第二百四話 痛み分けにて候う
殺ったか!
俺は倒れた信虎を見ているとなんと信虎は何事も無いかのように立ち上がった。
「ば、馬鹿な!?」
「御屋形様。大丈夫ですか?」
「ふふふ、さすがにこの距離を当てるとは驚いたがな。何の事はない。大丈夫だ」
馬場民部の問いにしっかりと答える信虎。
嘘だろう?
確かに当たってる筈なのに何で立ち上がれるんだ。
一の種子島は最新型の火打式改良型種子島なんだぞ!
三百メートル離れた場所でも当てる事が出来る優れものだ。
それなのに…… うん? あれ?
「おい、一。何で頭を狙わなかった?」
「あの、頭に当たるとその……」
もじもじして答える一にちょっとイラッときた。
「木下様。初陣で頭を狙い撃つなんてそんな事、一に出来る訳ないでしょう。それに前は外したんですから今回当てただけでも大したもんですよ」
「一には当てやすい胴体を狙えと言いましたからな。徐々に慣れないと心を病みます」
守重と佐大夫は一を庇った。
なるほど確かにそうだ。
これは俺のミスだ。
一ではなくて守重か佐大夫に最新型を持たせるべきだった。
一は鈴木鉄砲隊の中で一番の撃ち手になったが、まだまだ精神的には弱い。
俺はその辺を考えてなかった。
半兵衛と一は同じ歳だ。
だから半兵衛と同じように一にも出来ると思ってしまったのだ。
そう言えば俺は初陣ではブルっていた。
それなのに一はしっかりと仕事をしてくれた。
誉めるのが当たり前で叱責なんてしちゃ行けない。
一は良くやったと誉めないとな。
でもそれは後だ。
今は信虎がどう動くか見極めないと行けない。
「木下藤吉。中々楽しませてくれたのう。次はわしの番と言いたいが、ここまでじゃ。ではさらばだ」
そう言うと信虎は馬に乗り直して颯爽と駆けていった。
馬場民部と武田騎馬隊もその後に続いて去っていった。
鮮やかな引き際と言えるだろう。
本当に六十過ぎの爺さんなのかあいつは?
道三よりも足腰はしっかりしてそうだ。
そして俺は佐大夫達を見る。
佐大夫達は顔を見合わせた後に首を降った。
やはりこれ以上の距離の狙撃は無理か。
ふぅ、頭を切り換えるか。
俺は深呼吸をした後に周りを見渡し長康に声をかける。
「長康。被害は?」
「殺られたのは三人。怪我人は十一人」
「佐大夫?」
「十二人が殺られた。種子島は回収済だ。心配ない」
「そうか。思ったよりも被害が少なかったな。亡くなった者にはすまないと思う。それから亡くなった者とその縁者には十分に報いるつもりだ。後で名簿を作っておいてくれ」
「分かった」「了解だ」
くそ、後味が悪すぎる。
もっと上手く殺れた筈なのに!
いや、あの包囲を抜け出して相応の被害を与えたんだ。
今回は痛み分けと思っておこう。
欲張り過ぎては行けない。
おっと忘れるところだった。
昌景さん達に御礼を言わないと。
「昌景さん。救援ありがとうございます。本当に助かりました」
「いや良いんだ。藤吉殿のお陰で大膳様は何とか一命をとりとめた。こちらが御礼を言いたいくらいだ」
「そうですか。大膳様は助かったのですか。それは良かった。それで清水寺の本陣はどうでしたか?」
その問いに昌景さんは顔をしかめる。
「清水寺に大膳様達を送り届けてからその安全を確保して、すぐにこっちに向かったから詳しい事は知らない。でも多分、大部分の兵が居なくなっていたと思う。あまりにも本陣が静かだったからな」
やはり本陣の武田兵は信虎方に付いていたと見て間違いないだろう。
そうなると兵力はどのくらいだろうか?
