相手に椅子をすすめる。
すすめられた相手は、やり込められたことを思いだしたのか、憮然とした表情を浮かべて、椅子に移動した。
「どんな話をしたんですか?」
豹のような少年は、長い足を組んだ。緑の瞳をローエングリン王子に向けて、核心に迫る。
心配しつつも、逃がさないと態度に出しながら。
「……オデットを正室にしたいって、自分の考えを打ち明けたんだ。そしたら、愚かだと怒られたよ」
「正室? えっ、正室ですか!?」
「会って三日で、もう正室に決めるか?」
二人組は、目を見開いて、驚きを浮かべた。
同じ表情で、同じ反応をする二人に、ローエングリン王子は『血筋ってすごい』と、変に感心する。
宰相の父を持つ緑の瞳の少年と、南の侯爵令嬢の母を持つ少年は、父親同士が兄弟だ。
一人っ子同士で同い年の十六才の二人は、兄弟さながらに仲が良い。
「そう、正室。彼女以外は、もう考えられない!」
「さすがに早計ですよ。私でも、反対しますね」
宰相の息子は、緑の瞳を細める。ローエングリン王子に、先ほどの美少女のような返事をした。
「そうか、正室か。大きく出たな。よほど気に入ったと見える」
獅子のような少年は、違った反応を返す。
それも、そのはず……。
「あなたが、ローにオデットを紹介すると、言い出しましたからね。『仲人王子』としては、二人に幸せになって欲しいんでしょうけど」
「お前だって、紹介するのは賛成したじゃないか。医学を学んでいる王子と、医者になりたい女だぞ。僕の見立てに、狂いはない」
宰相の息子は無表情になり、いとこを睨んだ。睨まれた相手は悪びれもせず、いたずらっ子の笑みを浮かべる。
お似合いの二人をくっつけるのが得意な『仲人王子』のあだ名は、伊達ではない。
「実際、嫁を一人ぐらいは確保しておいた方が良いと、僕は思うしな」
「ですから、早計だと言っているでしよう! 私は、将来の宰相として、反対です。
母親が平民なんですから、きちんと吟味をして……」
「吟味する余地なんて、ないだろう。こいつには、もう見合い相手が残されて無いのに」
「他に居ないんですか? レオの知る、貴族の娘は」
「言っとくが、国中の伯爵階級以上の貴族の女は全部、ローと一度見合いをしている。
王族の正室は、伯爵以上が絶対的な前提条件だ。ライだって知ってるだろう」
「……知ってますけど。オデットは、男爵令嬢から伯爵令嬢になって、正室の資格が出来ましたからね。ですけど、平民の母親ですよ?」
「僕の知る中では、平民の血を引くオデット姉妹が、唯一残された伯爵階級の年頃の娘だ。
はっきり言っておく。お見合いしまくって、全部断った、ローが悪い! いくら僕でも、面倒みきれん」
「……そうですよね。そもそも、ローが悪いんですよね」
腕組みをといて、ローエングリン王子を指差す、獅子のような少年。
言いくるめられたライ少年は、ローエングリン王子に視線を戻した。
「なんだよ、その目? 王家の権力目当ての花嫁なんて、絶対にいらないからね!」
「基本的に、お前に近づく女は、権力目当てだろうが。もしくは、僕とライが本命で、ローは単なる踏み台」
「……知ってるけど、君に指摘されると腹立つよ!」
「ローも、割りきって、嫁を決めたら良かったのにな。お前は真面目過ぎるアホで、融通がきかないアホだからな」
「レオ! 人の長所を、短所みたいに言わないでよ!」
「いやいや、ローには、もっと良いところがありますよ。私たちと違って、静かで落ち着いています」
「大人しくて、面白みがない男の間違いだろう? ライも親友なら、きちんと女の本音を伝えてやれ」
「……レオ。私のフォローを、台無しにしないでください」
「うるさいな! 黙ってよ!」
肩をいからせて立ち上がり、全身で怒りをあらわにする、モテない代表のローエングリン王子。
モテる代表の親友、レオ少年をにらみつける。
昔からそうだった。三人で並んで立っていたら、ダンスの申し込みは、親友たちにばっかりに行く。
貴族令嬢が好むことをさらりとやってのける、ロマンチストのレオ少年。
もしくは、恋の駆け引きで楽しませてくれる、色男のライ少年に。
真面目で堅苦しいローエングリン王子よりも、二人の方がはるかに、王都の貴族令嬢の好みだから。
男なのに見向きもされず、壁の花になる王子の惨めさなんて、モテる二人には一生分からないだろう。
レオ少年につかみかかろうと思ったが、それでも、王子の理性は残っていた。
高ぶった気を鎮めるように、ティーカップに手を伸ばして、お茶を一気に飲み干す。
睨らみ直すと、椅子に座った。無言の威圧で、謝罪を要求する。
「……すまん、言い過ぎた」
「謝るなら、最初から言わないで。親友だから、今回は許してあげるけど」
しかめっ面のローエングリンがお茶をついだ。反省したレオ少年は、ティーカップを受けとり、お茶を飲みはじめる。
やれやれと言った表情で、肩をすくめるライ少年。気の置けない親友たちのやり取りを見守った。