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第二百十三話 馬場民部の呟き

 我が名は『馬場 民部少輔 信春』左京大夫様を主とする者だ。


 我らは左京大夫様の命に従い、木下藤吉を瀬田にて追い詰めた。


 左京大夫様からは無理に戦う必要はないと言われたが、先の戦いでの失態も有る。

 我らは汚名返上を誓い、木下と戦った。

 しかし、結果は散々たる有り様であった。


 木下は多くの種子島を用意していた。

 その種子島対策の為に左京大夫様が我らにご助言下されたのが竹束であった。

 我らは左京大夫様に言われるがままに用意した竹束を用いて戦った。


 先の武衛屋敷では竹束を満足に扱えずに被害を出してしまった。


 しかし今回は武衛屋敷のような無様な真似は見せるまいと、竹束を一回りも二回りも大きな物を用意したのだ。

 そしてそれを密集して扱う事で種子島から身を守る事が出来る筈であった。

 だがそんな我らを嘲笑うかのように、木下は竹束を無力化させてしまった。


 我らが竹束を並べて進軍すると射ってきたのは火矢の雨。


 我らが用意したのは乾いた竹を用いた竹束。

 火矢が刺さった竹束はあっという間に燃え盛り、我らは竹束を捨て去るしかなかった。

 そこに待ってましたと言わんばかりの種子島の鉛の雨が我らを襲った。

 身を守る術を持たぬ我らが同胞はバタバタとその場に倒れ付した。


 屈辱であった。


 我ら精強なる武田の兵がなす術無く倒れるのだ。

 こんな無様な事は一度として無かった。

 せめて生竹を用いるべきであった。

 そうであれば!


 いや、それは言うまい。


 木下が我らよりも一枚上手で有ったのだ。


 木下藤吉。


 大膳様がその手腕を買っていた男。


 始めて会ったのは美濃井ノ口城。

 あの治部の後ろで目立たぬようにしていた男。

 しかし、あの体格ではそれは無理な事。

 報告に有った通りの間抜けな丸顔であった。


 終始緊張していたかと思っていたが、治部の言葉におろおろとしていた。

 しかし、典厩様と我に気づくと思案顔になっていた。

 あれほど周りを気にしていた男が急に落ち着いて考え事をしていたのだ。


 我はこの男が急に不気味に思えて為らなかった。


 そして六角攻めの後の騒動。

 それに三雲を降した調略の冴え。

 奴の部下が優れているのだと思っていたが、そうではない。


 考えてみれば奴は農の出。


 優れた家臣を最初から持っている訳では無かったのだろう。

 長島城主に成るまでどれほどの修羅場を潜り抜けたのか?


 奴を始めて知ったのは美濃井ノ口を攻め落とした後の事。


 多くの美濃国人衆が我らに降ってきた。

 その中に有名な稲葉と氏家の名前は無かった。

 彼らは我ら武田に臣従せずに織田に臣従したのだ。


 そして稲葉氏家を調略したのが木下であった。


 木下藤吉と言う男を調べれば調べるほど、この男は呆れほど運の良い男であった。


 始めに名が出てきた時が近習兼右筆と言う。

 それを知った時は驚きよりも呆れてしまった。

 織田家に人が居ないのかと思ったものだ。


 その後は度々名が出てくるのものの、大した功を上げていない。


 織田騒動では名前は出てこず、桶狭間では池田勝三郎と行動を共にしていたが、ここでも功を上げていない。

 そして美濃での功績が突然現れる。


 この間に木下は蜂須賀小六、今川長得、斎藤道三、服部友貞らと接触している。

 そしてどういう経緯でなのか蜂須賀と服部を傘下にしている。


 蜂須賀と服部は名の知れた土豪だ。

 だが、農の出である者に蜂須賀と服部はなぜ従うのか?

 治部は桶狭間で接触していたので分かるが、道三とはどのようにして知り合ったのか皆目検討も付かない。

 調べれば調べるほど木下と言う男が分からない。


 あの男は一体何者なのだ!


 だがこうして対峙して分かった。

 あの男は危険だ。

 左京大夫様も奴を認めていた。


 ならば我も考えを改めよう。


 木下藤吉は危険な男。

 警戒して当たらねばこちらが痛い目を見ると!

 そして事実痛い目に有った。


 このままでは我らは左京大夫様に顔向けが出来ない。


 そう思っていたところに伝令がやって来た。


「叡山が我らに合力に致すとの事、こちらに向かっておられまする」


 なんと!

 怪我を負われた左京大夫様が叡山の坊主を動かしたのだ。

 流石は左京大夫様。

 我らに木下の足止めをさせて叡山の坊主と挟み撃ちにするとは!


 これで木下は終わりよ。


 そして、叡山と近江国人衆の援軍により木下の軍勢は瓦解した。


 瀬田での戦いは我らの勝利で終わった。


 だが残念な事に木下は討ち漏らし、その他の名の有る将も捕らえる事が出来なかった。

 勝った筈なのに負けたような感じだ。

 後味の悪い戦であった。


 戦の後、京に戻りて左京大夫様に事の次第を告げる為に戻った。


 そして京では将軍殺しの話で民は騒いでいたが、それだけであった。

 京では将軍が生きていようが死んでいようが関係ないのであろうか?

 これも左京大夫様が言われた通りであった。


 将軍が死んでも誰もその死を悲しむ者は居ないと。

 一体左京大夫様はどこまで見えておられるのか?


 そしてその後は左京大夫様の指示に従い、尾張長島を攻めている。


 左京大夫様の言に寄れば……


「木下は身内を大事にしている。身内が危うくなれば必ず姿を表す。姿を現せばそこを逃さず捕らえて討つのだ。よいな」


 何処に姿を眩ませてもここ長島に居れば、必ず木下は現れる。

 我らは左京大夫様の言に従い、それを遂行するのみ。

 左京大夫様に従っておれば間違いない。


 なぜなら左京大夫様が居たからこそ、今の武田が、そして我ら甲斐の民は飢えから解放され、明日を夢見て生きられるのだから……


 さぁ木下よ、左京大夫様に逆らった事を後悔するがいい。


 我らが必ず、貴様の首を取ってくれようぞ!


お読み頂きありがとうございます。


誤字、脱字、感想等有りましたらよろしくお願いいたします。


応援よろしくお願いします。

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