少なくとも一万は越えるだろうな。
「昌景さん。本陣に戻りましょう。急いで京を離れるべきです」
「分かった。お前達、本陣に帰るよ!」
「「「おおう」」」
山縣隊の士気は高い。
こんな不利な状況でもその高い士気は立派だ。
俺達も山縣隊を見習わないとな。
「よし、俺達も戻るぞ」
「分かりました。殿」
半兵衛が長康と佐大夫に指示している。
俺はそれを見て、ふと利久がどうなったのか気になった。
利久は晴信達と一緒に先に清水寺に送ってもらった。
あいつは怪我人だからな。
でも、どうせあいつの事だ。
ひょっこりと元気な姿を見せてくれる筈だ。
あいつが単筒なんかで死ぬもんか。
きっと大丈夫だ。
そうだろう、利久。
※※※※※※
「大丈夫ですか? 御屋形様」
「ふ、ちと効いた。見よ。新しい鎧に傷が付いたわい。直すのに銭が掛かるのう。まったく」
信虎の着込んでいた鎧は見事に凹んでいた。
それに信虎は少し血を吐いた。
決して無傷ではなかったのだ。
「どうなさいますか。これから?」
「決まっている。将軍よりも先に大膳と木下を討つ。すぐに兵を纏めよ。先鋒は秋山に行かせよ」
「はは、分かりました。それと本国には?」
「飯富に命じて美濃を抑えさせよ。美濃さえ抑えれば太郎は逃げることも出来ん。もっとも、もう生きてはおらんかもしれんがな」
「……御屋形様」
信虎は何も答えず馬を走らせた。
馬場民部は黙ってその後ろに付いていった。
※※※※※※
俺達は昌景さん達と一緒に本陣である清水寺に帰って来た。
するとそこには小一と小六が待ち構えていた。
「兄者。よく無事で!」
「小一。出迎えご苦労。他の者は?」
俺は馬から降りて小一に尋ねる。
「弥助兄さんがすぐに移動出来るように集めてるよ」
「武田兵はどうした?」
見れば清水寺の本陣に人の気配があまりしない。
ここには一万人以上の人が居た筈なのに、そんな気配が微塵も感じられない。
昌景さんの言った通りなのか?
「武田兵の多くはここには居ないよ。いつの間にか居なくなっていたんだよ」
はぁ、やはりそうか。
「そうか、分かった。本隊はそのまま待機だ。小一は俺と一緒に付いてきてくれ。大膳様に会いに行くぞ」
「分かった」
「ちょっと藤吉。あのね。利久の事なんだけど?」
俺がそのまま行こうとすると小六が俺の手を掴んで止めた。
「な、なんだ。急いでるんだ」
そんな筈はない。
あの利久なんだ。
「とにかくこっちに来て、早く」
「お、おい小六」
俺は小六に強引に手を引っ張っられてた。
そう言えば犬千代の姿を見ないな?
ま、まさか?
「兄上。そんな……」
小六に連れられて来た部屋の前で犬千代の声がする。
「そんな、兄上。まさかそんなに……」
う、嘘だろ。
そんな馬鹿な!
俺は勢いよく戸を開けた。
スパーンと言う音が響いて俺は部屋を見た。
その部屋に利久が居た。
「いよ~どうした藤吉?」
軽口を言う利久の姿を見た俺はふにゃふにゃと腰を下ろした。
見れば利久はご飯を山盛りにした丼を片手に持ち、もう片方の手には箸を持っていた。
どうやら飯を食っていたようだ。
よ、良かった~
「そんなに食べたらお腹を壊しますよ。兄上!」
「ちょっと腹が減ったんだ。少しくらい良いだろう。なぁ藤吉」
「お、お前なあ~」
人が心配してたのに……
でも、本当に良かった。
「本当に頑丈だよこいつは。それに鎧の下に鎖帷子を着込んでたんだよ。それで助かったのさ。まぁここに着く前までは息してなかったけどねえ。犬千代が泣いてすがり付いてさ。起きろ、起きろって胸をどんどん叩いてたら起き上がったんだよ。あれにはびっくりしたさねえ。本当にさぁ」
犬千代の行動が思わぬ救命行為になったのか?
それなら利久は犬千代に感謝しないとな。
命の恩人なんだから。
俺が利久に声を掛けようとした時、昌景さんと勝姫がやって来た。
「藤吉殿。大膳様がお呼びです。早く付いてこられよ」
「藤吉殿。お願いします。早く」
見れば勝姫の目に涙が。
「大膳様は大丈夫なのでしょう?」
俺はそう昌景さんに聞いたが、答えたのは勝姫だった。
「父上は、もう、もう…… う、ううぅ」
勝姫は涙を堪えようとして目元を擦っているが涙が止まらない。
「早く。こっちだ」
昌景さんの声に元気がない。
さっきまでは利久が無事だと知って安心していたのに、まさか晴信が危ないなんて!
これからどうすればいいんだ?
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