第五十六話 犬山城に参りて候う
俺は小六と供に市姫様の居る犬山城を目指した。
斎藤方の兵は犬山城の近くまで来ている。
その数一万二千。
当初の報告よりもさらに兵が増えている。
何でそんなに増えてんだよ!
小六から聞いた話だと最大で八千のはずなのにさらに四千も増えてやがる。
もしかして、美濃の蝮さん本気出してる?
確かに隣の国のトップがあたふたしてたらちょっかい掛けたくなるだろうけど、そんなに本気にならなくても良いじゃないか。
そもそもここにはあなたの娘さんも居るんだよ。
清洲を取り戻した時に信長の正室である『濃姫』も保護している。
最悪彼女を使って休戦でも和睦でもしようと考えている。
そう、最悪の場合はだ。
俺が犬山城の近くまで来ると斎藤方の兵が見えた。
馬上から見える斎藤方の兵は数えるのが億劫になるほどの人が見える。
それを見て自分の後ろを振り返る。
そこには小六と顔つきの悪い男達がいた。
実際に自分が三百人を率いてみて分かるのは、三百人がとてつもなく多いと感じる事だ。
向こうで暮らしていた時に仕事で部下を持った時は多くて四、五人だった。
そんな俺がここでは三百人の人間を率いている。
それを自覚した時、身震いがした。
恐怖だ。
浮野の戦いの時は、右筆で戦場を肌で感じたがその時は配下なんて居なかった。
自分一人だった。
だが今は三百人が俺の命令を待っている。
クーデターの時は百人もいない人間を差配したが、その時は無我夢中だった。
人を使っていると意識していなかった。
自分は信広様の代わりをしていると思っていたからだ。
そして今、改めて意識してしまった。
俺はこれからこの三百人に『戦え、人を殺せ』と命令をしないといけない。
果たしてそんな言葉を俺は言えるのだろうか?
そんな考えをしていると小六が俺の隣にやって来る。
「何考えてんだい? もしかして、ブルってるのかい」
「そうだと言ったら?」
「うふふ、藤吉も人の子だねぇ。安心したよ」
「俺は人の子だよ。鬼でも妖でもない」
「そうじゃないよ。あの人数を見て喜んでたら、それは人じゃないよ」
「喜んでそうな奴に心当たりがあるな」
「利久かい? あれと藤吉は違うよ。藤吉は怖さを知った。それなら生き残れるよ」
「怖さを知るから生き残れるのか?」
「怖さを知らないバカは早死にする。戦の常識だよ」
「そうか。なら俺は生き残れるのか?」
「さあ? でも藤吉は死なないよ。 なんせあたし達が付いてるからねえ。そうだろう、お前ら!」
「「「「おう!」」」」
「なんか泣けてきたよ」
「大将が簡単に泣くんじゃないよ。さあ、姫さんの所に行こうかねえ」
「ああ、そうだな!」
小六に元気づけられた俺は犬山城に入城した。
俺が犬山城に着いた事は直ぐに市姫様達に伝わった。
そして、城内のある一室に案内された。
「藤吉!」
「よう、利久」
その部屋には利久が一人寝転がって居た。
俺が部屋に入ると利久は寝転がるのをやめて、上体を起こして胡座をかいた。
「姫様はここに来られるのか?」
「ああ、軍議の後にな」
「軍議の後? お前は何をしている?」
「お留守番だよ。俺が居てもしょうがないからな。それより何でお前がここに来るんだ? 勝三郎はどうした。 一緒じゃないのか?」
「ああ、それは姫様が来られてから言うよ。どうせ姫様からも聞かれるしな」
「うん、まあそうだな」
俺は利久から軟禁されて居た時の話を聞いたり、利久は軟禁される間に俺が何をしていたのか聞いたりした。
なんせ、信行が死んでその翌日には利久達は増援として清洲を出てしまったのでゆっくりと話をする機会がなかったのだ。
「そうか。大変だったな藤吉」
「ああ、大変だったよ。お前実家に当てた文に何て書いたんだ!」
「うん? さて何と書いたか。 ……思い出せん」
「お、ま、え、なあ~~」
「まあまあ落ち着け。そら待ち人が来たぞ」
俺が利久をもう一度殴ろうとした時、戸が開かれた。
「何をしている藤吉、利久」
「いやこれは久しぶりに会ったので旧交を暖めていたのであってですね」
「ふふふ、相変わらず仲が良いですね。二人とも」
部屋にやって来たのは鎧姿の信広様と市姫様だ。
「清洲からの使者と聞いて来たが、何か有ったのか?」
「はい、お伝えしたき事がございます」
俺の真剣な顔を見たのか。
二人とも顔つきを変える。
そして市姫様と信広様が上座に座り、俺は今川の来襲を伝えた。
「今川が動いたのか! この状況でか?」
「それは誠なのですか? 藤吉」
「今川か~、腕が鳴るのう。藤吉、直ぐに鳴海に向かおう。何、俺に任せておけ。今川の二千や三千」
「三万だ」
「「「三万!」」」
うん、やっぱりそういう反応するよな。
「三万の軍勢だと!」
「いや~~、三万はちょっと多いな~」
「三万。目の前には斎藤の一万が居るのに、どうしたら?」
三者三様の反応で返される。
それは俺にとって予想済みだ。
そして俺は三人に清洲で話した策を伝える。
「それは、確かにそれならば。いやしかし、ぐむ」
「おい、俺を連れて行かないのか? そんな美味しい役目は俺のもんだろうが!」
「……………」
信広様は考え込み、利久は俺に詰め寄る。
そして市姫様は無言で俺を見ていた。
「藤吉」
「はい」
「それしかないのですか?」
「信光様と平手様、それに勝三郎も了承しています」
「任せて良いのだな」
「出来れば斎藤方を早く追っ払って頂ければ、何とか?」
市姫様は天井を見上げた。
そして、強い意思を感じさせる瞳で俺を見る。
「分かった。お前と勝三郎に任せる」
「市!」
「兄上。私は決めました」
「しかしだな!」
「……兄上」
市姫様の瞳が今度は信広様を捉える。
「はぁ、分かった。陣代である市の判断に従おう。まったく、信長に似てきたな。お前は?」
「当然です」
市姫様が良い笑顔で信広を見ている。
そして、胸を張る姿は久しぶりだ。
だが、鎧姿なので大変結構とは言えないな。
………残念だ。
俺は伝える事は伝えたのでさっさと犬山城を後にするつもりだったのだが、市姫様に止められた。
「少しくらいは休んでいきなさい」
「いや、しかし時間が」
「休みなさい!」
「……はい」
結局、犬山城で一泊する事になった。
俺は小六達に先に動くように伝えた。
小六は俺の護衛の為に五十人ほど残して先に発って行った。
少しだけ申し訳なかったが、小六は『気にしないで休みな』と言ってくれた。
そして俺は寝所で一人寝ていたのだが、そこに侵入者がやって来た。
その侵入者は『市姫』様だった!
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