第五十七話 市姫の夜這いにて候う
俺はいつも寝るときは灯を灯したまま寝ている。
こっちの世界の闇はあっちよりも濃いのだ。
日が落ちて暗闇が辺りを包むと目が慣れないと一メートル先さえ見えない。
その代わり灯を灯すと辺り一面を照らしてよく見える。
こっちに来て明らかに夜目が効くようになっていた。
しかし、夜の闇はとても怖いのだ。
これはもう生理的なものかもしれないが我慢できない。
もっとこの世界に居れば慣れるのかもしれないが、今はどうしても灯りがないと眠れない。
その為、油の量を減らした灯りを灯して寝ている。
灯りは俺が寝ている間に消える。
なんとも贅沢な眠りかただ。
利久や犬千代に注意されたがこれだけは譲れなかった。
そして、今日もいつものように灯りを灯して寝ていた。
そこに予期しない来訪者が現れたのだ。
来訪者は俺が灯を消すのを忘れて寝ていると思い、俺を起こそうと呼び掛け体を揺すってきた。
そして俺は来訪者が誰かを確認せずに眠りを邪魔されたと思い、邪険に扱った。
つまり手で払い除けたのだ。
「きゃ」
その声は弱々しくか弱い声だったが聞き覚えのある声だった。
寝ぼけた頭で声の主を検索する。
「う~ん、うん!!」
俺はガバッと上体を起こして声のする方に顔を向けた。
そこには、やや体勢を崩してしなをつくっていた女性が居た。
薄着をしていて体のラインが分かる格好だ。
乏しい灯りに照らされたその姿は怪しい美しさを俺に見せた。
足元から腰周りそして胸元を見てから顔を見て、俺は思わず後ずさった。
「ひ、姫様!?」
俺の目の前に居た侵入者は市姫様だった。
え、なんで市姫様がここに?
それにその格好は?
俺は唾をゴクリと飲み込む。
市姫様に聞こえるんじゃないかと思うほど大きな音がした思う。
まさか、その、いやいや、そんなはずは。
これはまさか、そ、そうなのか!
よ、よ、「夜這いですか!」
おわー、まずい。まずい。まずい。
また声に出してしまった。
「夜這い?」
「いえ、違うんです! いや、違わないか。いや、違うんですよ!ほんとに」
俺は自分でも何を言っているのか分からない弁解をしていた。
だってしょうがないだろう。
薄着の女性が年若い男性の部屋に忍び込んで来たら、そう思うに決まっているじゃないか!
それに信行の日記に書いて有ったあのくだり。
『市の想い人』って書いて有った、あのくだり!
会ってもなるべく意識しないように努めていたけど、昼間に会ってあの微笑みを見てしまった。
話が終わった後にどれだけ動揺した事か。
あ~~思い出したら顔が赤くなってきた。
いかん、いかん、いかん。
しっかりしろ俺!
市姫様がそんな事するはずないじゃないか。
姫はまだ十五なんだぞ!
いや、十五って確かこっちでは結婚適齢期のど真ん中じゃないのか?
いやいや、そんな事考えるな。
考えちゃいかん!
「クスクス。そうなんです。夜這いに来たんですよ。と、う、き、ち、様」
そう言って手を付いて這って来る市姫様。
俺は壁際まで後退する。
「あ、あの、市姫。これはまずいのでは?」
「何が、まずいのです?」
そんな艶のある声出さないで!
「今は、その、戦の最中で、これは」
「これは? 何ですか?」
「これは、その、だから」
そして、遂に市姫様が俺の目の前にやって来た。
俺は壁際に背を預けこれ以上後ろに下がれない。
これは、やるしかないのか?
そうなのか?
しょうがないよな、これは。
うん、しょうがない。
しょうがないんだ!
俺は覚悟を決めた!
「ひ、姫様。うぶ」
俺が姫様に抱きつこうとすると姫様の人差し指が俺の唇をふさぐ。
「うふふ、冗談です。冗談」
俺は体から力が抜けた。
「大人をからかわないでください」
「ごめんなさい。藤吉の反応が面白くて、つい」
ついで、からかった男が俺で良かったよ。
他の連中の男だったら今頃市姫様は………
「二度としないでください。そうじゃないと」
「そうじゃないと、何ですか?」
「………何でもないです」
市姫様の瞳が俺を見ていた。
その瞳は俺の想いを見透かしているようだった。
「意気地無し」
ボソッと市姫様が何か言った様だが俺には聞こえなかった。
「それで、何の用ですか? 昼間に話した事の確認ですか。それなら明日でも」
「兄上の、信行兄様の事です」
「信行、様ですか?」
「昼間は五郎兄様や、利久が居ましたから。藤吉は兄上の日記を見ているのでしょう。教えてください。兄上の真意を!」
市姫様は信行の事が知りたかったようだ。
何でも信行が死ぬ前に少しだけ話をしたものの、信行はただ謝るだけで話らしい話をしていなかったそうだ。
なんかホッとしたような、残念なような?
「分かりました。私が知り得た範囲でお教えします」
俺は市姫様に日記に書かれていた事を教えた。
土田御前や明らかに教えてまずいと思った事の話はしなかった。
その日俺と市姫様は夜が明けるまで話をした。
その事が、その後騒動の元になったのだが俺は逃げるように犬山城を去った。
思わぬ事で時間を割いてしまった。
俺は急ぎ目的の場所に向かった。
勝三郎の待つ『熱田』に
※※※※※※※
熱田の加藤家の屋敷にて二人の人物が向かい合い話をしていた。
一人は『池田 勝三郎 恒興』
一人は『加藤 図書助 順盛』
熱田加藤家は熱田商人の中でも有数な豪商である。
勝三郎は加藤家に織田家の合力を願いに来ていた。
「では、どうあっても合力願えぬと!」
「我ら加藤家、いや熱田商人は織田家とは商売出来ませぬ」
「織田家は熱田をこれまで手厚く保護してきたのですぞ」
「それは過去の話。私どもは今、明日の話をしているのです」
熱田は織田家の保護を受けてその勢威を保って来ました。
津島ほどでは有りませんが、熱田はそれなりに織田家に対して恩があります。
しかし、先の織田家の内紛の影響が熱田に影を落としたのです。
「織田家はこれからも熱田の保護を約束すると、このように書状も有り申す。それでもですか?」
「池田様。我らはすでに決めておるのですよ」
「決めている? 何をだ!」
「我ら熱田は、今川につき申す」
「バカな!」
熱田は今川に合力する。
それは織田家の、藤吉の立てた計画を狂わせるものであった。
タイトル詐欺で申し訳ありません。
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