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第二百十一話 勝三郎の苦悩

 藤吉が死んだ。


 いや、まだ死んだと決まった訳ではない。


 信光様は市姫様の代わりに政務をしておられる。

 奇妙丸様も自分の出来る事をと仰って、信光様を手伝われている。

 そして肝心の市姫様は自室に籠られたままだ。


 藤吉と市姫様のお子である石松丸様は寧々と藤吉の妹朝日が世話をしている。

 石松丸様は寧々達に任せて大丈夫だろう。

 だが、市姫様はどうしたものか?


 藤吉の敗走の報せを聞いた直後に声をあげて泣かれて、そしてその後気を失った。

 三日三晩もの間、寝込んだのだ。

 その心労は察して余りある。


 信長様が亡くなった時よりも酷い状態だ。



 信長様が亡くなったあの時、私は信長様に後を託された。


 枕元に呼ばれて『友として頼む』と言われたのだ。

 乳兄弟として育った私と信長様。

 最も身近に居た私は信長様、いや、三郎の願いを叶える為に奔走した。


 三郎の望みは尾張平定、そして織田家の安泰。


 しかし、その望みは始めで躓いた。

 市姫が暗殺されかけたのだ。

 なんたる事か!

 林達にまんまと殺られるところであった。


 だが、市姫は助かった。


 得たいの知れない男が助けたのだ。


『木下 藤吉』


 初めて会ったのは戦場で、その姿に驚かされた。

 奇妙な格好に人一倍大きな体。

 しかし、武芸の嗜みはない。

 それは見れば分かる。


 そして、馬鹿面。


 戦場には似合わないほどの緊張感のない顔をしていた。

 あの顔は一目見たら忘れられない。

 市姫様は愛嬌のある顔だと仰ったが、そうは見えなかった。


 その後は藤吉の身辺を探った。

 しかし、木下藤吉なる人物は近隣では誰も知らない。

 その格好から尾張の外の人間であると思われた。

 そこで一計を案じた。


 しばらくは手元で働かせて誰かと接触しないか確かめる事にしたのだ。


 この時は何処かの間者と疑っていた。

 一番は林達かと思われたが、それでは市姫を助けた説明が付かない。

 間者では無いのなら、なぜあんな場所に居たのか?

 戦見物でもしていたのか?

