第五十三話 信行の日記
『織田 信行』は死んだ。
俺には分からない事だらけだ。
一体信行は何がしたかったのか?
信広様は俺に答えの一つを与えてくれた。
『これを見よ』
そう言ってある物を渡してくれた。
俺は今清洲城のいつもの部屋にいた。
机の前には一つの台帳と幾つもの文が置かれている。
台帳に書かれているのは信行の日記のような物だった。
そして文は信広様と信行のやり取りが書かれていた。
その内容は意外な物だった。
※※※※※※※
先日の戦に負けた事で私の兄上に対する謀叛は終わった。
これから兄上に会いに行く。
きっと殺されるだろうがこれも覚悟の上だ。
母上は林や柴田を遣わせばいいと言ったが責任は取らないといけない。
たとえそれが、死ぬことだとしても。
※※※※※※※
私は兄上に赦された。
今でも信じられない。
兄上は笑って『兄弟喧嘩もたまにはいいが、今度は二人だけでやろう。家臣を巻き込むな。良いな!』と言った。
私の謀叛を兄弟喧嘩と笑ったのだ。
とても勝てない。
そう思った。
明日は母上と供に兄上に会いに行く。
兄上と供に尾張を取るのだ!
今から心が弾む。
とても楽しみだ。
早く明日になればいいのに。
※※※※※※※
兄上との食事は楽しかった。
あんなに上機嫌な兄上は初めて見た。
母上も笑っていた。
これからは兄弟で尾張を、そしてその先を目指す!
今はまだ心の内に仕舞っておくがいつかきっと。
しかし、蔵人のやつ。
何故名古屋に戻れなどと。
林の話など明日でもよいではないか?
今日の兄上の話は明日まとめよう。
※※※※※※※
なんという事か!
誠なのか? そんなバカな?
まさか、信じられぬ。
なぜなのですか、母上!
※※※※※※※
先日の話は嘘ではなかった。
まさか母上と林が、なぜそこまで拘るのだ!
私では兄上の足元にも及ばないのに。
柴田も知らなかったとか。
蔵人は薄々感ずいていたようだ。
兄上、申し訳ありません。
勘十郎は、…………
※※※※※※※
兄上の葬儀に出た。
兄上の棺を見て涙が止まらなかった。
一人外に出て、夢ではないのかと笑った。
母上と林が笑って私に話かけて来たが、私は無視した。
何が『次の当主はそなただ』等と
何も考えたくない。
兄上、私はどうしたらよいのですか?
※※※※※※※
次の当主は奇妙丸となった。
陣代は市が、後見人は叔父の信光がなった。
市が陣代とは驚いたが、だが納得している自分がいる。
市は兄上に似ているからな。
母上と林は悔しがっていたが、当然の事だ。
私が次の当主に等なるはずがない。
母上も林もまるで分かっていないのだ。
兄上、勘十郎は市を奇妙丸を守ってみせます。
たとえ市達に恨まれる事になろうとも!
※※※※※※※
今日の私はおかしくなかっただろうか?
どうも狂人を演じるのは疲れる。
蔵人は気づいているようだが何も言ってこない。
当然、母上や林にも言っていないはずだ。
母上は私を心配しているようだからバレてはいまい。
林は私を見て驚いていたが、笑ってもいた。
ふん、少しは隠せばいいものを。
しかし、市が無事で良かった。
刺客を放ったと林が言った時は驚いたが、顔には出ていなかったはずだ。
何とか誤魔化せたはずだ。
市を助けた者、確か『木下 藤吉』と言ったか?
林や柴田は素性を知らないと言っていた。
素性の知れぬ胡散臭い男と思ったが、市を見ている限り信頼しているようだ。
しかし、あの市がな?
少しはおなごらしくなったと見える。
素直ではない所が兄上に似ているがな?
藤吉には感謝しよう。
市を助けたばかりか、おなごらしさを身につけさせたのだから。
だが、市をくれてやる訳にはいかん!
※※※※※※※
母上と林はまだ諦めきれぬらしい。
このままではいつまた謀叛を起こすか分からん。
私に出来るのは狂人を装ってのらりくらりとかわすことだけ。
何とかせねば。
※※※※※※
弟の秀孝が私に相談してきた。
どうやら秀孝には私の演技はバレていたようだ。
母上と林にはバレていないと秀孝は言っていたな。
あの三人は自分達の事しか考えておらぬから無理もあるまい。
最近秀孝は林達に当主になれと言われていたらしい。
当主になるならば私が先だと断っていたと。
しかし、今度は三十郎にも言い出したらしい。
三十郎は秀孝に泣きついた。
よほど怖い思いをしたようだ。
これはいかん!
