第二百十六話 追い詰められた蝮にて候う
信虎め、やってくれおったな!
今年も後僅かとなったところに、よもやこんな攻め方が有ったとは?
籠城する事二ヶ月余り。
舟を持たぬ武田にこの長島が落とせるものかと思っておったところにこの騒ぎ、正直油断しておったわ!
それにあの大筒と言う物の被害に有ったのが、なか殿やとも殿だったのは最悪だ。
現に今。
「攻め込むのよ!今すぐ!」
とも殿は幸い軽い怪我だった。
「あんな物でこの城が落ちるもんかい。慌てず騒がずどっしり構えるんだよ」
なか殿も怪我は大したことはなかった。
なかったのだが……
「そしてあいつらを蹴散らすんだよ。今すぐに!」
似た者親子だと分かった。
それにこの場に藤吉が居ないのはかえって良かったのかもしれんのう。
この場に居ればあやつも頭に血が上って冷静な判断が出来んかっただろうに。
あれは身内に甘すぎる。
だがそれもあやつの良いところでは有るのだがのう。
「母様。とも。とにかく奥で休んで。さあ、さあ」
「あ、こら弥助。放しなさいよ。こら、聞いてるの!」
「あたしは大丈夫だよ。こんな怪我はしょっちゅうだからね。ちょっと、大丈夫だから。大丈夫だって言ってるだろ。だから引っ張るんじゃないよ」
弥助が近習達を使って二人を奥に連れて行きおった。
まったく、おなごは直ぐに頭に血が上るから、手に負えんわ。
確かあれはわしが若かりし頃に城下で遊んでおったら、妻の深芳野に叱られた事が有った。
それに小見も嫉妬深いやつであれの監視の目を逃れて…… 何を言っておるのだわしは?
「ご隠居。これからどうしましょう? またあのような物をこちらに撃ってこられては、その、対処のしようが……」
弥兵衛は年のわりには冷静なやつじゃな。
こやつは見処があるわ。
「あれは続けて三度撃ってきましたが、その後は撃ってきておりませぬ。あまり多くは撃てぬのではないのですかな?それとも先ほどのは試しに撃っただけなのでは?」
仁右衛門は台帳を見ながら発言しよる。
こやつも若いが良いもの持っておる。
藤吉は人を見る目を持っておるわ。
嬉しくなるのう、くっくっく。
「ご隠居。何を笑っておるのですか? こんな時に」
「う、うむ。すまんのう。して被害はどうか?」
いかんな。こんな時に笑っておったのかわしは?
「城の壁の一部が無くなっております。それとなか様を含めて怪我人が数名です。その後は撃ってきておりませぬから被害は今のところそれだけです」
「怪我人だけかの?」
「は、はい。どなたも軽い怪我です」
八郎は素直な子じゃな。
こういうやつはまっすぐ育てるのが良かろう。
藤吉に付けてやれば人かどの武将になろうて。
「いやー良かったすよね。怪我人だけですんで。あんなのバンバン撃ってこられたら大変っすよね。本当」
皆が義隆を見ておる。
こやつの発言は場を白けさせると言うか、何と言うか。
まあ、こやつは左京進に任せる。
わしはこやつには関わらんぞ。
「周りの砦を飛び越えて直接こちらを狙ってくるとは。これはこれから厳しくなりますな。ご隠居?」
「うむ。そうじゃな」
左京進の言はもっともじゃな。
それから大筒による武田の攻勢が始まった。
「駄目です。やはり大筒までは距離が有りすぎて、こちらの矢が届きませぬ」
「そうですね。それに矢が届いたとしてもあれは鉄の塊との事。傷を付けることも出来ぬでしょう」
矢は届かぬか。
それにしても弥兵衛と仁右衛門。
やはり使えるのう。
この状況でも冷静に対処しておる。
「他の砦に対しても火矢を用いた攻撃が続いています。それに舟での上陸を阻止されました」
やはり近づけんか。
「しかし思いの外こちらに被害は有りませぬ。城を越えてあらぬ方向に撃ち込まれているようで、あれの使い勝手は良くないようです」
「城の壁や家屋にたまに当たる程度ですな。怪我人は出ておりますが、それで死者が出ないのは不思議なくらいです」
確かにあれが当たれば大変じゃな。
回収した玉を見たがあれをここまで飛ばすとは、凄い物じゃな大筒は。
あれが有れば城攻めが容易になろうて。
うむ、あれは欲しいのう。
「今年は新年の祝いが出来んな」
「何を呑気なことを?」
「そうは言うがな。左京進。戦の最中でも祝い事は大切な事じゃ。こういう時だからこそじゃぞ」
「は、はあ?」
苦しい時に苦しいと言えば、それはより苦しく感じるものよ。
こういう時は努めて明るく振る舞うものよ。
「そうっすよ!新年の祝いは大事っすよね!」
こやつは何も考えておるまい。
しかし手詰まりじゃな。
だが向こうもそうであろうな。
武田の攻撃は相変わらず遠くから矢を射るばかり、大筒は毎日撃っておるが被害はそれほど酷くないわい。
思うに距離を測れておらぬのではないのか?
藤吉と佐大夫の話では命中率とか射程距離がどうとか言っておったからな。
後で藤吉に聞けば種子島には色々と欠点が有って、それを直しておるとか。
それに種子島には有効な活用方法が有って、それを知らねば宝の持ち腐れだと言っておった。
だからこそ確信しておる。
武田は大筒を使いこなせておらぬと。
だが、今にあやつらも気づくであろうな。
わしらの優位もそれほど時間が有るわけではない。
さらに年が明けると武田の攻勢が強まったわ。
どうやら大筒の扱いに慣れてきたようで被害が増してきよる。
城の者達も皆疲れておる。
これは良くないのう。
しかし元気な者もおる。
「皆、戦はこれからだよ!こんな事で負けるんじゃないよ!」
「大丈夫かい?ほら、傷を見せて。大丈夫、大丈夫。こんなのかすり傷だよ。これを巻いて血を止めな。さあ」
「す、すみません」
「大丈夫だよ。もうすぐ藤吉がやって来て、あんな奴ら追い返しちまうからねえ」
なか殿ととも殿は兵達を鼓舞しておる。
それを見て城の女中も元気に働いておる。
我らも負けておれん。
だがそれも終わりか。
いよいよと成れば舟で脱出せねばな。
向かうは堺か?
それとも駿河か?
春に成れば上杉と今川、それに北条が動く手筈であったが、間に合いそうもないのう。
しかし、さすがは甲斐の虎よ。
春までにここを落とし、それから尾張を攻め落とすつもりじゃな。
この戦の様子を織田家は見ておる。
そして織田家の家臣達ものう。
このような戦を見せられては抵抗する気も無くなろう。
さて、いよいよ決断せねばな。
「も、申し上げます!」
またか? 今度は何の報告じゃ?
「う、海から舟が来ております」
「おう、味方か! 佐治がやってきおったか!」
うむ、これで脱出が容易になったのう。
佐治を動かすのはまだ早いと思うておったが、向こうから来るとはな。
「いえ、佐治水軍では有りませぬ。全く別の舟です!しかも百を越える舟です!」
何?
「左京進!」
「佐治と我ら以外で百を越える舟を持つのは、志摩水軍くらいです。奴ら武田に付いたと見るべきですかな?」
何を呑気な?
これはいよいよ追い詰められたやもしれん。
わしの悪運もこれまでか?
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