第二百十五話 主不在の長島籠城戦
武田勢が長島を包囲して一月が過ぎていた。
本格的な冬を迎えて武田勢の士気は下がる一方。
それに比べて長島の木下家は包囲する武田勢を挑発するほど元気で有った。
今日も今日とて挑発の弁が冴え渡る。
「おい、見ろよ。武田の山侍が今日も居やがるぞ。この寒空にご苦労な事だぜ」
「ははは。確かに寒そうだな。おっと酒が溢れる。勿体ないぞ」
「ありゃ、やっちまった。すまねえ、すまねえ。ほらよ」
酒を注いでもらった兵はそれをぐいっと飲み干す。
「かー。うめえー!戦場でこんな旨い酒が飲めるたあ、嬉しいねえ。これならずっと包囲してもらった方が俺達も毎日酒が飲めて嬉しいぜ」
「違いねえ。今日もありがとうよ。山侍!」
木下家の兵は櫓の上で酒を飲み交わしていた。
軍規が乱れているように見えるが実はそうではない。
わざとらしい演技で武田勢を挑発していたのだ。
そして酒瓶の中身は水であった。
「武田は依然遠巻きに我らを包囲しております。包囲した当初、火矢を用いた攻撃が有りましたがこちらの反撃で被害が出てからは静かなものです」
長島城にて木下家幹部が評定を行っていた。
発言したのは右筆兼近習の浅野弥兵衛。
「こちらの挑発には全く乗ってきません。抑えの効いた兵達ばかりで、抜け駆けも有りません。士気が下がっているとは思えません」
弥兵衛の言に補足を加えるのはこちらも右筆兼近習の増田仁右衛門。
「俺らの兵も挑発してますけど、ちっとも乗ってこないっす。あいつら玉無しなんじゃないっすか?」
九鬼義隆の言に皆大笑い。
「玉無しとはいささか酷すぎよう。だが、確かに玉無しかもしれんのう。ほっほっほ」
扇を閉じて額に当てて笑うは斎藤山城守。
「こっちの玉は豊富。兵糧もまだまだ余裕。それに堺からも物資がやって来てますから一年や二年は籠城出来ますぞ」
落ち着いた様子の服部左京進。
「我が佐治家も命有らば直ぐに駆けつける由にて、ご隠居様」
ちょっと緊張しているのはこの中で最年少の佐治八郎。
「うむ。それは頼もしいのう。それにしても最も頼もしいのはなか殿じゃな」
「全くもって。今日も兵達に声を掛けておりまする。我らも頭の下がる思いです」
木下なかは武田勢に長島が包囲されてからは城に籠ることなく、外の兵達に声を掛けて回っていた。
その共には木下ともと木下弥助がいた。
「このままですと春を待たずして兵を退き上げるのではないのですか? どうでしょうかご隠居様」
弥兵衛はキリッとした顔で斎藤山城守に尋ねる。
眉が長い弥兵衛は中々の美男子である。
「あの武田左京大夫がそう簡単に退くとは思えんのう。向こうの兵糧はまだまだ持つのではないのか。のう左京進?」
腕を組んで考え込む左京進。
「そうですな。尾張領内を通った時に乱取りをしておりませんでしたから、結構な量の兵糧を確保していたと見るべきですな。仁右衛門はどう思う。殿から算術を習っておったから分かるのではないか?」
問われた仁右衛門は懐から台帳を取りだし、ペラペラとめくった。
「一日に上がる煮炊きの煙の数を数えさせました。それから推測するに武田の兵糧はあまり多くはないようです。日が経つにつれて煙の数が徐々に減っておりますから、向こうは苦しいのではないかと」
「飯が食えないと戦えないすっからね。俺らは毎日腹一杯食ってますから、元気、元気」
ボカッと音がした後、頭を抑えてのたうち回る義隆。
それを見て皆笑っている。
まだまだ余裕綽々の木下家であった。
「ま、待ってくださいよ。とも!おっ母様!」
「まったく、だらしないったら。早くおいでよ弥助」
兵達に声を掛けて回る木下なかととも。
それを追って護衛するは木下弥助とその兵達。
「皆、今日もご苦労様。昨日はよく眠れたかい?」
「は、はい。よく眠りました!」
「嘘つけ。う~ん、う~んって唸ってたじゃないかよ」
「ばか、おめえ」
「それはすまないねえ。今日はよく眠れるように酒を振る舞うように言っておくからねえ」
心配そうな顔で答える木下なか。
「いえ、そんな勿体ない」
「酒は武田を追い返してからで大丈夫です。勝利の酒が一番です!」
直立して答える兵達。
「ははは。遠慮しないのよ。倉には酒が余ってんだから。弥助。持ってきてね」
「へ、いやいや。それは不味いだろう」
ともの言を否定する弥助。
「あたしが良いって言ってるんだよ。早く持ってこい!」
「は、はいー!」
弥助は全力でその場を走り去った。
それを見ていた周りの者は苦笑していた。
「そいじゃあ、次を回ろうか?」
「そうね。母さん。あら、何の音かしら?」
ヒュルルルっと音がした。
その音の後に建物が一部吹っ飛んだ。
「な、何なの? 今のは」
「ここは危のうございます。御下がりくださいませ」
護衛の兵達がなかとともを囲う。
「お前達もお下がり。早く下がるんだよ!」
「また音がするよ。か、母さん伏せて!」
ともがなかに覆い被さる。
その後大きい音がした後、土埃が舞い上がる。
「とも様!大丈夫ですか。とも様!」
「とも!? とも!とも!」
なかに覆い被さったともは額から血が流れていた。
そして、三度目の音が聞こえた。
「申し上げます!武田勢からの攻撃のようです」
長島城内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「何がどうなっておる?」
斎藤山城守が伝令に問う。
「はっ、外に出ていたなか様ととも様が負傷なさいました。今は城内にて手当てを!」
「護衛は何をしていた!」
左京進の怒声が木霊する。
「護衛も負傷しております。それに辺り一体も酷い状況で」
「二人とも無事なのだな?」
「は、意識ははっきりしております」
その報告を聞いて皆安堵のため息を吐く。
「武田からの攻撃。火矢ではない別の何か?なんでしょうか?」
以外に冷静な八郎。
「何かの塊をこちらに向かって投げているのではないのかと」
「そんなはっきりしない報告はいい。事実を伝えてください。事実を!」
弥兵衛の眉がつり上がる。
「申し上げます。対岸から見ますに大きな筒が幾つも見えました。おそらくそれが原因だと思われます」
新たな伝令が追加の報を持ってくる。
「大きな筒だと?は、まさか!」
「なんか知ってるんすか。服部の旦那?」
ボカッと頭を叩かれた後にのたうち回る義隆。
「左京進?何か分かるのか」
斎藤山城守は努めて冷静に振る舞う。
「以前殿が佐大夫殿と話をしていたやつです。大筒です。大筒に間違い有りません!」
「大筒?なんじゃそれは?」
「種子島を上回る大きな筒です。それを使ってこちらに大きな玉を撃って来ているのです」
「な、なんじゃと!?」
大筒を使った武田の攻勢が始まった。
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