私だけならともかく、弟達まで巻き込むつもりか?
私は既に覚悟を決めている。
後は、その時を待つだけと思っていたが。
※※※※※※※
先日より岩倉織田家から要請があったが断っている。
母上と林には尾張を統一した後が乗っ取りやすいと言っている。
母上と林は私がようやく元に戻ったと喜んでいる。
バカな、私は正気だ。
狂っているのは母上と林のほうだ!
市達は上手くやっているだろうか?
直接助けてやれぬ兄を許して欲しい。
いや、許さなくともよいか?
私は許されざる罪があるのだから。
※※※※※※※
五郎兄上を通して、叔父上とようやく連絡をつける事が出来た。
だいぶ怪しまれたが尾張統一のおりに動かなかった事で信じて貰えたようだ。
これで何とかなるだろう。
後は五郎兄上との連絡を密にしなければ。
林には少し疑われそうになったが、五郎兄上が信長兄上を嫌っていたと言ったら直ぐに信じた。
単純な奴め。
※※※※※※※
叔父上の文に市が上洛を考えていると書いてあった。
これは良いかもしれん。
上手くすれば最小限の犠牲で済む。
直ぐに五郎兄上に文を書いた。
我ながら上手い考えだと思う。
これならば林も文句は言うまい。
市達が京から帰って来る前にすべて終わらせる。
市には母上の醜い所を見て欲しくない。
※※※※※※※
なんという事か?
上手い具合に清洲に入って、さあこれでと思っていたのに市達が予定よりも早く帰って来た。
後二十日、いや後十日も有れば終わったはずなのに。
林は市達を捕らえるだろう。
私はどうしたら。
叔父上に連絡を取らねばならない。
予定の変更をしなくては。
五郎兄上に頼むしかない。
何故だ、市。
何故こんなに早く戻って来たのだ!
※※※※※※※
はぁ、市に睨まれた。
覚悟を決めていたのにその意思が鈍ってしまう。
信広兄上とは連絡が取れた。
叔父上の方は問題ないようだ。
後は、誰かに動いてもらわねばな?
誰が良いだろうか?
勝三郎か、利久か、久秀が良いかもしれん。
明日からは監視を緩めさせよう。
※※※※※※※
市の侍女が二人逃げ出した。
林は急ぎ探索させたが見つからなかったようだ。
当然だ。
城の兵達は林達を嫌っている。
命令をまともに聞くはずがない。
侍女の名前は分かっている荒子前田の犬千代と弓頭浅野の寧々だ。
犬千代はおそらく実家に逃げ込んだはず、問題は浅野の寧々だ。
誰を頼ったのか?
養父の浅野を頼るまい。
ならば誰を?
※※※※※※※
林が進める改革案に目を通す。
やはり林は父信秀よりも前の政策に戻したようだ。
今さら関所や守護不入の撤回等と。
これで徳政でもしようものなら、尾張の商人達は俺を織田家を見限るやもしれん。
現に五郎兄上の文には津島は敵対すると書いてある。
林達はやはり何も分かっていなかった。
だが、これでいい。
このまま進めさせよう。
そうすれば……
※※※※※※※
五郎兄上からある男が会いに来たと書いてある。
なんと市の想い人の木下藤吉が現れたとある。
さらに藤吉は決起を計画して五郎兄上を大将に据えようと動いていると。
なんと正に私の考え通りに事を進める者がいた!
信広兄上は三月後に返事をすると書いてある。
三月か?
年が明けるな。
しばらく時間を掛けるのは悪くない。
五郎兄上には藤吉の考えに乗るように伝えよう。
しかし、藤吉か?
どんな男であろうか。
是非話してみたいものよ。
しかし、それは無理か。
その時には私はもう……
※※※※※※※
先日は大いに笑った。
楽しい一時であった。
林は慌て、母上はすがり付き、柴田はおろおろとするばかり。
山科卿には大変申し訳なかったが日頃の鬱憤を晴らすことが出来た。
本当に楽しかった。
※※※※※※※
明日には五郎兄上がやって来る。
いよいよだ。
嫌がる林に無理やり大将をやらせて出陣させた。
後は佐久間達が上手く殺るだろう。
そして、私は……
最後にと思い市と少し話をした。
最後まで泣き虫な妹よ。
これからはお前が皆を率いるのだ。
愚かな兄を許さずともよい。
健やかに生きよ。
さらばだ。
弘治四年 三月某日
織田 勘十郎 信行 書す
お読み頂きありがとうございます。
誤字、脱字、感想等有りましたらよろしくお願いいたします。
応援よろしくお願いします。