 そして市姫は最初から間者ではないと言っていた。


 だが、私には分かる。


 三郎と市姫は似ている。

 三郎は気に入った相手は手元に置きたがる。

 市姫もそうだ。

 市姫は藤吉が気に入ったのだ。


 そこに特別な感情があるのも分かっていた。


 だから私はなるべく市姫の願いを叶えるように動いた。

 小者として雇った後に適当な理由を付けて近習にしようと考えていた。

 だが、藤吉はそんな私の考えを超えた存在だった。


 まず、犬千代が藤吉を気に掛けたのが意外だった。

 市姫に懸想していたあの犬千代が、男を気に掛ける等思いもよらなかった。

 そして、いつも命令を聞かない利久に藤吉の監視を押し付けた。

 あれで妹の犬千代を溺愛している利久だから、きっと真面目に監視すると思ったのだ。

 だが、結果として藤吉は利久に気に入られた。

 気に入られただけではなく、友になったと真顔で言われた時は何の冗談だと思った。


 あの前田兄妹に藤吉は認められたのだ。


 その後は書が書けたので手薄な右筆に推挙した。


 平手様は嫌がったが、藤吉の本性を知るには打ってつけだと思われた。

 他国の間者で有るならば書の盗み読みや改竄等もやってのけると考えたのだが、藤吉はそんな事もせずに何と書いてあるのかと逆に聞く始末。

 そして、教えてやれば礼を言われて真面目に仕事に取り組む。


 その姿勢を見れば、間者とは考えられなくなった。


 それに仕事が出来る男だった。


 信行様との面通しで間者の疑いは晴れた。

 そこで思いきって右筆の仕事以上を押し付けたのだ。

 藤吉はこれが右筆の普通の仕事だと思っていたようだが違う。

 私と信光様と平手様の仕事を肩代わりさせたのだ。

 私と信光様は藤吉がどこまで出来るのか探る為、平手様は単なる悪意で有ったのだが藤吉はそれを難なく捌いた。


 そして、私の中で藤吉を見る目が変わった。


 気付けば私も藤吉を認めていたのだ。

 私は藤吉を頼りにしていたし、藤吉も私を頼っていた。

 その関係はとても居心地の良い物であった。

 三郎とは違う魅力を藤吉は持っていた。


 市姫が懸想するのも分かる。


 それに尾張平定で見せた手腕。

 政略と戦略を併せ持ち。

 桶狭間では醜態を晒した私を叱咤して皆を纏めた。

 大将の器を見せてくれた。


 私は藤吉ならば何でも出来るのではないのかと思った。

 何故なら藤吉は私達の期待を裏切らず、成果以上の物をもたらしたからだ。

 しかし、外に出る度におなごを引き込むのはどうかと思う。


 だが、妹とも思っていた市姫が藤吉と結ばれたのは嬉しかった。

 それに子も出来た。

 三郎の墓前に報告した時は安堵の余り泣いてしまった。


 三郎が亡くなっても涙を流さなかったのにな?



 それが今回の上洛ではまさか、まさかの出来事だ。


 将軍が死に、武田大膳も死んだ。

 そして藤吉が敗ける等、予想だにしなかった。

 今でも信じられぬ。

 あの藤吉がだ!


 だが、現実は非情だ。


 これからの事を考えなくてはならない。

 まずは藤吉の安否確認をしないといけない。

 長島には使者を送って報告している。

 留守を守っていた服部友貞は事前に知っていたのか既に動いていた。

 津島の堀田、熱田の加藤も動いている。


 遠からず藤吉の安否は確認出来るだろう。


 大丈夫だ。

 あの藤吉が死ぬはずがないのだ。

 我らは藤吉の無事を信じて行動しなくては。


 しかし、気になるのは将軍の死に、藤吉が関係していると言う話が出回っている事だ。

 それに武田大膳の死にも。


 それが本当で有ったならば今まで大人しくしていた国人衆が、騒ぎ出すのではないのかと少し不安だ。

 しかし、仮に国人衆が騒ぎ武田に寝返っても織田家だけで対処は出来る。

 藤吉が既に対処してくれたからだ。

 尾張は磐石。


 だから、早く帰って来い藤吉!


「池田様。武田より使者が参っております。如何なさいますか?」


「武田からか?何ようかな?」


「存じませぬ。ただ重要な話があるとの事で、姫様にお会いしたいと」


 武田からの使者。

 それに重要な話。

 市姫はまだ部屋に籠っている。

 信光様と私で話を聞くか?


「姫様は体調が宜しくない。信光様に話を通す。それで良ければと伝えよ」


「はは」


 これはきっと良くない事が起きるな。

 おそらくは藤吉柄みの件だろう。

 当たって欲しくはないのだがな。



「……木下藤吉は我が主君武田大膳を殺害し、その後は我らが瀬田で追い詰めましたが取り逃がしました。今は長島に戻ってきていると聞き及び。そこで我ら武田が長島を攻めるのを黙認して頂きたい」


「何を言っておるのだ。木下が、藤吉が大膳殿を殺害する筈があるまい」


 信光様の言は最もだ。


「木下は将軍を殺した大罪人。それを庇うと為れば織田家は武田家を敵に回すおつもりか?」


「そ、それは……」


 信光様が窮しておられる。

 私が助けなければ!


「お待ちあれ。木下が長島に居るなど、我らは聞いておりませぬし、知りませぬ。知らぬ事で庇いだて等出来ませぬ」


「私は問答をしに来た訳では有りませぬ。木下藤吉を討つのを邪魔立てするなと言っておるのです」


「我らを脅すと言うか。武田は!」


 思わず怒鳴ってしまった。


「どう取られようとも構いませぬ。それとも一家臣を庇って我らと戦をするのですか?それでも我らは一向に構いませぬ」


 有無を言わせぬ気か!


「警告はしましたぞ。我らの邪魔立てをするので有れば織田家は終わりですな」


 な、なんと言う事か!


 我らが答える前に使者は帰っていった。


「信光様。如何なさいますか?」


「市に、問うしか有るまい」


「しかし、姫様は!」


「分かっておる。分かっておるのだ。だが、私にはその判断が出来ぬ。情けないがな」


 信光様は苦笑して立ち上がると部屋を出ていかれた。

 私は信光様を止める事が出来なかった。


 情けない。


 今ほど自分が情けないと思った事はない。



お読み頂きありがとうございます。


誤字、脱字、感想等有りましたらよろしくお願いいたします。


応援よろしくお願いします。

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