第二百七話 撤退戦の備えにて候う
殺ってくれたな信虎!
将軍殺しは予想はしていた。
だがそれを止められなかったのが悔しい。
それにしても幕臣達は何をしていたのか?
晴信は義輝に散々警告をしていた。
幕臣達は護衛は我らで行うと言ったので任せたのだ。
しかし結果は最悪だ。
将軍は殺され晴信も死んだ。
そして俺は将軍殺しの下手人だ。
何もかもがひっくり返った。
だが、やる事は変わらない。
今は信繁達が無事に美濃にたどり着く為に時間を稼ぐ。
それに早馬を出して尾張に知らせを出した。
事ここに至っては援軍を頼むしかない。
市姫ならきっと来てくれる筈だ。
一時は三好を頼る事も考えたが向こうは向こうで動く筈だ。
それに三好には霜台殿がいる。
霜台には将軍殺しの事を伝えてある。
抜け目ない彼ならきっと動く。
それに本当なら信虎を殺した後に三好に京を攻めて貰う手筈だった。
俺は晴信に脅された事にして三好に逃げ込むという取り決めを交わしていたが、俺が晴信に味方する事になったのでこの案は止めたのだ。
今となってはこの案で良かったのにと後悔した。
「為俊。幕臣達はどうした?上様と一緒に亡くなったのか?」
幕臣達が生き残っていれば俺の汚名は返上出来る。
「分かりません。武衛屋敷は火に焼かれました。将軍はその中で亡くなったとしか聞いておりません。幕臣達も一緒かどうかまでは……」
幕臣達も一緒に亡くなったのか?
それとも逃げ出したのか?
与一郎(細川藤孝)は抜け出しただろうか?
義輝にはいやいや仕えていたからな。
きっと無事に違いない。
義輝と一緒に死ぬなんてそんな忠義心は無いだろうからな。
「信虎はどうしてる。こっちに向かってるのか?」
利久が問い掛ける。
「いえ、まだ動いておりません。その代わり馬場民部がこちらに向かっております。数は一万余り。しかしその歩みは遅うございます」
信虎は来ないのか?
それに追手は馬場か。
ならば何とかなるか。
「為俊。三好はどうしている。動いたか?」
「芥川から動いた知らせは受けておりません」
三好はまだ静観か。
おかしいな。
この混乱の中なら幾らでも動きようが有る筈なのに?
三好に何か有ったか?
確か十河一存が亡くなったのがこの頃だった。
だが、一存が亡くなった話は聞いていない。
なら別の要因か?
ああ、駄目だな。
誰かを宛にするのは止めよう。
最悪の最悪を想定して動くべきだ。
相手は転生者信虎だ。
俺よりこの時代の人物を知っている。
アドバンテージが有るのは信虎。
俺は既に奴の術中に嵌まっていると考えた方が良いだろう。
ならば、俺が瀬田で迎え撃つのは奴の予定通りではないのか?
しかしこっちが迎え撃つのに打ってつけの場所は瀬田だ。
京を出て東で戦うなら瀬田が場所としては最適だ。
最適なのかだが……
俺は何か見落としているのではないのか?
ふぅ落ち着け。
こんな時は深呼吸だ。
ゆっくりと息を吐き、吸い込み。
そしてまた吐く。
よし、少しすっきりした。
「為俊。引き続き後方の警戒を頼む。頼りにしているぞ!」
「は、はは。お任せあれ!」
為俊は笑みを浮かべるとその場を後にした。
頼りにされて嬉しそうだった。
「どうするんだい?」
小六が心配そうな顔をしている。
「このまま瀬田まで退く。そこで馬場を迎え撃つ。と言っても直ぐに退くけどな」
「なら早く行こう兄者。ここで足を止めてもしょうがないよ」
「分かってる小一。そういう事だから小六。兵達に伝えろ」
「ふふ、分かったよ」
小六は伝令を呼び内容を伝える。
そして小一と共に先頭に向かう。
「あの、殿。その、将軍の事はどうなさいますか?」
半兵衛が遠慮がちに聞いてくる。
「どうもしない。今はとにかく瀬田まで退く。それだけだ」
「分かりました」
「おい、瀬田からの撤退路はどうなる?」
瀬田からその先か?
「観音寺まで退ければ、何とかなるだろう。どうだ半兵衛?」
「南近江の国人衆がどうでるか分かりません。典厩殿達を見て、どう反応するのか。予測出来ません」
そうだよな。
でも俺達には三雲定持が居る。
彼なら俺達の味方を…… するのか?
「最悪を想定するなら。挟み撃ちに会う可能性も捨てきれないな。何とも楽しい未来図だ。ははは」
「笑い事か藤吉。真面目に考えろ!」
そう怒るなよ利久。
最悪、最悪か。
「長康。伊賀で雇った奴が居たな。呼んでくれ」
「何か考え付いたか?」
「ま、保険だな」
「保険? なんだそれ?」
あれ、保険って言葉はまだ無いのか。
まぁいいか。
おっと、為俊達にも働いて貰おう。
そうして瀬田まで退く事が出来た。
瀬田川を渡りそこで簡易な陣を敷く。
先に退いた弥助さん達に簡単な柵を作ってもらっていた。
その柵を次々に立てる。
柵の前を掘って堀とし、掘った土は積み上げて柵の補強とした。
準備は万端。
そこに馬場民部率いる武田軍がやって来た。
為俊の報告通りだ。
信虎が率いていないようだな。
武田菱が見えないし。
「用意は良いか。佐大夫?」
「ああ、ここまで用意して貰ったんだ。任せて貰おう」
今は川を挟んで睨み合っている。
向こうは攻める。
こっちは守る。
単純だ。
それに向こうは浅瀬からしかやってこれない。
そこを集中して射撃する。
それに渡りきっても別動隊の利久と可成が迎え撃つ。
何度か押し返せば向こうも損害を考えて退くだろう。
その後はとっとと退こう。
大丈夫だ。
俺は運が良い。
今回も凌いで見せる。
あの絶望的な桶狭間よりはましな筈だ。
緊張して唇が乾く。
心臓がドキドキしている。
足が若干震えてる。
こうして向かい合っていると駄目だ。
待っている時間が有るだけ余計な事を考えてしまう。
ふと回りを見ると。
佐大夫は不適に笑っている。
一と守重は何か話して拳をつき交わしている。
半兵衛は俺の隣で平然としている。
皆余裕有るな。
「いよいよだね。あ、兄者」
ああ、小一は俺と一緒だな。
少し安心した。
「小一。大将は慌てたり狼狽えたりしないもんだ。落ち着いて深呼吸しろ。少しは緊張が解れるぞ」
「う、うん。分かった」
そう言うと小一は言われた通り深呼吸した。
「ふふ、曽根城を思い出すねえ。そうじゃないかい藤吉」
「あれよりは危険が大きいかな」
「大丈夫だよ。あたしが付いてるからね」
そう言って小六は俺を後ろから抱き締める。
俺は小六の腕にそっと手を添える。
「私も付いてます!」
そして負けじと犬千代が俺の腕に手を回す。
ふふ、俺には幸運の女神が二人も付いてる。
負ける筈がない!
ブオォォーと法螺貝が鳴る。
すると武田兵が動き出した。
遂に武田と正面きって戦う。
その時が来た!
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