第七話 初仕事は墨を磨りて候う
清洲城内の一室にて一心不乱に墨を磨り続けている。
私に、いや俺に与えられた仕事だ。
見た目若返ったのだから私から俺に呼び方を変えよう。
ついでに『ふじよし』から『とうきち』に名乗りを変える。
こっちに来てからは『とうきち』と呼ばれ続け一度も『ふじよし』と呼ばれないのは悔しいが仕方ない。
一人称は俺。
名前は木下 藤吉『きのした とうきち』。
これで行こう。
腹をくくった。
そして覚悟を決めた俺の初仕事が墨を磨ることだ。
なぜ、墨を磨るのかというと只今城内は先の戦の後処理に追われているからだ。
意気揚々と城内に来た俺は犬千代の案内で小者頭と面会。
その小者頭に命令されて墨を磨っている。
大して広くない部屋で墨を磨る音が空しく聞こえる。
そんな俺の隣で畳の上に寝そべり暇を弄ばしている男が一人。
利久だ。
利久は馬廻り衆の一人であり市姫の近習の一人でもある。
云わば若きエリートだ。
そして、そのエリートの妹犬千代は市姫の側で忙しく働いているようだ。
部屋の外から声が聞こえてくる。
ここ数日は俺の監視をしていたので今は本来の仕事に戻って張り切っているのだろう。
声に張りがある。
元気一杯という感じだ。
少し申し訳ない気持ちになる。
そしてこのダメ兄貴は尻をポリポリと掻いている。
不意に戸が開く。
「墨は出来ているか?」
「こちらに」
「うむ、まだ足りん。もっと頼む」
「かしこまりました」
「ではまた」
多分、近習の一人と思われる者がやって来て墨の入った硯を持っていく。
代わりに墨の入っていない硯を置いていく。
ここ数時間の間何度も繰り返すやり取りだ。
最初は小者頭からの新人いびりなのかと思ったがそうではないようだ。
隣の部屋でも同じようなやり取りが聞こえるので総出でやっているようだ。
皆が忙しいそんな中で利久だけが暇そうだ。
というか、何で俺の部屋に居る?
「おい利久」
「なんだ藤吉?」
「何で俺の部屋に居る。皆が仕事しているのにお前は働かないのか? どうなんだ?」
「う~ん。これも俺の仕事だ」
そう言うと利久は体ごとそっぽを向く。
利久の仕事?
俺と居ること、側に居ること、俺を見ること。
つまり監視か!
「つまり監視か!」
あ、声に出ていた。
「ま~、そうだ」
後ろを向いたまま頭を掻く利久。
なんともいやな気分になる。
こっちの世界で出来た友人、親友とも思ったのに残念だ。
「残念だ」
また声に出た。
「俺も好きでやっている訳じゃねぇ。平手のじじいがうるさくてな」
「あー分かるわ。なんか嫌われてるしな俺」
平手のじい様か。
苦労性だもんなあ~。
得体の知れない奴が大事な姫様の近くに加わったらそら心配するわな。
俺でもするだろう。
だって心配だろう。
市姫綺麗だし、カッコいいし、男女問わず人気なんだろうなー。
「別に俺はお前が怪しいとは思っとらん。本当だ。それに監視の名目でサボれるしな」
声色は面白がっているように聞こえる。
嘘を言っているようには思えない。
僅か一晩の間柄だが何故か利久の言葉は信用できる。
「サボりが本命で監視がついでか?」
「まぁ、そういうことだ」
起き上がり胡座をかいて笑いだす利久。
本当に気持ち良い男だ。
「まぁ、暇ついでに何でこんなに墨が要るんだ。教えてくれ利久」
「う~ん、それはな。………」
暇潰しに話してくれた内容は、関係各位に連絡と報告を書き送っているそうだ。
先の赤塚の戦の顛末を各地の家臣団に送り。
また褒賞や罰則の報告及び布告。
市姫を筆頭に清洲城に居る近習総出で当たっている。
とにかく書くことが多い。
めちゃくちゃ多い。
昨日は簡単な論功行賞が行われ、ついでに俺の取り扱いが話し合われた。
もともと平手のじい様は金を渡して終わりにするところを市姫が反対して昨日の出来事になった。
話はいつの間にか昨日の事になっていた。
「俺は犬千代が認めたならと思ってな? 犬千代はお前が入れば市姫様の助けになると言って聞かなかったのだ」
「何でそこまで?」
「何で、だろうな? 俺にも分からん。だが市姫にしか興味ない犬千代がお前を選んだ。だから俺もお前を信じる」
真摯な眼差しで俺を見ている利久の態度に感動していた。
感極まった。
「お、おい、泣くな! 大の男がみっともない」
「すまん。でも、ありがとう。……ありがとう」
俺は素直に頭を下げた。
右も左もわからない世界で自分を信じてくれる人がいるのは、とても心強い。
………嬉しかった。
「礼なら犬千代に言え。ただし、俺を持ち上げるようにな」
いたずらな笑みを浮かべる利久に俺も返す。
「ああ。役に立たない兄上を持って苦労しているなと」
利久と俺が目を合わせ。
そして、二人で笑った。
我、盟友を得たり!そんな気持ちだ。
その後利久に気になっていたことを聞いてみる。
今なら利久も素直に教えてくれるだろう。
気になること、信長の事だ。
そして、利久は答える。
………信長は、死んでいた。
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