第二百二十一話 泥沼の戦場
船の上からでも分かるわい。
あれが信虎じゃな。
「船をよせい」
「はは」
わしの乗っている船が岸に着くと周りの船も次々に陸地に乗り上げる。
織田家の援軍の到着から船で本陣に、大筒に近づく機を狙っておったが、まさか信虎と出会うとはこれも奇縁かのう。
だが、こうして出会ってしまったからにはこの手で奴を討ち取る好機でもある。
「もっと早く来れなかったのか。ご隠居?」
「なに、お前さんの活躍を邪魔したくなかったのでな」
陸に上がって前田利久と合流した。
相変わらず不敵な男よ。
藤吉もそうだがわしもこやつは好きなのだ。
そして我らの前には武田信虎が居る。
我らを睨み付けておるな。
「武田左京大夫。貴様には色々と聞きたい事もあるが、そうする刻がない。ここで死んでもらおうかのう」
「このくたばり損ないが!わざわざ死にに来たか!」
「くたばり損ない。そうよな。わしは確かに死に損なった。しかしそれはこの日の為かも知れんのう。お主を殺すこの日まで、わしは生き残ったのかも知れん。じゃからここまでじゃな左京大夫。左京進!」
「はは。お任せあれ!」
わしが右手を上げると船から降りた兵達が武田兵に群がる。
この場にて信虎を討つ!
それでこの戦を終わらせるのよ。
「御屋形様を御守りしろ!」
信虎を守る為に武田兵が壁となる。
そしてその壁の隙間から信虎が逃げていくのが見えた。
ええい、信虎め。配下に守られて下がるか!
「利久。お主も……」
む、既に追っておるか?
わしに言われる前に利久は既に信虎を追っておった。
さすがよな利久。
「ご隠居。兵は全て船から降りました。このまま武田本陣を目指しますか? それとも……」
「左京進。分かっておろう。信虎を追うぞ」
「はは、畏まりました。馬引けい!」
わしは馬に乗って逃げた信虎を追う。
逃がしはせんぞ信虎。
ここで決着を着けようぞ!
※※※※※※
馬場信房は武田本陣からの爆音と火の柱が上がった事に気づいて、信虎の身を案じていた。
そしてこの場に止まるか、それとも織田勢と戦うか、はたまた信虎を追うのか、選択を迫られた。
「馬場様。如何しましょう?」
馬場信房はその場にて素早く頭を回転させる。
「織田勢と一当てした後に後退する。向こうは一当てすれば必ず後退しよう。その隙に本陣に戻るのだ。行くぞ!」
「はは」
馬場信房率いる武田兵八千は滝川一益率いる七千の兵に向かっていく。
ここ中江でも武田と織田の戦いが始まる。
「滝川様。武田兵がこちらに向かって来ます。如何しましょう?」
「我らは無駄に戦ってはなりません。距離を保つのです。一時後退!」
滝川一益は馬場信房の攻撃を受ける前に部隊を動かす。
しかし、滝川隊は容易に後退する事が出来なかった。
本気を出して前進してくる馬場隊に捕捉されたのだ。
「ちぃ、ここまで速いとは。食い止めい!押し返せい!」
馬場隊の前進に滝川隊は後退を断念。
その場にて馬場隊を迎え撃つ。
この時、双方の思惑は一致しなかった。
馬場信房は織田勢は軽く一当てすれば、直ぐに兵を退くと考えていた。
滝川一益は武田勢が本気を出して当たってきたので、迎え撃たなければ部隊が瓦解すると考えたのだ。
この双方の思い違いにより、この中江付近での戦闘は泥沼化していく事になる。
「ぬう、意外と粘る。押せ押せい!」
馬場隊は滝川隊の意外な粘りに苦戦する。
「怯むな!押し返せ!掛かれ、掛かれい!」
馬場隊の勢いに飲まれぬように必死に戦う滝川隊。
戦線は膠着した。
そして大鳥居武田本陣前ではいよいよ決着が着こうとしていた。
遮二無二に前進する織田本隊を率いる織田市。
しかしその前進は鬼美濃こと原虎胤の部隊に阻まれていた。
「ええい。この爺!いい加減くたばれ!」
「この青二才が!この槍の錆びにしてくれよう」
佐々成政、川尻秀隆らが原虎胤に挑むも、虎胤は難なく二人を退けた。
原隊は部隊を二つに分け、二千の兵で織田隊の前に出て迎え撃ち、残り千で織田隊に横槍を仕掛けたのだ。
しかし横槍を掛けた部隊は佐久間隊に崩された。
だが、その佐久間隊は武田本陣からの増援部隊保科隊に横槍を突かれて部隊は瓦解。
そして保科隊は織田本隊の横槍に成功した。
「進め、進めえい!このまま織田勢を分断するのだ!」
保科正俊の前進を阻める者は居ない。
一方で秋山隊の前進を阻んでいた織田信広の部隊は秋山隊の勢いを殺す事が出来ずにその突破を許してしまう。
「駄目です。突破されました!」
「ええい。なんたる不甲斐なさか!」
「わははは。織田市はこの秋山様の物じゃあ!」
そしてさらに最悪な事に後方から武田勢五千が佐久間信盛の部隊を突破して織田本隊の後方を脅かす。
左右からの挟撃に更に後方からの攻撃によって織田本隊、織田市の命運は尽きようとしていた。
「姫様。お退き下され!殿はこの勝三郎が務めますゆえ」
「どこに退くと言うのか? 私は退かぬぞ」
勝三郎が必死に説得するも織田市はそれを聞こうとはしなかった。
「姫様。どうか、どうか」
「私はここで死ぬ。死んで藤吉に会いに行く」
「成りませぬ。私は信長様から姫様を託されました。この勝三郎が姫様を死なせませぬ。それに藤吉もそんな事は望みませぬ!」
「ああ、私は藤吉の仇も取れぬのか……」
織田勢の敗因は織田市の猪突猛進であった。
普段の彼女で有ればこのような無謀な突撃をする事はなかった。
藤吉の死が彼女の冷静さを失わせたのだ。
織田市が退却を躊躇っていると秋山虎繁の部隊が迫ってきていた。
「おう。そこに居るのは織田市殿ですな。我が名は秋山虎繁。織田市殿。この秋山が御身を捕らえましょうぞ!ぐふふふ」
下卑た笑みを浮かべた秋山虎繁が織田市に迫る。
「下がれ。下朗!」
「この気の強さ。ますます気に入った!わしの物にしてくれようぞ!」
「この者を近づけるな!姫様を御守りしろ!」
勝三郎の命で秋山虎繁に群がる織田勢。
しかし虎繁はその兵達を叩き伏せ、織田市に迫る。
危うし、織田市!
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