第五話 前田利久見参なり
目の前の大男は笑い続けている。
『前田 蔵人 利久』
荒子前田家の長男、いや嫡男。
本来ならこんな長屋に居るはずがない人物だ。
しかも本の知識だと利久は病弱で有った筈だ。
しかして目の前の大男は病弱か?
「いやいや、すまん、すまん。犬千代がお主の事を気に入って夜中ずっと話をするゆえ、どんな御仁か気になったのよ。驚かせたようであいすまん」
そしてさらに大声で笑う。
なんだこいつは?
駄目だ何も考えられない。
私はこの大男前田利久に圧倒されていた。
私がポカーンとしているとスパンっといい音がした。
「な、何をしているのです。兄上!」
見れば顔を真っ赤にしている犬千代が兄利久の頭を叩いたようだ。
叩かれた利久は頭を抱えて踞っている。
「つー、何をするか。犬千代!」
踞っていた利久が勢いよく立ち上がる。
しかし犬千代の攻撃は続く。
「ちゃんと挨拶をするからと今日は言ったはずです。兄上も了承したではありませんか。それを何ですか?何なのですか!」
そういうと犬千代は利久の胸元をポカポカと叩き出す。
「す、すまん。悪かった。兄が悪かった。許せ犬千代」
「許しませぬ。許すものですか」
利久は素直に謝ったが犬千代は許す気がないのか更に叩き続ける。
ポカポカが、ドンドンに、そして、ズドンズドンに。
「や、やめ、犬、千代。やめ、やめろ」
最後に犬千代の拳が利久の鳩尾に突き刺さり、利久の巨体は地面に倒れた。
「藤吉殿。日も暮れ始めました。夕げの支度を始めましょう」
「利久殿はこのままで良いのか?」
見れば利久は倒れたままピクピクと痙攣している。
「よいのです。兄上はそのままで良いのです」
犬千代の笑顔が眩しかった。
「そ、そうか。では」
犬千代は利久を無視して夕げの支度を始めた。
なんとなく兄弟なんだなっと納得した。
犬千代は材料を隣の長屋から持ってきたようで、直ぐに調理を始めた。
私もご飯炊きを手伝う。
調理の最中に犬千代と利久、寧々の関係を教えてもらった。
寧々は犬千代と同じ侍女として市姫に奉公していたこと。
そこで犬千代と寧々は年も近いので知り合って直ぐに友達になったとか。
利久が長屋に住んでいるのは暴れん坊で利かん坊な嫡男をもて余した前田家が、城勤めを理由にこの長屋に押し込んだこと。
本来なら犬千代は城で生活するはずが利久を見張る為に一緒に長屋生活をしている。
更にそこは寧々が住んでる浅野家の管轄する長屋で有ったことから、三人はこうして一緒に食事を供にすることが多いと説明された。
ちなみに今は私と犬千代、寧々の三人で食事をしている。
ほぼ玄米に近い米と大根の漬物、豆腐と葉物の味噌汁。
何かの野菜を茹で上げた物。
米と味噌汁は良いのだが野菜の茹で物はあまり美味しくなかった。
やっぱり、城の食事がましだな。
これからの課題は食生活の改善だなと食べながら思った。
犬千代と寧々はキャッキャ、ウフフと仲良く食べている。
この二人を見るとここでの生活も悪くないかなと思った。
ちらと庭を見るとまだ利久は寝ていた。
うん、私は何も見ていない。
翌朝、小鳥のさえずりと若い女性の声で目を覚ます。
「起きてください藤吉殿。朝ですよ」
ああ、なんという素晴らしい朝だろうか。
美少女に起こしてもらえるなんて、なんて良いところなんだ!
「おう、起きたか藤吉。こっちに来て鍛練に付き合え」
ああ、なんて憂鬱な朝なんだ。
野太い男の声を、朝から聞かされるなんて!
私の戦国生活はこうして幕を開けた。
なんてな?
「顔を洗って来るから。犬千代さん。その後朝飯の支度をするよ」
「はい」
「おい、俺の槍の稽古に付き合えよ藤吉」
庭で三メートル近い槍をブンブンと軽い感じで振るう利久。
そんな利久に私は軽い返事を返す。
「後で、後で」
私は土間の水瓶から水を桶に移し、顔を洗おうとして水に顔を近づける。
「うーん、髭はあんまり伸びてないな。まだ剃らなくて……」
顎を擦りながら水に移る自分の顔を見つめる。
じーっと見つめる。
おかしいな髭が薄い?
薄いというか、なんか、顔が、変だ。
顔の右側を見てそれから左側を見る。
おかしい、なんだこれ?
いや、まさか、そんな?
俺、………若くなってる!?
「な、な、なんじゃこりゃー!」
この世界に来てから最大級の絶叫が足軽長屋に木霊した。
前田利久はこれより以後『利久』で通します。
誤字、脱字、感想等有りましたらよろしくお願いいたします。
応援よろしくお願いします。